31・拳乱颶風(けんらんぐふう)
ゴズメスの拳は確かに、必殺の威力を持っていた。巨大に見えた事と、尋常じゃない風切り音が何よりの証だ。
対するルキフルは、真っ直ぐに立ってすらいられない状態だった。
しかし、今、膝を折っているのはゴズメスで、立っているのはルキフルだった。
『ル、ルキト様……何があったのですか……?』
グラスが困惑するのも当然だった。
振り下ろされた拳の下で何かが動いた――見えたのはそのくらいだったろう。
『極武蜃氣流だ……』
『極武蜃氣流? それは、ルキト様がお使いになっていた……?』
『うん。今のは、打撃の連続技だよ』
ゴズメスの右を、ルキフルは左手一本で捌いた。
そこから、水月(鳩尾)に右正拳。
身体がくの字に折れた所に、カウンターで人中(鼻下の窪み)に左一本拳。
初擊の反動そのままに、垂直に跳ね上げた右正拳で顎を打ち、がら空きになった喉仏に左猿臂(肘打ち)。
そして、右掌底で打ち下ろしの恥骨砕き。
正中線にある急所五ヶ所を一呼吸で刺す、狼の牙。
間違いない。
あれは、五口狼牙だ。
『何でアイツが使えるんだ……それに……』
極武蜃氣流とは、今では使われなくなった流派名のはずだ。
訳あって呼び方を変えたと、拳帝から聞いた事がある。
それをなぜ、ルキフルが知っている……?
「ぐっ……おおぉああ……!!」
無理やり立ち上がったゴズメスが絞り出した声に、思考を中断された。
あれを喰らってもう動くのか。
やはり、タフネスさは半端じゃない。
「な、何だ、今のは……全然、見えなかったぜ……」
それはそうだろう。
『打撃音が一回しかしない事』
それが、あの技の習得認定条件だ。
撃ち抜かず、反動を利用して次の打撃に繋げる事で、目視不能の連擊を可能にする。
「急所の五連突きでもダメージはその程度か。貴様の身体も、どうかしているな」
「お褒めに預り光栄だね。んじゃまぁ、もっとスゲェとこ見せてやらぁ!」
頭を低くし上半身を振りながら、ゴズメスが間合いを詰めた。小さな構えから、左を一発、二発、三発。
『ボクシング!?』
それは紛れもなく、ジャブだった。しかもタックル同様、一流の。
見よう見まねや付け焼き刃なんかじゃない。何千回、何万回と繰り返して身体で覚えたレベルだ。
しかし、ゴズメスは一体、どこでこれらの『格闘技』を身につけたのだろうか?
一方のルキフルは、頭を振っただけでフラッシュのような左を躱した。
こちらは、天賦の才ともいうべき動体視力と反射神経によるものだろう。
ダメージが尾を引いている様子もない事から、尋常じゃない回復力も見て取れた。
「おらぁっ!」
攻勢に出たゴズメスの回転は速かった。意識を上に釘付けてから、脇腹へ巻き込むような右フック。ガードが下がった所へ、顎を目掛けて右のダブル。
スーパーヘヴィ級のガタイでありながら、軽量級並みのスピードと、滑らかな体重移動――間違いなく、世界ランカーレベルのコンビネーションブローだったが、ルキフルには通じない。
スウェーバックで避け、鼻先を掠めたフックにカウンターを合わせたのだ。
「シュッ!」
入った、と思った瞬間、ヘッドスリップでゴズメスが躱した。掠った拳が、獅子の鬣を舞い散らせる。
「ぐっ……!」
しかし、動きを止められる程ではなかった。交差した腕を絡めたゴズメスが、フックを振り抜く勢いを利用してルキフルを投げに行った。
「らあああぁっ!!」
不安定な体勢からの強引な投げだった。にもかかわらず、あっさりとルキフルの身体が浮いた。
「チッ!」
ゴズメスも気づいたようだ。
投げたのではなく、自分から跳ばれた事に。
ルキフルの判断は、懸命だったと思う。下手に踏ん張るより、体勢を立て直すためにも一度離れた方がいい。
だがそれは、普通の人間相手だったら、の話だった。
ブォッ……!
「!!?」
ドウウゥ……ンッ……!!
「ぐっ……う……っ!!」
着地寸前、ルキフルの身体がくの字に折れた。そのまま、横に吹っ飛ばされる。
自ら跳んだのが仇となった。滞空時間の長さが、隙を生んだのだ。
結果、振り回したゴズメスの後ろ足の蹴りを、まともに喰らうハメになってしまった。
「おおおぉぉっ!」
片膝をついて着地したルキフルを、咆哮を上げながらゴズメスが追った。跳躍し、頭上から襲いかかる。
後ろに逃れたルキフルが一瞬前までいた場所に、降ってきた拳が突き刺さった。
ズドオオォォ――ッン……!!
岩盤ごと、大地が砕けて沈んだ。
魔力も闘気も使っていない肉体だけの一撃であるにもかかわらず、凄まじい威力だった。
飛び散る破片と舞い上がった土埃で、二人の姿が見えなくなった。
すると、塞がれた視界の中から、打撃音と声が聞こえてきた。
「ぬううぅっ!!」
「うらあああぁぁっ!!」
ゴガガガガガガガガッ……!!!
打ち合う音はしばらく続いた。連続している所を見ると、足を止めて闘り合っているのだろう。
視界が悪い中での打撃戦など普通はやらないものだが、あの二人には関係ないらしい。
「ふううぅっ!!!」
ゴオオォォ……ン!!
「ぐおっ!!」
やがて、ゴズメスの巨体が土の煙幕から押し出されてきた。両腕で、十字を描くように身体を守っている。
十字ブロック。
前方からの攻撃に強い、ボクシングのハードディフェンスだ。
「ちいぃっ!」
ガードを解き、ゴズメスが顔を上げた。しかしその時、既にルキフルは懐に入っていた。
四指の背で目をはらうフィンガージャブで、一瞬、視界を奪う。
「ッ!?」
「はあああぁっ!!」
ズドドドドドドドドドッッ……!!!
正拳、平拳、貫手、手刀、掌底、肘、膝、足刀、前蹴り、回し蹴り。
あらゆる打撃が、風を切って乱れ飛んだ。再び固めたゴズメスのガードを縫って、吸い込まれるような正解さで急所にめり込んでいく。
「ぐっ……う……ぐううぅあぁ……」
正確無比。そして、強力無比。
それは、圧倒的な無呼吸連打だった。地面にめり込む四足が、早いだけの攻撃じゃない事を雄弁に物語っている。
「あああぁぁっ!!」
ボッ!!
怯みながらもしかし、ゴズメスが攻撃に転じた。
数発いいのを貰う覚悟でガードを解き、打ち下ろしの右――チョッピング・ライトを放つ。
正しい判断だった。
このままガードを固めていても、いずれ押しきられる。ならば、多少強引でも手を出すしかない。手数は手数で相殺するのが、打撃戦のセオリーだからだ。
予期せぬ反撃――しかし、ルキフルは冷静だった。
左に身体を回転させ、右拳を躱した動きでそのままゴズメスに背を向けた。
右手で手首を取って掌が上を向くように捻り、肘間接を肩に乗せ、極める。
瞬間――。
ビキイイィッ!!
「ぐあああああぁぁっ!!!」
右肘の折れる音が、叫びと同時に響いた。
間髪入れず、後方に突き出した左肘を鳩尾に突き刺さす。
「ぐはっ……!!」
ゴズメスが、しなだれかかるように前のめりになった。その巨体を腰に乗せ、背負い投げの要領で下半身を使って跳ね上げた。
『あれは……!』
「おおおぉぉっ!!」
逆さまに浮き上がったゴズメスの顎に左肘をあてがい全体重を乗せつつ、受け身を取れない状態で脳天から垂直に落とす。
ドッ……!!
『垂蛇咬!』
ゴアアアァァァァ……ッン!!!
「ごっ……ぶっ……!!!」
まるで、上空から巨大な何かが降ってきたようなインパクトだった。耐えられるはずもない地面には亀裂が走り、粉々に砕けて重力を失ったかのように宙を舞った。
それがバラバラ落ちてくると現れたのは、抉られたクレーター。
そして、その中心に臥す、半獣半人の巨体だった。
『す、すごい……』
流れるような技に、グラスが言葉を失っている。
極め、折り、打ち、投げ、落とす。
極武蜃氣流・投技重式、垂蛇咬。
しなだれかかる相手の頭を肘と地面で噛み砕く、複合の投げ技だった。
「ふうぅ~……」
ゴズメスの傍ら、立ち上がったルキフルが息を吐いた。跳躍し、クレーターから出てくる。
『ルキフル!』
『ルキフル様!』
同時に発したオレ達の呼び掛けに、顔を向けてきた。
『大丈夫か?』
「ああ。問題ない」
『いや、ないわけないだろ。ダメージは?』
「もう抜けている。大丈夫だ」
『抜けてるって……首とか頭とか、平気なのか? なんなら戻って、グラスに回復を……』
「くらった直後は多少頭がふらついたがな。あの程度なら、回復魔法を使うまでもない」
首筋に手をあてがい、頭を回しながらルキフルはいった。
確かに、目付きや表情、足元を見ても、ダメージが残っている様子はなかった。
『お前の身体……なんでできてるんだよ……』
「このくらいで丁度よかろう。なんせ、相手が相手だ」
クレーターに目を向けながら、当然のようにルキフルがいった。
『……殺したのか?』
「肘と顎は壊した。しかし、頭蓋骨は砕けていないだろう。角があったからな」
『そうか……まぁ、いずれにしろ、勝負あり、だな』
恐らくルキフルは、反撃される事を読んでいた。
状況が状況だ。ゴズメスに他の選択はなかったし、何よりあの性格なら、無謀に見える策でも勝つために躊躇なく実行するだろう。
豊富な戦闘経験と勇気に裏付けされた歴戦の猛者らしい英断だったが、相手の性格まできっちり読み切って戦略に組み込んだルキフルの方が、一枚上手だった。
『あ! そういえば……』
ここでオレは、肝心な事を思い出した。
ルキフルには、訊きたい事が山ほどある。
『さっき使ってた技だけど……』
「技?」
『五口狼牙と垂蛇咬だよ』
「!?」
『それに……極武蜃氣流』
「垂蛇咬の名は口にしていないはずた。それを、なぜお前が知っている?」
『こっちが訊きたいよ。オレが前いた世界の武術を、どうして使えるんだ?』
「お前がいた? あの世界に?」
『ああ。極武蜃氣流の創始者、拳帝は、オレの師匠だ』
「あいつが……拳帝? 師匠? では、お前も……」
『がっつりシゴかれたよ。もっとも、今は極武蜃氣流って名前になってるけど』
「極武蜃氣流……拳帝……それに……ルキトが、弟子……」
そう呟くルキフルの顔が、少し優しくなった。
まるで、懐かしい思い出の中にいるかのように。
「そうか…:…あいつが弟子を取った、か……」
『ひょっとしてお前、拳帝を知ってるのか?』
「ああ、知っている。もっとも、拳帝などと大層な呼び名ではない、ハナタレだった頃の、だがな……」
『んん? って事は、父さん達とパーティー組む前って事? え? なんで? 時系列おかしく……』
「があああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「!!?」
『!!?』
『!!?』
疑問は尽きなかった。
しかし、響き渡った大地を震わす咆哮に、会話が中断された。
発生源など、特定するまでもない。なぜなら、膨大な量の闘気がクレーターから空を貫いていたからだ。
「フザけやがってクソがあああぁぁっ!! ブチ殺してやらあああああぁぁぁぁぁ――っ!!!!」
憤怒の魔獣が吹き上げる闘気は、まるで炎の柱だった。上空にある雲が高熱に焼かれ、見る間に消えていく。
余熱で辺り一帯の気温が急激に上がっているのだろう。陽炎が、破壊されつくした風景を頼りなげに揺らし始めた。
「話は後だ、ルキト」
視線を魔獣の闘気に向けながら、ルキフルがいった。目付きには鋭さが戻っていたが、口調は至って冷静だった。
『気をつけろよ。どうやらアイツ、まだ奥の手があるみたいだ』
「ああ」
応えた顔に、笑みが浮かんだ。
転生者ルキフルの、ではない。
それは、魔神王ルシフェル――神話の破壊神が、愉悦に浮かべた笑みだった。




