182・The Dope Show
突如として我が身に降りかかった異常事態に、マザー・クインジーが狂乱していた。頭をバリバリと掻きむしり、左右に振る。しかし、ぴったりと張り付いた目隠しがその役目を放棄する事はなかった。
「クキャア”ア”ァ”〜〜っ!! 暗い暗い暗いぃぃ〜〜っっ!! 目ぇはどごぉ〜〜っ!?? 目目ぇ”目え”ぇ”ばあぁぁぁぁ〜〜っっ!!!」
バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! バンッッ!!!
見えない恐怖に混乱してパニックを起こしている。地面を叩く仕草には、極度のストレスが見て取れた。
「っしゃ! そろそろ終いにしようや、ルキト!!」
「オーケー!! 魔法をぶち込む! 援護してくれ、みんな!!」
「はいっ!!」
「まっかせなさいっ!!」
「ふっ!!」
ヒュキキンッッ!!
最初に動いたのはビョーウだった。
手刀一閃。左手首が二つ、宙に飛んで地面に落ちた。
「ギャア”ア”ァ”ァ”ァ”〜〜っっ!!」
右手を突き出した。意識を集中し魔力を高める。激痛に悶える女王、その生命活動を停止させるために。
「キー・リーヨーク・ツィーン・ゾーイ・ヴァイオルド!!」
パリッ……!
パリ……! パリ……!パリ……!
右腕に四層の魔法陣が宿った。生み出した力が小さく爆ぜて、徐々に大きさを増していく。
「いけない手だ……」
ガッ……!!
「おイタはやめなっ!!」
ゾンッッ!!
「ヒっっ!!」
頭を引っ掻いていた右手にロメウの刃が食い込む。半ば落ちかけた手首から鮮血が噴き出す。
それでも奴にとって致命傷にはならない。すぐに回復してしまうだろう。
詠唱破棄では駄目だ。
「我が声を聞きたもう! 其方は閃獣を駆る赤雷の獣騎士なり!」
パリパリパリパリッッ……!!
「ふぅぅっ……はぁっ!!」
ヒュンッ……!!
バッシイイィィィーー……ッン!!
「ァギアァっ!!」
攻撃に転じようと動いた右手。グラスの鞭が事前に止めた。
あれだけの重傷でも即座に反撃できる不死身の身体だ。中途半端な魔法は意味を成さない。
ならば、取るべき選択はただ一つ。
灰にするか、塵にするかーー完全詠唱で息の根を止めてやる。
「背に雷翼! 頭に雷角! 四肢に雷鎧! 雷刃は閃りて絶てぬ者なし!!」
バリッッ……!!
「今度こそ……!」
ブッオオォォォッッ……!!
「逝っけええぇぇぇーーっっ!!」
ズドオオオォォォーーッッンン!!!
「ゴハァ”ア”ア”ァ”ァ”ァ”〜〜ッッ!!!」
ビョーウが左手を、ロメウとグラスが右手を。
さらにマリリアがフルスイングを腹部にぶちかまし、女王の動きが完全に停止した。
「腕に宿るは災雷の閃刃! 万象に轟き万物を断ぜよっ!!!」
バリバリバリバリバリッッッ……!!!
空間に魔力が満ち、放電に空気が震える。気配を察した四人が飛び退く。
バババババババババッッッ……!!!
完全詠唱で造り出したのは、赤き雷の騎士が振るう断界の刃ーー
「雷衝(二ーゲル)……!!」
ズォッッ……!!!
全てを爆ぜ断つ異界の災害、そのものだった。
「断業刀ッッ!!!」
ピシャアアアアァァァァァーーーッッッ!!!!
振るった腕から赤雷が迸った。稲妻の刃が、水平に走って空間を斬り裂く。
ギャドッッッ……!!
「っっギ……!!?」
バリバリバリバリバリッッッ……!!!
「ィ”ィ”イ”ャア”ア”ァ”ァ”ァァァ〜〜っっっ!!!」
鱗が持つ驚異的な柔性は、雷光の一太刀でさえ止めて見せた。
しかし、衝撃と雷撃までは防げない。
バリバリバリバリバリバリバリバリッッッ……!!!!!
「ガガガガガガガガガ……っっ!!!」
バババババババババ……ッッッ!!!!
「ガカっカカカカァ”ガガガガガっっ……!!!」
仰向けに吹き飛ばされた身体を魔力が駆け巡る。激しく痙攣する五体が見る間に炭化していく。
「キィ”ア”ア”ア”ア”ァァァ〜〜っっ!!!!」
「すっご……」
目を細めたマリリアの顔が、赤い雷光と驚きに染まっていた。
一見すると、電撃を纏っただけの斬撃波ーーしかし、雷衝断業刀は、相手に触れた後に真価を発揮する。
「なるほどな……斬るのが目的じゃねぇのか」
魔力によって生み出された雷撃が、身体を内側から破壊する。そしてその効果は、対象が消滅するまで続くのだ。
「塵に返す呪文だよ。相手の業を身体ごと、ね」
もはや女王に逃れる術はない。罪深き魂は、すぐに消えてこの世からなくなるだろう。
バババババッッ……!!
「ァァァ”ァ”……ア”……ァ”ギ……ギっ……!!」
そう、確信していた。
バシュッ! バシュンッ!! バシュンッッ!!
「……っギ……ギキキっ……イ”……ィ”ギ……ギギキ……!!」
肉体が爆ぜる音と重なる断末魔に奇妙な変化が現れた、この時までは。
「……ん?」
「ギカカ……カカっ……カっっ……!!」
バババババババババッッッ……!!
「な、なに……?」
「ギャカカカカっっ……!!」
バンッ! ババンッッ!! バババババババババッッッッ……!!!
「身体が……起きてきやがった……?」
「ギャァ〜〜っガカカカカカカァァ〜〜っっ!!!」
悲鳴に取って代わっていったのは紛れもない。笑い声だった。
異常な光景に思考が止まった。追い打ちをかけたのは、勢い良く起き上がったマザー・クインジーの取った行動。
それはーー
ブォッッ……!!
「!!??」
ゴガンッッ!!
バリバリバリッッ……!!
「なっ……!!??」
地面に頭を打ちつける事だった。そして、狂笑と共にそれを続けた事だった。
「ギャアっハハハハハハハハハァ〜〜っっ!!」
ゴガンッッ!! ゴガンッッ!! ゴガンッッ!! ゴガンッッ!! ゴガンッッ!!
狂った女王が頭を振るうたび、地面に雷が走る。赤い稲妻が血液のように地を流れる。
「あやつ……なんのつもりじゃ?」
「ギャっハっハっハっハっハァァ〜〜っっ!!!」
ゴガンッッ!! ガンッ! ガゴンッ!! ゴンッ! ガンッ!! ガンッッ!!!
「!?? み、見てください! 上半身が……!!」
炭化して脆くなった身体が、あの衝撃に耐えられるはずもない。ボロボロと崩れ始めた胴体から腕が落ち、乳房が落ち、腹部が抉れていく。それでも狂乱は止まらなかった。
「ギャバババババババババア”ア”ア”ァァァ〜〜っっっ!!!!」
ゴガンッ!! ガゴンッ!! ゴンッ!! ゴズンッ!! ゴッッ!! ゴギャッ!! ゴギャンッ!! ゴズンッッ!!!
何かに取り憑かれたかのように繰り返される狂行ーー大口を開けて笑っている顔には、常軌を逸した異常性が見て取れた。
「か、完全にイッちゃってるわね……」
「重度の薬物中毒者が同じ事やってたな。ヤバい薬キメたみたいになってやがる……」
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァァァァァァァァァァ〜〜〜っっっ!!!!」
ゴッギイイィィィーーー……ッッンンン!!!
バンッッッッッ!!!!
バリバリバリバリバリバリバリバリッッッ……!!!
「っ!!!?」
やがて、最後の狂気が叩きつけられると、マザー・クインジーの上半身が粉々に砕け散った。八方に散った赤雷が壁面まで走って爆散する。
「うわっ!!」
慌てて飛び退いた。魔法の余波が、足元にまで迫って来たからだ。
しゅぅ〜……
しゅううぅぅぅ〜〜……
パリッ……パリパリパリッ……パリリッッ……
辺りには煙が立ち込め、燻る呪文の残照が小さく音を立てていた。
「ゲホッゲホッ! ゲッホ! ど、どうなったの……?」
「ぐっ……まさか、自爆しやがるとはな……」
嫌な感じがした。
静かに蠢く姿の見えない脅威に晒されているような、漠然とした不安。
隣に視線をやった。目の合ったビョーウが小さく顎を引く。
やはり、そうだ。
闘いはまだ終わっちゃいない。
「気をつけろ! 奴は死んでないぞ!」
「えっ!?」
「生きてる? あれでか?」
「か、身体が崩れていくのが見えましたが……」
「余分なモノを捨てただけじゃ。むしろ、禍々しい気が増しておるわ」
ビョーウの言葉を裏付けたのは、誰あろうマザー・クインジー本人だった。
煙の中で何かが動いた。
次の瞬間、視界を奪っていた元凶が一気に吹き飛ばされた。
「っっっキャアアアァァァァァ〜〜っ!!!」
バフオオォォォーー……ッッ!!!
「!???」
「ギャっハハハハハハハハハハハァァァ〜〜っっっ!!!」
目に飛び込んで来たのは、さらに醜さを増した異形だった。
四つん這いの身体に、異常に膨れ上がった腹部。下半身部分はこれまでと変わらない。
変わっていたのはーー
「うっ……そおぉぉ〜〜……」
「じ……冗談キツいぜ、おい……」
「まさか……第三形態まで……」
なくなった上半身の代わりに、新たな頭部が生えていた事だった。
頭に首はなく、胴体に直接乗っているように見える。異常に巨大で、頭囲が肩幅と変わらなかった。ぱっくり裂けた口に滑った唇、高い鉤鼻。
そして、顔の上半分から無数に生えた長い触手は先に目玉がついている。
うねうねと蠢きながらこちらを見る視線が、たまらなく悍ましかった。
「頭を……新しく作ったのか……?」
「あるいは、最初からあったのやもしれぬのう」
「てこたぁあの目、複眼の中に入ってたやつか?」
「……そのようですね。そして恐らく、触手で上半身を支えていたのでしょう」
「身体を捨てて雷撃を排出するとは……やられたの、ルキト」
「くっ……そ……!!」
己の甘さに腹が立った。
一度目に続いて二度までも、魔法を凌がれてしまったのだ。
奴の持つ異常性は、こちらの予想を容易く超えてくる。
そして、非常識極まりない不死性も、またーー
「あの魔法でも死なないなんて……どうすれば倒せるのよ……」
想像の範囲など、遥かに超えている。
「ギャハハハハハっっ!! ハァ〜〜っ!! ハァ〜〜っ!! ハアアァァァ〜〜っっ!!!」
マザー・クインジーが、いや、『マザー・クインジーだったモノ』が、笑っている。紅い腹部をびくんびくんと脈打たせて。
力を込めた両手の爪が石畳に食い込む。笑い声がいっそう大きさを増す。
「来るぜ!!」
「またあの突進!?」
襲撃に備えた。
身体が軽くなっている分、動きはさらに速くなっているだろう。気を抜けば、タックル一発でお陀仏だ。
しかし、そんなオレ達の予測は意外な形で外れた。
動き出したのが、身体ではなかったのだ。
ボコッ……ン!!
「!??」
ボコンッ! ボコンッ! ボコンッ! ボコンッ! ボコンッ!!!
激しく動いていたのは、腹部だった。内部で生き物が暴れ回っているかのような動き方をしている。
「ま、まさか……あいつ……」
前にも見た事があった。
これは、そう。
「ンギァ〜〜っ! ア”〜〜っ!! ア”〜〜っ!! ア”〜〜っ!! ア”〜〜っ!! ア”ァ”ァ”〜〜っっ!!!」
ボコンッ! ボコンッ! ボコンッ! ボコンッ! ボコンッッ……!!
「出産かっ!?」
「ンギャア”ア”ア”ア”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”〜〜っっ!!! 」
ボリュッ……ン!!
「!!??」
ボリュリュリュリュリュリュリュリュリュリュリュッッッ!!!!
腹部にできた裂け目から、次々と何かが産まれてきた。
赤いゼリーのようだったそれらはすぐにピクピクと動き出し、やがて人の形になった。
そして、ノロノロと立ち上がったかと思うとーー
「ぎ……ぎきき……き……」
「ぎひゃっ……! ぎひゃひゃっ……!!」
「ぎゃぁ〜〜っはははははははははっっ!!!」
一斉に笑い出した。
ばら撒かれた歪な狂喜が、空気を見る間に濁らせていく。
「ちぃっ! ここで産みやがるのかよ!!」
「あ、あれ全部……グレイビ・ベイビー……?」
「ってより、ドラッグ・ベイビーだぜ、ありゃ」
「……いえ。どうやら、違うようです」
「え? 違う?」
「これまでの個体とは身体つきも大きさも違います。あれは、ベイビーというよりも……」
「ああ。グレイビ・チャイルドだね」
グラスの指摘した通りだった。
そこにいたのは肥満体の赤ん坊じゃない。ガリガリの真っ赤な身体はこれまでより一回りも大きく、腹だけが病的に膨れている。産まれて来たのは餓鬼のような見た目の、いわば『新種』だったのだ。
「母体と同じく、赤子も童に進化しよったか。つくづく、自然の摂理に反した化け物じゃのう」
「……はい。もはやあれは……この世に存在して良い生物ではありません」
そういったグラスの気配が変わったような気がした。
違和感を覚え、顔を覗きこんだ。
しかし、その時にはもう、元に戻っていた。
「…………」
同じく、何かを感じたんだろう。ビョーウが横目でグラスを見ている。
しかし、すぐに前方へ目を戻した。
「耳障りじゃ。息の根ごとあの馬鹿笑いを止めるぞ」
「そ、そうね。まずは子供達からなんとかしましょう」
「振り出しに戻った気分だが……仕方ねぇな」
オレ達が戦闘態勢に入っても、女王と子供達に変化はなかった。
笑っている。
大口を開けて。こちらを見もしないで。ただ笑い続けているのだ。
危険な匂いがした。得もいわれぬ不気味さがあった。
しかし、このまま眺めている訳にもいかない。
「嫌な予感がする。ここは離れたまま、子供達から殲滅していこう。グラス、マリリア。魔法で叩くぞ!」
「分かりました!」
「っしゃあ! 一気にいくわよっ!!」
手にした武器を二人が構えた。魔力が濃縮されていく。
すると、危険を察知したのか、呼応するように女王が動いた。
そしてこの後、オレは追体験する事になる。
あの日、あの夜、あの場所で見た、忘れ得ぬ悪夢を。




