179・xoxo
「イ”イ”ィィニ”ャア”ア”アァァァ〜〜ッッ!!!」
ザカカカカカカッッ……!!
四本の腕を脚のように動かして、異形の巨体が迫ってくる。
見た目に似合わぬ敏捷性ーーまたたく間に距離がなくなった。
「ギャ”ア”ア”ァ〜〜ッ!!」
ブオォーーッッ……ンン!!
「うっ……お!!」
バフオオォーー……ッッ!!
「ふん」
長い腕が左右から襲ってくる。背後に跳んだ。ビョーウは上に跳んでいる。風圧が通り過ぎる。埃が舞い上がる。しかめた顔に砂が当たる。無意識に目を細めた。瞼の隙間から見えたのは、振るわれる四本の暴威だった。
「ニ”ギィィア”ア”ァァァ〜〜ッッ!!!」
ブォッッ!! ボッ! ボボッッ!! ブンッ! バアァァーーッン!! ボヒュッ! ドガッ! ガンッッ!! ビュォッ! バフオオォォォーー……ッッ!!!
張り裂けるほど糸目を見開き、マザー・クインジーがめったやたらに腕を振り回す。横に薙ぎ、突き出し、あるいは叩きつけ、殴りつける。
一振り一振りが尋常じゃない迫力だった。直撃すれば骨折の一つや二つでは済まないだろう。
「チィッ!!」
このまま避け続けていては埒があかない。まずは動きを止めなくては。両手持ちの直剣で、迫りくる平手を受けた。
ガキイイィィィーー……ッン!!
「……くっ!!」
刀身がミシミシと軋んだ。細い腕からは想像できない腕力だった。まともに合わせ続けては剣が持たない。パリィで流して隙をつく。それが最善の策だろう。思い至った時だった。
「図に乗るな愚か者が!!」
ギキュッッ……ンン!!
こんな狼藉を姫が許しておくはずもない。憤怒と共に手刀が空を一閃した。放ったのは、カウンターの斬撃ーーしかし、そこにあったのは、これまでとは異なる光景だった。
「!!?」
「え!??」
白閃の残像が消えてなお、マザー・クインジーの腕が落ちていなかったのだ。
衝撃で上半身がのけぞっている。瞳に驚愕が浮かんでいる。攻撃が中断している。手刀が当たっているのは間違いない。
しかし、腕から薄く流れる血が、表皮一枚しか斬れていない事実を見せつけてきた。
「ビョーウが……斬れない……?」
金剛石すら両断するといわれる白鬣の斬撃だ。通用しない硬度などそうあるものじゃない。
一見した限りでは人と変わらぬあの肉体が、実は超硬度を有しているとでもいうのだろうか?
「ルキト!!」
想定外の事態に動揺するオレに、ビョーウが声をかけてきた。
その口から出てきたのは、意外な事実だった。
「彼奴の腕には骨がない! 護謨のような筋肉だけで出来ておる!!」
「ゴムの筋肉……そうか……」
硬さではなく柔らかさーー奴の腕には、衝撃を吸収・拡散する性質があるのだ。
ビョーウにすら斬れない柔軟性を持つならば、武器による攻撃は通らないだろう。
ならば……
「下半身だ!!」
地を蹴った。マザー・クインジーが再び前のめりになる。頭上。風を巻く音。掌が降ってきた。かまわず突進した。視界の隅に映ったものがあったからだ。
ギュキッ……ン!!
女王の腕が弾かれる。ビョーウのフォローだった。右からの横薙ぎ。頭を下げて躱した。さらに踏みこむ。間合いに入った。
「フゥッッ!!」
直剣を突き出した。切っ先が伸びる。芋虫の下半身へ。
しかし……
グムッ……ン……!
「!!?」
柔らかい脂肪に剣先が飲みこまれた。刀身を半分まで押しこんだ。皮膚を突き破る感触がなかった。筋肉を断つ感触がなかった。
斬れない。
直剣が押し出される。反動で足元がぐらついた。右。再び爪が迫ってきた。
ドッッ……!
「……ぐっ!!」
ガアアァァーー……ッ!!
「おおぉぉぉっ……!!」
咄嗟にガードした。右腕に痺れが走る。身体を衝撃が突き抜ける。勢いに逆らわず跳んだ。着地した足元。地を滑ってさらに横へ押された。
ザザザザザッ……!!
「くっ……そ……」
かなりの距離を吹き飛ばされた。腕と上半身にダメージが残っている。
ガードしてなお、衝撃を逃がしてなお、物理攻撃無効化があってなお、この威力か。
前言撤回だ。
骨の一本二本どころじゃない。当たりどころが悪ければ即死もありうる。想定外の怪力だった。
「ルキト!」
「……平気だ。心配ない」
どうやら下半身は、上半身以上の柔性を持っているようだ。
すでに腕の傷は塞がっていた。やはり超速再生能力があるのだ。厄介な身体だった。
「ニニ”ィ”ィ……イ”ッイ”ッイ”ッイ”……」
優位を察知したんだろう。こちらを向いて女王が笑っていた。
見下している。無力な獲物を。矮小な人間風情を。
恐らく、奴は分かっているのだ。己が他の固体より優秀である事を。肉体的にも精神的にも優れている事を。
しかし……
「…………」
その一方で、敵の事は分かっていない。
挑発をしていい相手。悪い相手。
眼前の美獣が後者である事が。触れた逆鱗の持ち主が最凶の白鬣である事が。致命的に、見えていないのだ。
「……貴様……」
静かな声。静かな顔。静かな佇まい。
殺意が香る。空気が流れを止めた。
殺気が揺らめく。空気が硬く凝固した。
すっ。
一歩。死の気配が前に出た。消えた。
ギャガガガガガガガガガーーーッッ!!!!
「!!??」
突如、マザー・クインジーの身体が上下左右に跳ね出した。見えない何かに掴まれ、振り回されているように。
ガガガガガガガガガがガガガーーーッッッ!!!!!!
打撃音が木霊する。
いや、正確には違う。
聞こえてきたのは、機関銃を乱れ撃っているような轟音ーー
「その貌はなんじゃ!!!」
白鬣姫が放つ連撃の、人知を超えた速射音だった。
「ブググア”ァァガバババア”ァァア”ァ”ァ”ッッ……!!!!」
何が起きているのか。傍目には分からないだろう。
当然だ。
今のビョーウを視認できる動体視力など、常人が持っているはずもない。
「ルキト様!」
「ど、どうなってんのよ、アレ!?」
それは、駆けつけてきたグラスとマリリアの反応で分かる。
悲鳴にならない悲鳴を漏らすマザー・クインジーは、ただ狂って激しく頭を振っているようにしか見えなかった。
「ビョーウがキレた」
「キレて……何をしてるの?」
「殴ってるのさ。斬れないならぶっ飛ばせばいいってね。アイツらしい理屈だ」
「こ、攻撃する姿が……少しも見えませんね……」
影すら映さない超高速の移動術ーーしかし、オレに見えるという事はまだ本気じゃない。
それをいっても、二人には信じられないだろうけど。
「でもさ、殴ってダメージあるのかな」
「そういえば……なぜ剣が通用しないのでしょうか……?」
「下半身は分厚い脂肪で、腕は骨のない筋肉で、斬っても突いてもダメージを吸収・拡散させちゃうんだよ」
「骨がない? 腕にですか?」
グラスが反応した。顔には怪訝そうな表情が浮かんでいる。
「うん。ビョーウがそういってたんだけど……どうかした?」
「マザー・クインジーの上半身には骨格があります。作り自体は、人と同じですので……」
「って事は、ひょっとして……」
「はい。肉体を改造されている、という事でしょうね……」
「骨なしでどうやって身体を支えてんのよ……」
物理攻撃に対抗するため、骨格をなくして柔性を上げる。
当然、そんな真似をして身体を維持できる訳がない。何かを骨の代わりにしなくてはならないはずだ。
「方法は分からないけど……教団が得体の知れない技術を持ってるって事だけは確かなようだ」
ゴッッッ……!!
「!?」
オオオォォォォォーー……ッッンンン!!!
ドシャアアァァァーーッ……!!
ひときわ大きい打撃音が聞こえてきた。
ハッとして目を向けた。巨体が仰向けに倒されていた。
「ルキト!」
「!?」
頭上から声が聞こえた。見上げた。ふわりと舞うビョーウの姿があった。
「目障りじゃ! さっさとトドメを刺してしまえ!!」
ロメウが戻るまで時間を稼ぐーー意味のないやり取りだった。
こうなっては仕方がない。女王には、寝た子を起こした代償を払ってもらう。
「二人とも、下がっててくれ!」
「え?」
「な、何するの?」
「魔法をぶち込む! 奴の不死身と勝負だっ!!」
バンッッ!!
両手を地についた。動き始めた身体が起き上がった。すぐに再生が始まりそうだった。その前にカタをつける。意識を集中した。
「ザー・グード・クーイット・シスペランザ!!」
詠唱の開始で、マザー・クインジーの下に魔法陣が現れた。プスプスと煙が立ち昇る。熱が空気を炙り出す。女王の姿が、陽炎のように揺らめき始める。
「燊禍封滅! 拷鬼の赤腕よ、炎空の灰陽に焦灼の鎖を伸ばせ!!」
ボボボボゥッッ……!!!
「……ヒッ!!??」
じゅじゅじゅうぅぅぅ〜〜……!!
「イ”ニ”イ”ィ”ィィ〜〜……ッ!!」
魔法陣から伸びた炎鎖が、マザー・クインジーに絡みついた。
灼熱の鎖が五体を締め上げ、肉体に食いこみ皮膚を灼く。
やがて、完成した呪文がーー
「ゴルゴロゼ・ヒルバーン・ジ・ジルファー!!」
ゴゥッッッ……!!!!
燻る炎に灰燼の意思を吹きこんだ。
「……ッギッッ!!??」
「瀑流燊滅焔鎖!!!」
ドオオォゴアアァァァーーッッッ……!!!
「ギイ”イ”ィィィア”ア”ァァァ〜〜ッッ!!!」
天に向かって灼炎が吹き上がる。身動きの出来ない巨体が、豪火に包まれ焼けていく。
「アガガガア”ァア”ア”ァァァ〜〜……ッッッ!!!」
女王が必死に身体を捻り始めた。炎熱地獄から逃れようと死に物狂いで足掻き出した。
無駄だ。
瀑流燊滅焔鎖が生み出す炎の鎖は、対象が灰になるまで解ける事も消える事もない。
「決まるか?」
隣に並び立ち、ビョーウがいった。
立ち昇る炎に赤々と照らされた顔には、汗一つ浮いていない。息も乱れてはいない。
あまりにもいつも通りすぎる立ち姿は、平穏すぎて逆に空恐ろしかった。
「このままいけば、奴はおしまいだ。灰になっても再生できるってんなら話は別だけどな」
「くく……その口ぶり、試しておるように聞こえるのぉ……」
「今後のためさ。どこまでやればいいのか、知っておきたいんだ」
「仕留められなんだら、また溶岩を引っ張り出さねばならなぬのう」
「あれはそうそう使えないんだよ。地理的条件があるからな。地下にマグマがなけりゃ……ん?」
その時だった。足掻くマザー・クインジーが何かを叫ぶのが聞こえたのだ。
『ボォ……ゥ”……ヤ……ダヂィ”……ィ……!!』
「!???」
燃え盛る豪火の音で半ばかき消されたはずのそれはしかし、これまでとは違ってハッキリとオレの耳に入ってきた。
『マ”ッ……マ”ヲ……抱……ギジィ……メ”……デェ”ェッ……!! マ……マ”ニ”イィ……ギス……ジ……シ”デエ”ェ”ェ”ェッッ……!!!』
「な、なんだ、今のは……?」
あるいは、幻聴か。
そうとすら思った考えが間違っていた事は、すぐに分かった。
後方で控えていたグレイビ・ベイビー達が一斉に走り出したからだ。
「マァ”〜〜! ア”ア”ア”ァァ〜〜ッッ!!」
「ア”マン”ン〜〜マ”ア”ァァァ〜〜ッ!!」
ドドドドドドドッッッ……!!!
「ほう……母に殉じて特攻とは……くくく……泣かせるではないか」
「最後の悪あがきね! よっし! やったりますかっ!!」
「待て! 様子がおかしい! 奴らはこっちを見ていない!!」
「へ?」
オレ達に向かって来ているのではない。なぜなら、グレイビ・ベイビー達の目が明らかに違う方向を見ていたからだ。
狂ったように走り出した彼らの視線が集まっていたのはーー
「!? そうか、あいつら……」
マザー・クインジーの、燃え盛る巨体だった。
「マ”ァン”マ”ァァ〜〜ッ!!」
「アバア”ア”ァ”ァァァ〜〜ッ!!」
「ン”マア”ァ”ァ〜〜ッ!!」
「ア”ア”ァ”ァ”ァ”〜〜ッッ!!!」
「まずい! みんな下が……」
カッッ……!!!
バパパパパパパパアアァァァ〜〜〜……ッッンンン!!!!
「うっ……おぉぉ……!!」
「……くっ……」
「きゃっ……!」
「きゃあぁぁぁ〜〜っ!!」
奇声を上げるグレイビ・ベイビー達が向かったのは、女王を灼く炎の柱だった。なんの躊躇もなく、頭から飛びこんだのだ。
「な……なんて奴だ……」
もうもうと上がる煙で視界が塞がれた。
焼けた酸の匂いが鼻を刺し、目にまで染みて涙が出てきた。
「不快じゃ!」
ブォッ!!
フオオォォォ……!!
ビョーウが腕を一振りした。巻き起こされた風が周りにあった煙を吹き飛ばした。
拭った目をこらすと、爆心地の煙がようやく晴れてきた所だった。涙で滲む視界に映ったものがあった。
驚愕した。
「ギニ……イ”……イ”ィ……ィ”……」
立っていたのは、全身からプスプスと煙を上げるマザー・クインジーだった。
「な、なに……? 今、何が起きたの……?」
「……グレイビ・ベイビーを自爆させて消火したのさ。爆風と酸で、な」
己が助かるために女王が使ったのは、我が子の命だった。
炎の中で、奴は叫んでいた。
ーー坊や達!! ママを抱きしめて!! ママにキスして!!!
黒く、醜く、浅ましく、そして、邪悪。
種の違いがあると分かっていてなお、抑えきれない感情があった。
人間とは絶対に分かり合えない、見た目も中身も異形の存在。
今、目の前にいるのは紛うことなき、『モンスター』と呼ばれる生物なのだ。
「小癪な真似を……やはり、蜘蛛と同類か……」
「……こっちはさらにたちが悪い。なんせ、消火するのに赤子を使う知能があるんだからな」
酸の水分と爆風の性質。炎を消すのに有効なこれらの原理を理解しているのだ。間違いなく、ゴライアス・デスマスクより高い知能を持っている。
「できればスルーしたかったけど……下手に生かしておくと何をしでかすか分からないな」
「そうですね。女王がこれ以上の知恵をつける前に、討伐しておいた方が良いかもしれません」
「迷宮から出たりしたら、最悪よね……」
「街になんぞ行かせたらそれこそ、色々学習しかねねぇよな」
突然の声に、皆が振り返った。
知らぬ間に戻ってきていたロメウだった。
「び、びっくりしたあぁ〜〜! おどかさないでよ……」
「おっと、悪い。そんなつもりじゃなかったんだ」
「それで、出口はあったの?」
「あぁ。すぐにトンズラできるようにしてあるが……そのつもりはないみたいだな」
「アレはここで仕留める。放っておくのは危険だ」
「とはいうものの……あのダメージで生きてるのか?」
「通常個体なら、ビョーウの打撃でとっくに死んでる。でも、奴は違う」
シュウウウウゥゥゥ〜〜……!!
棒立ちのマザー・クインジーが、ほぼ炭と化した筋肉を恐ろしい速度で再生していた。全身からは煙が立ち昇り、さらに上半身は内側がボコボコと波打っている。
「あれは……体内も修復しているようですね」
「内臓が破裂してるんだ。斬撃を吸収できる筋肉でも、中まで浸透するダメージは無効化できなかったんだろうね」
「つまり、打撃なら有効って訳か」
「ふん。ご自慢の筋肉があれでは、打も斬も関係あるまいて」
切れ長の目をすっと細めてビョーウがいった。
確かに、再生しきっていない今の筋肉なら斬撃も通用するだろう。
「刻んでくれるわ。それで仕舞いじゃ」
髪をかき上げ、とどめを刺すべく前に出る。跳ぼうとした、まさにそのタイミングだった。
「ボハアアァァァ〜〜……ッ!!!」
「!!?」
ぱっかり口を開いたマザー・クインジーが、煙を吐き出したのだ。
薄紅色のそれは瞬く間に広がって、女王の全身をすっぽりと覆ってしまった。
「煙幕か!?」
「毒かもしれん! 離れるんだ!!」
すぐに距離を取ると、さらに煙が広がってきた。
血なまぐさい匂いが、空気に乗って流れてくる。
「ひ、ひどい匂いね……」
「迂闊に近づけねぇな、こりゃ……」
「くっ……『治療』の邪魔をするなって事か……」
「ニ”……ニ”ニ……イ”……イィ”ィ”……」
魔法を使ったのが裏目に出た。
想定外の方法で危機を脱した女王に、中途半端なダメージを与えてしまう結果になったからだ。
つまり……
「しかも、ただ『治療』する訳じゃねぇんだよな……」
ここからは、第二形態に突入という事になる。
オォ……
オオォォォ〜〜……
徐々に、徐々に。
凶悪で醜悪な化物が、より凶悪で醜悪に進化した姿を現し始めた。
今、目の前で再現されようとしているのは、まぎれもない。
大蜘蛛討伐戦の悪夢だった。




