155・ボス・ビッチには手を出すな!
「い……今……なんて……?」
「え?」
消えそうな声だった。
いつもとは違う様子から、マリリアがひどく動揺しているのが分かった。
「あの人……自分の事、ボス・ビッチっていった……?」
「あ、あぁ。いってたな。それがどうかしたか?」
「ウッソ……でしょぉ……」
恐る恐る、全裸男を盗み見る。
やがて、ぎこちない仕草で正面に戻した顔には、驚愕の色が浮かんでいた。
「な、なんだよ、おい。ホントにどうしたんだ」
「き……気づかなかった……あれ……ドドリーク・ザーメインじゃない……」
「……なんだって?」
様子を伺うと、全裸男はセッキス達と話をしていた。こちらに気づき、横目を向けてくる。
肩を掴んだマリリアに、無理矢理後ろを向かされた。
「ガン見するんじゃないっ!!」
「そんなにビビらなくても……何者なんだよ、あいつ」
「犯罪組織のボスよっ! 暗黒街の超大物っ!!」
「超大物? あれが? ただの露出魔にしか見えないんだけど」
「バカっ! 下手な事いったら殺されちゃうわよ!!」
マリリアの話を、グラス、ビョーウ、ソラも聞いていた。
二人がオレと同じような反応をしている中、グラスだけが背後を確認している。
そして、驚いたように口を開いた。
「た、確かに、ご本人のようですね。お化粧も衣服もなかったので、気がつきませんでした……」
「グラスも知ってるの?」
「有名な方ですから。ナーロッパの裏社会を仕切る六人の一人で、アンタッチャブルの賞金首です」
「アンタッチャブル?」
「SSSよりさらに上、オーバーランクの首って事。一国の王ですら迂闊に手を出せないから、そう呼ばれてるの」
「ほぉう。やはり相当の強者じゃったか」
「てことは、組織の規模もデカいのか?」
「もちろん。他の五大ファミリーと『六劫会』っていう同盟を組んでてね。通称、『ブラック・シックス』なんて呼ばれてるわ」
「スラムで揉めたとおっしゃっていた獣人のボス、ザザ・カサンドラ様も名を連ねていますね」
「あぁ……ロメウがビッグレディとかいってた?」
「はい。確か、先々代が六劫会創立メンバーの一人だったと思います。彼女は組織の四代目です」
「ち、ちょっと、待ちなさいよ……」
会話の流れで何気なく出た名前を聞いたマリリアが、顔を引きつらせた。
「あんた……カサンドラ・ファミリーと揉めたの……?」
「のしたチンピラがたまたま部下だったってだけなんだけど……マズかったかな、やっぱり……」
「マズいなんてもんじゃないわよっ! この上ドドリーク・ファミリーとなんか絶対に関わっちゃダメだからね!」
図太いこいつがこうまでいうのだ。相当に危険なヤツなんだろう。
まぁ、犯罪組織のボスなんだから、当然といえば当然だった。
「わ、分かった。なら早々にここを離れよう。一応、お礼だけはいっておい……」
「アナタ達」
「きゃっ!?」
背後からの声に、マリリアが悲鳴を上げた。恐る恐る顔を向ける。
オレ達も振り返ると、ドドリークが立っていた。
顔だけ見れば彫りが深い濃い目のイケメンーーしかし、ぽってりした唇が妙に女性的で艶めかしい。
短く刈りこんだ髪と顎髭はどピンクで、褐色のゴリマッチョボディーに羽織ったガウンは光沢のあるシルバーだった。陽光が反射して、全身がギラギラと輝いて見える。
爽やかな青空の対極に位置するかのようなビジュアルは、満点のインパクトだった。
「な、なな、な、なにか……?」
動揺したマリリアが、どもり倒しながら応じた。
一瞬きょとんとしたドドリークだったが、すぐにケラケラと笑い出した。
「そぉんなに怖がらなくてもいいのよぉ。何も、獲って食おうってんじゃないんだからぁ」
口調は軽く、表情も明るい。これだけなら、暗黒街のボスとは思えなかっただろう。
しかし、先ほどの闘いを見た後では印象が違ってくる。二体のケンズロックを消し去った能力は凄惨で、残忍な本性が現れているかのようだったからだ。
「一言お詫びしとこうと思っただけだから。ゴメンなさいねぇ、お楽しみを横取りしちゃって♥」
しかし、今のドドリークにそんな気配は微塵もない。
陽キャのおネェがおしゃべりをしているようにしか見えなかった。
「あ、いや、楽しんでたって訳じゃ……」
「あら、そうなの? 凄い勢いで突っこんで行ってたから、ウッキウキだとばかり思ってたのに」
「身を守るために闘おうとしてただけですよ。むしろ助けていただいて、ありがとうございました」
頭を下げてお礼をいうと、ドドリークがウインクを返してきた。
ここまでは特に問題はなかった。
そう、ここまでは。
「……詫びるのはそこではない」
「!??」
考えてみればこの姫様にとって、人間達の地位や肩書などなんの意味もない。財力や武力、組織力ですら関係ない。
敵味方を分ける判断基準はただ一点ーー気に入ったか、気に入らなかったか。それだけなのだ。
ならば当然、不届き者には牙を剥く。
たとえ相手が、どれだけの危険人物であろうとも。
「ん〜〜?」
「バッ……!」
「そこじゃないって、どうゆう事?」
「分からぬのか、愚か者めが。見苦しいイチモツを晒しおって」
「やめろビョー……!」
「わらわの目を汚した罪、万死に値するわ!」
空気が凍りついた。
マリリアの顔から血の気が引いている。グラスが絶句している。ソラが硬直している。
やりやがった。
ビョーウの性格を考えれば黙っていられる訳がない。そんな事は明白だった。釘を刺しておくべきだったのだ。怠ったオレのミスだった。
猛烈に後悔した。
遅かった。
「……んふっ♥」
ドドリークの口元が緩んだ。僅かに目を細める。咄嗟に身構えた。この距離であの能力を使われたらーー避ける術も防ぐ術も、ない。
「何が……おかしい?」
そんな事は意にも介さない。ビョーウの五体から殺気が漏れ始めた。
抑える様子はない。引く気配もない。冷たい輝きが瞳に宿る。周囲の気温が下がったように感じた。
スイッチが入る。
止めなければ。
声が言葉の形をとって喉から出ようとした、直前。
「一億ジルの輝くボディーよ♥ アナタにはちょっと刺激が強すぎたかしら♥」
腰に手を当て、身体にしなを作ってドドリークがおどけて見せた。
シチュエーションが違えば、コミカルなセクシーポーズーーしかし、場と相手が悪かった。
ヒュボッッ!!
バシイィィィーー……ッッ!!
問答無用。
顔面に向かって突き出された閃光には、本気の殺意が宿っていた。
顔に風穴が開いていただろう。
オレが、手首を掴んで止めなければ。
ブオォ……ッッ!!
「んふふ……ステキな攻撃ねぇ。ゾクゾクしちゃうわ♥ それに……」
ビョーウの不意打ちが起こした風を顔に受けながらも、ドドリークは微動だにしなかった。数センチ眼前で止まった貫手に瞬きすらしなかった目を向けてくる。
「い〜い反応じゃない。大好きよ♥ 敏感なチェリーボーイは♥」
「!?」
表情で分かった。反応できなかったんじゃない。しなかった。何故なら、オレの動きが見えていたから。攻撃が届かないと踏んだから。
反射神経、動体視力、視野の広さ、判断力。全てが常人の域を超えている。
しかし、何よりもヤバいのはーー
「あんた……」
頭のぶっ壊れ具合だった。
コンマ数秒、止めるのが遅れていれば即死していた。生死が交差した一瞬で、初対面の小僧に賭けたのだ。貫手を止められると。己が命を助けられると。
こんな小競り合いに、躊躇なく命を張れる神経ーーイカれてる。他に、いいようがなかった。
「好きなのよ。ギャンブルが……ね♥」
浮かべた笑みに含みはない。本気でそう思っている。
これが、そうなのだ。
死が日常の裏社会で上り詰めた人物というのは、必ずどこかがおかしい。価値観、倫理観、正悪の基準、そして、生死観。何かがズレている。決定的に欠けている。暴力を極めた、欠陥品の完成形ーーまさに、ドドリークがそうだった。
今になって吹き出してきた。冷たい汗が。
住む世界が違う。関わっちゃいけない。
ましてや、敵対するなどもってのほかだ。
「離さぬかルキト!」
それでも引かない。何故なら、ビョーウだから。オレの手を振りほどこうとする。さらに力をこめた。
「やめろバカっ!」
「ダ、ダメよビョーウっ!!」
見かねたマリリアが止めに入ってきた。後ろから必死で身体にしがみつく。
振りほどこうと暴れるビョーウをなんとか引き離すと、ドドリークが顎髭を撫でながらいった。
「アナタ達、なかなか面白いわねぇ。ルキトにビョーウっていうの? んふふ……アタシね、大好物なの。イカしたメンズと……」
すっと、細めた目ーー黒い瞳が、輝いたように見えた。
「強い人が……ね♥」
ブォッッ……!!
「っ!??」
身体を叩かれた。ドドリークが発した、熱波のような何かに。
不可解だった。何故なら、確かに感じた熱さで鳥肌が立ったからだ。
「んっふふふ……♥」
こいつに、近づくな。
本能に、そういわれた気がした。
「貴様……」
「少しくらいなら遊んでもいいんだけど……そろそろあの子達が帰ってきちゃいそうなのよねぇ……」
火に油を注がれたビョーウの殺気を受け流し、ドドリークが背後を確認した。
どうやら、セッキス達に何かを命じたようだった。
「部下がおらねば闘えぬというのか?」
「ん〜ん、違うわ。せっかくのお楽しみを邪魔されたくないでしょ?」
「かまわぬ。まとめて相手をしてくれるわ!」
「あらあら、元気ねぇ〜。でもそんな事になったら大変よ。抗争になっちゃう♥」
「くどい! かまわぬというておろう!」
「ま、待ってくれ!」
たまらず割りこんだ。
このままでは、本当にドドリーク・ファミリーと全面戦争になってしまう。
「あんたと事を構える気はないんだ! この通り、非礼は詫びる! 勘弁してほしい!」
「ご、ごめんなさい! 謝りますから、許してくださいっ!!」
「お、お主ら……」
頭を下げるオレとマリリアに、ビョーウが言葉を失っている。
顔を上げると、ドドリークは笑みを浮かべていた。
「かしこまらなくってもいいのよぉ。アタシは気にしてないから♥」
マリリアと二人、ほっと息を吐いた。納得がいかない様子のビョーウだったが、もう何もいわなかった。
ただ瞳には、消えない殺意が燻っていた。
「そんな目で見ないの。次に会ったらちゃぁんとお相手するから。ね♥」
「……」
どうやらビョーウも、引く気になったようだった。
ひとまず安心した。
しかし、一度は弛緩した身体が、続くドドリークの言葉で再び硬直した。
「それと、ルキトちゃん。アナタもよ♥」
「え”っ!? オ、オレ……?」
「いったでしょ? 強い人が好きだって。んふふっ……楽しみにし・て・る・か・ら♥」
最悪のラブコールだった。
できれば断固としてお断りしたかったが、これ以上話をややこしくする訳にもいかない。
曖昧に、オレは頷いた。自分の頬が引きつっているのが分かった。
「ボス」
話がついた(?)タイミングで、御者台にいた男がドドリークに声をかけた。
七三に分けた髪型とボーイのような服装で遠目には分からなかったが、よく見ればガッツリとメイクをしている。
「セッキス様達が帰って来ましたよ」
「ただいまぁ〜ボスぅ〜〜!!」
振り向いたドドリークに、馬上からセッキスが呼びかけた。
馬を降り、ビッチーズと一緒に歩いてくる。
「おかえり。どう? 見つかった?」
「バッチリ♥ ちゃんと持ってきたわよ」
「そう。ちゃんと持って……え? 持ってきた?」
「うん。はい、これ♥」
笑顔のセッキスが無造作に突き出した右手ーー首が三つ、ぶら下がっていた。




