183・Two Faced
「ギャアっハハハハハハハァ〜〜っっ!!」
戦意を感じ取り、魔力の波動を察知して尚、女王の嗤いが止む事はなかった。
しかし、彼女の意思とは別の何かが反応したように、触手の一本が横へと伸びた。同じく笑い続ける我が子の首に絡みつく。
「ア”っキャアっ!!」
ブォッッ!!
「っ!!???」
無造作に振られた触手。真っ直ぐにソレは迫ってきた。
笑っている。白痴のように。精神異常者のように。恐怖もなく、絶望もなく。己が身に起きた事態さえ分かっていない。
迫ってきた。笑いながら。狂いながら。
「ぎゃははははははははっっ!!」
石ころのように投げつけられた、グレイビ・チャイルドが。
「う……ぉっ!!」
バアァァーーッッン!!
咄嗟に飛び退き事なきを得た。
地面に赤い液体がへばりついている。ブスブスと音を立てている。煙が上がっている。どろりと石畳を溶かしていたのは、産まれて間もない生命の残骸だった。
「な……んて……真似を……!!」
「キャア〜〜っ!! ギャハハハハァっっ!!」
「ぎゃはっはははっ!!」
「ぎゃっきゃっきゃっきゃっ!!」
目を疑った。我が子を投擲武器のように使い捨てる母。バラバラになった同胞を見ながら笑っている兄弟達。
女王にとって産んだのは子なんかじゃない。生きたまま投げつける肉の爆弾だ。
そして、当の子供達は理解していない。己が、殺されるために産み出された事を。
「冗談じゃねぇぞ……」
「ルキト様! お下がりください!!」
キンッッ!!
目の前を新緑の結界が覆った。
しかし、その向こうにあったのは、聖なる輝きですら消せない邪を煮詰めたような邪悪達。
「ヒャア”〜〜っっアハハハハハハハアァ〜〜っっ!!!」
バァーーッン! ババンッ!! バンッッ!! バババンンッッ!!!
「きゃははははっ!!」
「ぎゃきゃっきゃきゃっ!!」
「げきききききゃあ〜〜っっ……!!」
醜悪な女王がばら撒く濁った狂気と、死を待つ子供達の歪な笑い顔だった。
「子供を武器代わりにしやがった……イカれてるぜクソッたれ……!」
「どうしたのルキト! そんなとこにいたら危ないって!!」
バンッ! バツンッ! バツン!! ババンッ! バンッッ!! ババァァーーッンンン!!!
耳を素通りした。声も、破裂音も。
代わりに、しっかりと入ってきたものがあった。
「ゲヒャヒャヒャヒャっっ!!!」
「ぎきゃきゃきゃっ!!」
「きゃはっ!! きゃっきゃきゃきゃっ!!」
「ぎゃはははははぁ〜〜っっ!!」
嗤っていた。
母親が。子供達が。
記憶が蘇ってきた。
薄暗い地下室。湿った空気。血の匂い。腐った欲望。狂った嗤い。
「……ぅ……あ…………」
鼓動が速くなっていく。視界が赤くなっていく。頭痛がした。目眩がした。精神が。心が。重く固まっていく。黒く固まっていく。語りかけてきた。オレの中の何かが。オレじゃない誰かが。身を任せたかった。この声に。この意志に。委ねてしまいたかった。暗い衝動に。黒い殺意に。壊してしまいたかった。記憶を。悪夢を。己が犯した罪ごと。罪を犯した己ごと。叫びたかった。叫びそうになった。その時だった。
「っ!!?」
ぬくもりを感じた。我に返って目を落とした。白い手が、優しくオレの手を包みこんでいた。
「ここは、わたくしにお任せください」
振り向いた。静かな光を放っていた。深緑の瞳。女神の瞳。
「生命に存在を禁ずるのは、女神の役目です。ですから、ルキト様……」
何かをいおうとした。何もいえなかった。ゆっくりと、子に語る母のようにグラスはいった。
「過去に縛られて無理をなさらないでください。これ以上、一人で背負わないでください。時には頼り、委ねる事も必要です」
「……ぁ……」
「そして今が、その時なのですよ」
慈愛に満ちた声だった。
威厳に満ちた声だった。
微笑みがあった。
全てを赦し、包みこむ微笑み。
幼い頃、いつも見ていた微笑み。
黒い衝動が消えていく。
渦巻く殺意が消えていく。
重い塊が溶けていく。
何かの声はもう聞こえなかった。
誰かの言葉も聞こえなかった。
代わりに、出てきた言葉があった。溢れてきた言葉があった。
「……ありがとう、グラス……」
心をほどいてくれた笑みを残して、グラスが前に出た。そのまま、ゆったりとした足取りで女王達の元へ歩を進めていく。
「お、おい嬢ちゃん! 何するつもりだ!?」
「一人で行っちゃ危ないって!!」
「……案ずるな。ここはグラスに任せておけ」
「えぇっ!? 任せるって、あんなヤツらを!?」
「今のあやつであれば問題はない。何も、な」
平坦な声で返答を残し、ビョーウがオレの隣に立った。顔を前に向けたまま、静かな声でいった。
「頭は冷えたようじゃの」
「あ、ああ。もう大丈夫だ」
「……ふん」
それきり、ビョーウは何もいわなかった。腕を組んでグラスの背を見つめている。ちらりと見た横顔が、微かにピリついているような気がした。
僅かな懸念はしかし、抱いたと同時に消え去った。
バンッッ!! ババアアァァーーッンン!!!
「!!??」
前方からいくつもの破裂音が聞こえてきたからだ。
見ると、グラスの纏う結界に、自爆したグレイビ・チャイルドがへばりついて煙を上げていた。
「ギャア”ハハハハハァっっ!!」
バンッ!! バボンッッ! バババンンッッ!!!
「ギャっハハハハハァァァ〜〜っっ!!!」
シャットアウトされている事などお構い無しに、女王が我が子を投げ続ける。赤黒くへばりついた溶解液が、新緑を無残に汚している。
それでもグラスの歩みが止まる事はなかった。
神聖なる結界を纏うその背から放たれていたのはーー
「もう、およしなさい。これ以上、我が子を殺めるのは」
禁忌を侵した咎人に向ける、女神の威圧感だった。
「ギャっヒャヒャヒャっ!! やべるぅ!? なぁんれ”ぇ!?」
歩みを止めたグラスを、無数の目玉が見下ろしていた。瞳孔の開いた瞳は、神の威厳を前にしても臆する色を見せなかった。
「命を賭して女王を守る。それが、貴女達の関係における子の使命です。しかしそれは、母でもある貴女が彼らの生命を使い捨てて良い理由にはなりません。ましてや、笑いながら子の命を散らすなどあってはならないのです」
「だのじぃい”がら笑っでるのぉ〜〜っ!! 見でぇ〜〜っ!! アダジの爆弾ぁ! ギレイでじょおぉ〜〜っ!? ほぉ〜らっ! ほおぉ〜〜らあぁ〜〜っ!!」
ババンッ!! バァンッ!! バパアァッッン!!!
「……いくら続けても無意味です。貴女の攻撃は、わたくしには届きません」
「ギャハっハハハハっっ!! ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃっ!! キレイギレイギレ”イギレ”イ”っっ!! ぃい〜〜っひひひひひっっ!! ごぉん”な”にぃ! だのじい”ぃ”のにいいぃぃぃ〜〜っ!!」
「…………」
「やべられるうぅぅぅ〜〜っっ!!!??」
バババババアアアアァァァァァ〜〜〜……ッッンンン!!!!
「ギャア”っハハハハハハハハハア”ア”ァ”ァ”ァ”〜〜〜っっっ!!!!」
「ぎゃききゃはははははっ!!」
「ぎゃい〜〜っ!! い〜〜っ! い〜〜っ!! いいぃ〜〜っっ!!」
「ぎゃっきゃきゃきゃきゃきゃっっ!!」
「きゃあ〜〜っひゃひゃひゃひゃひゃあぁぁ〜〜っっ!!」
もうもうと上がる煙と鼻を刺す酸の臭い。
悪意と邪悪と醜悪が渦を巻き、狂気と狂喜が瘴気のように立ちこめる。
歪んだ光景の中、嗤う狂乱の女王に、子供達に、言葉など届かない。
「……仕方ありません。これ以上は、もう……」
慈悲も、慈愛も、及ばない。女王達がいるのはそんな場所だった。
すっ……と。
グラスの右手が上がった。
「嬢ちゃん……魔法で仕留めるつもりか……?」
「で、でもグラスって、アイツらを倒せる攻撃魔法なんて使えるの……?」
『ご心配には及びませんよ、マリリア』
「えっ!!??」
返事をしたグラスの声が、普段とは違っていた。
耳ではなく、頭に直接入ってくるような声ーーまるでそれは、降ろされた神託のような響きを伴っていた。
『攻撃ではありません。わたくしが行使するのは、理を正す力……』
「理を、正す……?」
……シュ……ゥ……ゥゥ……ゥ……
静かに告げた背。徐々に立ち昇ってきたのは、女神が持つ奇跡の能力。
神界の、魔力だった。
……ゥゥゥ……ゥゥウウ……
すぐにそれは大きさと純度を増した。浄化するかのごとく、濁った空間を瞬く間に覆い尽くしていく。
『哀れなる女王、そして、眷属たる子らよ……』
ウウウウウ…………
『女神グラスの名において……』
ウウウウウゥゥゥーー……ッッ!!
『貴女達を、禁じます』
キンッッッ……!!!!
澄んだ音と共に現れたのは、巨大な結界だった。
これまでオレ達を守ってくれていたのと同じ、新緑の奇跡ーーしかし、新たに張られたのは……
「……え?」
「ど、どういう事なの……?」
「なんで、ヤツらを結界で……?」
「……ふむ……」
そう。女王と子供達の周囲に、だったのだ。
グラスの真意が分からなかった。しかし、狂った化け物達には関係ない。相も変わらずゲラゲラ笑っているだけだった。
『……お終いにしましょう……』
厳かに告げた右手に宿る緑光が、輝きを増す。
すると、広範囲に張られていた結界が徐々に狭まり始めた。
キキ……キ……
「ギャハハハハっ!! っハァ〜〜っ! ハァ〜〜っっ!!」
バツンッ!! バツッン!!
キュキュ……ゥゥ……ゥ……
「ギャバババっ!! ギャキャハハハっっ!!」
ババンッッ!! バンッ!! バババァァッッンン!!!
まるで、何も見えていないかのように、女王が子供を投げ続ける。
しかし、彼らの生命と引き換えた攻撃でも、結界が微動だにする事はなかった。
それどころか……
ゥゥゥ……ゥ……ゥウ……
「キャア〜〜っっ!! アバババハハハハハっっ!!」
「ぎゃかか……かか……!?」
「きゃっひひひ……ひ?」
「いぎゅっ……ぎ……ぎきっ……!??」
ウウウ……ウウウウ……
ゆっくりと、しかし確実に小さくなり続けていたのだ。
周囲にいるグレイビ・チャイルド達が異変に気づき始めた。徐々に押しやる圧力に耐えきれず、中央に寄っていく。
ここに至って、グラスの考えに気がついた。
「なるほどのう……」
「おい、ルキト……」
「ひょっとして、あれ……」
「……ああ。そういう事だろうな……」
「ギャっハハハハハ…………あ”?」
ようやく、女王の狂い嗤いがやんだ。明らかな異変を前に触手が落ち着きなく蠢き出す。
目玉達は映していた。迫りくる、聖なる脅威を。
「な”ん”……ら”……ごのカベ……?」
『……それは、断罪の檻……』
「ギャハハっ!! 檻ぃ!? な”に”ぞれ……」
……ウンッッ!!!!
「っえ”???」
突然だった。
ここまでゆっくりだった結界の狭まる速度が増したのだ。
動揺したグレイビ・チャイルド達が必死に抗っている。中にはパニックを起こし、暴れている者もいた。
しかし、急速に迫りくる圧力の前に、成す術なく押されていった。
「ぎ……ぁ……な”ん……ごれぇ……!!」
『……死を超越した時……貴女は生物ではなくなりました……』
ギキキキキ……
「狭ぐ……なっえ”……!! お、お前達……!! ぐがっ……! よ……寄っで、ぐるんじゃ……!!」
『そして、子の命を捨てた時……』
バツンッッ!!
「っヒ!!??」
『母ですらなくなりました……』
気づけば、結界がグレイビ・チャイルド達を締め上げ始めていた。
そして、その中の一体が圧力に耐えきれなくなり破裂したのだ。
「ヒギァアアアアア〜〜っっ!!」
溶解液を浴びた女王が悲鳴を上げながら悶えている。必死に身を捩り、惨劇から逃れようと足掻いている。
しかし……
ギギギギギ……!!
「グキャアアアっ!! ぐ、来るなぁ! おぶぁえ達ぃっ! 来る……!!」
バツンッ! ババツッン!!
「っっギィっ!!?」
ババババアァァーー……ッッンンン!!
「ギャアアアアア〜〜っっ!!」
虚しい抵抗だった。
今や結界の中は、押しつぶされるのを待つだけのグレイビ・チャイルドがギチギチに詰めこまれている状態だった。
「イ”イィっ! やべろぉっ! は、破裂、ず、ずるの”はぁ”……!!」
「ぎきゅうぅぅ……っ!!」
「ぎがっ……ぁっ……!!」
バンッッ!! バツンッ!!
「ギャアっ! アヴァ”ア”っっ!!」
ギギギギギギギ……ッッ……!!
ババンッッ!! バンッ!! ボババンッッ!!
「ヒガア”ア”ァ”〜〜っっ!!!」
創り出されたのは、まさに檻だった。
理から外れた、生物ならざるモノを裁く神の創造物。
「な、なんだこりゃ……見てるだけで、こっちまで押しつぶされちまいそうだぜ……」
「あ……あれは本当に……グラス……なの……?」
「……ああ。グラスさ……」
強大な威圧感を目の当たりにした二人が、顔色を失っている。
神であるマリリアすら竦み上がらせているそれは、禁忌を犯した者に下される女神の威光ーー
「もう一人の、ね……」
神威に他ならなかった。
「だ、だず……だずげでエエェェ……っっ!!」
ギギギギ……ギ……ギチギチギチ……ッッ!!
あれだけ広範囲に広がっていた結界が、今はわずか数メートルにまで小さくなっている。
終わりの時は、確実に迫っていた。
『慈悲の時は過ぎました。もう、お逝きなさい……』
バババババァァーー……ッッンンン!!!
『貴女達が、帰る場所……』
「グギッイ”イ”ャア”ァァっ!!」
『全ての魂が……還る場所へ……』
「ア”ァ”ア”ア”ァァァァァ〜〜っ!!」
見捨てた我が子に命を奪われる女王。それを理解すらできない子。
「ぎや、だ……! びいぃやぁだああぁぁぁ〜〜……っっ!!」
「ぎゃききききぃ……!」
「ぎかっ! がかか……!!」
「ぶぐぐぅ……がっ……ががっ……!!」
グラスは今、どんな気持ちで見ているんだろうか。
ギチギチギチギチギチッッッ……!!!
それでも彼女は、断罪せざるをえない。
バババッッン!! バンッッ!! バツンッ! バツンッッ!!
聖母の慈愛と神の無慈悲。
「ア”ギャアっっ!! ア”アァ”ァ”っっ!!!」
女神は二つの顔を持つ。
「だず……だ、だず……だっっ……!!!」
決着だ。
「だずぅ……げ……でえぇぇ……ぇ……!!!」
ギギギチギチギチギチギチッッッ……!!!
『……悠久なる地で……』
「え”っ……ぎっ……ぎイ”ィ”ィ”ヒィ”ィっっ……!!!」
『贖罪の時を過ごして、後……』
ギチギチギチギチギチギチギチギチチチチチッッッ……!!!
『無垢なる魂に……生命の灯火を宿した、その先……』
「ィィイ”イ”イ”イ”イ”っっっ……!!!」
『再び、見えましょう……』
ギッッッッ……!!!!
「……っっっア”っっ!!!」
『新たなる、世界で……』
ッッシュン!!!!
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァ”ァ”ァ”〜〜っっっ!!!」
バアアアァァァァァーーー……ッッッンンン!!!!
『……お眠りなさい……』
……ンンン……ン……
『…………』
……ンン…………
断末魔が、終焉を告げる破裂音に飲みこまれた。
残響が尾を引いている。
あたかもそれは、狂気に掻き消された慈悲に似て、届かなかったグラスの無念を長く長く、嘆いているかのようだった。




