161・拳の純度
拳には拳をーー攻撃は一流のオリシアだったが、防御はどうか。
まずは、小手調べだ。
オーソドックスな右構えから細かくステップを踏む。リズムを作りタイミングを計る。
フットワークを目で追いながらも、オリシアは動かなかった。明らかに誘っている。
ならばここは、遠慮せずに行かせてもらおうか。
「シッ!」
ビュボッッ!!
距離を詰めて左ジャブを二つ。ガードの上から叩く。半歩踏み込む。右フックをボディへ。左のガードが下がる。顔が空く。右のダブルーー顔面へのフック。上体を反らして躱される。鼻先をかすめた右。振り抜かずに止めた。さらに踏みこんだ。裏拳。狙いは側頭部。
ボッ……!!
「!?」
フェイントにオリシアが反応する。頭が下がる。前傾姿勢になる。下半身に溜めていた力ーー上に向かって一気に放った。
「フッ……!」
「!!?」
「ッシュッッ!!」
ズシュウウゥゥーー……ッ!!
アッパーとフックの中間、スリークォーターからの打ち上げーー左のスマッシュが空気を切り裂いた。
下げさせた頭をコンパクトに打ち抜くセオリー通りのコンビネーションだったが、これは通じなかった。
身体ごとバックステップし、すんでの所で躱されてしまったのだ。
「なんだ、今のは……見た事のない軌道だったが……」
体勢を整え直しながら、オリシアが呟いた。
顔には、驚愕以上の好奇心が浮かんでいる。
「スマッシュっていいます。下半身を使って、斜め下から打ち上げたんです」
「なるほど、そんなパンチもあるのだな……」
初見の攻撃に対する驚きが、別の感情に取って代わられる。
未知の技術を前にした、歓喜だった。
「その前の連撃も素晴らしかった。やはり貴方は凄いな、ルキト殿」
「お気に召していただけましたか?」
「えぇ、とても。しかも、まだ様子見でしかない。そうでしょう?」
「それは、お互い様ですよね?」
オリシアがニヤリと笑った。
横のパンチを刻んで、縦の大砲でフィニッシュ。共通のコンビネーションで合わせたオレの意図はしっかりと伝わっている。
双方、挨拶は済ませた。
本番はここからだ。
来る。
ラッシュからの最初の有効打でペースを握り、主導権を取る。闘いを自分の支配下に置く。ファイタータイプが好む展開だ。
「……ん?」
しかし、相対するオリシアを見て、読みが外れた事に気づかされた。
意外だった。
先の攻防から、積極性と腕力を生かした闘いをするタイプだと思っていたからだ。ベタ足の前傾姿勢でガンガン前に出てくる突進型だと。
しかし、今の構えは接近戦に特化してはいない。
身体を横に開き、右拳を顎の位置に、左腕を伸ばして構えている。
長い左をリードパンチに使って距離とタイミングを測り、右で仕留める。どちらかといえば中間距離か遠距離で立ち回る構えだった。
これが、本来のスタイルなのか。
あるいは、フェイクか。
判断が難しかった。
様子を見ながら、フットワークで左右に動く。合わせるように、突き出した拳がこちらを向く。照準がピタリと合う。
「くっ……」
切っ先を突きつけられているようなプレッシャーだった。
ただでさえリーチ差があるのだ。あの左拳をかい潜って懐に入るのは骨が折れるだろう。
しかし。
「眺めててもしょうがないよな……」
ならば出るしかない。前へ。ガードを固めた。ピーカーブースタイルーー前面防御に適したハードディフェンス。頭を左右に振る。リズムを作る。タイミングを取る。一気に踏み込んだ。
ダンッ!
ボッッ……!!
制空圏に触れた刹那、飛んできた。
風を巻いて、三つの拳が。
ヒュヒュヒュッッ……ンンン……!!
速い。鋭い。そして、長い。上半身を振る。リズミカルに。スピーディーに。拳が通り過ぎる。風を巻いて。髪を掠める。プレッシャーが。肝が冷えた。それでも踏み込んだ。二歩目で入った。懐へ。眼前にはガラ空きの脇腹。左腕は伸び切っている。ガードはできない。肋骨へのショートフック。腰を切る。ドンピシャのタイミングだった。
入る。
その時だった。
ぞわっ……!
「!!?」
ドッ……!!
「……ぐっ……!」
ガアアァァ……ッ!!
背筋に寒気を感じた。咄嗟に上げた左のガードーー衝撃に襲われた。反射的に跳んだ。食らったのは巻き込み型の右フックだった。
左のロングショットを囮に、ガードを空けて誘いこむ。カウンターで仕留める。ワントライであっさり入れた理由ーーまんまと引っかかった。骨の芯まで響く一撃だった。頭に直撃していたら今頃ここに意識はなかっただろう。防げたのは、運が良かっただけだ。
「く……そっ……!!」
痺れが左腕から力を奪っている。着地して顔を上げた。その時にはもう、懐を取られていた。
一変した構え。そして、ファイトスタイル。至近距離でのラッシュが始まった。
「おおおぉぉっ!!」
ドガガガガガガガガガッッ……!!
「うっ……お……!!」
無数の拳が襲いかかってくる。ガードなど関係ない。むしろ、防ぐ両腕を壊すためのような連打だった。
「おおおああぁぁぁーーっ!!!」
ガガガガガガガガガッッッ……!!!
「……っく……!!」
およそ.コンビネーションなどとは呼べない荒々しさだった。パンチを打つ、ではなく、殴る。力任せに拳を叩きつける。攻撃に全振りしたストリートファイトスタイルーーこれがスポーツの試合ではない事を分からせてくれる攻撃だった。
「ぐっ……ぉ……!!」
固めたガードに容赦なくダメージが蓄積されていく。まるで、石の塊で殴られているようだった。身体が下がる。徐々に、徐々に。反撃の暇がないヘビーラッシューーその渦中にあってしかし、オレが感じていたのは、敗北の予感じゃなかった。
「……っっ!!!!」
確かに、拳で煙幕を張ったかのような連撃に打ち返す隙はない。このまま縮こまっていては、ガードを割られるのも時間の問題だろう。
だがその一方で、違和感を感じたのだ。
迫力があり、凄みもある。
しかし、一発一発に重さがない。
先ほどのショートフックのような、骨の芯まで響く重量感が欠けている。
理由は何か。
それを考えた時、見えてきたのはオリシアの戦略ーーフィニッシュの形だった。
「ふぅっ!!」
ガツッッ!!
「!!?」
油断した訳じゃなかった。無論、ガードを緩めてもいない。
しかし、連打の勢いに押されて僅かながらにズレた左肘がディフェンスの穴を生み出した。
「しいぃっっ!!」
ドッッ……!!
「ぐっ……!」
ウゥゥ……ンン……!!
「っはぁ……!!」
そこを見逃すオリシアではなかった。右がボディに突き刺さる。一瞬、呼吸が止まった。吐き気と激痛が同時に襲ってきた。汗が噴き出してきた。突き抜けた衝撃に、内臓が引っ張られたかのような錯覚を覚えた。
「ぁっ……ぐぅっ……!」
身体がくの字に折れる。頭上で振りかぶる気配がした。殺気を感じた。
ビッグショットが来る!
痛みを押し殺した。無理矢理顔を上げた。目に映ったのは、迫りくる打ち下ろしの左だった。
「おぉぉ……っ!!」
ボッッ……!!
「ああぁぁぁーーっ!!」
ッッシュウウゥゥゥーー……ッ!!
「……くぁっ……!!」
体勢を崩しながらのヘッドスリップーー間一髪で間に合った。強引に躱した拳が必殺の拳風を巻く。
コンマ数秒、反応が遅れていたら大惨事になっていただろう。
その証拠がしっかりと顔には刻まれていた。掠めた右頬に、流れる血の感触があったのだ。
それでも、フィニッシュブローの直撃は避けた。大砲の終わりには必ず隙ができる。
今度は、オレの番だ!
ガードを解いた。崩れた体勢を戻すとオリシアが目を見開いた。振り切った拳を引き始める。無駄だ。こちらの方が早い。引き終わる前に準備が整う。意識を向けたのは、次に一撃を打ち込むガラ空きの顔面ーー
「っっしゅっ!!」
ブオォッッ!!
ではなく、下半身。
カッッ……!!
「!??」
膝を狙って放たれた右のローキックに、だった。
ッキイイィィィーー……ッ!!
「くぅっ……あっ……!!」
練兵場に、骨と骨の当たる音が響き渡る。オリシアの顔が苦痛に歪む。
当然だ。
フィニッシュに来たローの脛と、防御したオレの脛がモロにぶち当たったのだ。骨折してもおかしくない衝撃を不意に受ければ、怯むのは道理だった。
「フゥ……シッ!!」
ブォッ……!!
「!!?」
ドガアァァァ……ッ!!
踏ん張りの効かなくなったオリシアに、右のミドルキックを蹴りこむ。しかし、ガードに阻まれた。
足に伝わってきた感触が軽かったのは、蹴りの衝撃に逆らわず真横に跳ばれたからだ。右足にダメージを抱えていながら、驚く程の身軽さだった。
「ぐっ……まさか、これを防がれるとは……」
ガードした体勢のままいった声には、驚きが滲んでいる。
それほど、自信のあるコンビネーションだったんだろう。
「反射神経も素晴らしい……といいたい所だが……」
「反射だけで防げるはずがない、ですか?」
「えぇ。来るのが分かっていたような動きでした。よければ理由を教えていただけませんか?」
「シフトウエイト……体重移動ですよ」
打ち下ろしの左で仕留めると見せかけて、右のローを打つ。パンチの応酬と思わせておいて、足元を狙う。
温存しておいた蹴り技を最大限に活かすための入念な仕掛けーーあえてラフファイトさながらに殴り続けたのは、下から意識を逸らすためのフェイクだ。
「叩きつけられてくる拳には重さが足りていなかった。前足に加重しきっていなかったからです。なぜか。後ろ足に体重を残しておく必要があったからです。蹴り技を出すために、ね」
「あの状況で……なぜそんな事に気づけたんですか?」
「先にカウンターのフックを受けていたからです。あれがなければ、本当のフィニッシュは予測できませんでした」
近代格闘技の中でも、トップクラスの完成度を誇るのがボクシングだ。拳のみで闘うという特性上、パンチを当てる・防ぐ技術においては他の追随を許さない。
それはつまり、殴り合いの完成形であるともいえる。
この世界にいながら、オリシアの技がボクシングに酷似していたのは、『殴る』という行為を突き詰めて行ったからなんだろう。無駄をそぎ落とし、拳を当てる技術だけを磨き続けた結果、辿り着いたのだ。
近代格闘技のレベルにまで達した拳の純度は、極めて高く、混じり気がない。
それゆえ、オレは勘違いしていた。
オリシアが、拳メインの闘いをするタイプなんだろう、と。
思いこみと、決めつけ。
闘いにおいて、この二つを抱くのは極めて危険だ。
今回はたまたま思惑に気づけた。しかし、気づけなければどうなっていたか。ゾッとする結果になっていただろう。
意識すべき事は常に頭から離さない。その重要さを改めて思い知らされた。そんな攻防だった。
「皮肉なものですね。目眩ましのつもりで仕掛けた連撃がヒントになってしまった、という訳ですか……」
「運が良かっただけですよ。でなければ、今頃オレは立っていなかった」
左足でトントンと軽く床を叩く。脛の痛みは気にするほどではなかった。左脇腹に手を当てる。多少引きつるような痛みはあったが、吐き気は治まっている。肋骨にもダメージはない。
対するオリシアはというと、右足を気にしているようだった。
「誘い込んでおいてカウンターのフック、ラッシュのフェイク、ボディと左の打ち下ろしで体勢を崩してからフィニッシュのロー。全てが計算された凄いコンビネーションでした。ヴェルベッタさんとの試合を思い出しましたよ」
床につけた右足首を回してダメージを確認していたオリシアが、ピタリと動きを止めた。
顔が、俯くように下を向く。
「……くっ……くくく……」
すぐに、低く笑う声が漏れてきた。
ゆっくり上げた顔に、目に、浮かんでいた笑みが、凄みを増しながら大きくなっていく。
「光栄です。よもやわたしとの闘いで、ガンズアルド様を思い出していただけるとは……ならば!」
ダンッッ!!
「あの方の名に恥じぬ闘いをせねばなりますまいな……」
右足で強く床を踏み、スタンスを広く取ったオリシアが腰を落として構えた。
立ち昇る闘気が、背景を蜃気楼のように揺らし始める。
「全力で行きます。どうか、お受けいただきたい」
「……」
その気になれば、蹴り足を防御すると同時に壊す事もできた。
しかし、この試合でそこまでやる訳にはいかない。できればこのまま、基本の技だけで済ませたい。
そう、思っていた。
今のオリシアを見るまでは。
「……分かりました」
構えを取った。腰を落としたベタ足のオープンスタンスで、拳は握らず軽く開いておく。
今までのは『試合』だった。
しかし、ここから先は違う。
「その申し出、お受けします」
極武蜃氣流を、解禁する。
すなわちーー
「全力で、闘り合いましょう」
打・蹴・極・投の全てを使った壊し合い。
真剣勝負だ。




