176・グレイビーの巣の上で
ドクンッ! ドクンッ!
ドクンッ!! ドクンッ!!
鼓動が、見る間に早く大きくなっていった。
今や黒い樹皮は、表面全てが深紅の血液で覆い尽くされている。
「う〜わ〜……キッショオォォ〜〜……」
嫌悪に顔をしかめたマリリアがブルッと身体を震わせた。確かに、怖気を振るう光景だった。
直剣を抜きながら、グラスに質問した。
「樹が生った実に血液を送ってるみたいだけど……違うの?」
「はい。あれは枯れ木に偽装した巣です。血液のように移動しているのは、液体型のモンスターです」
「えっ! じゃあ、流れてるの全部モンスター!?」
「そうです。ついた実が成長しているように見えるのは、小さな穴から出てきているだけなのです」
枝にぶら下がって動いていた『実』が、次々に落ちてくる。
不定形だった赤い液体が、すぐに形となってズルズルと這いずり始めた。
「うげっ! あの姿は、まさか……」
「……グレイビ・ベイビー、ですね」
「『肉汁赤子』かよ……ヤツらの巣なんざ、初めて見たぜ……」
その名が示す通りの見た目だった。
体長一メートル程の姿は生まれたての赤ん坊そのもので、申し訳程度に白髪が生えている。ブヨブヨした身体は明らかに肥満体型で、濁った血液のような肌が黄白色の粘液で滑っていた。
「ア”〜……ァア”〜〜……」
「アァ”〜……ンマ”ァ”〜……」
醜い赤ん坊が、脂肪をゆらしながら這い寄ってくる。よくよく見れば、顔だけが老人のように皺くちゃだった。
「なるほどな……そういう訳かよ……」
「何よ、ロメウ。なんか気づいた?」
「迷宮核がこっちのルートを塞いでた理由さ。ヤツらの巣作りを待ってたんだ」
「あぁ、なるほど……で、完成したから設置したって訳ね。ご丁寧に、自動で開く扉を」
あれだけの巣だ。相当な数が棲みついているだろう。
そんなのに背後から襲われては、たまったものじゃない。
「唯一の救いは、動きが鈍そうって事くらいか……」
「いえ、ああ見えて素早く動き回ります。近づくと飛びかかってきますのでお気をつけください」
「え!? そうなの?」
「見た目と違ってかなり獰猛だ。四つ足の獣と思ってれば間違いねぇな」
「それと、口から酸を吐きますので、離れていてもご注意ください。後は……」
「もう良い。無様な肉塊に用などない」
話を遮り、ビョーウがずいと前に出た。身体から冷たい殺気を迸らせながら。
意図を察したグラスが、咄嗟に声を上げた。
「!!? いけませ……!」
ボッッ……!!
バババババババババアアアアァァァァァーー……ッッンンン……!!!!!
「!!??」
しかし、制止の言葉は複数の破裂音にかき消された。
同時に、視界が真っ赤に覆われる。
……ンンン……ンン……
何が起きたか分からなかった。
唖然とするオレ達を現実に引き戻したのは、湿っぽい熱波と飛び散ってきた赤い液体だった。
ビシャシャシャシャッッ……!!!
じゅじゅじゅうううぅぅぅ〜〜っっ……!!
「っ!!?」
「うっわっ!!」
「きゃあっ!!」
「危険です! 下がってください!!」
あっという間に硬い地面が粘土に様変わりする。むわっと立ち昇ってきた煙が周囲に広がる。イヤな匂いが、強烈に鼻を刺激した。
「げっほ! げほっ!! っぐ……なんて匂いだよ……」
「何が起きたんだ……?」
「じ、地面が溶けてるじゃない……なんなのよこれ……?」
「グレイビ・ベイビーの体液です」
「た、体液?」
「はい。致命傷を与えると自ら身体を破裂させ、酸性の体液をまき散らすのです。恐らく、ビョーウの攻撃で……」
「!!? そうだ! ビョーウは!?」
「おいビョーウ! 無事か!! ビョーウっ!!!」
「小賢しい真似をしおって。実に不快じゃ」
「!?」
驚いて振り向いた。呼びかけの返答が、背後から聞こえてきたからだ。
「お前……いつの間に……」
「何を慌てておる。肉塊どもの幼稚な小細工など、わらわに通用するはずがなかろう」
呆れ顔のビョーウが、当然のようにいった。
この姫君にしてみれば、あれだけの爆発も取るに足らない小事なんだろう。
とはいうものの……
「バカヤロウッ!!」
グラスの話を聞きもせず先走ったのは、明らかなミスだ。
考えもなく敵の大群に突っ込むなど、悪手意外の何物でもない。
「迂闊に手を出すな! 何かあったらどうする!!」
「何かなどあるか。わらわを誰じゃと思うておる。それに、ただ斬り刻んできただけではないのじゃぞ?」
「ウソつけ! 他に理由なんてないだろが!」
「嘘ではない。あの巣とやらを見てきたのじゃ。花火を上げたのはまぁ、ついでじゃな」
髪をかき上げるその姿に、悪びれた様子は微塵もない。
散歩に行って、帰ってきた。
本当に、その程度の認識なんだろう。
「お前なぁ!!」
「まぁまぁ、落ち着けよルキト。で、なんか分かったのか?」
オレを止めたロメウが、冷静に訊ねた。
全滅した第一陣に代わって、二陣が地面に落ちてくる。モゾモゾ動き始めたグレイビ・ベイビーを眺めながら、ビョーウがいった。
「背後に穴が開いておっての。ちょうど、人一人が通れる程度の大きさじゃ」
「なんだって?」
「ざっと見た限り、他に出口はなさそうじゃった。つまり、肉塊どもを皆殺しにしてそこから下層に進め、といった所ではないか?」
さらっと出てきた情報に絶句した。
マリリアの頬が、ひくひくと引きつっていた。
「つまり……アレの巣に入れ、って事……?」
「そうなるよな……」
「せ、精神攻撃も兼ねたルートですね……」
ヒネてるどころか、悪趣味極まりない。
色んな意味で、一筋縄じゃいかなそうな迷宮、という事のようだった。
「気色悪い団体さんの後に、気色悪い抜け道か……」
「まぁ、考えてても仕方ねぇ。まずは、アレをなんとかしようぜ」
形になったグレイビ・ベイビー達が、再び行進を開始していた。
老人顔の赤ん坊が大群で近づいてくるのだ。この段階で、精神的にはかなりキツい。
「接近戦はやめた方が良さそうだな」
「はい。あの数に体液を飛び散らされては、逃げ場がありません」
「なれば、浴びぬように動けば良いだけではないか。何が問題なのじゃ?」
「そんな真似ができるのはお前さんしかいないって所だよ。ルキト、魔法でなんとか……」
「だったらわたしにまっかせなさいっ!!」
会話の最中、意気揚々と名乗りを上げたのはマリリアだった。
請け負った顔が、自信に満ち溢れている。
「お前がやるの? 神聖魔法で?」
「ナメてもらっちゃ困るわね! わたしクラスになれば、攻撃魔法もお手の物なのよ!!」
「え? そうなの?」
「論より証拠! とくと見なさい!」
胸を張りながらかざした短鎚矛に、魔力が集中する。
強い光が鮮やかなブルーに変色し、すぐに冷たい輝きを放ち始めた。
「これぞマリリアさんの固有魔法!!」
ブォッッッ……!!!
「聖氷刻神簪!!」
ギンッッッ……!!!
ビキャキャキャキャキャキャキャキャッッ……!!!
「!!!??」
真横に振られた短鎚矛が、空気を瞬時に凍てつかせた。激しく渦巻いた冷気の突風に視界が遮られる。
ブオオオオォォーー……ッッッ……!!
冷たい余韻が吹きやむと、マリリアの魔法が姿を現した。
そこにあったのは……
「おぉ〜……スゲェな、ありゃ……」
無数に生えた氷棘で串刺しにされた、グレイビ・ベイビー達だった。
貫かれた身体は、破裂する間もなく凍りついたようだった。
「そうか。考えたな……」
「やるではないか。一網打尽じゃ」
「お前さん、氷の魔法なんて使えたのか」
「それも、あのような広範囲で……」
「何を隠そう、氷、水、風の魔法は得意なの。神聖魔法と組み合わせてるから、対不死用としても効果はバッチリよ!」
短鎚矛を肩に乗せ、マリリアがドヤ顔を浮かべた。
考えてみれば、一応はこいつも神の端くれなのだ。呪文創造が出来たとしても不思議じゃない。
「そういえば前にも使ってたな。聖流十字……だったっけ?」
「そ。あれも固有魔法よ。どう? すごいでしょ」
敵の特性を見抜き、最適な方法で一蹴する頭脳プレーは、豊富な現場経験の成せる業だ。
あれだけの数を一撃で殲滅できる魔法。それを無詠唱で発動できる実力。冒険者としての高い資質は、ロメウと別の意味で頼りになる。
「あぁ。見直したよ」
オレの返答に満足したのか、マリリアがにっと笑った。
「さ、今のうちに先を急ぎましょ!」
「っと、そうだな。のんびりしてると、また出てきそうだ」
「その前においとまするか。行くぞっ!!」
走り出したロメウに続いた。凍りついたグレイビ・ベイビーの群れを横目に見ながら、大きく迂回する。
しかし、脇を走り抜ける前に第三陣が湧き始めていた。
「ヤバいな。もう次が来るぞ」
「安心しなさい。落ちてきた所で何もできないから」
「何もできない? なん……あ」
「ふっ……気づいたようね。そう。こんな事もあろうかと、罠にもなるあの魔法を使ったのよ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あれ? どうしたの? みんな」
「マリリア……おぬし……」
「そ、それは、つまり……」
「ヤ……ヤツらが……」
ボッッッ……!!!
「……へ?」
「爆発するって事じゃねぇかあああぁぁぁ〜〜っっ!!!」
バババババパパパパパパアアアアァァァーー……ッッンンン……!!!!
「!!!???」
大惨事だった。
落ちてきたグレイビ・ベイビー達が無数の氷棘に突き刺さり、次々に破裂し出したのだ。
しかもその衝撃が、凍りついていた個体の誘爆まで引き起こしている。
バンッ! パパンッ!! パンッ! パンッ! バパパパアアアァァァーー……ッッンンン!!!!
「きゃあああぁぁぁ〜〜っ!!」
「うおぉああぁぁぁ〜〜っ……!!」
「ふむ……見直し損じゃの、ルキト」
「おまっ……! んなこといってる場合……うおおぉぉっ……!!」
暴発する花火のような破裂音が容赦なく鼓膜を叩く。吹きすさぶ暴力のような熱波がじりじりと肌を焼く。深紅の酸がバシャバシャと飛び跳ねる。
それに追い打ちをかけたのは、頭上を赤く覆う死の雨だった。
「!!?? ヤ、ヤバいぜありゃ!!」
「もっと離れるんだ! 壁際まで……」
「ダ……ダメッ!! 逃げ場がな……!!」
「新緑の御蔓!!」
キンッッ……!!
「っ!!??」
赤酸の雨が降り注がんとした、まさに直前だった。
現れたのは、半透明の蔓で覆われた聖なる緑光ーー
「……グ……」
ドーム型の、物理結界だった。
「グラスううぅぅぅ〜〜っ!!」
バシャシャシャシャシャッッッ……!!!!
じゅじゅじゅうううおおぉぉぉぉ〜〜……っっ!!!
「ま、間に合いましたね……」
女神の奇跡が、濃硫酸の脅威から身を守ってくれた。
へたり込みそうになっているマリリアの腕を取り、引きずるように走った。
「足を止めるな! 突っ切るぞ!」
「このままで頼んだぜぇ、グラスの嬢ちゃん!!」
「おまかせください!!」
断続的に降り注ぐ赤雨が、結界の表面を灼いている。しかし、神聖な光を放つ蔓が溶ける事はなく、完全にシャットアウトしてくれていた。
「もう少しだ! あれの後ろに回りゃ安全だぜ!!」
ロメウの言葉通り、迂回した巣の裏側までは体液も飛んでこなかった。
グラスが結界を解く。
ほっと息を吐くオレ達に、指差しながらビョーウがいった。
「ほれ。あれが例の穴じゃ」
見ると、巣の表面に裂け目があった。
走り寄って確認する。
確かに、人が入れるくらいの大きさをしていた。
「これが、下に行く入り口か……」
「入ったら巣に食べられちゃう、なんて事ないでしょうね……」
「……その心配はなさそうだ」
穴に頭を突っこんだままでロメウがいった。
一通り調べ終わったのか、顔を出してオレ達に向き直る。
「この巣、中は空洞になってる。どうやら下の階層まで続いてるっぽいな」
「え? そんなにデカいの?」
「あぁ。つまりここは、巣の下じゃなくて上だったって事みたいだ」
階層を貫いてそそり立つ魔物の巣ーーここまで巨大だと、何かが出て来そうな不気味さがある。
「ね、ねぇ。やっぱりここから降りなきゃ駄目なわけ? 探せば他に出口くらいありそうなんだけど……」
「……そうだな」
不安を滲ませるマリリアに、ロメウが頷いて見せた。武器を抜いてしゃがみ、手袋を取った左手で床に触れる。
「破裂音に邪魔されそうだが、一応やってみるか。下がっててくれ」
いわれた通りにすると、目を閉じて右手の武器を上げた。
と、次の瞬間……
キュウッ……ンン……!!
左手が光を帯びた。直径にして一メートルくらいだろうか。銀色の光が円形状に広がって、鏡のように床を覆った。
「ヒドゥン・チアーズ」
コー……ンンン……
その鏡面を、武器の柄で軽く叩いた。小気味のいい音が反響しながら、ゆっくりと周囲に広がっていく。
……ンン……ン……
……ン…………
やがて音の響きがなくなると、ロメウが目を開けた。
立ち上がってマリリアに向き直り、小さく首を振る。
「どうやら、他に出口はなさそうだ」
「え? 今ので分かったの?」
「あぁ。音を反響させて調べた。隠し扉や抜け穴を探すスキルだよ」
「反響音を聞き分けたのね」
「聞いたんじゃなくて感じ取ったんだ。左手でな」
「手で感じた? 音を? そんな事できるの?」
「それくらいの感覚がなけりゃ、掠手にゃなれないのさ」
「はぁ〜……流石は盗賊の上級職ねぇ……」
「おい、マリリアよ。あまり悠長にしておる暇はなさそうじゃぞ?」
「え?」
呑気に感心していた顔を向けられると、ビョーウが頭上に目をやった。
上を見たマリリアの顔が秒で強張った。
四度湧き出してきたグレイビ・ベイビー達が、モゾモゾ動いて今にも落ちてきそうだったからだ。
「マっズい! ここにいたら真上から襲われちゃうじゃない!」
「みんな! 穴に飛びこめ!!」
「はい! 急ぎましょう!」
「こうなるんだな、やっぱり……」
「ち、ちょっと待って! そんな事したら落ちちゃうわよ!?」
「安心しろ! ビョーウ!」
「よかろう」
「ロメウはオレに捕まれ!」
「え!? お、おぅ!」
「行くぞっ!!」
ロメウと肩を組み、穴に身体をねじこんだ。続いてグラスが、その後ろからマリリアを脇に抱えたビョーウが続く。
「うっ……おあぁぁぁっ……!!」
「きゃあああぁぁぁ〜〜っ!!」
ロメウとマリリアの声が空洞にこだまする。
真っ直ぐに下層まで続くこのルートは果たして、ショートカットなのか。
あるいは、罠なのか。
答えは、すぐに分かった。




