180・Like a Virgin
ゴキ……ゴリ……ゴリ……ゴリッ……!
「ニ”ア”……ァ……! ア”ァ”……ァ”ア”……!!
ゴキンッ!
ゴキゴキッッ!!
ゴキンッ! ゴキンッッ!!
「ァ”ガガ……ガア”ァ”……ア”っ……ァガアアァァァ〜〜っっ……!!」
メキメキメキメキ……!!
パキキキキキキキッッ……!!!!
「ア”ァ”ンア”ア”ア”ァ”ァ”ァァァ〜〜……っっ!!!」
赤煙に閉ざされた結界内から、気味の悪い声と音が漏れ聞こえてきた。
今まさに、マザー・クインジーが変態を遂げようとしている。ラットレースやゴライアス・デスマスクと同様、殺戮を行うための体躯に。
「予想はしてたけど……とんでもない化け物だな……」
「そもそもマザー・クインジーなんざ、迷宮にいるモンスターじゃねぇからな」
「え? そうなの?」
「本来は密林地帯の奥に棲んでるのさ。天敵のいる場所じゃなきゃ、際限なく繁殖しちまうだろ?」
「あぁ、確かに」
「っていうかさ……あんなの、もう……」
ゆるゆると、煙が晴れてきた。シルエットしか見えなかった異形が徐々に姿を現し始める。
変態を遂げた女王が最初にした行動。それは。
「ヒュっ……ヒュフ……フ……フゥゥ……」
「この世に棲ていいモンスターじゃないわよ……」
「ヒュララララララララァァァ〜〜っっ!!!」
大口を開けて高笑いする事だった。そしてその姿で、オレ達の恐怖心と嫌悪感を煽る事だった。
「な……んだ、ありゃ……」
絶句するロメウの気持ちが分かった。
鼻から上をヘルメットのように覆う、集合した昆虫の複眼。透明なそれら一つ一つの中には目玉が入っていた。身体には黒い鱗がビッシリと生え、ぬらぬらとヌメついている。長い四本の腕。巨大な手。鉤爪のついた二十の指は、関節が四つに増えていた。
しかし、そんな異様な姿も、下半身に比べれば可愛いものだった。
芋虫の身体が、人の身体になっていたのだ。
ガリガリに痩せ細った四つん這いの姿勢で、腹部だけが病的に膨れている。充血しているかのような深紅は、血を吸った蚊を連想させた。
土色の皮膚に不釣り合いな血袋がびくんびくんと脈打つ様は、鳥肌が立つほどに悍ましい。
二つの身体を無理やり接合したようにしか見えない姿はまさに、生命の禁忌を犯しているかのようだった。
「ヒュラァ〜〜ア”〜〜! ア”ア”ァァァ〜〜っっ!!!」
ビュボッッ……!!
「!!?」
バガアアァァァーー……ッッン!!
笑いながら、マザー・クインジーが腕を振るった。届くはずのない爪で、一瞬前までオレ達がいた地面を砕く。
バラバラと落ちる破片の向こう、無数の目玉がぐるぐるとデタラメに動き回っていた。
マリリアが驚愕の声を上げた。
「う、腕が伸びた!?」
「気をつけろ! 見た目以上に攻撃範囲が広いぞ!」
「骨格がないゆえの芸当、という訳か……」
「固まってるのはマズい! ビョーウ、ロメウ! 左右に散るんだ! グラスとマリリアは下がれ!!」
指示を出すと、各自が一斉に動いた。正面にオレ、右にビョーウ、左にロメウ。グラスとマリリアは腕が届かない距離まで引く。
しかし、こちらの動きなどマザー・クインジーは見てもいない。
やにわに広げた四本の腕。逸らした上半身。
裂けた傷口のように開いた口から出てきたのは……
「ア”ア”ァ”ァ”ァ〜〜っ!! ギンモチ”い”ぃ”ぃ”〜〜っ!!!」
「!??」
「アっアっア!! デでるっ!! ギボぢいぃのがデでるっ!! ア”っア”っア”っア”っ!! 」
歪で醜悪な歓喜だった。
頭をブンブン振りながら女王が狂っている。毒素のような声が見る間に空気を汚染する。
鳥肌が立った。
「生まれ変わった代償に頭の蛇口が壊れた、って訳か……」
「ア”ヒイ”ぃ”ぃぃ〜〜っっ!! サぁ〜イっ……ゴウお”おおぉぉぉ〜〜っ!! ア”ア”ア”アァァァ〜〜っっ!!!」
ヒュッッ……!!!!
「っ!!!?」
ゴガアアァァァーー……ッッンン!!
まき散らされる狂声の最中、固めた拳が落ちてきた。反射的に避けた。地面に大穴が空く。埃が舞い上がる。
「くっ……! スピードが、上がって……!!」
「ヒュっハァ〜〜ッ!! ア”ア”ァ”ァ”ァ〜〜っっンン!!!」
ボボヒュッッ……!!
「!!!」
一瞬で視界が塞がれた。眼前。突き出された四本の爪。頭を下げた。風切り音が後頭部を掠めた。左。広げた手が迫ってくる。後ろに飛び退いた。埃が瞬時にさらわれた。着地と同時に影が差した。上。左に跳んだ。掌が地面を叩く。振動が空気を震わす。轟音が鼓膜を震わす。風圧を感じた。目の前に拳があった。上に跳んだ。眼下を通り過ぎる。鱗に覆われた腕。蛇のように伸びた腕。
ゾクッ……!!
「!!?」
悪寒が背筋を舐めた。無理やり身体を反らす。後方に回転した。背後。広げた爪が通りすぎていった。引き寄せるような奇襲。知らぬ間に後ろを取られていた。死角まで腕が伸びていた。コンマ数秒、反応が遅れていたらーー死の抱擁に捕獲されていただろう。
「くっ……かなり知能が上がってるな……」
そのまま後方に着地した。左右に視線を走らせる。
ビョーウ、ロメウも襲われていた。オレに二本、二人には一本ずつ。伸びた腕が凶爪を振るっている。頭部の目玉が三ヶ所を同時に見ている。前方・左右、全ての方向に対応されている。これでは囲った意味がない。連携を取る事もできない。
「個別で闘わざるを得ない……が……」
躱し、捌き、流す。ビョーウは心配ない。問題はロメウだ。
「グラス! マリリア!」
人外のスピードに翻弄され、防戦一方になっているのだ。このままでは、長くは持ちそうにない。
「ロメウをサポートしてやってくれ!!」
「分かりました!!」
「なら手っ取り早く、アイツの動きを止めてあげるわっ!!」
ブォッッ……!!
「!?」
背後に魔力を感じた。生じたそれが瞬時に高まり、膨れ上がり、密度を増す。
「これで大人しく……してなさいっ!!」
キュウゥゥゥ……ン……!!
「穢髪纏封聖柩!!」
ギキキキッッ……ンンン……!!!
「……っっカっ……!??」
マザー・クインジーの周囲が水晶の板で覆われた。狂い笑いと動きがピタリと止まった。
「イガっ……カっ……カカっっ……!!」
緩やかなカーブを描く十枚の水晶は先が丸く、刻まれたルーン文字が黄金の光を放っている。
さながら、地面から伸びた半透明の爪が、女王を捕らえているかのようだった。
「ナイスだマリリア! ビョーウ! ロメウ!!」
「承知した!」
「っしゃあっ!!」
迷わず動いた。一直線に、前へ。マザー・クインジーが足掻いている。力ずくで身体を動かそうとしている。無駄だった。魔法に束縛され、五体は完全に自由を奪われている。
「はぁっっ!!」
「しゅっ!!」
水晶の隙間をぬって直剣を突き出した。同じく左でロメウが刃を突き刺しにかかる。二つの攻撃が無防備な脇腹に吸いこまれていく。
しかし……
ギシュッ……!!
「!??」
ギュ……ニュッ……!!
「なっ……!??」
刃が鱗に飲みこまれた。まるで、圧縮されたゴムーー内側の筋肉だけじゃない。硬そうに見える鱗も、柔性で斬撃を無効化する構造になっているのだ。
「フッ!!」
ギンッッ……!!
一方、上に跳んだビョーウは頭部を斬りつけていた。手刀が複眼のヘルメットを一閃する。
しかし、やはり斬れてはいなかった。代わりにヌメついた液体が飛び散ったのが見えた。
「なんだありゃ? 頭が濡れてるのか!?」
一旦距離を取った。ロメウも見ていたらしい。見開いた右目をマザー・クインジーの頭部に向けている。
ビョーウが隣に降り立った。
「潤滑油のようなもので覆われておるのじゃ。滑って手刀が入ってゆかぬ」
「ならばこっちだ! 今度こそ灰にしてやる!!」
両手を地面についた。女王を焼きつくす為に。消火してくれるグレイビ・ベイビーはもういない。動く事すらままならない今なら、確実にとどめが刺せる。
「ヒュっ……バアァァァ〜〜……っっ!!」
「!?」
詠唱を始めようとした、まさにその時だった。
マザー・クインジーが、開いた口から再び煙を吐き出したのだ。先程とは違う黒煙に全身がスッポリと覆い隠される。
「チィッ! また煙幕か!?」
「悪足掻きをするでない!!」
バオゥッッ……!!
ビョーウが腕の一振りで風を起こした。立ち込めていた黒煙が瞬時に霧散する。
現れた女王に変化はなかった。
しかし、水晶には明らかな変化があった。
「!? ルーン文字が……」
そう。光を失い、黒くなっていたのだ。
捕らわれの異形が力を込め始めた。
「ギっ……ギヒュ……ギギっっ……!!」
ピキ……
ピキ……キ……キキ……
「お、おい……ヤバくねぇか、ありゃ……」
「神聖魔法を無効化したのか……そんな能力まで……」
「ギガアアァァァ〜〜っっ!!!」
パリイィィィーー……ッッン!!
ボッッッ……!!!
呪縛を砕いたと同時に巨体が跳んだ。速い。襲撃に備えた。反撃に備えた。しかし、マザー・クインジーの目的はオレ達じゃなかった。
「えっ!!?」
一息で跳躍した先ーー背後。頭上を飛び越えられた。振り向いた。着地した背中が目に入った。長い腕が四本、しなるように広げられている。
怒りの女王が狙っていた標的。
それはーー
「っっヒュラ”アアァァァ〜〜っっ!!」
「っ!!??」
マリリアだった。
「チィッ!!」
魔法の脅威から潰していくつもりなんだろう。明らかにマリリアだけを狙った攻撃だった。
思ってもいなかった戦術的思考ーー反応が遅れた。身体を翻した。地を蹴った。力の限り跳んだ。広げた腕が閉じていく。間に合わない。火球を生み出した。放とうとした。刹那ーー
「ふっ!!」
ギッキュウウゥゥゥーー……ッッン!!
マザー・クインジーの身体が左に傾いた。何かが上から二本の左腕を叩いたーーそう見えた。ビョーウの斬撃だった。
ボボッ……!!
ドオォォーー……ッン!!
「ギっ……カァっっ!!」
間を開けず火球で後頭部を撃ち抜いた。それでも女王は怯まない。左に傾いた体勢のまま右腕を振るった。
ブォボッッ!!
「っっ!!」
ガッキャアアァァァーー……ッンン!!
「きゃあぁぁぁぁーーっっ!!」
「あっ……う……!!」
「マリリア! グラスっ!!」
マリリアが身体ごと吹き飛ばされた。巻き添えになったグラスも同時に弾かれている。無意識に身体が動いていた。二人に駆け寄ろうとしたその時。すでに視界が塞がれていた。風を巻いて眼前に迫って来ていた。
ブォッッ……!!
「っ!!?」
マザー・クインジーの拳が。握りしめた殺意が。右の肩関節があり得ない角度に曲がっている。身体は正面を向いたまま、真後ろに裏拳を振ってきたのだ。
「ちいっ!!」
動揺が生んだ一瞬の隙。躱しきれない。ガードも間に合わない。顎を引いた。闘気を集中した。頭部で一番硬い場所。額の、中心に。
ゴッ……!!
「っっっぐぅっ……!!」
ッッキャアアァァァーー……ッッ!!
頭に衝撃が入ってきた。視界に火花が飛んだ。目の前が暗くなった。半ば無意識の中、違和感があった。拳の威力。そして、感触。
そうか。こいつは……。
上半身を後ろに反らした。身体を後方に回転させた。ダメージを最小限に抑える術ーー五体に染みこんだ防御反応に任せた。気絶しないよう強く気を持った。身体が後ろに飛ばされている感覚があった。視界はまだ暗いままだった。しかし意識が途切れていなのは分かった。受け身の事が脳裏を掠めたからだ。
ガシイィィ!!
地面に投げ出された衝撃が来る。そう思っていた。来なかった。不思議だった。遠くから声が聞こえた。
「……か!? ……キト!!」
「……?」
「おい、ルキト! おいっ!!」
徐々に視界が明るくなってきた。何かが見えた。ぼんやりしたシルエットが少しづつ形になった。
「……ロメウ?」
「気がついたか!」
それは、オレを逆さまに覗きこむロメウの顔だった。身体が抱き抱えられている。どうやら、身を挺して受け止めてくれたようだった。
「あ、あぁ。大丈夫だ。ありがとう。それより、マリリアとグラスが……」
「安心しろ。どうやら、心配なさそうだぜ」
立ち上がって問いかけると、ロメウが顔を向けた。視線を追った。二人が身を起こしているのが見えた。
「結界が間に合ったのか……」
「ビョーウの一撃とお前の魔法が功を奏したな。やっこさんの身体が傾いてたおかげで、攻撃がそれたみてぇだ」
「そうか……良かった……」
「それにしても……どうするよ、アレ。このままじゃジリ貧だぜ」
マザー・クインジーの相手は、ビョーウがしてくれていた。おかげでマリリアとグラスは、治癒と回復に専念できている。
「あのガタイであの動きだ。しかもまともな攻撃じゃダメージが通らねえ。ちまちま叩いてもすぐに回復しちまうしな」
「何気に厄介なのが視野の広さだ。アイツ、真後ろにいたオレが見えてた」
それは、ビョーウとの闘いを見ても分かった。
周囲を高速で移動しながら攻撃しているにも関わらず、全方向に対応しているのだ。
「動きが格段に速くなってる。死角のない現状じゃ、魔法を当てるのも難しい」
「どうにか怯ませて、隙を作るしかねぇな」
「できるか?」
「やるだけやってみるさ」
右目を細めたロメウが、いつもの笑みを浮かべた。
「お膳立ては任せろ。盛り上げてやるからよ」




