164・両手の花は再戦したい
遠くに聞こえていた歓声が徐々に大きくなっていった。肩に手を置かれ、ハッと我に返った。
「貴方の勝ちだ、ルキト殿。素晴らしい立ち合いでした」
声のした方を向いた。クリスタニアの顔があった。
「あ……」
「もう、放していい」
その一言で緊張が解けた。手の力を緩めると、オリシアの腕がぱたりと落ちた。
立ち上がりはしたものの少し歩いた所で限界が来た。身体がよろけ、へたりこんでしまったのだ。
「ルキト様っ!!」
グラスが駆け寄って来る。オレを見る顔が青ざめていた。
「お怪我は!? 大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ、大丈夫。ちょっとやられちゃったけどね。ははは……」
血まみれの顔でいっても説得力はないだろう。ダメージだらけの身体は、どこが痛いのかも分からない有様だった。
「す、すぐにお治しします!」
「いや、その前に……」
ダウンしたまま、オリシアは動かなかった。仰向けにして治療の手配を命じるトレイスと、クリスタニアにしがみついて見守るリルエット。加減はしたつもりだが、あの状況ではどこまで力を抜けたか、正直、分からない。
「オリシアさんを治してあげてよ。多分、オレより重傷だ」
「し、しかし……」
グラスが逡巡していると、背後からソラとマリリアが顔を覗かせた。
途端に、揃って顔色が変わった。
「!? ルキトさん……!!」
「ボロボロじゃないあんた! あんな無茶するから……!」
「大袈裟だな。大した事ないって」
「血だらけで何いってんの! 大した事あるわよ!!」
「ホントに平気だよ。それより、オリシアさんの方が……」
「強がるでない、バカモノ」
押し問答がピシャリと遮られた。慌てた様子もなく、ビョーウが目の前でかがみ込む。
掌を腹部に当てられ、身体がビクッと反応した。
「っっっ!!!」
声にならなかった。頭のてっぺんまで突き抜けた激痛で、一瞬気が遠くなりかけた。
「っっぐ……! ってええぇぇ〜〜……っっ!!」
「やはりの。折れておるではないか」
「……え?」
「折れてる、って……」
「ビ、ビョーウさん? それは、どういう……」
「肋骨じゃよ。亀裂が入ったのは、左右からの突きを受けた時か?」
蒼い瞳に見つめられた。こと闘いに関して、この目にごまかしは効かない。
「ま、まぁ……うん……」
「そんな状態であれほど動いては、持たぬじゃろうて」
「やっぱり重傷じゃないっ!」
「骨折のどこが大丈夫なのですか、ルキト様!!」
「ま、まぁ、内臓には刺さってないだろうから、そこまで心配する事は……」
「なんだ、そうなのか。では平気かのう」
「平気なわけあるかっ! さっさと治してもらいなさい、バカっ!!」
「ビョーウ! 場所を代わってください!!」
かざしたグラスの両手が緑光を放ち始めた。痛みが溶けるように和らいでいく。ほんのり温かい光は、見ているだけで心まで癒してくれた。
「こんな状態でよく人の事なんか気にできたわね、まったく……」
「頭部にダメージを集中させちゃったからな。ちょっと心配なんだよ」
マリリアが、オリシア達の方に目を向けた。治癒師はまだ来ていないようだった。
こちらに顔を戻して息を吐く。
「仕方ないわね。あっちはわたしに任せときなさい」
「え? お前、治癒魔法使えるの?」
「何いってんのよ。当たり前じゃない」
「そいつは凄いな。僧侶になれるんじゃないか?」
「……グラス。場所代わってくれる?」
「え? なぜですか?」
「とどめ刺すから」
「落ち着いてください!」
「今はシャレになりませんよ、マリリアさん!!」
くくく……と小さく笑ったビョーウが、オリシアを目で指し示した。
「ルキトは心配あるまいて。あやつを治してやるがよい、マリリア」
「ったく! こんな時までへらず口を……!」
「悪かったよ。頼まれてくれるか?」
「その代わり、傷が治るまで安静にしてる事。いい?」
「分かった。すまないな」
片手で応じたマリリアが、速足でオリシアの元へ向かった。
すぐに、治癒の光が見えてきた。
「大した事なければいいけど……」
「あれだけ頑強であれば問題なかろう」
本物の武人と拳を合わせたのはいつ以来だったろう。
オリシアは、強かった。震える程に。ひりつく程に。己が身ひとつで挑み、挑まれた。昂る心が時を止め、身体が時間を加速させた。剣士として闘ったヴェルベッタの時とはまた別の、肉体と肉体のぶつけ合いーー全てを出し尽くした今は、この痛みすら誇らしく思えた。
「お互いに動けなくなるまで闘うなんて……敵同士でもないのに、どうして……」
しかし、傷だらけの姿を見るソラには、やはり分からなかったのだろう。
ポツリといった声は、微かに震えていた。
「理屈などありはせぬ。強者があれば挑むのみ。そういう大馬鹿を指して武人、あるいは剣士と呼ぶのじゃよ」
「お、大馬鹿……?」
ぶっきらぼうではあった。が、的確な返答だった。しかし、大半の人には理解できない感覚だ。ソラの浮かべている表情が、分かりやすく証明している。
損得ではなく、理屈でもない。闘いたいから闘う。本能に基づく衝動であるがゆえに、口では説明できない。なぜその食べ物が好きなのかと問われても、美味いからだとしか答えられないのと同じなのだ。
「オリシアっ!!」
ビョーウらしいやり取りに苦笑していると、リルエットの声が聞こえた。見守る兵士達から小さな歓声が上がる。
「意識を取り戻したようですね」
「うん。大事に至らなかったみたいで良かったよ」
「なんだかんだいいながら、見て見ぬふりができないんですよね、マリリアさんって」
「ああ見えて魔法の腕も確かだしね。お調子者すぎるのが玉にキズだけど」
「お主も人の事はいえぬがのう」
「え?」
思わぬ一言だった。
動揺するオレを見るビョーウが、すっと目を細めた。
「甘いのが玉にキズじゃ。加減のしすぎと、相手に合わせる性分。付け入る隙が多すぎるわ」
「いや、それは……」
「気持ちが昂るのは分かるが、時と場合を考えろ。少なくともあやつは、楽しむより勝つ事を優先せねばならぬ相手じゃろう」
「はい、あの……つ、次から気をつけます……」
返す言葉がなんもねぇ。
スイッチが入ると狂ったように闘い出す一方、常に冷静さを失わない二面性。
感情をコントロールできる、というのとは少し違う。
意識せずとも、戦闘時に最適な心理状態を保っていられる天賦の才を、ビョーウは持っている。
努力や身体能力、格闘センスだけではたどり着けない領域にいる天才のダメ出しだ。反論など、できるはずがなかった。
「あっ! まだ動いちゃダメ!!」
「いや、もう大丈夫。ありがとうございました」
反省会が済んだタイミングで、声が聞こえた。
オリシアがゆっくりと立ち上がる。しかし、おぼつかない足がバランスを崩した。よろけた所を、クリスタニアに手で支えられた。
「す、すみません……」
「頭部のダメージが抜けきっていないようだな。回復するまで座っていろ」
「そ、そうよオリシア。痛いのにムリしないで」
見上げるリルエットが泣きそうな顔をしている。オリシアが片膝をついた。
「わたくしは大丈夫です。どうか、ご心配なさらないでください」
「……ごめんなさい。リルがあんな事をいったせいで……」
「と、とんでもございません! 強者と闘うは武人の喜び! その機会をお与えくださった姫様にはこのオリシア、感謝しかございません!!」
「でも……ルキトにも痛い思いをさせてしまって……ごめんなさい……」
リルエットが顔を向けて、オレに謝罪してくる。
これには面食らった。
臣下達の前で平民に頭を下げられる王族など、そうはいない。
「いいえ、姫様……」
優しく、賢い娘なんだろう。
オレの身をオリシアと同じように案じ、かつ、自身の行いに非があると思えば、素直に反省して謝罪できる。
悲しませたくないと、守ってあげたいと思わせる、人間的な魅力のある姫だった。
「わたくしの気持ちも、オリシアさんと同じです。このような機会をいただけた事、心より感謝しております。ありがとうございました」
片膝をつき、目を見ていった。本心からの言葉だった。悲しげだったリルエットの顔が、小さく綻ぶ。
オリシアがゆっくりと歩みよって来た。
「ありがとうございました、ルキト殿」
差し出された手と、立ち上がって握手を交わした。しっかりと握った右手はたくましく、温かかった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「悔しいですが、完敗です。やはり、貴方は強い」
「いえ、そんな事……紙一重の差でしたし、ダメージは……」
完治した脇腹を、手で擦って見せる。
「オレの方が大きかったですから」
「ふふ……ご謙遜を」
「いえ、本当に。使っていた技……我刀刄拳流、でしたよね。初めて見ましたが、凄まじい威力でした」
「師より受け継いだ歴史ある流派です。わたしなど、先人達に比べればまだまだですよ」
「我刀刄拳流、とおっしゃいますと……」
聞いていたグラスが、さり気なく会話に入ってきた。
興味があったのか、ビョーウが反応した。
「知っておるのか、グラスよ」
「三大流派の一つといわれている武術です。オリシア様が師事なさっておられる方というのはひょっとして、武王ルカサー様ですか?」
「おっしゃる通りです。よくご存じですね」
外見からは想像できなかったんだろう。オリシアが意外そうな顔をした。
普段は控えめなグラスだが、必要な時にそれとなくしてくれるフォローはいつもありがたい。
「武王とは大きく出たの。そやつは強いのか?」
「はい。年に一度開催される世界最大の格闘大会、『パンピングアレイ・トーナメント』の優勝者に与えられる称号ですから。ルカサー様は昨年の覇者なのですよ」
「ほう。つまり、徒手空拳の王者、という訳か……」
白い顔に笑みが浮かぶ。相も変わらず、分かりやすいヤツだった。
「その大会とやらは、いつ開催するのじゃ?」
「待て。お前まさか、出るなんていうつもりじゃ……」
「強者が集まるのであろう? 余興にはちょうど良い」
「おお! でしたらルキト殿もぜひ! わたしも参加いたしますので、再戦しましょう!」
「え? あ、いや……」
「それは良いな。組み合わせ次第では、わらわとも闘えるぞ?」
「お、お前と再戦? 冗談じゃない!」
「なんじゃ。嫌なのか?」
「当たり前だっつぅの! 絶対にお断りだ!」
「なになに? あんた達って、闘った事あるの?」
いつの間にか戻ってたマリリアが、食い気味に尋ねてきた。グラスとソラが、好奇心の浮かんだ顔を向けてくる。
「昔、ね……」
「で? で? どっちが勝ったの?」
「どっちが……っていうか……まぁ……」
「どちらが強いかなど、再度立ち合えば分かる事じゃ。楽しみにしておれ」
「いや、オレは闘らないからな? 」
「両手に花じゃない。相変わらずモテるわねぇ……」
先程の仕返しといわんばかりに、マリリアが意地の悪い笑みを浮かべた。
いい返す気にもなれなかった。
リベンジマッチなら、ウェンヤやボノウの相手をした方がまだマシだ。
「ビョーウ殿以外にも、まだ見ぬ強者が世界中から集まる武の祭典です! 何より、ルキト殿と師の闘いも見てみたいですしな!!」
ビョーウはさておき、オリシアがグイグイ来るのには参った。あまりにも純粋で一本気な彼女の提案を無下にするのは、気が引けたからだ。
「そうルキト殿を困らせるな、オリシア」
と、ここで、クリスタニアが助け舟を出してくれた。
リルエットとトレイスを伴ってこちらに歩いてくる。
「参加するか否かは、都合や事情にもよるだろう。気持ちは分かるが、強要するものではない」
「そ、それは確かに……。失礼いたしました、ルキト殿」
「いえ、気にしないでください。大会の件は、まあ……」
目を向けると、ビョーウがニヤリと笑った。
姫君の中では、すでに出場が決まっているようだ。
「か、考えておきますよ」
「おぉ! それは楽しみにしておりますぞっ!!」
オリシアの顔がぱっと輝く。見ていたクリスタニアが、小さく笑いながらいった。
「さて。長々とお付き合いいただいたが、この辺でお開きにしましょう。トレイス」
「はっ。替えの服をご用意しますので、着替えていってください、ルキト殿。その後で宿にご案内しますので」
「分かりました。お気遣いいただき、ありがとうございます」
長かった剣聖との対面もようやく終わりだ。今日はゆっくり休もう。
そんな事を思っていると、予想外の所から待ったがかかった。
「……もう帰っちゃうの?」
リルエットだった。寂しそうな表情を浮かべて、オレを見ている。
「あ、はい。本日は、これで……」
「あのね、これからタニアとお茶するの! ルキト達もいらっしゃいな! ね?」
「え? えっ……と、それは……」
どうやら、姫には気に入ってもらえたらしい。屈託のない笑顔がそう告げていた。
思わずハイといってしまいそうな愛らしさだったが、今はまだリルエットとの交流は避けた方がいい。彼女の立場を危うくしかねないからだ。
「リルエット様。先ほどの闘いでルキト殿もお疲れでしょう。お茶会は、またの機会になさってはいかがでしょう」
返答に困っていると、再びクリスタニアが助けてくれた。目くばせを一つ。どうやら、考えている事は同じであるようだ。
少し考えていたリルエットだったが、すぐに頷いた。
「そう……うん、そうね。あんなに凄い闘いだったんですもの。今日は休んだ方がいいわね」
「申し訳ございません、姫様」
「ううん、いいのよ。その代わりまた会いにきてね、ルキト!」
「はい。お約束いたします。必ず参りますので、お声かけください」
「うんっ!!」
思いもしなかった王族との謁見と、御前試合。
予定外の出来事が山盛りだったが、とりあえず当初の目的は無事に果たせた。
しかしこの先、事態がどう展開していくかは予想できない。
本番はここからだ。
リルエットの笑顔に癒されながら、改めて自分にいい聞かせた。




