170・抜き身の刃物が笑ってる
どの分野でも、そうだ。
一流を超えて何かを成し遂げる人物は、ブレるという事がない。終始一貫した姿勢を貫き通した結果、今の成功がある。
周りがどう思おうが関係ない。何をいわれようが関係ない。己が主張を、主義を、変わらず通す意思の強さと力があるからこそ、常人にはたどり着けない場所に到達できるのだ。
そういった人物を指して、天才、あるいは偉人と人々は呼ぶ。
「ほぉ〜う……」
これらの条件を、人間のレベルを超えて満たしているのがビョーウなのだ。
「随分と余裕があるじゃないか。今の言葉、そのまま受け取っていいのかい?」
「無論じゃ。二言などない」
「なな、何いってんのビョーウ! いいわけないでしょ!!」
当然、他者の意見など聞くはずもない。
目を剥いたマリリアを見ても、その微笑が曇る事はなかった。
「わらわが良いというておるのじゃ。問題などない」
「話聞いてたでしょ!? ホントにヤバいんだって、あの二人は!!」
「だから面白いのではないか」
かき上げた銀髪が、光を反射してキラキラと輝く。
何気ない仕草の一つ一つが美しいビョーウだったが、いっている事は見た目とあまりにもかけ離れていた。
「口先だけのボンクラより余程マシよ。ちょうど、ここ数日の弛緩した空気に飽いておった所じゃ」
そのギャップが醸し出すのは、誰の目にも明らかな強者のオーラーー
「闘争なき日常に愉悦などありはせぬ。しのごのいわずに連れてこい。わらわの前に、な」
己の意を通す事も命じる事も当然と断ずる、支配者の風格だった。
「ち、ちょっとルキト! 黙ってないでなんとかいってよ!」
これでは、さしものマリリアもお手上げだ。助けを求めてきた顔が、いつになく必死の形相をしていた。
「不良グループと揉めて、岩石に押しつぶされそうになって、剣聖に会って、王族と謁見して、金星の元冒険者と闘って……そんなに平和だったかなぁ……」
「わたしにとってはむしろ、色々ありすぎて目まぐるしいくらいでしたけど……」
「ビョーウの感覚では、退屈だったのでしょうね……」
「そこじゃねぇわっ!!」
正直、マリリアほど驚きはしなかった。
ビョーウの性格を理解している身としては、いいだしかねないよなぁ、程度でしかなかったからだ。
「くっくくく……面白い、か……」
マリリアの反応を眺めていたシジーが、ビョーウに細めた目を向け直した。
笑みと微笑が見つめ合う。
だが、平和な雰囲気など微塵もなかった。ここまで触れずにいたビョーウと向き合ったシジーが、警戒心を抱いているのは明らかだった。
「抜き身の刃物が笑ってるよ。怖いねぇ」
「戯言はいらぬ。さっさと動け」
「アンタが決めちまっていいのかい? お嬢ちゃんは納得してないみたいだけど」
「ルキトに説得されるのは目に見えておる。無駄な時間が省けてちょうどよいわ」
「何それ! どういう意味よビョーウ!?」
「本人に訊け」
ビョーウが横目を向けると同時に、マリリアがオレを見た。頬を引きつらせながら言葉を絞り出す。
「あんた……話を受ける気だった訳じゃないわよね……」
「いや、えっと……それは、だな……」
「えっとじゃない! ちゃんと答えなさい!!」
「要は同じという事じゃよ。わらわと、な」
これだからコイツには頭が上がらない。
色々と欠けている部分はあるものの、剣士や戦士、武術家の本質はしっかりと理解しているのだ。オレの考えなど、容易く見破られて当然だった。
「おいおい、ルキト。オメェ、正気かよ……」
「まさか……承諾する気でいたのかい?」
「い、いやいや! あの、皆で相談してから、と思ってただけで……」
「それはつまり、前向きに検討します、って事だよね?」
「なんつうか……あれだな、マリリアよ……ご愁傷さま」
「諦めないでよクインツさん! さっきの勢いはどこ行っちゃったの!?」
受ける方向に流れかけた話を、マリリアが必死に食い止めようとしている。
しかし、頼りの助っ人から返ってきたのは、引きつった顔だけだった。
すると今度は、矛先が別の方に向いた。
のだが……
「グラスはどうなの!? 反対よね!?」
「わたくしは……ルキト様が良いとおっしゃるなら……」
「ぐっ……! ソラはっ!?」
「わ、わたしは……あの……」
「ソラには会わせぬ。身体に毒なのじゃろう?」
「それはまぁ、そっか……って! なんで決定してんのよおぉっ!!」
撃沈。
そこへさらに、シジーが追い打ちをかけた。
「どうやら諦めるしかなさそうだねぇ、お嬢ちゃん。ま、多数決で決まったんだ。文句はないだろ?」
がっくりと肩を落としたマリリアが、ソファに座ってため息をついた。
魂ごと吐き出したかのように深く、そして重いため息だった。
「もうイヤ……この人たち……」
「ま、まぁまぁ、そういうなって。ほら、会ってみてから決めてもいいだろ?」
「だから……会いたくないっていってんのよ……」
「心配するな。ルキトとわらわがおる限り安全じゃ。何者が相手であろうと問題などない」
「凄い自信だねぇ。感心するよ、ホントに」
断言するビョーウに、半笑いのシジーが茶化すようにいった。
しかし、浮かべた微笑に嫌悪感が混じる事はなかった。
「いつまでそうしてヘラヘラしておるつもりじゃ、小娘。連れてこいというたのが聞こえなかったのか?」
「これは驚いた。アタシみたいな淑女を捕まえて小娘とはねぇ」
「嗜みで殺生をする淑女がおるか。笑わせるな」
「おや。どちらかといえば、アンタもこちら側だと思ってたんだけど、違うのかい?」
「一緒くたにするでない。わらわと貴様では格が違うわ」
「アタシを格下の小娘扱いするって事は、それなりに歳を食ってるって事かい? そうは見えないけどねぇ」
「貴様の十倍は生きておる。格でいうたら、百倍では効かぬがな」
さしものシジーも、これには驚いた様子だった。
わずかに目を見開き、覗きこむようにビョーウの顔を凝視している。
「くくく……いいねぇ……面白いよ、アンタ……」
しかし、それも僅かな間だけだった。
再び笑いを漏らした時に瞳が湛えていたのは、オレを見たクインツと同じ光だった。
「そこまでいわれたら見せてもらいたくなるじゃないか。格の違いとやらをさぁ……」
「よかろう。命と引き換える覚悟があるならばその好奇心、満たしてやろうぞ……」
銀髪の獣と黒い獣が、周囲の空気を急速に締め上げ始めた。瞬く間に、ピリついた緊張感で室内が満たされる。
これはマズい。
止めなければ、本当にこの場で闘り始めてしまうだろう。
腰を浮かせて待ったをかけようとした、その直前ーー
「いい加減にしやがれバカヤロウ共っ! ここがどこか分かってんのかっ!!」
怒号が響き渡った。
ビリビリと窓が揺れる程のそれに、充満していた殺気が一瞬で掻き消される。
至極当然の行動だった。さしものクインツといえど、ギルドマスターの私闘を黙って見過ごす訳はな……
「殺し合いなら他でやれ! 俺の部屋でおっ始じめるんじゃねえ!!」
……えぇ…………。
「誰が後片付けすると思ってんだ! 余計な仕事が増えるだろうが!!」
やっぱりこの人も、まぁまぁイカれてる。
ここまでどストレートにぶっちゃけられては、毒気も抜けるという物だ。
拍子抜けしたように、ビョーウとシジーが力を抜いた。
「いいとこで水を差すんじゃないよ、まったく……」
「ほんにのう。無粋な男じゃて……」
「やかましいっ! さっさと出てけ!!」
「仕方ない。場所を変えるとしようかねぇ」
「望む所じゃ。案内せい」
「ち、ちょっと待ってください、シジーさん!」
「ん?」
当然のように続きをしようとする二人を、慌ててバーニーが止めた。
シジーが、きょとんとした表情を浮かべる。
「どうかしたのかい?」
「ブラック・ギルドのマスターが一般人と私闘なんかしちゃダメですよ!」
「一般人? あれ? アンタ、冒険者なんだろ? 」
「そういえば、登録とやらはしておらなんだのう」
「なんだい。ルキトのパーティーにいるから、てっきり冒険者だと思ってたよ」
「まぁ、よいではないか。些細な事じゃ」
「いけませんって! 賞金首でもない人に怪我でも負わせたら、大問題ですよ!」
いわれてみれば、確かにその通りだった。
モンスターを相手にする普通の冒険者と違い、賞金首稼ぎの相手は人間だ。賞金首リストに載ってもいない無実の人に危害を加えてしまっては、自分が賞金首になってしまう。
「やぁれやれ。面倒くさい事で……」
流石のシジーも、この進言は聞き入れざるを得ないんだろう。
ため息をつきながら、諦め混じりに首を振った。
「たまのお楽しみくらい、ギルドマスター権限でオーケーにしても良さそうなモンだけどねぇ。頭が固くてまいるよ、ウチの五公星は……」
「アホな事いうな。テメェの都合で殺し合いを許可する権限なんて、ある訳ねぇだろうが」
分かっているといわんばかりのシジーが、ひらひらと手を振って応えた。
「じゃ、今日はこれで解散だね。アタシは帰るよ。ルキト」
「はい?」
「ヤツらに連絡が取れたら知らせるから、楽しみに待っててねぇ。それと……アンタも、ね」
見下ろした目の中で、黄金の瞳がキラリと輝いた。
ビョーウが、ふんと鼻を鳴らす。
「まだ諦めておらぬのか?」
「悪さってのはさ、バレなきゃ悪さじゃないんだよ。お咎めさえなければ何も問題はない。だろ?」
「くく……その悪党ぶりに免じて遊んでやろう。いつでも来るがよい」
シジーがすっと動いた。
窓を開け放ち、枠に足をかける。肩越しに不敵な笑みを置いていく。まばたき一つで、霞のように姿が消えていた。
「入り口を使えってんだよ、バカヤロウ……」
苦虫を噛み潰したような顔で、クインツがぼそりと呟いた。




