19・詠唱破棄は甘え
「血肉を成せ 異界の王」
その一節で、レイの身体を魔法陣が覆った。
通常の平面型ではなく球形立体魔法陣だった事から、かなり高位の存在を召喚するつもりなのだと分かった。
「始に在りては光を灯し 終に在りては死を宿す 汝 無垢にして原始なる者よ 侵略と破壊の紅王よ」
詠唱が進むにつれ、魔法陣に描かれた古代文字が輝き出した。
同時に、レイの魔力を吸い上げ、空に向かって放出していく。
「座する玉座に 灰塵の王冠を掲げよ!」
高く伸びた魔力が周囲の光と空気を高速で圧縮し、頭上の空間に巨大な穴を開けた。
形成された力場が放電しながら、さらに高密度の力場を形成していく。
やがて、召喚に必要な『力』が満ちると、レイの呪文は完成した。
「焼き薙ぎ払え!」
カッ……!!
「炎皇ラミューガ!」
ズドオオオオオオオォォォォォォーー……ンンンッ……!!
一閃の光と共に、そいつは戦場のど真ん中に降ってきた。
ヒュドラの巨体を押し返す程の衝撃波が数万の傀儡を瞬時に蒸発させ、地面に巨大なクレーターを出現させた。
溶解した土と岩が赤々と燃え、上がる煙が辺りを覆っている。
「ぐっ……なんじゃ、これは……」
突然の出来事に動揺しながらも、リッチーがクレーターを覗き込んでいる。
あの火力で焦げ跡すらついていないとは、ヒュドラ共々、高度な耐火を纏っているようだ。
「ん~?」
何かを見つけたのか、リッチーの動きが止まった。しかし、骨と皮だけの顔から、感情は読み取れない。
『グラス、あそこ見せて』
『はい』
ズームした映像には人影が写っていた。煙の隙間から見える姿はしかし、ぐったりと横たわっている。
『お、おい。動かないぞ』
「……しまった。失敗した」
『失敗した? 召喚に?』
レイほどの術者がミスをするなんて、通常ではまずあり得ない。
それほど召喚対象のレベルが高かったのか。あるいは、この世界の法則が関係しているのだろうか。
「まずいな……」
ポツリと、レイがいった。
先程までの軽いノリが、すっかり影を潜めてしまっている。
『なんとかしろよ! 今攻撃されたら……』
「ギシュアアアアアーーッ!!」
再び、ヒュドラが彷徨を上げた。大地を揺らしながら、クレーターの中心に降りていく。
「何かと思えば人間が降ってきただけか! 脅かしおって!」
乱入者の正体を知ったとたん、興味を失ったとばかりにリッチーは吐き捨てた。ヒュドラが、柱のような前足をゆっくりと持ち上げる。
「だ、駄目だ!」
「目障りじゃ! 失せいっ!」
「やめろおおおっ!!」
ズドオオオオォォォーン!
レイの悲痛な叫びに、隕石でも落ちたかのような地響きが重なった。
「ゴミ共が! どいつもこいつもワシをナメおって! ナメおって! ナメおって! ナメおって! ナメおってえええっ!!」
ヒステリックなリッチーの声に、ヒュドラの踏みつけが重なる。その度に、地鳴りが起きる。大地が揺れる。クレーターが亀裂に割かれていく。
「逃げろ! 逃げるんだあっ!」
見かねたレイが、叫びながら駆け出した。飛行の魔法を使う事すら喪失している。それほど、大切な存在なんだろう。
『待てレイ! もう手遅れだ! 近寄ったら巻き添えを食うぞ!』
「頼む! 殺さないでくれええええっ!!」
ズドオオオオオオオオオォォォォーーンッ!!!
その時、突如上がった轟音と振動が、レイの叫びを掻き消した。風景が、一瞬にして赤一色に染まる。
やがて、世界が色を取り戻すと、燃え盛る火柱が渦を巻いて天地を貫いているのが見えた。
訳が分からず言葉を失っていると、耳鳴りに混ざってレイの声が聞こえてきた。
「あぁ~……遅かった……」
ドドオオオオ……ン……!!
再度、地面が揺れた。
震源地には、ブスブスと焼けた巨大な何かが転がっていた。
「アンギュアアアアアーーッ!!!」
悲鳴のような鳴き声を聞いて気がついた。
それは、焼き千切られたヒュドラの足だった。
「何を……しよんならぁ……」
火柱に炙られながらゆらりと立ち上がった人影が、声を発した。特徴のある口調には、激しい怒りが満ちている。
「ブチ殺すぞオドリャアアアアアーーッ!!」
ドオオオオオオオオオォォォォーーーッ!!
『うおっ!』
『きゃあっ!』
爆発のような怒声が、炎柱の火力を増大させた。真っ赤に焼けて渦を巻くそれは、まるで炎の竜巻だった。
「ギシャアアアアアアーーッ!!」
「ぐああああぁぁぁぁーーっ!!」
高熱の嵐に巻き込まれたヒュドラの巨体が、あっという間に燃え上がった。いくつもの断末魔ごと、容赦のない業火に焼かれている。
「だから逃げてっていったのに……」
『何だよ、ありゃ……』
「どうやら、お昼寝の時間だったみたいですね。途中で起こされたんで怒ってるんですよ。いやぁ、失敗しちゃいました」
『失敗って……タイミング的に、って意味?』
「はい。間が悪かったですね」
考えてみれば、今回の召喚に失敗は許されない。
なぜなら、クソラノベで詠唱を唱えるってのは、詠唱破棄=なんかsugeee!=オレtueee!っていう、ペラチート三段論法を産み出した先人達の功績を無にする行為といえるからだ。
決して、創造主たる御方に考える能力が欠如していたからとか、そんな事よりハーレムだろとか、そもそもバトルシーンすらまともに描写しねぇんだからしらばっくれときゃいんじゃね? とかいったようなショボい理由ではなく、あくまで、チートとはかくあるべし! という信念に基づいた矜持――それが、クソラノベにおける詠唱破棄だ。
そういった、絶対的ルールを破ってまで詠唱を唱えたのだ。
ある意味レイには、この召喚を成功させる義務と責任があったといえる。
「あのヒュドラ欲しかったんだけどなぁ。止めるの、間に合わなかったかぁ……」
あからさまにガッカリした様子でレイがいった。
『欲しいって、あんなん、手懐けられるのかよ?』
「一応、魔獣使役師のスキルも持ってますからね。それに、あの娘に比べたら、大抵のモンスターや魔獣なんて可愛いものですよ」
『あの……娘?』
オレはクレーターの中心に目を向けた。
そこに立っていたのは、燃えるような赤髪と褐色の肌を持った、幼い少女だった。




