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159・不届き者は静かに笑う

「リルエット様。本日のお勉強はお済みになったのですか?」


 しがみつかれたクリスタニアが、微笑みを浮かべた。

 まるで、大切な妹を見るような目だった。


「終わりましたわ! 今日はダンスのレッスンでね、兄様が見にいらしたの! 上手にできたご褒美にって、異国の焼き菓子をくださったのよ!」


「それは良うございましたね。では、お茶にしましょうか」


「うん!」


 元気よく頷いたリルエットと呼ばれるこの少女は、どうやらリーベロイズの姫であるらしい。

 年の頃は七〜八歳くらいだろうか。綺麗にウェーブのかかった金髪と白い肌。ぱっちりした目と長いまつ毛。豊かな表情に彩りを与えているエメラルドグリーンの瞳と、それに合わせたモスグリーンのドレスが良く似合っていた。


「も、申し訳ありません! お仕事中に……」


 ご機嫌な様子の姫様だったが、対照的にお付きらしき女性が慌てふためいている。

 しかし、クリスタニアは一向に気にしていないようだった。


「いや、ちょうど話が終わった所だ。タイミングが良かったよ」


 穏やかな表情に、ほっと胸を撫で下ろす。安堵の息を吐いて彼女はいった。


「そうですか……でしたら、良いのですが……」


「も〜! だからいったでしょ、オリシア。大丈夫よって」


「はっ。失礼いたしました」


 頬を膨らませる小さな主に、胸に手を当てたオリシアが頭を下げる。いかにも武人といった感じの、芯の通った仕草だった。


「それでね、それでね、タニア!」


 リルエットが、レッスンの様子を一生懸命話して聞かせる。クリスタニアがうんうんと頷きながら耳を傾ける。

 仲睦まじい姉妹のような微笑ましい光景だったが、正直、どう反応していいか分からなかった。

 幼いとはいえ一国の王女と、剣聖の会話だ。口出しはもちろん、話を遮って退室する訳にもいかなかったのだ。

 そんな、手持ち無沙汰で突っ立つオレ達の困惑に、トレイスが気づいてくれた。


「クリスタニア様。折角の機会ですので、リルエット様にルキト殿をご紹介なさってはいかがです?」


「おお、そうだな」


 クリスタニアが、見上げるリルエットに顔を向け直した。


「姫。こちらの者達はカロンから来た冒険者パーティーです」


「冒険者?」


「はい。わたしの仕事を手伝ってくれています。今後、城に出入りする事になるかと思いますので、お見知り置きください」


「タニアのお手伝いをしているの……ふぅ〜ん……」


 気のない返事をしながら、リルエットが顔を向けてきた。大きな目で、まじまじとこちらを見ている。


「ルキト殿。こちらが、リーベロイズ第一王女であらせられる、リルエット・ミューゼ・レベリオス殿下だ」


「よろしくね、ルキト」


 紹介を受け、オレ達は揃って跪いた。

 深く頭を下げ、改めて名乗った。


「ルキトと申します。お目にかかれて光景に存じます、リルエット殿下。こちらはわたくしの仲間で、グラス、マリリア、ソラです。どうぞ、よろしくお願いいたします」


「殿下なんて堅苦しい呼び方、しなくていいのよ? 姫ってお呼びなさい」


「承知いたしました、姫」


「ところで……」


 頭を上げると、リルエットの目線がオレ達の背後に向けられていた。

 誰を見ているのか。

 確認するまでもなかった。


「あの者も、お仲間なの?」


 吊られて振り向く。

 変わらず腕を組み、壁にもたれかかるビョーウがいた。


「あ、いや、あいつは、その……!!」


「なぜ立ったままでいるの? みんな、リルを見たらルキトと同じようにするのに……」


「申し訳ございません! なにぶん、世間知らずなものですから……ビョーウ!」


「……なんじゃ」


「立ってないでこっちに来い!」


「なぜじゃ?」


「な、なぜって……」


「まさかわらわに、跪けなどというのではあるまいな?」


「っっ……!!」


 さぁ、困った。


 いや、始めから分かっていた事ではあった。

 地位や権力でビョーウに膝をつかせるなど、闘ってつかせる以上に困難だ。

 というか、不可能に近い。

 相手がヴェルベッタやクリスタニアクラスの達人なら、一目で実力を見抜ける。そのレベルが、無礼な態度も容赦せざるを得ない領域である事も分かるだろう。

 しかし、素人相手ではそうもいかない。

 ぱっと見、華奢な女性でしかないビョーウが不遜な態度でいれば、確実に眉をひそめるに違いないのだ。

 今のリルエットが、正にそうだった。

 困惑以上の不快感が、顔に滲んでいる。


「貴様、無礼であろう!」


 一向に動こうとしないビョーウに業を煮やしたのか、オリシアが一喝した。

 一歩踏み出し、更に声を荒げる。


「姫様の御前であるぞ! 頭が高い!!」


「頭が高い……じゃと?」


 低い声で応じたビョーウが、オリシアに瞳を向ける。二人の視線がぶつかった。


「わらわが(こうべ)を垂れるは、自らを上回る強者のみ。今この場に、そのような者はおるのか?」


「な、なんだと……?」


「おらぬゆえ、平伏する理由もありはせぬ。簡単な道理じゃ」


「自分のいっている事が分かっているのか? その発言は、姫様のみならずクリスタニア様をも侮辱しているのだぞ!」


「侮辱ではない。事実よ」


「こ……の……」


 性格ゆえか、あるいは護衛役としての責任感ゆえか。

 頭に血が昇っている今のオリシアには、ビョーウの実力が見えていない。

 淡いグリーンの制服を内側から盛り上げる筋肉と帯刀していない様子から、武闘家(マーシャル・アーティスト)だろうと推測できた。

 オールバックにした黒髪のロングヘアーとダークブラウンの瞳、精悍な顔つき。身長の高さも相まって、ともすれば男性のようにも見える。

 隙のない身ごなしが相当な手練である事を示唆していたが、怒りに曇った目に、ビョーウはただの無礼者としか映っていないようだった。


「いいだろう……ならば、貴様のいう力を見せてやろう……」


 オリシアが足を踏み出す。

 流石に見かねたんだろう。ここまで口を出さなかったクリスタニアが(いさ)めた。


「落ち着け、オリシア。姫様の御前だぞ」


「で、ですが、あのように無礼な言動を見過ごす訳には……」


「護衛たるお前が、リルエット様を怯えさせてどうする」


 見ると、不安を滲ませたリルエットがクリスタニアに身を寄せている。

 はっとした顔で、オリシアが膝をついた。


「も、申し訳ございません、姫様! 御身をお守りする立場にありながら、このように差し出がましい真似を……!」


「う、ううん。いいのよ、オリシア。リルは平気だから」


 僅かな怯えを残しつつも、にっこりと笑顔で応じる。

 するとそこへ、声を掛けた者がいた。


「大変失礼いたしました、リルエット様、オリシア様」


 グラスだった。

 皆の目が向く中、静かに続ける。


「彼女は名をビョーウと申します。今は冒険者をしておりますが、元は東方にある国の王族なのです」


「というと……姫君なのか?」


「はい。それゆえ、臣下の礼を取る事とは無縁だったのです。どうか、ご容赦いただきたく存じます」


「それで、あのような態度を……」


 少しばかり強引ではあった。

 しかし、筋は通っている。

 その証拠に、ビョーウを見るオリシアの目から敵意がなくなっていた。

 そればかりか、わざわざ立ち上がって頭を下げたのだ。


「そのような理由であればいた仕方ない。事情も知らず、失礼した。ご勘弁願いたい」


「いいえ、あらかじめお伝えしておかなかったわたくし達の過失です。どうか、お顔を上げてください」


 この状況で咄嗟に機転を利かせる冷静さと、何より、聞く者を説き伏せる言葉の力ーーやはり、女神の持つ能力は凄い。

 場を収めてくれた事に感謝しつつ顔を向けると、微笑みが返ってきた。神の眷属が持つ寛大な笑みには、クリスタニアとは違った風格が漂っていた。


「なんだか、凄いのね。ダークエルフの他に、王族までいるなんて……」


 すっかり信用したリルエットが、感心したように呟いた。瞳に、先ほどはなかった好奇心が見て取れる。


「ねぇねぇ! あなたがいらしたのは、なんという国なの?」


 無邪気に問われたビョーウだったが、答えられるはずもない。

 これはマズいと思っていると、今度はマリリアがフォローを入れてくれた。


「な、名も知られていない小さな国です。彼女は訳あって出奔した身なんです。ですので、その……」


「詮索は遠慮願いたいと。そういう事かな?」


「そ、そうですそうです!」


「秘密なの? どうして?」


「……姫様」


 意外な事に、察してくれたのはクリスタニアでもトレイスでもなかった。

 オリシアが、納得できない様子のリルエットの前で再び跪いた。


「なぁに?」


「冒険者は事情を抱えた者が多いゆえ、相手の過去を詮索しないという暗黙の了解があるのです。ですので、あの者が出自について口を閉ざす事、どうかご容認いただけないでしょうか」


「そんな決まりがあるんだぁ……」


「冒険者出身のオリシアがいうのですから、間違いはないかと存じます。進言をお聞き入れくださるよう、わたくしからもお願いいたします」


 同じく膝をつき、目線を合わせてクリスタニアがいった。

 ようやく納得したのか、リルエットがこくんと頷いた。


「うん、分かった。オリシアとタニアのお願いだものね」


「ありがとうございます、姫様。寛大な御心に感謝申し上げます」


 なるほど、オリシアは元々、冒険者だったのか。ならばこの進言には納得できる。

 互いに命を預け合うクエストにおいて、仲間との信頼関係は何より大事だ。

 ゆえに、冒険者にとって決まりや暗黙の了解は、守るべき最優先事項となる。ルールやマナーを無視する人間など、信用できるはずもないからだ。

 そういった世界にいたオリシアだからこそ、筋を通した。

 律儀さや真面目な性格によるものだけじゃない、冒険者としてのキャリアも長かったのだろう事が分かる言動だった。


「しかし、こうして見ると……」


 ビョーウの問題が解決するや、クリスタニアが改めてオレ達を見回した。

 つられて視線をこちらに向けたリルエットに語りかける。


「ルキト殿のパーティーは中々に個性的でございますな、リルエット様」


「うん」


 ダークエルフに加えて王族までいると説明されたのだ。信じる身にとっては、そう感じるのが自然だろう。


 まぁ、本当は個性的どころじゃないんだけど……。


 間違っても、全員の正体を明かす訳にはいかない。今後、十分に注意していかなければならない点だった。

 そんな、平静を装いながらも内心ヒヤヒヤしていたオレにリルエットが投げてよこしたのは、予想外の質問だった。


「それに、綺麗な女性(ひと)ばっかり。ルキトは美人さんが好きなの?」


「えっ!?」


 小さく首を傾げる姫様から、邪念は微塵も感じられない。穢れを知らない純真無垢な瞳ーー純粋に、好奇心から出た疑問のようだった。

 返答に困っていると、クリスタニアが苦笑を浮かべた。


「さすがにそのような理由でパーティーメンバーを選ぶ事はないと思いますが……」


「なぁんだ。あんまり強そうな人がいないから、ルキトが好きな女性(ひと)を選んだのかと思っちゃった」


「い、いえ、そういう訳では、決して……」


「ふふ……こう見えて皆さんお強いのですよ。特にルキト殿は、ガンズアルドと互角に闘える実力をお持ちですからね」


「えっ!? そうなの!?」


 リルエットが、ぱっと顔を輝かせた。

 これまでとは打って変わった反応だった。


「あんなに強いヴェルと同じくらい? 本当に!?」


「ええ。本人も認めていました。試合でなければ負けていたのは自分の方だった、と」


「タニア意外でヴェルに勝てる人がいるなんて! スゴいのね、ルキトっ!! 」


 いきなり上がったテンションと言葉尻から察するに、ヴェルベッタの実力に対するリルエットの信頼は相当であるらしい。

 そして、好意的という点においても、かなりの物なんだろう。

 まぁ、ヴェルベッタのキャラクターを考えれば、奔放で無邪気なこの姫様に好かれるであろう事は想像に難くない。

 それにしても、ここまで分かりやすく激変されるとは思ってもみなかった。

 数分前までとはまるで異なる目をしているリルエットーーしかし、それ以上に熱を帯びた視線を向けてくる人物がいた。


「そうか……星獲戦(ほしとりせん)で飛び級した噂の新人冒険者とは、貴方だったのか……」


 オリシアだった。

 だがこちらは、賞賛するだけの目とは違う光を帯びている。


「素晴らしい立ち合いだったと聞き及んでおりますぞ。なんでも、ガンズアルド様と互角以上に渡り合った、初めての冒険者だったと……」


「そういっていただけるのは光栄ですが、負けは負けです。ヴェルベッタさんの実力は本物中の本物ですよ。オレなんか、まだまだです」


「ふむ……やはり剣の腕では及びませんか……しかしルキト殿は、武術も相当なレベルであるとか。あるいは、徒手空拳でも渡り合えたのではと、そのような声すら耳にしました」


「いえ、まあ一応、心得はありますが……流石にそれは、買いかぶりすぎですよ」


「そうですか……できれば、ぜひとも……」


 オリシアが続けていいたかった事は聞かずとも分かったが、今は口にできないだろう。主の許可なく勝手な真似は許されないからだ。

 しかしそのジレンマは、誰あろうリルエット自らの言葉で払拭される事になる。


「ねぇねぇタニア! どっちが強いのかしら?」


「どちらが……とおっしゃいますと?」


「オリシアとルキト! ぶじゅつって、剣を使わず闘う事でしょ? 二人ともできるのよね?」


「それは……難しいご質問ですね」


 リルエットの目がこちらに向いた。二つの瞳が、抑えきれない好奇心でキラキラと輝いている。


「だったら比べてみましょうよ! ね? いいでしょ? オリシア! ルキト!!」


「えぇっ!?」


 ノリノリの姫様が提案したのは、まさかの御前試合だった。


 いやいや。

 いきなりそれはないでしょう。


 いくらなんでも、荒唐無稽に過ぎる話だった。まぁ、クリスタニアに止められて終わるだろう。

 と、思っていたのだが……


「ふむ……それは、わたくしも見てみたいですな……」


「オリシア殿とルキト殿の対戦ですか……確かに、わたしも興味がありますね……」


 トレイスと揃って、前向き(?)な事をいい出したのだ。

 そして、さらに……


「姫様のお許しをいただけるなら、ぜひとも立ち合わせていただきたい! どうだろう、ルキト殿!!」


 当人はもう、()る気を抑えようともしていなかった。

 これは完全に、お断りできない流れになっている。


「し、しかし……」


「なぁに、試合といっても、軽く手を合わせる程度です! 真剣勝負ではないゆえ、怪我もありますまい!」


 いや、それ、フラグ立てちゃってんじゃん……。


「オリシアはね、金の冒険者だったの! だからね、すっごく強いのよっ!!」


「金の冒険者、とおっしゃいますと、まさか……」


「ランクが七金星(セブン)だったのですよ。いずれは八金星(エイト)にも上がったであろう強者(つわもの)です。どうでしょう、ルキト殿。相手にとって、不足はないと思いますが」


 それを聞いて、スイッチが入るのを感じた。

 手合わせしてみたいと思っていた金星(ゴールド)が、今、目の前にいるのだ。しかも、武闘家(マーシャル・アーティスト)ときている。


「そういえば……」


 ナーロッパに来て、生粋の武闘家(マーシャル・アーティスト)とはまだ闘っていなかった。

 それに気づいて思い出したのは、ルキフルとゴズメスの闘いだった。

 身体の内から、湧き上がってくる物があった。


「ち、ちょっと、ダメだからね、ルキト。試合なんかしたら、勝っても負けても面倒な事に……って……」


 見かねたように、慌てたマリリアが顔を寄せてきた。しかし、制止する声が途中で途切れた。

 その表情が、みるみる曇っていく。


「なんで笑ってんのよ、あんた……」


 いわれて初めて気がついた。

 そうか。

 オレは笑っているのか。

 脳裏をよぎった。

 ルキフルの笑みが。

 ゴズメスの笑みが。


「くくくっ……」


 低く笑う声がした。

 オレの横顔を見た、ビョーウだった。


「姫君の御前でなんという笑顔(かお)をしておるのじゃ。不届き者めが」


「分かりました……」


 オリシアを見た。

 いい目だった。

 いい微笑(かお)だった。

 恐らくは彼女も、同じ事を思っているだろう。


「立ち合いを、お受けします」


 笑みを浮かべる、オレを見て。

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