171・神々の御手(みて)
出入口(?)に歩み寄り、バーニーが外を確認した。窓を閉めて、再び散らばった書類をテキパキと集め始める。仏頂面のクインツが、腕組みをして大きく息を吐いた。
「毎度毎度、いらん置き土産置いていきやがってアイツは……」
「本当に、風のような人ですよねシジーさんって」
「自由人すぎなんだよ。よくあんなんでギルドマスターが務まるよな」
「ブラック・ギルドは荒っぽい人が多いですからね。あのくらいでないと駄目なのかもしれません」
「限度ってモンがあるだろが。やっていい事と悪い事の区別くらいしろってんだ」
「マスターも、あまり人の事は……」
「あ? なんかいったか?」
「い、いえいえ。何も……」
ふんと鼻を鳴らしたクインツだったが、ふいにぽんと膝を叩いた。
ソファをギシギシと軋ませて身を乗り出してくる。
「そういやよ、ルキト。お前らこの後、予定あるか?」
「いえ、特には。クリスタニア様からの連絡待ちですね」
「ならちょうどいい。頼みてぇ依頼があるんだよ」
「依頼……ですか」
「あぁ。最近新しく出現した迷宮の攻略なんだがな、どうも一筋縄じゃいかねぇみてぇでよ。ウチの連中が苦戦してんだわ」
「新しく、出現した?」
この世界の迷宮について、オレには知識がない。困っていると、グラスが話を引き継いでくれた。
「新たに……とおっしゃいますと、迷宮核が出現した、という事ですか?」
「そのはずなんだ、が……これまでとは勝手が違ってな」
クインツの話はこうだった。
数年前、南の森の外れに迷宮が出現した。五階層からなる中規模程度の広さだったため、すでに最下層まで攻略されたらしい。
ところが最近になって、さらに下層が出現したというのだ。
調べた限りでは八階層まであるらしく、新たに攻略が開始された。
しかし……
「いくら探しても、迷宮核が見つからねぇんだよ」
「普通は最下層にあるものですが……ないのですか?」
「あぁ。念の為、一階層から隅々まで探し直してみたんだがな」
「それは妙なお話ですね……迷宮とは本来、迷宮核が記憶した風景を具現化した一種の結界領域です。ないという事はあり得ないはずですが……」
「そのあり得ねぇ事が起こっててよ。参ってんだわ」
「ひょっとして、ロックスタ達が潜ってたのって……」
「その迷宮だよ」
片付けを終えたバーニーが、答えながらソファにかけた。
納得した表情で、マリリアが足を組んだ。
「それでボヤいてたのね、アイツ……」
「ご存知の通り、迷宮核を放っておくと、際限なく迷宮が拡がってしまうからね。そうなる前に回収するか破壊するかしてくれるよう、暴竜の咆哮を始めとするいくつかのパーティーに頼んではいるんだけど……」
「進展なし、という訳ですね」
バーニーが頷く。
難しい表情を浮かべるグラスとは対照的に、マリリアが目を輝かせ始めた。
「って事は、攻略すれば迷宮核と攻略報酬をゲットできるのね?」
「もちろん。総取りだ」
「ただし……」
人差し指を立て、バーニーが付け加える。
「迷宮のランクはBだけど、守護者がどんなヤツかは分かっていないんだ。その点は注意が必要だね」
推測するに、守護者とは、いわゆるダンジョンボスの事なんだろう。
そして迷宮核には、かなりの金銭的価値があるようだ。
「いいわ。その依頼、引き受けましょう!」
さっきまでのしょぼくれた顔はどこへやら、意気揚々とマリリアが答えた。相も変わらず、強靭な精神力だった。
「お前……立ち直り早いなぁ……」
「は? なんか文句あるわけ?」
「い、いや、そういう訳じゃないけどさ……」
「やけに積極的ではないか。金に目が眩んだだけではなさそうじゃのう」
「おかげさまでやるせない気持ちで一杯なのよ! 暴れでもしなきゃやってられないっての!!」
ドサッと背もたれに身体を預けたマリリアが、投げやりにいった。
さらに、拳を掌に打ちつけて薄ら笑いを浮かべ始める。
「モンスターだろうが守護者だろうが、ボッコボコのギッタギタにしてやるわ。ふ……ふふふふふ……」
「か、顔が怖いですよ、マリリア……」
「すっかりやさぐれてますね……」
「ま、まぁとにかく、依頼は引き受けますよ、クインツさん」
「お、やってくれるか!」
勢いよく膝を叩いたクインツが、ニッと笑った。
「よし、バーニー。後の事は任せる」
「分かりました。依頼承諾の手続きと詳しい説明はしておきます。忘れず渡さなきゃいけない物もありますしね」
「そういえばさっきもいってましたけど、なんですか?」
「五銀星のライセンスだよ。受け取ってなかったんでしょ?」
「あ、そういえば……でも、どうしてバーニーさんが?」
「ヴェルベッタさんから届いてね。渡す前に行っちゃったのから、って」
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「では、受付に行こうか」
「はい!」
「じゃ、クインツさん。今度こそ本当に失礼しま〜す!」
「おう。頼んだぞ」
マリリアが力強く親指を立てて見せる。
バーニーに続いて立ち上がった。乱入者に止められる事なく、言葉どおり今度こそ本当に、部屋を出る事ができた。
ギルドを後にしたオレ達は、カフェのテラス席にいた。遅めのランチを済ませ、受けた依頼について話し合っていた。
「なんか成り行きで受けちゃったけど、実際の所どうなんだ? その迷宮」
地図を眺めていたマリリアが首を捻った。依頼書一式をテーブルに置いて、訝しげな表情を浮かべる。
「八階層もある割に各フロアは狭いのよねぇ。規模やモンスターのレベルでいったら、苦戦するって程じゃないとは思うけど……」
グラスが資料を手にした。目を通しながら、同じく訝しげな顔をする。
「やはり、迷宮核が見つからないというのが最大の懸念点ですね」
「う〜ん……隠し部屋でもあるのかなぁ……」
「さらに下があるって可能性は?」
「迷宮核が生きてるならゼロじゃないけど……現時点では低いでしょうね」
「ロックスタ様のご様子では、下層に通じる入り口も見つからなかったようでしたしね……」
とすると、やはり見落としがあるのだろうか。
考えこんでいると、ティーカップを傾けながらビョーウが疑問を口にした。
「そもそも、迷宮核とはなんなのじゃ?」
「そういえば今、生きてるならっていってたな。って事は、生物なの?」
「半分アタリで半分ハズレ、ってとこね」
「どういう意味じゃ」
「意思と記憶を持つ無機物、とでもいえばいいのかしら。見た目は水晶みたいで動く事も話す事もないんだけどね」
紅茶で喉を潤し、マリリアが説明を続けた。
「その正体は凝縮された魔力の塊といわれてるわ。地形や気候、磁場の影響で生まれるらしいんだけど、面白い事にそれぞれが風景や街並みの記憶を持ってるみたいなのよ。で、それが実物化したのが迷宮ってわけ。だから内部のデザインや構造も、同じ物は二つとないの」
「記憶が違えば創り出される景色も違ってくる、って訳だな」
「つまりこの世界の迷宮とは、全て迷宮核が生み出しておるのか」
「遺跡や墳墓なんかも迷宮って呼ぶから、全部って訳じゃないけどね」
なるほど。元からあった物と新たに生まれた物、二種類に大別できるという訳だ。
「意思があるっていうのは、どういう事?」
「勝手に迷宮を作って、さらには侵入者を退けようとする性質からそう考えられてるのよ。普段は温厚なモンスターでも、迷宮内では問答無用で襲いかかってくるからね。外に連れ出すと元に戻る事から、迷宮核が自分を守るために操ってるんだろう、って。で、モンスターの中で一番強いヤツが守護者って呼ばれてるの」
「そのガーディアンとやらも見つかっておらぬというておったのう」
「一番近くで守ってるからね。迷宮核とセットみたいなもんなのよ」
「精神操作の能力があるのか……」
「じ、じゃあ、中に入った人達も正気をなくしてしまうんですか?」
「そこは大丈夫。一定以上の知能がある生物には効果ないから」
つまり、人間や亜人、獣人なら問題なく入れる、という事のようだった。
「根拠はもう一つあってね。それは、内部に仕掛けられた罠」
マリリアが人差し指を立てる。身を乗り出し、テーブルに両肘を乗せていった。
「地形を利用した物とは別に、手のこんだ仕掛けが設置されてる事があるの。それこそ、ソラ達が狩りとかで使ってる罠と同じ物が」
「狩猟で使うというと……くくり縄や矢を使った仕掛け罠の事ですか?」
「そう。中には、扉や設置された宝箱に仕掛けがあったりもするからね」
「迷宮核って、そんな物まで生み出せるのか? 一体、どうやって?」
「さあ。分かってないわ」
両手を広げたマリリアが、左右に首を振る。
「素材は木や石があれば問題ないし、作る事自体はゴブリンとかコボルトにやらせればいいんだけど、そもそもなんで罠の造り方を知っているのかは謎なのよ。ただ、それを仕掛ける意思はある、ってだけでね」
落とし穴程度ならまだしも、複雑な罠をゴブリンやコボルトが造れるとは考えにくい。
となれば、迷宮核自身が知識を持っているという事になる。
「そんな事、どこで知ったんでしょうね……」
「生物なのか無機物なのかすら不明って……なんなんだろうな、一体……」
どういう理屈でそこにあるのかも分からない未知の存在だ。考えて正体が判明するはずもない。
そう思っていると、黙ってマリリアの説明を聞いていたグラスが口を開いた。
「……つまるところ、迷宮核とは……」
皆の目が一斉に集まる。
注目するオレ達に、静かな声で語り始めた。
「生物の記憶や知識、感情、そして本能を取りこんだ魔力が寄り集まって結晶化した魔石なのです。ゆえに、人、獣、鳥、魚、昆虫、草木、さらにはモンスターや魔族、それぞれが持つ特性を併せ持って生まれます」
恐らくこれは、人類が未だ知らない神々の知識ーー
「例えば、迷宮の構造や内部の装飾、罠などは人の知識ですし、アイテムや金銀宝石類を生み出すのは物欲と金銭欲です。外敵を排除するのは獣やモンスターの本能ですし、徐々に拡がっていくのは草木の性質です。そして、好戦的なのは魔族の特性です」
厳かな口調は、女神の降ろした神託そのものだった。
「本来、世界を覆う魔力は均等でなければなりません。そこに偏りが生まれた際、解消する手段として生み出されるのが、余剰分の魔力が結晶化した姿……迷宮核なのです」
「…………」
誰も、何もいわなかった。
語り終えた女神の言葉を、各々が反芻している。そんな様子だった。
「世界の魔力量を均一化する調整役……それが、迷宮核の正体であったか……」
やがていったのはビョーウだった。
大抵の事は意にも介さない気まぐれな姫だったが、世界の理を知った今この時ばかりは神妙な顔をしていた。
そしてそれは、オレもソラも同様だった。
本来であれば計り知る術などない、大いなる存在の意思。そして、世界に介在する際に伸ばされる御手。それを知り、場合によっては見る事さえできる。
神の眷属たる女神と行動を共にするというのは、こういう事なのだ。
そんな、当たり前の事実を改めて知らされた。
のだが……。
「そうか! だからこそ、なのねっ!!」
お構いなしとばかりの唐突さで気炎を上げるヤツがいた。
どういう事かと思い、いっている意味を訊いてみた。
「だからこそって、なんだよ?」
「迷宮核が貴重な理由よ! サイズによっては、一生遊んで暮らせるくらいの高値がつくんだからっ!!」
鼻息も荒く、目を輝かせながらマリリアがいった。
どっと疲れた。
「お前……今の話で真っ先に浮かぶのがそんな事なのかよ……」
「何いってんの。冒険者にとって報酬以上に大切な事なんて、そうそうないわよ?」
「そりゃそうだけどさ……」
「なんかよく分からないけど、要は世界がくれたプレゼントみたいなモノでしょ? ならば遠慮なく恩恵に預かろうじゃない!」
「というか、マリリアよ……」
「んあ?」
至極冷静に、ビョーウが声をかけた。顔に特大の疑問符を張りつけて。
「なぜグラスが知っておる事を知らぬのじゃ。曲がりなりにもお主、神なのじゃろう?」
「…………」
「…………」
「……そ……」
「…………」
「それじゃあ迷宮核ゲットに向けて! みんなでがんばろーーっ!!」
えぇ……。
勢いよく拳を突き上げる安定のダメ神様っぷりに、ビョーウもドン引きしている。グラスが苦笑いを浮かべ、ソラがポカンと口を開けている。
世界がどうだの理がこうだのなんて、まるで関係ない。
やはりマリリアは、いつでもマリリアなのだった。
「ま、まぁ、いいや……」
コーヒーに口をつけ、気を取り直した。
迷宮核がどういった物であれ、やる事は変わらない。今はただ、依頼を達成すべく行動するだけだ。
「取り敢えずは潜ってみない事には始まらないよな。マリリア以外、この世界の迷宮は未経験な訳だし」
「そうですね。内部の様子や法則など、経験してみなければ分からないですものね」
「まずは小手調べといった所か。よかろう」
「じゃ、今日はこれから買い出しね。必要な道具を揃えて、明日の朝イチから潜るって感じで、どう?」
「オーケー。それで行こう」
「どこかいいお店を知っていますか? マリリア」
「でしたら、来る途中に大きなお店がありましたよ。道具屋さんと武器屋さんが一緒になってるみたいでした」
「よし。じゃあそこに行ってみ……」
「チチ……」
「ん?」
「チチチチチッ……!」
「うわっ! な、なんだ!?」
突然だった。
背後から何かが聞こえたかと思うと、頭にちくっとした感触がした。
慌てて頭上に手をやると、目の前を横切った影がすっとテーブルに降りた。
「チッ……チチッ……チッ……!」
「あれ?」
小さく鳴いていたのは、長い尾と三本の頭飾りを持ったウグイス色の鳥だった。
見ていたマリリアが、顔を向けてきた。
「ひょっとしてあんた、芳香水晶持ってる?」
「あ、あぁ。ポケットに入ってる」
「だからか。この子、ティラのパフュームバードよ」
「え? そうなの?」
「うん。アリーっていうの。ね?」
マリリアに喉元を撫でられ、アリーが嬉しそうに鳴いた。




