29・魔神王のスローライフ
――あのやり方じゃあ、決着がつかないと思うんだよねえ
確かノエルは、そういっていた。
普通に考えたら、決着しない闘いなんてあるはずがない。
勝つか、負けるか、あるいは引き分けるか。いずれにしろ、何らかの落とし所ってのがあるもんだ。
が。
この闘いに関してはいえば、ノエルのいった事が正しいだろう。
「喰らえオラアアアァァァッ!」
ズドオオオォォォーーンッ!
「ぬうううぅぅぅぅっ!」
ゴバアアアァァァァーーンッ!
「まだまだあぁぁぁぁっ!!」
ドゴオオオォォォォーーッン!!
「ヌルいわあああぁぁぁぁっ!!」
ゴガアアアアァァァーーッン!!
だってアイツらさぁ……足止めて殴り合ってんだぜ……。
しかも、避けもしないで……わざわざ代わり番こにさぁ……。
「ゴオオラアアァァァッ!!!」
「オオオオオォォォォォッ!!!」
その辺で酔っぱらいが喧嘩してるってだけなら、放っておけばいい。殴り合いだろうが斬り合いだろうが、周りの被害なんてたかが知れてるから。
が、しかし。
あの二人がやってるとなると、話は違ってくる。
見ろ、一撃殴る度に衝撃が相手の身体を突き抜けて背景まで壊しまくるもんだから、周辺の地形があからさまにおかしな事になっちゃってるじゃねぇか……。
元はちゃんとした山だったんだろうなっていう、粉々に砕かれた岩と土の塊だとか。
森林だったのかな? って感じの、薙ぎ倒された大木の残骸だとか。
多分湖があったんだろうなっていう、無惨に残された大穴だとか。
地獄まで続いてそうに深くてバカでかい地割れだとか。
風光明媚だったはずの神域が、大地震と台風と竜巻と無自覚系ペラチートの魔法実験の直撃を食らったみたいな有り様になっている。
あのままヤツらに闘らせておいたら、何にもなくなっちゃうだろ、これ……。
『……どうしようか……』
意味ないだろうなと思いつつ、一応、いってみた。
『と、止めますか?』
『いやぁ、無理でしょ……見てみなよ、あの顔……』
なんかもう二人揃って、イッキイキした表情しちゃってんだもん。
『ひょっとしてアイツら、ずっとあの調子だったの?』
『はい。初めは空で闘ってらしたのですが、地上に降りてからは、その……殴り合いを延々と……』
『魔法は?』
『使っていないようです』
『武器もなし?』
『はい。恐らくは、スキルも……』
つまり、ひたすら肉弾戦をやってたって訳か。
それでも普通なら、少しずつ疲弊して決着がつくもんだけど、残念な事に二人揃って元気一杯の様子だった。こうしている間にも、破城槌を城門に叩き付けているような衝突音が景気良く響き渡っている。
体力と筋肉でできた戦闘中毒に、疲労の二文字はないんだろうか。
「グハハハハァッ! い~いパンチだなぁ、おい!」
「ふん。貴様こそ、我とここまで殴り合えるとはな!」
「減らず口が叩けるってこたぁ、まだまだ楽しめるってか! まぁ、神域がなくならなければの話だがよぉ!」
あ、一応、自覚はあるんだね。
「仮にも女神が納める地を嬉々として破壊するとは、不届き者め」
まったくだ。
どこのどいつだよ、あんなのに好き勝手やらせてるのは。
「いいじゃねぇか! 楽しけりゃあ、それでっ!」
「ふっ……仕方のないヤツよ……」
あぁ……ウチのこいつだったわ……。
「しかし、闘いに多少の犠牲はつきものだ。貴様には今ここで、消えてもらう!」
この大惨事を多少の一言で済ます大雑把さは、ある意味、神ならではといえるのかもしれない。
まっさらな天然でこれだってんだから、本当にタチが悪い。
「そんじゃあ、続き……と行きてぇ所だ、が……」
肩を回しながら再開宣言をしかけたゴズメスが、言葉を切ってこちらを見た。
同時に、ルキフルも顔を向けてくる。
「二人、か……貴様ら、何者だ?」
まさかあの殴り合いの最中に、こっちの会話が聞こえた訳じゃないだろう。
しかし、なぜか揃ってオレ達に気づいたようだ。
『ルキトだよ。グラスも一緒だ』
ルキフルの目が、僅かに広がった。
「なぜお前達が……?」
『千里眼で見てるんだ』
「闘いは終わったのか?」
『ああ。こっちは終わった』
「全員、無事か?」
『オレ達の全勝だ』
「……そうか」
小さく綻んだ口元とぶっきらぼうな物言いが、いかにも不器用でルキフルらしかった。
「あぁん? なんだよ、ヤツら、負けちまったのか?」
黙って聞いていたゴズメスが、野太い声をかけてきた。呆れたような口調から、仲間がやられた悔しさや怒りは微塵も感じられなかった。
『残ってるのは、お前だけだ』
「その声は、ザインの魔法を受け止めてた小僧か」
『声って……あれだけ離れててオレ達の話、聞こえてたのかよ』
「オレぁ耳がいいんだよ。で? お前は誰と闘ったんだ?」
『ザインだ』
『グハハハハッ! あの野郎、まぁたカッコつけて小手調べだけで撤退しやがったのか! 闘いよりも報告を優先するたぁ、ご苦労なこった!』
『死んだよ』
「……あ?」
『ザインは、死んだ』
大口を開けたまま、ゴズメスの動きが止まった。笑い声が、喉の奥で凍りついたようだった。
「……死んだ?」
『ああ』
「お前が殺ったってのか? あのザインを?」
『そろそろ、魔界に着いた頃じゃないか?』
ゴズメスが目を見開いた。まるで、ここにいないオレをまじまじと見ているようだった。
「本当かよ……」
『ついでにいっとくと、他の二人も死亡だ。つまり、残るはお前だけってこった』
まぁ、正確には約一名、死んでないのがいるんだけど。
「…………」
俯いたまま、ゴズメスが固まった。その姿はまるで、嵐の前の静けさを体現しているようだった。
今ヤツの中にある驚愕は、すぐに怒りへと変わるはずだ。そして、文字通り魔獣と化し、暴れ狂うだろう。それこそ、手がつけられない程に。
気配を察知したルキフルが、正面に身体を向け直し、備えた。
「ググ……グ……」
しかし、ゴズメスの口から出てきたのは怒声でも咆哮でもなかった。
「グア~ッハッハッハッハッハアアアァァ~ッ!!」
勢い良く身体を反らしたかと思うと、天を仰いで笑い出したのだ。
純粋に愉快で仕方ないといわんばかりの、それはそれは豪快な笑い声だった。
「あんなトボケた面した小僧がアイツを殺ったってのかよ!? まったく、どうなってんだよここは!? グハハハハァ~ッ!!」
……一言多いんだよコノヤロウ。
どういう神経をしているのか、ゴズメスはえらく楽しそうだった。
こいつ、自分の置かれた状況が分かってるんだろうか。
「おい、小僧!」
ひとしきり笑った後、こちらを見て半獣の怪人はいった。愉悦を顔に浮かべながら。
「オレと闘え!」
『はぁ?』
「山羊の姿になったアイツはなぁ、本気で殴り合える貴重な喧嘩相手だったんだよ! いなくなったら溜まっちまうだろ? だから、殺したってんならお前が代わりをしろ! 分かったな!!」
まったく分からなかった。
思考がフリーズすること、数秒。
『ふっ……』
ようやく、頭が動き出した。
『ふざけんなっ! お前のストレス解消に付き合う義理なんてあるか!』
「殺した責任があんだろがっ! テメェのケツはテメェで拭くのが常識ってモンだっ!」
『非常識でできてる魔族の台詞かっ! 常識の意味調べてから出直してこいっ!』
「いい歳こいてガキみてぇな駄々こねてんじゃねぇぞ!」
『無駄に長生きしながら意味不明な屁理屈こねてるお前がいうなっ!』
「あぁん!? ヤんのかコラァッ!!」
『ヤらねぇっつってんだろうが! 頭沸いてんのか、デカブツ!』
「テメェ……ちっとこっち来いや、おぉっ!?」
『こん……の……やろう……! いい加減にし……』
ズズンッ!!!
「うおっ!?」
『!?』
『!?』
……ンンン……ンン……
一瞬、隕石でも落ちたのかと思った。
そうじゃなかった。
「お、おいおい、なんだよ、今の……」
良く見てみると、ルキフルの足元がべっこりと沈み、亀裂が八方に伸びていた。
四本足のゴズメスがバランスを崩す程の揺れを、足踏みひとつで起こしたらしかった。
「貴様……」
「!?」
「闘いが終わらぬうちからルキトに対戦の申し込みとは……我も……随分と安く見られたものだな……」
静かな声だった。興奮も、昂りも感じられない。
しかし、この場の誰もが違う気配を感じていた。ルキフルの全身から立ち昇る闘気の、静かな威圧感を。
そして、心の内に渦巻いているもの――触れるどころか、近づいただけで消し炭にされてしまいかねない、マグマのような感情を。
ゴズメスが一歩下がり、身体をルキフルに向け直した。
「あ~あ、キレちまった。どうすんだよ、ルキト」
『おまっ……! ふざけんなよ! ツレに話しかけるみたいなノリでオレのせいにすんじゃねぇよっ!!』
「オメェがゴタゴタいいやがるからだろ。黙ってハイっていっとけや」
『黙ったままで返事ができるか!』
軽口を叩いちゃいるが、ゴズメスはリラックスしている訳じゃない。その証拠に、話しながらも目線がルキフルから離れる事はなかった。
「今、貴様の眼前にいるのが誰で、どういう存在なのか。分からせてやる必要があるな……」
ルキフルが、前方に加重した。爪先に力を込め、しかし身体からは力を抜いて。
肉食獣が獲物に襲いかかる瞬間のしなやかな凶暴さが、金色の瞳に宿っていた。
「ほう。目付きが変わりやがった」
そういったゴズメスの目もまた、物騒な輝きを放ち始めた。捲れた口元からは巨大な牙が覗き、獅子の貌に凄みのある笑みが浮かぶ。
大方こちらは、獰猛に微笑む魔獣といった所だった。
「すまねぇな。別にオメェを舐めてた訳じゃねぇんだ。ただ、強えヤツがいると闘りたくなっちまってよ。ま、性分ってやつだ。勘弁してくれや」
いいながらゆっくり首を回すと、ゴキゴキ音が鳴った。ミルミルと違い、見た目のイメージそのままの仕草だった。
いいヤツなのか、悪いヤツなのか。
いまいち掴みにくいキャラクターだな、こいつ。
「んじゃあ、喧嘩は終いにするか。ルールは、そうだな……まぁ、死んだら負けでいいだろ。どうだ?」
お前……ルールの意味も分かってねぇだろ……。
ゴズメスが、前傾姿勢を取った。
握っていた拳を開き、両腕を気持ち前に突き出す。後ろ足の爪は、地面をしっかりと掴んでいた。
ルキフルの眉がぴくりと動いた。僅かに目を細める。
「よかろう」
前方への加重を止め、棒立ちになりながらいった。
「貴様が武を以て挑もうというのなら、我もそれに応えよう」
ゆっくりと身体を右に開き、スタンスを広げて腰を落とす。突き出した左手と腰の位置に引き付けた右手は、拳を作らず、力を抜いていた。
自分と相手の身体の中心――正中線を合わせ、ベタ足でどっしりと構える。
『ん?』
双方が取った構えは、どちらも見覚えのある物だった。幾度となく見た事のある、日本人にはお馴染みの構えだったからだ。
『アイツらのあれって、もしかして……?』
呼吸をひとつ。緩やかに揺蕩っていた闘気が、ルキフルの全身を均等に覆い、固定された。
それはまるで、圧縮された生ゴムさながらの、しなやかな硬度を持つ鎧のようだった。
「来いっ!」
吸った息を大きく吐き出し、ゴズメスが気合いを込めて応じた。
「おっしゃああぁっ!!」
ゴング代わりの雄叫びが、破壊されつくした地に響いた。二人が同時に殺気を叩き付け合う。
その光景は、オレの中にひとつの疑問を生み出した。
今さら過ぎる程、今さらな疑問。
『スローライフって……何だっけ……』
ルキフルには一度、意味を調べさせておくべきだよな。




