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181/183

180・Like a Virgin

 ゴキ……ゴリ……ゴリ……ゴリッ……!


「ニ”ア”……ァ……! ア”ァ”……ァ”ア”……!!


 ゴキンッ!

 ゴキゴキッッ!!

 ゴキンッ! ゴキンッッ!!


「ァ”ガガ……ガア”ァ”……ア”っ……ァガアアァァァ〜〜っっ……!!」


 メキメキメキメキ……!!

 パキキキキキキキッッ……!!!!


「ア”ァ”ンア”ア”ア”ァ”ァ”ァァァ〜〜……っっ!!!」


 赤煙(せきえん)に閉ざされた結界内から、気味の悪い声と音が漏れ聞こえてきた。

 今まさに、マザー・クインジーが変態を遂げようとしている。ラットレースやゴライアス・デスマスクと同様、殺戮(さつりく)を行うための体躯(からだ)に。


「予想はしてたけど……とんでもない化け物だな……」


「そもそもマザー・クインジーなんざ、迷宮(ダンジョン)にいるモンスターじゃねぇからな」


「え? そうなの?」


「本来は密林地帯の奥に棲んでるのさ。天敵のいる場所じゃなきゃ、際限なく繁殖しちまうだろ?」


「あぁ、確かに」


「っていうかさ……あんなの、もう……」


 ゆるゆると、煙が晴れてきた。シルエットしか見えなかった異形が徐々に姿を現し始める。

 変態を遂げた女王が最初にした行動。それは。


「ヒュっ……ヒュフ……フ……フゥゥ……」


「この世に()ていいモンスターじゃないわよ……」


「ヒュララララララララァァァ〜〜っっ!!!」


 大口を開けて高笑いする事だった。そしてその姿で、オレ達の恐怖心と嫌悪感を煽る事だった。


「な……んだ、ありゃ……」


 絶句するロメウの気持ちが分かった。

 鼻から上をヘルメットのように覆う、集合した昆虫の複眼。透明なそれら一つ一つの中には目玉が入っていた。身体には黒い鱗がビッシリと生え、ぬらぬらとヌメついている。長い四本の腕。巨大な手。鉤爪のついた二十の指は、関節が四つに増えていた。

 しかし、そんな異様な姿も、下半身に比べれば可愛いものだった。

 芋虫の身体が、人の身体になっていたのだ。

 ガリガリに痩せ細った四つん這いの姿勢で、腹部だけが病的に膨れている。充血しているかのような深紅は、血を吸った蚊を連想させた。

 土色の皮膚に不釣り合いな血袋がびくんびくんと脈打つ様は、鳥肌が立つほどに(おぞ)ましい。

 二つの身体を無理やり接合したようにしか見えない姿はまさに、生命の禁忌を犯しているかのようだった。


「ヒュラァ〜〜ア”〜〜! ア”ア”ァァァ〜〜っっ!!!」


 ビュボッッ……!!


「!!?」


 バガアアァァァーー……ッッン!!


 笑いながら、マザー・クインジーが腕を振るった。届くはずのない爪で、一瞬前までオレ達がいた地面を砕く。

 バラバラと落ちる破片の向こう、無数の目玉がぐるぐるとデタラメに動き回っていた。

 マリリアが驚愕の声を上げた。


「う、腕が伸びた!?」


「気をつけろ! 見た目以上に攻撃範囲が広いぞ!」


「骨格がないゆえの芸当、という訳か……」


「固まってるのはマズい! ビョーウ、ロメウ! 左右に散るんだ! グラスとマリリアは下がれ!!」


 指示を出すと、各自が一斉に動いた。正面にオレ、右にビョーウ、左にロメウ。グラスとマリリアは腕が届かない距離まで引く。

 しかし、こちらの動きなどマザー・クインジーは見てもいない。

 やにわに広げた四本の腕。逸らした上半身。

 裂けた傷口のように開いた口から出てきたのは……


「ア”ア”ァ”ァ”ァ〜〜っ!! ギンモチ”い”ぃ”ぃ”〜〜っ!!!」


「!??」


「アっアっア!! デでるっ!! ギボぢいぃのがデでるっ!! ア”っア”っア”っア”っ!! 」


 歪で醜悪な歓喜だった。

 頭をブンブン振りながら女王が狂っている。毒素のような声が見る間に空気を汚染する。

 鳥肌が立った。


「生まれ変わった代償に頭の蛇口が壊れた、って訳か……」


「ア”ヒイ”ぃ”ぃぃ〜〜っっ!! サぁ〜イっ……ゴウお”おおぉぉぉ〜〜っ!! ア”ア”ア”アァァァ〜〜っっ!!!」


 ヒュッッ……!!!!


「っ!!!?」


 ゴガアアァァァーー……ッッンン!!


 まき散らされる狂声の最中、固めた拳が落ちてきた。反射的に避けた。地面に大穴が空く。埃が舞い上がる。


「くっ……! スピードが、上がって……!!」


「ヒュっハァ〜〜ッ!! ア”ア”ァ”ァ”ァ〜〜っっンン!!!」


 ボボヒュッッ……!!


「!!!」


 一瞬で視界が塞がれた。眼前。突き出された四本の爪。頭を下げた。風切り音が後頭部を掠めた。左。広げた手が迫ってくる。後ろに飛び退いた。埃が瞬時にさらわれた。着地と同時に影が差した。上。左に跳んだ。掌が地面を叩く。振動が空気を震わす。轟音が鼓膜を震わす。風圧を感じた。目の前に拳があった。上に跳んだ。眼下を通り過ぎる。鱗に覆われた腕。蛇のように伸びた腕。


 ゾクッ……!!


「!!?」


 悪寒が背筋を舐めた。無理やり身体を反らす。後方に回転した。背後。広げた爪が通りすぎていった。引き寄せるような奇襲。知らぬ間に後ろを取られていた。死角まで腕が伸びていた。コンマ数秒、反応が遅れていたらーー死の抱擁に捕獲されていただろう。


「くっ……かなり知能が上がってるな……」


 そのまま後方に着地した。左右に視線を走らせる。

 ビョーウ、ロメウも襲われていた。オレに二本、二人には一本ずつ。伸びた腕が凶爪(きょうそう)を振るっている。頭部の目玉が三ヶ所を同時に見ている。前方・左右、全ての方向に対応されている。これでは囲った意味がない。連携を取る事もできない。


「個別で闘わざるを得ない……が……」


 (かわ)し、(さば)き、流す。ビョーウは心配ない。問題はロメウだ。


「グラス! マリリア!」


 人外のスピードに翻弄され、防戦一方になっているのだ。このままでは、長くは持ちそうにない。


「ロメウをサポートしてやってくれ!!」


「分かりました!!」


「なら手っ取り早く、アイツの動きを止めてあげるわっ!!」


 ブォッッ……!!


「!?」


 背後に魔力を感じた。生じたそれが瞬時に高まり、膨れ上がり、密度を増す。


「これで大人しく……してなさいっ!!」


 キュウゥゥゥ……ン……!!


穢髪纏封聖柩(コフィン・バレッタ)!!」


 ギキキキッッ……ンンン……!!!


「……っっカっ……!??」


 マザー・クインジーの周囲が水晶の板で覆われた。狂い笑いと動きがピタリと止まった。


「イガっ……カっ……カカっっ……!!」


 緩やかなカーブを描く十枚の水晶は先が丸く、刻まれたルーン文字が黄金の光を放っている。

 さながら、地面から伸びた半透明の爪が、女王を捕らえているかのようだった。


「ナイスだマリリア! ビョーウ! ロメウ!!」


「承知した!」


「っしゃあっ!!」


 迷わず動いた。一直線に、前へ。マザー・クインジーが足掻いている。力ずくで身体を動かそうとしている。無駄だった。魔法に束縛され、五体は完全に自由を奪われている。


「はぁっっ!!」


「しゅっ!!」


 水晶の隙間をぬって直剣(ショートソード)を突き出した。同じく左でロメウが刃を突き刺しにかかる。二つの攻撃が無防備な脇腹に吸いこまれていく。

 しかし……


 ギシュッ……!!


「!??」


 ギュ……ニュッ……!!


「なっ……!??」


 刃が鱗に飲みこまれた。まるで、圧縮されたゴムーー内側(なか)の筋肉だけじゃない。硬そうに見える鱗も、柔性で斬撃を無効化する構造になっているのだ。


「フッ!!」


 ギンッッ……!!


 一方、上に跳んだビョーウは頭部を斬りつけていた。手刀が複眼のヘルメットを一閃する。

 しかし、やはり斬れてはいなかった。代わりにヌメついた液体が飛び散ったのが見えた。


「なんだありゃ? 頭が濡れてるのか!?」


 一旦距離を取った。ロメウも見ていたらしい。見開いた右目をマザー・クインジーの頭部に向けている。

 ビョーウが隣に降り立った。


「潤滑油のようなもので覆われておるのじゃ。滑って手刀が入ってゆかぬ」


「ならばこっちだ! 今度こそ灰にしてやる!!」


 両手を地面についた。女王を焼きつくす為に。消火してくれるグレイビ・ベイビーはもういない。動く事すらままならない今なら、確実にとどめが刺せる。


「ヒュっ……バアァァァ〜〜……っっ!!」


「!?」


 詠唱を始めようとした、まさにその時だった。

 マザー・クインジーが、開いた口から再び煙を吐き出したのだ。先程とは違う黒煙に全身がスッポリと覆い隠される。


「チィッ! また煙幕か!?」


「悪足掻きをするでない!!」


 バオゥッッ……!!


 ビョーウが腕の一振りで風を起こした。立ち込めていた黒煙が瞬時に霧散する。

 現れた女王に変化はなかった。

 しかし、水晶には明らかな変化があった。


「!? ルーン文字が……」


 そう。光を失い、黒くなっていたのだ。

 捕らわれの異形が力を込め始めた。


「ギっ……ギヒュ……ギギっっ……!!」


 ピキ……

 ピキ……キ……キキ……


「お、おい……ヤバくねぇか、ありゃ……」


「神聖魔法を無効化したのか……そんな能力まで……」


「ギガアアァァァ〜〜っっ!!!」


 パリイィィィーー……ッッン!!


 ボッッッ……!!!


 呪縛を砕いたと同時に巨体が跳んだ。速い。襲撃に備えた。反撃に備えた。しかし、マザー・クインジーの目的はオレ達じゃなかった。


「えっ!!?」


 一息で跳躍した先ーー背後。頭上を飛び越えられた。振り向いた。着地した背中が目に入った。長い腕が四本、しなるように広げられている。

 怒りの女王が狙っていた標的。

 それはーー


「っっヒュラ”アアァァァ〜〜っっ!!」


「っ!!??」


 マリリアだった。


「チィッ!!」


 魔法の脅威から潰していくつもりなんだろう。明らかにマリリアだけを狙った攻撃だった。

 思ってもいなかった戦術的思考ーー反応が遅れた。身体を翻した。地を蹴った。力の限り跳んだ。広げた腕が閉じていく。間に合わない。火球を生み出した。放とうとした。刹那ーー


「ふっ!!」


 ギッキュウウゥゥゥーー……ッッン!!


 マザー・クインジーの身体が左に傾いた。何かが上から二本の左腕を叩いたーーそう見えた。ビョーウの斬撃だった。


 ボボッ……!!

 ドオォォーー……ッン!!


「ギっ……カァっっ!!」


 間を開けず火球で後頭部を撃ち抜いた。それでも女王は怯まない。左に傾いた体勢のまま右腕を振るった。


 ブォボッッ!!


「っっ!!」


 ガッキャアアァァァーー……ッンン!!


「きゃあぁぁぁぁーーっっ!!」


「あっ……う……!!」


「マリリア! グラスっ!!」


 マリリアが身体ごと吹き飛ばされた。巻き添えになったグラスも同時に弾かれている。無意識に身体が動いていた。二人に駆け寄ろうとしたその時。すでに視界が塞がれていた。風を巻いて眼前に迫って来ていた。


 ブォッッ……!!


「っ!!?」


 マザー・クインジーの拳が。握りしめた殺意が。右の肩関節があり得ない角度に曲がっている。身体は正面を向いたまま、真後ろに裏拳を振ってきたのだ。


「ちいっ!!」


 動揺が生んだ一瞬の隙。躱しきれない。ガードも間に合わない。顎を引いた。闘気を集中した。頭部で一番硬い場所。額の、中心に。


 ゴッ……!!


「っっっぐぅっ……!!」


 ッッキャアアァァァーー……ッッ!!


 頭に衝撃が入ってきた。視界に火花が飛んだ。目の前が暗くなった。半ば無意識の中、違和感があった。拳の威力。そして、感触。


 そうか。こいつは……。


 上半身を後ろに反らした。身体を後方に回転させた。ダメージを最小限に抑える(すべ)ーー五体に染みこんだ防御反応に任せた。気絶(ブラックアウト)しないよう強く気を持った。身体が後ろに飛ばされている感覚があった。視界はまだ暗いままだった。しかし意識が途切れていなのは分かった。受け身の事が脳裏を掠めたからだ。


 ガシイィィ!!


 地面に投げ出された衝撃が来る。そう思っていた。来なかった。不思議だった。遠くから声が聞こえた。


「……か!? ……キト!!」


「……?」


「おい、ルキト! おいっ!!」


 徐々に視界が明るくなってきた。何かが見えた。ぼんやりしたシルエットが少しづつ形になった。


「……ロメウ?」


「気がついたか!」


 それは、オレを逆さまに覗きこむロメウの顔だった。身体が抱き抱えられている。どうやら、身を(てい)して受け止めてくれたようだった。


「あ、あぁ。大丈夫だ。ありがとう。それより、マリリアとグラスが……」


「安心しろ。どうやら、心配なさそうだぜ」


 立ち上がって問いかけると、ロメウが顔を向けた。視線を追った。二人が身を起こしているのが見えた。


「結界が間に合ったのか……」


「ビョーウの一撃とお前の魔法が功を奏したな。やっこさんの身体が傾いてたおかげで、攻撃がそれたみてぇだ」


「そうか……良かった……」


「それにしても……どうするよ、アレ。このままじゃジリ貧だぜ」


 マザー・クインジーの相手は、ビョーウがしてくれていた。おかげでマリリアとグラスは、治癒と回復に専念できている。


「あのガタイであの動きだ。しかもまともな攻撃じゃダメージが通らねえ。ちまちま叩いてもすぐに回復しちまうしな」


「何気に厄介なのが視野の広さだ。アイツ、真後ろにいたオレが見えてた」


 それは、ビョーウとの闘いを見ても分かった。

 周囲を高速で移動しながら攻撃しているにも関わらず、全方向に対応しているのだ。


「動きが格段に速くなってる。死角のない現状じゃ、魔法を当てるのも難しい」


「どうにか怯ませて、隙を作るしかねぇな」


「できるか?」


「やるだけやってみるさ」


 右目を細めたロメウが、いつもの笑みを浮かべた。


「お膳立ては任せろ。盛り上げてやるからよ」

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