158・白薔薇の剣聖
森林地帯を抜けると、再び広大な草原が広がっていた。豊かな自然と降り注ぐ陽光、そして、頬に当たる風。
手綱を握るオレに、馬車と並走しながらトレイスが話しかけてくる。
「あの丘陵地帯を越えれば王都までは目と鼻の先です! この調子なら、陽が高い内に着くと思います!」
「分かりました!」
六騎の騎馬に護衛されながらの旅路は快適だった。
当然といえば当然の話で、剣聖直属の騎士団にちょっかいをかけてくる輩などいるはずもない。
改めて、クリスタニア・ローゼスの気遣いに感謝した。
「よ……良かったああぁぁぁ〜〜……!!」
オレ達が探していた相手と分かるや、トレイスが安堵の息を吐いた。
心底安心したんだろう。顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「いやぁ、実は困り果ててたんですよ。王都からここに来るまで、誰とも会わなかったものですから。今までこんな事はなかったんですけどねぇ……」
「あぁ、それなら……」
理由を話した。モンスターを使った街道の封鎖と教団の意図。ケンズロックの群れに阻まれ、誰も先に進めなかったのだ。
トレイスが、ため息をついた。
「はぁ〜……。そこまでするんですかぁ……これは、一筋縄ではいかなそうですねぇ……」
驚きと呆れが入り混じる、困ったような表情ーーそうしていると、ただでさえ頼りない見た目がいっそう頼りなく映る。
童顔で小柄なこの男が精鋭騎士団の副団長とは、正直、信じられなかった。
「とにかく、お会いできたのは僥倖でした。ここから先は我らが護衛させていただきますので。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げたトレイスが、左手を差し出す。握手を交わし、つられてお辞儀を返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
続いてみんなを紹介すると、今度は一人一人にあいさつをしている。本当に、腰の低い男だった。
「それでは皆さん、見張りはわたし達がしますので、今夜はごゆっくりとお休みになってください」
トレイスの左手が、腰の剣をぽんと叩く。
ありがたい申し出だった。
「分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
その後、騎士団が寝ずの番をしてくれた。がっつりと陣を張ったフル装備の騎士達が、煌々と辺りを照らしながら目を光らせているのだ。見張りというより、魔除けに近かった。
この状況で襲ってくるほど、教団も無謀じゃないだろう。安心して、夜を明かす事ができた。
「見えてきたっ!!」
オレの両肩に手を置いたマリリアが、背後で大きく伸び上がった。
長く続いた丘陵を頂上まで登ると、景色が見渡せた。視界の先には、円形の城壁に囲まれた都市がある。
隣に並んで座ったグラスとソラが小さな歓声を上げる。幌の上では、ビョーウも眺めているだろう。
「あれが王都か。さすがにデカいな」
「カロンも大きかったですけど、規模が違いますね!」
「そりゃそうよ! なんたって五大国の一角、リーベロイズの中心だもんっ!」
「軍事、経済、そして人口。どれを取っても、大陸有数の都市ですものね」
オレ達が盛り上がっていると、トレイスが馬を寄せてきた。
兜のマスクを上げ、にっこりと笑う。
「皆さん、間もなく到着です! 王都レオヴィオラへようこそっ!!」
手綱を絞り、馬車の速度を落とした。ゆっくりと城門に向かう。
近づくにつれ、城壁の堅牢さが分かった。高さも監視塔の数も、カロンとは比べ物にならない。
美しいだけじゃない、防衛上の機能面も十分に考慮した造りになっている。
「立派な城壁ですね。あんなに高いの、見た事がありません……」
「下から見上げてたら、首が痛くなっちゃいそうよねぇ」
「掲げてある旗も凄いサイズだな。ちょっとした民家の敷地面積くらいはありそうだぞ」
「巨大な正門と王国旗は、観光名所の一つでもありますからね」
「あの紋章も有名よね。奏でる獅子、だったっけ?」
「はい。一介の冒険者だった初代国王が放浪していた時に出逢った、伝説の神獣ですね。歌うような吠え声に導かれ、この地に建国した、と伝えられています」
「なるほど。だから、獅子と城が描かれてるのか」
開け放たれた城門の前には、長い列ができていた。
三箇所で同時に入場審査をしていたが、順番待ちだけでもかなりの時間を要しそうだった。
「ルキトさん達はこちらからです。付いてきてください」
「え?」
そんな、列の最後尾につこうとしていたオレにトレイスがいった。
見れば、正門とは違う方向に馬首を向けている。
「こっちから入らないんですか?」
「はい。騎士団の専用門がありますので、そちらから。あまり人目につかない方がいいですしね」
いわれてみれば、確かにその通りだった。
賑やかな雰囲気に飲まれて観光気分になっていたが、遊びに来たわけではないのだ。
ましてや、これから会うのはリーベロイズの剣聖、クリスタニア・ローゼスだ。
改めて、気を引き締め直した。
「できれば正門から入っていただいて、観光がてら王城までご案内したかったんですけど。事情が事情ですので、今回はご容赦ください」
申し訳なさそうに、トレイスがはにかんだ。
城に入ると、客室に通された。
木目を基調とした室内は、上質でありながら過度な装飾のない調度品でシンプルにまとめられている。
城自体は歴史を感じさせる重厚な造りだったが、威圧的にならないよう、内装に配慮されている様子だった。
「ただいまクリスタニア様を呼んでまいりますので。お掛けになってお待ち下さい」
そういって、トレイスが部屋を出ていった。
各々、ソファに腰かける。そんな中、ビョーウだけが立ったままでいた。
「お前もこっちに来て座れよ」
「……いや。わらわはここで良い」
「?」
壁に寄りかかり、腕を組む。理由は分からなかったが、姫君の気まぐれはいつもの事だ。まぁ、問題はないだろうから、好きにさせておいた。
しばらくすると、ドアノブの回る音がした。
「お待たせしました」
そういって部屋に入って来たトレイスは、鎧から着替えていた。
騎士団の制服なんだろう、左胸には金糸で薔薇と剣の紋章が刺繍され、襟元と袖口にも金のラインが入っている。クリスタニア・ローゼスの二つ名を彷彿とさせる純白の正装ーーしかし、気になる点があった。
上着が妙に大きいのだ。
サイズが合っていないようだったが、本人に気にした様子はない。
その無頓着さがらしいといえばらしかったが、動作の一つ一つはキビキビしている。ドアを開け放ち、その場で直立する姿は精悍そのものだった。
オレ達が立ち上がると、続いて同じ制服に身を包んだ女性が入ってきた。
「ようこそおいでくださった」
耳触りのいい、落ち着いた声だった。
右手を胸に当て、騎士の礼を取って彼女はいった。
「玻璃薔薇聖騎士団団長、クリスタニア・ローゼスです。この度は当方の依頼を受けていただき、感謝します」
正面から向けてきた瞳は、深く澄んだ青だった。
白磁のような肌、筋の通った鼻梁、形のいい唇、ゆるく束ねた黄金の髪ーー美しい容姿でありながら過度な女性っぽさを感じさせないのは、瞳に宿る意志の強さが所以だろう。
純白の制服に包んだスレンダーな長身と相まった凛々しい立ち姿は、剣聖の名に恥じないものだった。
「ルキトと申します。こちらこそ、お会いできて光栄です。貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」
へりくだるつもりがあった訳じゃない。
しかし、気づけば姿勢を正して深く頭を下げていた。
強要ではなく、威嚇でもない。権威を振りかざしているわけでもない。
生まれ持った気品と滲み出す威厳だけで、人々を自然と従わせる風格ーー真の貴族とは、こういう人物の事をいうんだろう。
「よろしくお願いいたします、ルキト殿。皆さんのお名前も教えていただけるかな?」
そう促され、順に紹介した。グラス、ソラときて、マリリアが挨拶した所で、クリスタニアが微笑んだ。
「貴女がマリリア殿か」
「えっ!? わたしの事、知ってるんですか?」
「お名前は弟から伺っています。共にギルドを支えてくださっている、と」
「あ〜……ま、まあ、こちらこそ、お世話になってます……あはは……」
流石のお調子者も、剣聖相手にドヤ顔をする訳にはいかなかったらしい。愛想笑いを返すのが精一杯だった。
「それと……」
最後に、一人離れて立っているビョーウを紹介した。
クリスタニアが、向けた目を僅かに細めた。
しかし、それも一瞬の事だった。
「よろしくお願いします」
「……」
「お、おい、ビョーウ。ちゃんと挨拶しろよ」
「……言葉など必要ない。そうであろう? クリスタニアとやら」
「ばっ……! し、失礼だろうが!」
「……ふっ……」
無礼な物いいに気分を害するかと思われたクリスタニアだったが、そんな事はなかった。小さく浮かべた笑みで、心配を払拭してくれた。
「ビョーウ殿のおっしゃる通りです。ルキト殿、どうかお気になさらず」
「も、申し訳ありません」
いつも通りといえばそれまでの相変わらずさで、ビョーウが自己紹介を済ませた。
ただ、なんだろう。
場に、微かな違和感が漂っているような気がした。
その正体がなんなのか。
分かる前に、のんびりとトレイスが声を掛けてきた。
「ところで皆様……立ち話もなんでしょうから、とりあえず座りませんか?」
「おっと。ついつい話しこんでしまいましたな。どうぞ、おかけください」
勧められて、四人並んでロングソファに腰を下ろした。
対面にはクリスタニアが座り、トレイスがその背後に立った。
「それでは早速、書類を見せていただきましょう」
「はい。こちらがランツ伯からお預かりした報告書と供述調書です。それと、詳細を記したお手紙です」
「拝見します」
そういって最初にクリスタニアが読み始めたのは、ヴェルベッタからの手紙だった。
目を通し終わると、皮の封筒を開ける。取り出した調査報告書を読み、続けて供述調書を読む。
時折小さく顔をしかめるクリスタニアを、改めて眺めた。
どちらかといえば濃い目な顔つきのヴェルベッタとはあまり似ていない。瞳と髪の色は同じだったが、違うタイプの美形だった。
女性でありながらこちらの方が精悍に見えるのも、シャープな造形によるものだろう。見た目だけでも、剣聖を名乗るに十分な説得力があった。
「……思っていた以上に、事態は深刻なようですね」
やがて、クリスタニアが供述調書から目を上げた。手紙と書類を背後に差し出す。
一礼して受け取ったトレイスが内容に目を通し始めた。こちらは、分かりやすく動揺が顔に出ていた。
「ここまで具体的な証拠がある以上、もはや看過する訳にはいきません。王に報告を上げ、早急に対策を講じさせていただきます」
「はい。よろしくお願いします」
「今後どのように動くか、検討する時間をいただきたい。方針が決まり次第お声をかけさせていただきますので、しばしお待ちくだされ」
「承知しました。それで、あの……国王様へのご報告は、クリスタニア様が自ら……?」
「もちろん。その点に関してはくれぐれも慎重を期すようにと、手紙に念押しがありましたからな」
「そうですか。なら、安心しました」
「それにしても……」
ふっと、クリスタニアが表情を緩めた。
そうしていると、ヴェルベッタの面影があるように見えた。
「これまで表立った動きのなかった教団が、こうも活発に活動を始めるとは……これもひとえに、ルキト殿のご活躍があればこそと聞き及んでおりますぞ」
「い、いえ、とんでもない! むしろ、現場を荒らしてご迷惑をおかけしたのではないかと……」
「ふふ……そのような事はありますまい。停滞していた事態を動かしてくれたと、ガンズアルドも感謝しているようでした」
「そういっていただけるとありがた……ガンズアルド?」
「聞けばあれと良い試合をなさったとか。久方ぶりに剣士として立ち会えたのがよほど嬉しかったのでしょう、定期報告書に長々と心情が綴ってありました」
「あの……すみません」
「ん? 何か?」
ごくごく自然に、クリスタニアは話していた。
しかし、これまた自然と出てきた名前は、どうあってもスルーできなかった。
「今おっしゃった、ガンズアルドって……?」
「? 弟の名前ですが……」
「え”っっ!!?」
場違いにも、間抜けな声が出た。クリスタニアが小さく首をかしげる。
背後から、トレイスが進言した。
「あの……ガンズアルド様が偽名を名乗っておられる事を、ルキト殿はご存知なかったのでは……?」
「ああ、そうか。これは失礼しました」
ポンと膝を叩き、クリスタニアがオレ達に顔を向け直した。
「弟は本名をガンズアルド・ローゼスというのです。ヴェルベッタ・ゴールドマインとは偽名なのですよ」
「ぎ、偽名? なんでそんな事……」
「元は騎士団に所属していたのですが、あのような性格ゆえ肌に合わなかったのでしょう。数年で退団してしまいましてな。身分を隠す意味から今の名を……という訳です」
「騎士団というと……玻璃薔薇聖騎士団にいらしたのですか?」
「はい。わたしの部下でした」
「本来なら……」
何かに思いを馳せているような表情を見せながら、トレイスが補足した。
「副団長には、ガンズアルド様が就任なさるべきでした。実力、人柄、家柄、全てにおいて申し分のない方でしたから……」
「いうな、トレイス」
静かな声だった。
しかし、有無をいわせない強い意志を感じさせる声だった。
「あれにはあれの生き方がある。他者が口を出すべき事ではない。それに、今わたしが必要としているのはお前だ。比較など、する意味がない」
「……はっ。失礼いたしました」
トレイスが頭を下げた。
二人の関係性を伺える、いい表情だった。
「すみません、話がそれてしまいましたな。いずれにせよ、ガンズアルドの人を見る目は確かです。あれが認めた御仁で、かつ、武力も長けているとあらば、お仲間の皆さん共々、助力を仰ぎたく思っています。なにとぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
クリスタニアが出した右手を握った。
女性の掌とは思えない、硬い皮膚ーーこれまでに積んできた研鑽が、しっかりと刻まれた手だった。
「それではルキト殿。当面お泊りいただく宿を手配してありますので、ご案内いたします」
握手が済むと、トレイスがそういった。
クリスタニアの顔に、すまなそうな表情が浮かぶ。
「できれば当城に滞在していただきたい所なのですが、ここでは人目についてしまいます。ご容赦くだされ」
「いえ、そのような事、お気になさらないでください。ご厚意、ありがたく頂戴いたします」
「わたしは早速、王に謁見してまいりますゆえ、これにて失礼いたします。トレイス。後の事は任せたぞ」
「はっ」
クリスタニアが腰を上げるのに合わせて、オレ達も立ち上がった。
その時だった。
バンッ!!
勢いよくドアが開いた。
皆の目が一斉に入り口を向く。
「こんな所にいたのね! 探しましたわよ!!」
目を輝かせながら、少女が部屋に入って来る。
後を追うように、体格のいい女性がついて来ていた。
「い、いけません姫様! クリスタニア様はお仕事中で……!」
「ねぇねぇ、タニア! 兄様がね、珍しいお菓子をくださったの! 一緒に食べましょう!!」
突然現れたのは、愛らしい笑顔の小さな暴君ーーしかし、この時は予想すらしていなかった。
後に彼女の存在が、重要な局面を生み出す事になろうとは。




