169・殺しは淑女(レディ)の嗜みでして
「お前がルキトかい? よろしくねぇ」
口元を吊り上げて、シジーが笑った。
それにしても。
会議に乱入者がセットで付いてくるのは、この国ではお約束なんだろうか?
「で? 何しに来やがったんだオメェ」
「決まってるだろ」
仏頂面のクインツに、肩をすくめて見せる。
おどけた仕草をしながらも、向けてきた目には鋭さがあった。
「噂のルーキーを見物しに来たのさ。宿に行ったら留守だっていうから、もしやと思ってこっちに寄ってみたんだよ」
サイドを刈り上げたオレンジジンジャーのショートヘア。切れ長の目と黄金の瞳。黒い肌。びっしりと耳飾りをつけ、リップピアスには小さな宝石が下がっている。
オレンジに深紅のストライプが入ったロングスカーフを緩く巻き、袖のないダークグレーの制服と黒いロングブーツがボディにぴったりとフィットしていた。
スラリと伸びた手足と肌の色が相まって、さながら、雌の黒豹が人の姿を取っているかのような立ち姿をしている。
「とぼけた顔をしちゃいるが、なるほどねぇ。オリシアに勝ったってのも、まぐれじゃなかったようだ」
オレの全身に視線を這わせていたシジーが、笑みを大きくした。リップピアスの宝石がゆらゆらと揺れた。
「ヴェルベッタが認めたっていってんだ。ニセモノな訳ねぇだろうがよ」
「確かに、甘ちゃんだが見る目はあるからねぇ、アイツ。で? どうだい?」
「え?」
「アタシの印象だよ。どう思った?」
会話の流れをぶった切ったシジーが、唐突に訊ねてきた。
一瞬、答えに詰まった。
が、ここはあえて、思った事をそのまま口にしてみた。
「綺麗な女性だな、と思いました」
「そいつはありがと。他には?」
「元、賞金稼ぎで、盗賊か暗殺者の上位職。近接戦闘のスペシャリストで、肉弾戦に特化した一点突破型の戦闘スタイル」
「他には?」
「と見せかけて、もう一つ別の顔を隠し持っている」
「!?」
「用心深い人なんだろうな、と。そうも思いました」
「…………」
シジーの顔から笑みが消えた。
感情のうかがえない目で、ジッとオレを見つめてくる。
「なんで、そう思った?」
「封印術式で隠しているからです。そうまでして手の内を見せないのは、慎重である証です」
「お前……分かるのか?」
「はい。かなり高度な術ですけど、ほんの少し、気配が漏れています」
恐らく、抑えているのは魔力だ。
しかし、そこまではいわないでおいた。奥の手であるならば、人前でバラしてしまうのはマズいからだ。
「…………」
シジーの目の奥で、何かが光ったような気がした。両腕がダラリと下がる。微量の殺気が香る。
ビョーウが背もたれから身体を離した。グラスとマリリアの緊張が伝わってきた。それでも、オレに向いた双眸は微動だにしない。金色の瞳を見つめ返した。無言の時が過ぎた。
「その辺にしとけ」
沈黙を絶ったのは、低く太い声だった。
シジーの目からふっと力が抜けた。
「気に入ったよボウヤ。確かに、本物だ」
ニヤリと笑った黒豹が、すぅっと近づいて来る。淀みなく流れる空気のような、滑らかな動きだった。
「今度、ウチにおいで。遊んであげる」
耳元で囁かれた。吐息に耳をくすぐられ、鳥肌が立った。
「あ、いや、えっと……」
慌てて身体を引いた。妖艶な笑みをオレに向けたまま、シジーがいった。
「大丈夫かい? 人喰い」
「あ? 何がだよ」
「この子達のレベルに見合うパーティーなんて、アンタんとこにいたっけかねぇ?」
煽り文句と一緒に顔を向けたシジーを、クインツが一蹴した。
「余計なお世話だ。そっちこそ、大丈夫なんだろうな?」
「当たり前じゃないか。今、ちょうどいいのが来ててねぇ。アレなら問題ないはずさ」
「ちょうどいいのが……来てる?」
「あぁ。おっ放しとくと、ウチのヤツらが落ち着かなくてねぇ。いっその事、ルキトに任せようか、ってね」
「!!?」
シジーの浮かべた笑みが、とてつもなく不吉に見えた。眉間を深い皺で捩ったクインツが、身を乗り出した。
「ちょっと待て。アレってオメェ、まさか……」
「知ってんだろ? 逆撫・逆愛さ」
「バカヤロウ! 冗談も大概にしやがれっ!!」
一喝に、空気がビリビリと震えた。しかし、いわれた当人はいたって平然としている。
「冗談? なんの事だい?」
「あんな狂人どもを使えるか!! 勅命をなんだと思ってやがんだテメェはっ!!」
「なら、アンタも可愛い二代目は使わないってのかい? “狂い獅子のデュアリナ”、だっけ?」
「シ、シジーさん。それとは話の次元が違いますよ」
見かねたバーニーが割って入った。青ざめた顔が、狂人姉妹の危険性を指摘しているかのようだった。
「死夜の褥をコントロールするなんて不可能です。賞金首でないにも関わらず、彼女達がアンタッチャブルに指定されているのはご存知ですよね?」
「だから良いのさ。毒を殺せるのは猛毒だけだからねぇ」
「その猛毒がこっちに回ったらどうすんだよ! 奴らの箍が外れてみろ! そこらじゅうに死体が転がるだろがっ!!」
「その時はその時さ。片付けをバーニーにさせるような事はしないから、安心しなよ」
「テメェ……本気でいってんのか……!!」
「当たり前じゃないか」
シジーの顔に、冷たい笑みが浮かぶ。すっと細めた目はしかし、笑っていなかった。
「殺しは淑女の嗜みだからねぇ。アタシらがブラック・ギルドだって事、忘れてんじゃないのかい? なんなら……」
首筋にとんと指を当てた仕草が、これ以上なく板に付いている。
クインツを見下ろしていたのは紛れもない、一流の暗殺者だった。
「アンタの首も取ってやろうか? えぇ? 賞金首の人喰いさん?」
「貴族の戯言を真に受けてんじゃねえ! 冗談は休み休みいいやがれ、クソダラっ!!」
睨み合う両者に、引き下がる気配はない。仲裁に入るバーニーの声も、届いているか疑問だった。
ギルドマスター同士が対立する中、マリリアがため息をついた。
「死夜の褥に狂い獅子? 冗談じゃないわぁ……」
「危険人物と問題児、といった所でしょうか……」
「メチャクチャいってるよな……ブラック・ギルドのマスターって、あんな感じなのか?」
「どうだろ……他に知らないからなんともいえないけど、あの人に関していえば思い出した事があるわ。二つ名なんだけど」
「あだ名か。なんて呼ばれてるんだ?」
「安息日の黒獣……“ブラック・サバス”シジー」
「あ、安息日……?」
「随分とまた、不吉な響きじゃの。由来はなんじゃ?」
「年に一度、安息祭っていうお祭りがリーベロイズにはあるのよ。日々の暮らしに感謝するって趣旨でさ、この日は殺生が禁止されてるの。破ると神の災いがもたらされるからって。ところが……」
声を潜めたマリリアが、こちらに顔を近づけてきた。つられてオレ達も顔を寄せ合った。
「祭りの当日、ある娼館で大量の死体が発見された。そこでは、拐ってきた女の子達を薬物漬けにして身体を売らせてたんだけど、誰も文句をいえなかったのよ。なぜなら、元締めが伯爵で顧客も貴族ばかりだったから。かなり酷い事をしてたみたいでね。女の子達の中には、精神が崩壊している娘や身体の一部が欠損している娘が何人もいたらしいわ」
「じゃあ、殺されてたのって……」
「伯爵本人と従業員、そして客の貴族達。女の子以外、全員よ。その数、四十六人。貴族の大量殺人なんて前代未聞よね。当然、大騒ぎになってさ。犯人探しが始まったんだけど、結局、見つからず。迷宮入りになったのよ。ところが……」
ちらりと、マリリアが二人に目を向ける。
口論はまだ終わりそうになかった。
「事件があってからしばらくして、噂が流れてね。街のはずれで二人の人物が話すのを聞いた浮浪者がいるって。彼がいうには、幼い娘が姉を娼館から助け出してくれって頼んでいたらしいの。で、それを受けたのが……赤毛で黒い肌の、暗殺者らしき人物」
「それが、シジーさんだったのか?」
「もちろん、本人は否定したんだって。でも、薄く笑ってこうもいったらしいわ。『百ジル程度で受ける仕事じゃないだろ?』って」
「……なるほどのう」
「それで、周りは悟ったのですね……」
「答え合わせは済んでる、って訳か」
「でも、よく捕まりませんでしたね。認めているようなものなのに……」
「そこは大人の事情でさ」
もっともなソラの疑問に、マリリアが肩をすくめる。
「娼館の存在は、国も掴んでいたらしいのよ。だけど、手出しができずにいた。苦々しく思ってた所で、謎の人物が解決してくれた。捜査はかなりおざなりだったみたい。事件の現場が現場だけに、遺族達もだんまりだったらしいわ」
相手が素人とはいえ、それだけの数を暗殺してのけるのは並の腕ではできない。
気配を絶って忍び寄る様を獣に見立てた黒獣という二つ名は、シジーの実力を的確に表しているようだった。
「いつまでも寝言ほざいてんじゃねぇ! トチ狂ってんのかテメェは!!」
「いくらアタシでも、目を開けたまま寝言をいえるほど器用じゃないさ」
文字通り、食い殺さんばかりの剣幕でまくし立てる人喰いと、それを受け流す黒獣。
レジェンド同士のいい合いは、収束する気配がなかった。
「相手が狂ってんだ。こっちも頭のネジを外さなきゃ、釣り合いが取れないだろ?」
「だから! それで収集がつかなくなったらどうすんだってんだよ!!」
「そんなモノは後でどうとでもなるさ。正義の味方じゃあるまいし、打つ手が綺麗かどうかなんて問題じゃない。妙な事にこだわって結果が出せなかったら元も子もないからねぇ。違うかい?」
「屁理屈ばかり並べやがってクソがぁ……!!」
「お、落ち着いてください、マスター。そもそもシジーさん、話したとして彼女達が引き受けてくれるでしょうか?」
これに割って入れるバーニーには感心する。
並程度の冒険者では、震え上がって口出しなど出来ないだろう。
「そいつは条件次第って所だろうねぇ。案外、利害が一致するかもしれないよ?」
「条件? どういう意味ですか?」
シジーがニヤリと笑って見せる。
クインツの眉が、ぴくりと反応した
「……オメェ、なんか掴んでやがるな?」
「掴んでるって程の事じゃないさ。ただ、ヤツらが来てもう一月以上になる。バカンスを楽しむって玉じゃないからねぇ。目的があって王都に滞在してるって考えた方が自然じゃないか、ってね」
「ひょっとして……賞金首を追ってきた、という事ですか?」
「ありえない話じゃないだろ? 教団には、逆御名がいるらしいじゃないか。ルキト達を襲った蟲喰いにしても、キレイな身体じゃないだろうしねぇ」
「ヤツらのターゲットが教団にいる。そういいてぇのか?」
「確信がある訳じゃあない。が、ザロメ・ピュアズリークラスの賞金首なら、死夜の褥が狙ってもおかしくはない。そう思ったのさ」
「それで、利害が一致するかも、と……」
「オメェの曖昧な憶測だけで手なんか組めるか! リスクの方が高いじゃねぇか!!」
「そう邪険にする事もないだろ。受けた仕事はキッチリやるヤツらだからねぇ。ああ見えて、意外と真面目なんだよ」
「ま、真面目……ですか……」
「少しばかりやり過ぎる癖があるだけでね。腕だけなら間違いなく一流だ。とにかく病的に執念深くてねぇ。獲物は絶対に逃さないし、誰にも渡さない。狙われたらおしまいだよ。死を覚悟するしかない。恐らく、このアタシでも逃げ切るのは不可能だね」
「おい、ちょっと待て」
シジーの持って回ったいい方が引っかかった。
同じく琴線に触れたんだろう。クインツが反応した。
「まるで、見たみたいにいうじゃねぇか。なんでそんなに詳しいんだよ」
「決まってんだろ。見たからだよ」
「……なんだと?」
「大陸に轟く悪名がどの程度なのか興味があってねぇ。一度だけ組んだ事があるのさ。ま、若気の至りってやつだね」
クインツとバーニーが、揃ってポカンと口を開けた。
驚愕を通り越して、心底あきれ返っている。そんな表情だった。
「き、興味本位で……あの二人と……?」
「オメェ……やっぱり頭がおかしいんだな……」
「心外だね。アンタにだけはいわれたくないよ」
腰に手を当てたシジーが、大きく息を吐いた。
二人を順番に指さし、諭すようにいう。
「そもそも、人の尺度で測かろうっていうのが間違いなのさ。ヤツらの本性は人間じゃない。何を隠そう、アンタッチャブルに指定するよう進言したのはアタシだからねぇ」
「えっ! そうだったんですか!?」
「……賞金稼ぎが指定くらうなんざ異例だと思っちゃいたが、なるほどな。八金星のオメェにいわれたんじゃ、五公星も無下にはできねぇってか」
「逆撫はまだしも、とにかくヤバいのが逆愛の方でねぇ。見ただけで悪寒が走ったよ。まるで、別世界のナニかが人に偽装してるみたいでさ。周りを不安にさせる異質の存在感がある。心の弱い奴なら、近くにいるだけで壊されちまうだろうねぇ」
まるで世間話をしているかのような口調だったが、いっている事はシャレになっていない。
食いしばった歯の隙間から、クインツが静かな怒りと言葉を押し出した。
「そこまで分かってて……なんでヤツらにこだわんだよ……!!」
「強いからさ。それ以上でも以下でもない」
「テメェ……あんまふざけてると……」
「ならこうしよう。本人に訊いてみようじゃないか。ルキト」
「!?」
蚊帳の外だったやり取りの矛先が、突然こちらを向いた。
シジーとクインツ、バーニーが、一斉にオレを見る。
「どうだい?」
「ど、どうっていわれても……」
「実力はアタシが保証するよ。味方になれば、騎士団一個大隊以上の戦力だ。組んで上手く扱う自信はあるかい?」
「それ……は……」
「ちょっと待ったぁ!!」
返答に困っていると、食い気味のストップがかかった。
立ち上がったマリリアだった。
「そんなのムリです! ムリムリムリっ!!」
「なんだいお嬢ちゃん。アタシはルキトに訊いてるんだよ?」
「組むのはルキトだけじゃありません! わたしを含んだパーティー全員です! 意見する権利はあるはずよ!!」
「おや。そういうのは、リーダーが決定するもんじゃないのかい?」
「そんなの相談してからに決まってます! ルキトがわたし達を無視するわけないでしょ!!」
くくく……と、シジーが小さな笑いを漏らした。
マリリアに向けたままの目が、からかうような光を帯びている。
「信頼されてるねぇ、ルキト。いいパーティーみたいじゃないか。で? どうする? お嬢ちゃんの意見を尊重するなら、この話はお流れだ」
当然、断るべきだ。
ここまでの話を聞いた限りでは、デメリットが大きすぎる。
だが。
悪い癖が頭をもたげてきている事を、オレは認識していた。
強い奴なら、会ってみたい。
クインツやバーニーの反応を見てなお、ロメウにあれほど脅かされてなお、そう思う自分がいた。あるいは、オリシアとの闘いで昂ぶった闘争心が、まだ残っていたのかもしれない。
『少し、考えさせてください』
それが、導き出した結論だった。マリリアにはすまないと思ったが、そういわずにはいられなかったのだ。
意を決して、口にしようとした。
その時だった。
「よかろう。そやつらを連れてこい」
ハッキリと、そう答える声が聞こえた。
優雅に足を組んで微笑する、ビョーウだった。




