35・武華一輪(ぶかいちりん)
『ルッ……!!!』
『ルキフルううううううぅぅぅぅぅーーーっ!!!』
青い閃光が走った。
終末の炎さながらに赤々と燃え上がる業火を、避けず、ガードすらせず、真正面から貫いたルキフルが、身体ごとゴズメスに突っ込んだ。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉーーっ!!!」
ズッ……!!!
携えた二本の刃――逆手に構え繰り出した双掌が、胸部にめり込んでいく。
(メキイィッ! ……ゴリッ……ゴキゴキゴキッ!! ……ミシミシミシイイィィ……ッ!!)
耳に届かずとも不快な音が聞こえてくるようだった。鎧と共に砕けた胸骨は恐らく、ぐしゃぐしゃになっているだろう。
「ぶぐっ……あっ! ごぼあぁぁっ……!!!」
さしものゴズメスといえど、もはや踏みとどまる力は残っていなかった。
次の瞬間には、二人が視界から消えていた。
『追ってくれ、グラス!』
『わ、分かりました!』
すぐに高速で移動し始めた映像が、真後ろに吹き飛ぶ二人を追いかける。遥か先、双掌を突き立てたルキフルと貫かれたゴズメスの姿が小さく見えた。
激闘の爪で平らにされた地があっという間に過ぎ、その先にあるむき出しの巨大な岩石が、轟音と共に崩れ落ちる。
それでも、ルキフルの突進は止まらなかった。
続けて聞こえた崩落の音と、大量に巻き上げられた土煙を見ればすぐに分かった。
『なんてパワーだ……』
障害物がブレーキとなったおかげで、ようやく二人に追いついた。
地には破壊の轍が延々と残され、いくつもの巨岩が無惨に砕かれ、複数の山に風穴が開けられていた。
「うおおおおおおああああぁぁぁぁーーっ!!!」
ゴガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ……!!!!
「ぐがああぁぁあああああぁぁぁーーっ!!!」
すでに抵抗すらできないゴズメスはまるで、糸の切れた木偶人形だった。ルキフルの掌底が削岩機のように、山々(しょうがいぶつ)ごと命を削っていく。
やがて抜けた山岳地帯の先、ひときわ高くそびえ立つ何かが見えてきた。
『でかい! 何だあれ!?』
『神界樹と呼ばれる、神域の守護霊樹です!』
『あれが樹? なんつうサイズだよ……』
直径だけでも数キロはあるだろうか。周りの山並みが浜辺の砂遊びに見えるほどの巨大さだった。
高さに至っては、雲の上まで突き抜けているため、想像すらできない。
まさに、神が創造した奇跡ともいえる霊樹に向かって、勢いを落とす事なく閃光が突っ込んでいった。
ギャウウオオオオオォォォォォォーーッ!!!
周囲に広がる大草原を瞬く間に越え、見る見る内に神界樹が迫ってくる。
目の前にした神の樹からは神々しさよりもむしろ、巨大さゆえの恐怖を感じた。
「極武蜃氣流!!!」
『!!?』
それは、垂直に切り立つ断崖のような樹皮を目前に、大気を切り裂く音速の中、はっきりと聞こえた。
この世で最も神聖な場所に響いた声から、込められた思いが伝わって来たような気がした。
『あいつ……』
背負ったものの名にかけて、ルキフルはいった。
吠えるように。
そして、叫ぶように。
「掌技!! 剛式っ!!!」
極限の状況下にあって口にした“剛”の文字――最後に残された力で放つのは、裏の拳。
恐らくこれが、ゴズメスを終わらせる幕引きの一撃になる。
「裏破城門!!!」
ボウッッ……!!!!
双掌に宿った蒼い炎が胸板を焼き、さらに深く体内にめり込んだ勢いをそのままに、二人が神界樹に突っ込んだ。
ドッ……ゴアアアアァァァーーッ!!!
「ごぼあぁぁっ!!!」
天を衝く神の遺物が揺れ、驚愕した鳥達が一斉に飛び立った。
成す術のないゴズメスが、背中から樹の内に押し込まれていく。
幾筋もの亀裂が、岩肌のような樹皮を引き裂いていった。
メリ……メリメリメリッ……!!
ベキベキベキベキベキッ!!
ビキキキキキキキキキッ……!!!!
実際には秒ですらない僅かな時を、まるでコマ送りのようにオレは見ていた。
内側に向かって捻られ回転した双掌が、蒼炎の渦を生み出す。
逆回転する左右の炎が、ゴズメスの体内でぶつかり合った。
ガカッ……!!!
生み出された反発力が慈悲もなく内臓を壊し、強烈な光が見る者の視界を奪った今、この瞬間――
「獅子……!!!」
ズッ……!!!
ルキフルは解放した。
最後にして、最大の力を。
「噛いいいいぃぃぃぃぃーーーーっ!!!!!」
……ッシンンンッッ!!!!!!
地殻変動が起こした直下型地震さながらに、大地が縦に揺れた。
それが、ゴズメスの背後、螺旋状に神界樹を抉った二つの力が原因である事は明らかだった。
数十メートルにもなろうかという範囲で、樹の表皮が左右から内側に向かって、捻り込むように破壊されている。
……ンン……ン……ンンン…………
……ズゥゥウウオオオオオオオオオォォォォォォォーーーッ……!!!!
揺れが収まると、一呼吸おいて凄まじい余波が衝撃となって広がっていった。
上空の雲が吹き飛ばされ、散った葉が桜吹雪のように舞い、周囲の大地が水面のように波立ち破壊されていく。
オオオォォ……ォォォ……ォォ……
それが過ぎると残されたのは、ひとつの勝利と、ひとつの敗北。
交わったまま生と死を体現した、闘神二人の姿だった。
「………………っ!!!!」
撃ち込まれた瞬間、大量に吐血したゴズメスの口から、声は出てこなかった。
獅子の牙に喰い千切られた身体にはもはや、その力すら残されていなかったのだろう。
見開いた目の中で、瞳が光を失っていった。
そして、がっくり頭を落とすと、それきり動かなくなった。
深く食い込んでいた両腕が、ゆっくりと引き抜かれていく。
『……か……勝っ……た……?』
唖然としたようにグラスがいった。
生命反応のないゴズメスを残し、飛び降りたルキフルが地に降り立った。
『ル……ルキフル様が……!!』
『よおぉっしゃあああぁぁぁーーっ!!』
長く、大きく、そして、深く。
「ふうううぅぅぅぅ~~……」
息を吐き出したその顔には、制した死闘の余韻が残っていた。
『やったぞルキフル! 勝ったああぁぁっ!!』
修羅の咆哮を上げていた口元に、小さな笑みが浮かぶ。
獅子の姿を借りた羅刹を葬った技が同じ獅子の名を冠していたというのは、なんとも皮肉な話だった。
『ご……ご無事で、良かった……本当に……』
『まったくだ。一時はどうなるかと思ったよ……』
蹂躙の爪痕に見る影もなくなった地に一人、ルキフルは佇んでいた。
木漏れ日に照らされた紅の姿は苛烈で、凄惨で、しかし同時に、一枚の絵画ででもあるかのように神々しく、美しかった。
思わず、目を奪われる程に。
『…………』
あの時、ルキフルはいった。
極武蜃氣流、と。
なぜだろうと、オレは考えていた。
生と死が紙一重で交わる刹那の中、常に離れる事なく傍らあったもの――遠い異世界にいる“あいつ”と呼ぶ友に、声を届けようとしたのだろうか。それとも、勝利を捧げようとしたのだろうか。
二人を結ぶ絆と、過ごした時間の濃密さを垣間見た気がした。
『……!! いけねっ!』
はっとして、オレは我に帰った。
そうだ。今は、喜んでる場合でも、感傷に浸っている場合でもない。
『治癒しなきゃマズい! グラス!』
『あ、は、はい! 急いでここに向か……』
「大丈夫だ」
グラスの返事を、落ち着きはらった声でルキフルが遮った。
慌てふためくオレ達とは対照的に、当の本人はいたって冷静だった。
『大丈夫なワケあるか! 足元フラついてんじゃねぇか!』
「血を流しすぎただけだ。少し休めば回復する」
『いや、それ、自力で回復できるダメージじゃないだろ……』
「完全には、な。しかし、移動する体力くらいなら、問題ない」
常識的に考えて、これだけの怪我を問題にしない身体なんてあっていい訳がない。
つまり、コイツの身体は非常識でできてるって事なんだろう。
『サイボーグかなんかか、お前は……』
「すぐに行く。先に戻っていてくれ」
にわかには信じられない申し出だった。
しかし、ルキフル程の使い手なら、ダメージの深さを見誤る事はまずない。
『分かったよ』
ならばここで問答しているよりも、帰ってからちゃんと治療した方がいい。
そう思ったオレは、とりあえず戻る事にした。
『じゃあ、しばらく休ん……』
「待……て……よ……」
「!!?」
『!!?』
『!!?』
言葉が、喉の奥で塞き止められた。
原因となった声の主など、確認するまでもなかった。
『ウソ……だろ……』
口をついて出たオレの戦慄は、ルキフルとグラスの心中も代弁していたと思う。
ゆっくりと見上げた先。
ミシ……ミシミシ……ミシ……
バリッ!
バキバキバキッ……!!
樹の幹を内から引き裂き、ゴズメスが姿を表した。
しかし、ズダボロの身体と震える足ではバランスを取る事などできるはずもない。前のめりになって、そのまま落下してきた。
ドシャアアァァッ!!
流れ出した血が、見る見る地面に広がっていく。
生きているのが不思議な程の、尋常じゃない出血量だった。
『獅子噛がモロに入ったんだぞ……何で生きてんだよ……』
「ごっ……あ……」
唖然とするオレ達の前で、ゴズメスが動き出した。血に滑る身体がゆっくりと起こされていく。
やがて、膝を付いた体勢になると、ルキフルを正面から見据え、いった。
「はぁ……はぁ……ど……どこ……に……行く……ぐっ! ……つ、つもり……だ……?」
「……決着はついた。もう、やめておけ」
「ついて……ね……ねぇ……だろ……オレ……も……オ……メェ……も……まだ……い、生……きてる……」
「すぐに治療すれば助かるだろう。無駄死にする事はない」
「ら……らし……く……ねぇ……な……眠てぇ……事……い、いう……じゃねぇ……か……ぐっ……!!」
驚いた事にゴズメスは、立ち上がろうとしていた。
押さえても胸から溢れ出す血が、指の隙間からボトボトと足元に落ちていく。
「あが……ぁ……ぁああぁぁーーっ!!」
吠えた声はまるで、断末魔のようだった。
呼吸もままならぬ手負いの獣からはしかし、引く気配は微塵も感じられない。立ち上がり、消えかけの命ごと、殺意をルキフルに叩きつけている。
「さ……ぁ……や……闘ろ……う……ぜ……来……いよ……ルキ……フル……」
「結果など、見えている」
「だ……から……ケツ……捲れっ……てのか……? へっ……ご……ごめんだね……」
「引かねば、死ぬぞ」
「ハンパ……で……トン……ズラ……するくれぇ……なら……死……んだ方…… が……マシ……だろ……」
「……」
『……マジでいってんのかよ……』
ゴズメスを駆り立てている信念は、言葉では曲げられない程に強固だった。もはや狂気すら感じる闘争本能は、死ぬ事でしか消えないだろう。
それは、挑まれた本人が誰よりも分かったはずだった。
「……よかろう」
ならば、答えはひとつしかない。
再び、ルキフルが構えた。
「この拳を最後の一撃としよう。命を賭して撃ってこい」
「……へっ……や……やっ……ぱり……オメェ……は……最高……だぜ……」
紅の笑みを浮かべたゴズメスが、震える拳を大きく振りかぶった。
一方のルキフルも腰を深く落とし、右の正拳を腰の位置に置いている。
小細工なし。
正真正銘、命を刺し合う闘いの、最終局面だった。
「ふうぅぅ~……」
「はぁ……はぁ……はあぁ~……」
お互いが呼吸を整え、残された闘気を一点に集中させている。
静かだった。
まるで、向き合う二人以外の全てが息を止め、この闘いの結末を見守っているかのように。
わずか数秒に、終わりのない永遠を感じた。
しかし、止まった時の中にあって、その瞬間は着実に近づいていた。
やがて――
「!!!」
「!!!」
ドンッッ!!!!
光が、弾けた。
青と赤。二つの業が見せた、それは、最後の輝きだった。
ンンン……ンン…………
両者の突きはお互いの胸部――心臓の位置を正確に射抜いていた。
しかし、届く筈もないと思われたゴズメスの拳にはもはや、ルキフルを倒す力までは残っていなかった。
「ぐ……は…………」
勝負、あり。
命の刺し合いを制したのは、ルキフルだった。
「ゴズメス……」
交えた拳をそのままに、ルキフルが問うた。
「貴様にとって、闘いとはなんだ」
「……誇……りを……守……る……術……」
答えたゴズメスの顔は、穏やかだった。憑き物が落ちたように。
「では、守るべき誇りとは、なんだ?」
「折……れざ……る……事……」
僅かに見開いた目を、ルキフルがゆっくりと閉じた。
それだけの仕草に、万感の思いが滲んでいるように見えた。
「……見事だ」
口元に微かな笑みを残し、音もなくゴズメスが崩れた。
「散れども折れぬ武の華……見せてもらった」




