173・雲飴を振るように
どういう経緯でああなったのか。がなり立てるパーティーメンバー達によって、詳細を知る事ができた。
「へ、平民風情が! そのふざけた態度はなんだ!!」
「このお方をどなたと心得る! 恐れ多くもオブレオン子爵家のご子息、ファロウィル・オブレオン様なるぞっ!!」
「貴様のように下賤な女がお声かけいただけただけでもありがたく思え!!」
なるほど、パーティーリーダーとおぼしきあの男は、貴族であるらしい。おおかた、どこぞの兄弟と同じ真似をしたんだろう。
金髪を眉の上で切りそろえたパッツンヘアー。後ろは長く伸ばして束ねている。白い肌と切れ長の目。高い鼻と薄い唇。それぞれのパーツだけを見れば、十分イケメンの部類に入る。
黄金に銀の縁取りを施したフルアーマーは見るからに高価そうだった。純白のマントは裏地が光沢のあるビロードで、こちらも上質なのが分かる。
だが、鎧やマント以上に目を引いたのは腰の直剣だった。宝石が惜しげもなく散りばめられた鞘を見ただけで、値の張る品であるのが分かったからだ。
絵に描いたような貴族のご子息ーー見た目だけなら女性には困らないだろう。
ただし。
デブである事を除けば。
「平伏して詫びよ! さもなくばこの場で叩き斬るぞ!!」
戦士風の一人が、前に出て槍を突きつける。
胸をそらしたファロウィルが、傲慢な態度で睨めつける。
しかし、それでもビョーウは手を出さなかった。
なんだ、アイツもようやくガマンってもんを覚え……
キンッ……!!
「……へ?」
ガラアァァーーッン……!!
「!???」
……られる訳がないよな、うん。
手刀で一閃された鉄槍の穂先が、床に落ちて大きな音を立てた。
戦士の表情が固まった。落ちた穂先と鮮やかな切り口の間を行ったり来たりしていた目。状況を理解した途端、張り裂けんばかりに見開かれた。
「なっ……!??」
「相手を見て物をいえ。首が大事ならばな」
言葉と視線に射抜かれた戦士の顔が、見る間に凍りつく。ヨロヨロと後退する身体を、ファロウィルが邪魔そうに押しのけた。
「……貴様、魔法使いか?」
「ほう」
ビョーウの口角がわずかに上がる。理由は明白だった。坊っちゃん貴族だと思っていた男が、今は冒険者の顔をしていたからだ。
「なかなか良い表情をするではないか。その胆力に免じて見逃してやろう。去ね」
「どこまでも生意気な女よ……! わたしに楯突いた愚行、その身で償うがよいっ!!」
激昂したファロウィルが直剣を抜いた。野次馬から小さな悲鳴が上がる。
騒動を聞きつけたんだろう。店の奥から、店主らしき男が青ざめた顔で飛び出してきた。
「ここ、困りますお客様! 店内でそのような……」
「うるさいっ!! 引っこんでおれ!」
「!!」
「わたしに楯突いたら店がどうなるか……分からぬ訳ではあるまいな……!」
「ひっ……! もも、申し訳ございませんっ!!」
恫喝され、店主が震え上がる。膝につきそうなくらいまで頭を下げ、カウンターの後ろに逃げ帰った。
ファロウィルにビビっていたのは冒険者達も同様だった。これだけ集まっていながら、暴挙を止めようとする者は一人としていなかったのだ。
「ちょっとちょっと! ヤバくない、あれ!」
「あぁ、マズいな。止めるぞ!」
人をかき分けて前に出た。臨戦態勢に入っているのはファロウィルだけじゃなかった。三人のパーティーメンバーも、それぞれが武器を構えていた。
「待った待った! ちょっと、落ち着いてくれ!」
四人の顔がオレに向く。途端に、ファロウィルが怒声を飛ばしてきた。
「なんだ貴様は! 邪魔立てするなら容赦せんぞ!!」
「オレはこいつのパーティーメンバーだ。非礼があったなら謝るから、勘弁してくれ。すまなかった」
頭を下げ、詫びを入れた。
しかし、それで収まるような奴がこんな所でキレ散らかすわけがない。
案の定、返ってきたのは和解の言葉ではなかった。
「頭を下げたくらいで済まされると思っておるのか! しかも、平民の分際でその口の利き方……なめるのも大概にせいっ!!」
「いや、そんなつもりは……」
「黙れ! わたしを侮辱した罪、万死に値するっ!! そこに直るがよいっ!!」
「待ちなさいよ!」
直剣を振り上げかけたファロウィルが、動きを止めた。
マリリアが、ずいっと前に出てきた。
「あんたその格好、冒険者でしょ!? 」
「なんだこの女は……次から次へと……! だからどうだというのだ!」
「私闘が禁止されてるのは知ってるわよね!? 破ったらライセンス剥奪よ!」
「くくく……バカが! これは私闘などではない! 無礼者を手討ちにするだけだ!」
「そ、そんなの詭弁じゃない!」
「下賤の輩が振りかざす理屈などわたしには通用せん! 文句があるならついでだ! 貴様も叩き斬ってくれる!!」
今度はマリリアに向き直って、ファロウィルが歯を剥いた。
見せつけるように、ゆっくりと剣先を上げる。
「くくく……光栄に思うがよい、女。我がオブレオン家に代々伝わる宝刀、アルテミスの刃にかかって死ねる事をなぁっ!!」
刀身が、キラリと光を反射した。
細部まで繊細な装飾が施されたアルテミスは確かに、宝刀と呼ぶにふさわしい美しさだった。
「……あれ?」
しかし、オレが気になったのは別の所だった。
意外にも、構えたファロウィルが放つ剣気は鋭く、威圧感があったのだ。言動から受けた小物感も今はなくなっている。
「せめてもの情だ。痛みを感じる前に終わらせてやる。我が宝刀! そして剣技! 冥途の土産にとくと見るがよいっ!!」
口だけじゃない。冒険者としての実力はある。四銀星か、あるいは五銀星か。それ以下という事はないだろう。
だが、それでも力ずくで無力化するのが難しいという程ではない。自慢の宝刀も、当たらなければ斬れはしないのだ。
とはいうものの、貴族との遺恨など残して得する事は何もない。ただただ面倒なだけだ。
なんとか穏便に済ます方法はないものか。
思案するオレの気苦労はしかし、すぐに意味を失った。
誰あろうーー
「おい、白ブタ」
「!!!??」
いざこざのど真ん中にいる姫君の、痛烈な一言によって。
「し……ししし……し……白……??」
「なかなか良い刀を持っておるではないか。見せてみろ」
「きさ、貴様、今……な……なんと……?」
「ん〜? 聞こえなんだか? 得物を見せろというたのじゃ。二度もいわせるな、ブタ」
「バ……!!」
ッカヤロウ!!
と、いう間もなかった。
なぜなら、その時にはもう……
「きい”い”い”ィィィえ”え”ェェェ〜〜ッッ!!」
「えっ!?」
「え”ぇっ!!?」
ぶちギレたファロウィルが、アルテミスを振りかぶって突進していたからだ。
「ボボボ、ボクを!! 豚って!!!」
「あぶない! ビョーウっ!!」
「逃げてくださいっ!!」
「い”う”な”あ”あ”ああぁぁぁぁぁぁ〜〜っっ!!!!」
「……ふん」
ガッッ……!!
「っ!!??」
なんなく身を躱したビョーウが、すれ違いざまに足を引っ掛けた。
バランスを崩したファロウィルが頭から突っこんだのは、壁一面を埋める槍立てだった。
ガッシャアアァァーー……ッン!!
「!!!?」
「ファ……!!」
「ファロウィル様ああぁぁ〜〜っ!!」
顔面蒼白の取り巻き達が、慌てふためいて駆け寄る。
彼らの様子を見るかぎり、パーティーメンバーというより護衛役のようだった。敵対しているビョーウに目もくれず、主の身を案じているのがその証だ。
「ふむ……」
しかし、それはビョーウも同様だった。
ファロウィル達には一瞥もくれず、代わりにある物をまじまじと見ていたのだ。
「……へ?」
「なんで、ビョーウさんが……?」
「い、いつの間に……」
姫君が手にしていたのは、新しい玩具。
「奪ったんだよ。すれ違いざまにね」
宝刀、アルテミスだった。
足を掛けてバランスを崩した瞬間、ファロウィルの柄を握る手が緩んだ。その隙にもぎ取ったのだ。
恐らく、奪われた本人ですら気づかなかっただろう。それほどに速く、淀みのない動きだった。
「ぐっ……ぅ……うぐっ……!!」
取り巻きの手を借りて身を起こしたファロウィルがビョーウを睨みつける。
と、怒りと屈辱に歪んだ顔が、すぐさま驚きに変わった。
「!!?? き、貴様っ! それは……!!!」
「ほんに、これが宝刀なのか?」
「か、返せ! 汚い手で触るんじゃない!!」
「確かに、美しくはあるが……」
「返せといっているのだ! 聞こえないのか!!」
「それほどの業物とは思えぬのぅ……どれ……」
手元から離した視線をファロウィルに向け、ビョーウがゆっくりと歩き出す。
動揺する取り巻き達に、悲鳴のような命令が下った。
「何をしておるのだお前たち! 早く奪い返して来いっ!!」
「は……はっ!!」
「ははっ!!」
「女っ! それを返……」
「試し斬りといくか」
「「「!!?」」」
一歩踏み出した所で、三人の動きがピタリと止まった。
原因となったビョーウは、目すら向けてはいない。しかし、冷たい殺気に魂を凍てつかされでもしたかのように立ち竦み、カタカタと震え出したのだ。
「う……ぁっ……!」
「ぁ……あぁ……」
「……っく……あ……!!」
ビョーウが一歩進むたび、木偶人形達の震えが大きくなっていく。
ついには、その場にへたりこんでしまった。
「なな、なっ……」
取り巻き達の失態を、ファロウィルが叱責する事はなかった。
とてもじゃないが、そんな余裕はないーー口をパクパクさせながら、歩みを止めないビョーウを呆然と見上げている。
「!!? まさか、アイツ……!!」
脅かすだけのつもりだろうーーそうタカを括っていた自分の間違いに、ようやくオレは気がついた。
取り巻き達を排除したにも関わらず、ビョーウが殺気を収めなかったからだ。
ハッタリなんかじゃない。本当に、斬り殺す気でいる。
「そこまでだ! 手を出すな!!」
オレが走り出すと同時に、アルテミスが振り上げられた。ファロウィルの顔から血の気が引く。
伸ばした手が肩を掴むより早くーー
「やっ……」
ボッッ……!!
宝刀が振り下ろされた。
「やめろおぉっっ!!」
「ひいいぃぃぃっっ!!!」
ビキイイイィィィーー……ッンンン……!!!
「!!???」
その場にいた全ての人間が息を飲んだ。
頭の先から二つに分断されたファロウィルが、無残な死体となって床に転がる。鮮血が見る見る広がっていく。
振り下ろした刃が濡れている。血の赤と、主殺しの黒い汚名で。
悲鳴が響き渡る。白昼の惨劇に王都が揺れる。貴族を斬り捨てた罪ーー極刑をもって償わされる。
ビョーウの生が幕を閉じる。断頭台から落ちてくる、断罪の刃によって。
これから数瞬後、目を向けた先にある光景。そして、その先にある未来。見るに違いない。訪れるに違いない。誰もがそう思った。いや、思っていた。
……ン……ュン……ヒュン……
遥か頭上から落ちてきたーー
ヒュンヒュンヒュン……
それを、見るまでは。
ザスンッッ……!!
「っ!!??」
銀色の軌跡が、回転して床に突き刺さった。腰を抜かすファロウィルの両足、その隙間に。
誰も動けなかった。声すら出せなかった。
やがて、ようやく状況が飲みこめた。
刺さっていたのは、刃ーー
「なんじゃ、このナマクラは」
ビョーウの斬撃に耐えきれず根本から折れた、アルテミスの刀身だった。
「……ぁ……ぁ……」
「一振りすらできぬのか。とんだ見かけ倒しよのう」
ガラアァーー……ッン!!
「!!!?」
無残に変わり果てた宝刀が、目の前に投げ捨てられる。
ファロウィルは傷一つなかった。放心状態から焦点の合っていなかった目が、ようやく正気を取り戻した。絞り出した声はか細く、かすれていた。
「ば……けも……の……」
「次はもっとマシな得物を持ってまいれ」
見下ろすビョーウがうっすら笑う。
死人のような顔色の貴族にかけたのは、ぞっとするほど穏やかな声だった。
「その時は優しく試し斬りをしてやろう。雲飴を振るように、な」




