表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

163/184

162・武人二人

 ()しくもオレ達が取ったのは、両足でしっかりと地を掴む構えだった。

 フットワークでリズムを作って攻撃に転じるボクシングの動きが『動』から『動』なら、これは『静』から『動』へと動く空手や古武術、中国拳法の構えに近い。

 どっしりと腰を落とし、相手を観察()る。呼吸を整え、気を溜め、神経を研ぎ澄ます。

 ジリジリと時間が過ぎていった。頬を伝う血が、汗と混じり合って顎先から落ちる。緊張感がピリピリと肌を刺す。

 強者を前にした恐怖と、それを凌駕する期待感。わくわくとヒリつくこの感覚は、真剣勝負の中にしかない。

 空気が変わった事に気づいたんだろう。ギャラリーからの歓声も、今は止んでいる。

 静かだった。

 そんな、互いの『意』を読み合う(なぎ)のような時から一転、動く時はーー


「!!」


「!!!」


 嵐のように吹き荒れ、津波のように襲いかかる。


 ババッッ……!!


 それがーー


「オオォォッッ……!!」


「はあぁぁぁーーっ……!!」


 ドッッ……!!


 武術だ。


 ……ッガアアァァァァーーッッ……!!


 同時に間合いを詰め、双方が右の中段蹴(ミドル)りを蹴り合った。ガードした左腕から肩口にまで衝撃が走る。


「くっ……!!」


 上半身が右方向に持って行かれた。バランスが崩れる。


「……ふぅ……!」


 ボッ……!!


「!!?」


 同じくよろけながらも、踏みとどまったオリシアが拳を振りかぶった。打ち下ろしの右ーーチョッピングライトが顔面に迫ってくる。


「っしいぃっ!!」


「っ……!!」


 ヴシュウウゥゥーー……ッッ!!


 着弾する寸前、身体を右に捻って(かわ)した。そのまま後方に回転する。右肘の裏打ち。背後の死角から後頭部を狙った。


「フゥッ!!」


 ボッッ……!!


「っ!!?」


 ッヒュッッ……!!


 察知したオリシアが頭を下げる。(エルボー)が空を切った。その流れで引いた拳。体重移動(シフトウエイト)。前足に加重する。腰を切る。


「シュッッ!!」


 放ったのは打ち下ろし。お返しのチョッピングライトだった。


 ブォッッ……!


「くっ……ぁ……!!」


 オオォォォーー……ッ!!


 直撃するかと思われた右の拳も、オリシアは(かわ)して見せた。上半身を起こし、バックステップで距離を取る。

 背後からの(エルボー)、つんのめった体勢でのチョッピングライト。どちらの被弾も許さない、驚異的な()け勘だった。未だクリーンヒットのない現状が、その事実を裏付けている。

 正攻法では分が悪い。

 ならばーー


(かわ)せない技を打つだけだ!」


 ダンッッ!!


「!!??」


 一息で踏み込んだ。間合いの中へ。オリシアの顔が驚愕に染まる。ガードが上がる。構わず右ストレートを放り込んだ。


「フウゥッッ!!」


 ガシイィィーー……ッ!!


「っっ!!」


 体重ごと打ち抜いた右の拳でさらに後ろへ押し込む。おろそかになった下半身をコンビネーションで崩していく。


「シィッ!!」


 ビシイイィィッ!!


「フッ!!」


 ドオオォォォーー……ッ!!


 太腿へ左の下段蹴(ロー)り。僅かに膝が揺れる。フォローに対角線の右上段蹴(みぎハイ)り。ガードの上から蹴り抜く。


「……っがっっ……!!」


 それでもオリシアは守りを解かなかった。あくまでも防御(ディフェンス)に徹する気のようだった。

 反撃の意思がない訳じゃない。無論、勝負を捨ててもいない。硬く門を閉ざしたままチャンスを伺っている。オレが見せる隙を狙っている。両腕の隙間から覗く目が、そう告げていた。

 上等だ。

 開く気がないなら、こじ開けてやればいい。

 強固なガードに向けて、連続攻撃を叩き込んだ。


「オオォォォーー……ッ!!」


 ドドドドドドッッ……!!


「ラアアアァァァーーッッ!!!」


 ガガガガガガガガガッッッ……!!!


「ぐっ……うぅ……!!」


 二手二足の全てを使って叩き続けた。あらゆるパンチが、キックが、オリシアに襲いかかる。

 フェイントもない。フェイクもない。コンビネーションすらない。力で押すだけの、ある意味で無為な連撃は完全に逆効果だった。

 北風と太陽ーー強風に、旅人はより硬くマントを閉ざす。

 同じく、敵の攻撃にさらされたなら、城門はぴったりと閉ざされるだろう。今のオリシアが、隙間なく両腕でガードしているように。

 だがその中に、見えない一手(いって)があればどうか。

 知らぬ間に入りこみ、本丸を落とす攻撃があったとしたら。


 ドンッッ!!!


 震脚で地を踏みしめた。

 ピクリと反応したオリシアの目ーーしかし、焦りや恐怖、不安の色はない。


『本気で固めた己が防御を、()けるはずはない』


 そう思っている。絶対の自信を持っている。そんな目だった。

 すぐ分かる事になる。

 思いこみと、決めつけ。

 闘いにおいてこの二つが、いかに危険であるかを。


極武蜃氣流(ミラージュ・アーツ)掌技(しょうぎ)!」


 ボッッ……!!


 閉じた城門(ガード)に向けて放ったのは、防げぬ当身(あてみ)


 ズッッ……!!


「!!??」


 鉄壁の防御をすり抜ける、(おぼろ)技術(わざ)だった。


破城門(はじょうもん)……!」


 ドッッ……!!


「……っぐ!!」


(おぼろ)閂貫(かんぬき)!!」


 ウウゥゥゥ……ッンンン……!!


「っはああぁぁぁ……っっっ!!!」


 掌底で身体の内部に衝撃を与える破城門(はじょうもん)の応用技。

 (かんぬき)を断った貫手(おぼろ)は、変化して実体のある(しょうてい)と化す。


「ば……かな……腕が防御を……すり……抜けた……?」


 拳の通らない僅かなガードの隙間でも、縦にした貫手なら滑りこませる事ができる。

 分かってしまえば単純な理屈ーーしかし知らぬ身からすれば、合わせた腕をすり抜けて打ち込まれた実体のない一撃。

 不意をついて受けたダメージは、より深く身体の内部にまで浸透する。

 見えぬ衝撃が臓腑(ぞうふ)を侵食している、今。


「これで……!」


 勝機はーー


「終わりだぁっ!!」


 ブォッッ……!!


 ここにある!!


「!!!」


 渾身の右上段蹴(みぎハイ)りを放った。立ちすくんでいたオリシアが腹部に当てていた左腕を上げる。

 しかし、ダメージによる反応の遅れは致命的だった。


 ッオオオォォーー……ッッ!!


 蹴り足が吸い込まれていく。闘いを終わらせる終着点へ。頭部最大の急所、側頭部(テンプル)へ。


 ガッッ……!!


「っっ!!」


 ……ッキイイィィィーー……ッッ!!


 防ごうとした左腕ごと蹴りを押し込んだ。右足に確かな感触があった。


「……がっ……」


 ゆっくりと、オリシアから力が抜けていく。身体が前のめりに倒れてくる。完全に意識を刈り取った。

 決まりだ。


 ダンッッ!!


「!??」


 しかし、その手応えはすぐ、眼前の光景に裏切られた。

 オレの目に映ったのは敗者の背中じゃなかった。オリシアの、未だ消えない闘争本能ーー勝利への執念だった。


「ああぁぁぁーーっ!!」


 ドッッ……!!


 踏みとどまった身体が低い体勢で突っ込んでくる。低空タックルで押し倒しにくる。腰にしがみつかれ、反射的に両足を後ろに突っ張った。それでも前に出てくる力で、身体がズルズルと押されていった。


「くっ!!」


 ドガアァァーーッ!!


「ぐっ……あ……!!」


 突進を止めるべく背中へ肘を落とした。

 だが、一向に力が衰えない。

 続けざまに肘鉄(エルボー)を打ちこみ続けた。


「ゥオオオォォーーッ!!」


 ドガッ! ドガッ! ドガッ! ドガッ! ドガッ……!!


「……っぐ……!!」


「オオオォォォーーッ!!」


 ドガッ! ガッ! ガガッッ!! ドガガッ! ガッ! ドガッッ……!!


「……うぅ……っく……!

 !」


 いかに防御力が高い背中とはいえ、これだけ打てばダメージの蓄積は相当であるはずだ。

 それでも崩れない耐久力(タフネス)は、怯むどころかじわじわと身体をずり上げてくる。

 腰をクラッチしていた両腕も、今や背中に回っていた。気づけば、肘を落とせない体勢になっていた。

 このタイミングを見計らったかのように、オリシアが頭を上げた。


「ふうぅぅ〜……」


 聞こえてきたのは、深い呼吸音だった。ふっと、押す力が弱まった。身体が前につんのめった。


「!!?」


 マズい!!


 ダンッッ!!


 気づいた時には遅かった。両脚が地を踏みしめる音がした。


「しまっ……!」


「っしゅっっ!!!」


 バォッッ……!!


 組みついた体勢からの投技(フロントスープレックス)ーー足を突っ張っていたのが(あだ)になった。押し返す力を利用され、一気に身体を持ち上げられたのだ。

 速く鋭く頭から落とす、一流の投げだった。

 下は硬い石床だ。このまま落ちたらただでは済まない。

 最悪ーー


「くっ……!!」


 死ぬ。


「っそう!!」


 ドガアァァッ!!


「ぐぅっっ!!!」


 ギリギリのタイミングだった。窮屈な体勢での膝蹴りがオリシアの腹部にヒットする。衝撃で腕の力が緩んだ。強引に身体を捻った。クラッチを外した。エスケープ成功ーー頭から落とされるのは防げた。

 しかし、勢いまでは消せなかった。スッポ抜けた身体が床に投げ出されたのだ。


 バンッッ……!!


「がっ……は……!!」


 受け身が辛うじて間に合った。だが、ダメージをゼロにはできなかった。強打した背中に激痛が走る。横隔膜が痙攣する。肺の動きが止まる。呼吸が詰まる。汗が滲み出す。視界が涙で霞む。できればこのまま寝ていたいーー愚かな願望。身体に鞭打った。うつ伏せになって顔を上げた。


「っっ!!」


 オリシアが見えた。すでに膝を立てている。鬼気迫る形相だった。手をついて立ち上がる。走り出す。向かってくる。オレにとどめを刺すために。勝利を掴み取るために。


「……っ……は……!!」


 一つでいい。呼吸をしろ。息を吸え。吐け。動け。動かせ。肺を。手を。足を。身体を。今だ。今、それができなければーー


「うっ……お……!!」


 負ける!!!


「おおおぉぉぉぉーーっっ!!!」


 迫ってくるのは、手負いの獲物を狩る狩人(ハンター)。間合いが詰まるまで僅か数秒。

 負けられない。負けたくない。武人が二人。ぶつかり合う。肉体が。魂が。火花を散らす。プライドとプライドが。

 ゆっくりと、天秤が動き始めた。

 勝利への執念が、執着心が、より強い方へと傾くために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ