144・夜が狂ってく
屋敷を後にしたオレ達は、冒険者ギルドに向かって来た道を戻った。
馬車に揺られる傍ら、ランツ伯と何を話していたのかとヴェルベッタに尋ねられた。
本当の事をいう訳にはいかなかったので、経歴や仲間について訊かれたと答えておいた。二人共にそれで納得したらしく、この話はそれで終わった。
ギルドに到着すると、窓から灯りが漏れていた。
どうやら、残業しているヤツがいるらしい。
「誰か残ってるみたいね」
「マリリアさんでしょう。レポートをまとめているのではないでしょうか」
「本当に何もやってなかったのか……。今夜中に終わるんですかね?」
「どうでしょう。受け持っている冒険者の数が少ないので、作業量的にはジェイミーさん達の半分程度なはずですが」
「まぁ、どうにかするんじゃない? 何だかんだでやる時はやる娘だしね」
ギルドに入ると案の定、人気がなかった。室内の灯りは消されていたが、唯一、カウンター向こうのデスクスペースがぼんやりと光に照らされている。
近づいてみると……
ち〜〜ん……。
問題児が一名、書類で埋まったデスクに突っ伏してくたばっていた。
「あらら……だいぶ無茶したみたいね……」
「この様子だと、朝から食事も休憩も取っていないのでしょう」
「……死んだか……」
「生きてるわよっ!!」
これまでピクリともしなかったマリリアが、ガバっと起きて抗議の声を上げた。
その拍子に、積まれた書類の束がドサドサと床に落ちた。
「なんだ、意外と元気そうじゃんか。心配して損した」
「どこが心配してたのよ! 勝手に人を殺すんじゃないわよ!!」
「まぁまぁ、落ち着きなさいな。レポートは終わったの?」
ヴェルベッタが穏やかに声をかけると、マリリアが意気揚々と胸を反らした。
これまた凄い勢いで手元のレポートを掲げる。
「もちろんよマスター! これを見てっ!!」
受け取って目を通しているヴェルベッタに、自信を漲らせた食い気味の声が飛んだ。
「どうどう!? 完璧でしょ!」
「……うん。良く出来てるわ。オッケーよ」
「っっしゃあぁ! 合格一番乗りぃ〜〜っ!!」
マリリアが、飛び跳ねんばかりに拳を振り上げた。
これでもかと喜びを爆発させる姿は、根っからの陽キャそのものだった。
「間に合って良かったぁ〜!」
「お疲れ様でした、マリリアさん」
「今回はジェイミーさんに叱られないで済みそうだな」
「これでひと安心だよ。あぁ〜……しんどおぉ〜……」
「ふふ……今夜はゆっくりお休みなさいな」
「その前にご飯食べたい……もう、倒れそう……」
情けない声を出しながら、マリリアが椅子にへたりこむ。
なんか、前にも聞いた事のある台詞だった。
「いつもハラ空かして倒れそうになってるな、お前」
「仕方ないでしょ。お昼もおやつも抜きだったんだから」
「じゃあ、メシ行くか?」
「行こう行こう! みんなで美味しい物食べようよ!」
しおれていた顔がぱっと輝く。
しかし、対象的にヴェルベッタがすまなそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい、マリリアちゃん。今夜中に片付けなきゃいけないお仕事があるから、わたしは行けないわ」
「すみません。わたしもです」
「えぇ〜……そうなんだぁ……」
クリスタニア・ローゼスに事情を説明するための手紙と、国王に届ける報告書の取りまとめ。
二人の仕事が何を指しているのかは明白だった。
「お仕事なら仕方ないかぁ……」
「わたし達の事は気にせず、二人で行ってらっしゃいな」
「じゃ、そうしようか、ルキト」
「うん。お言葉に甘えさせていただきます」
「しっかり英気を養っておいてね。明日は、準備が済んだらここに顔を出して」
「分かりました」
「準備? 明日なんかあるの?」
「詳しい事は後で話すよ。それじゃ、これで失礼します。お疲れさまでした、ヴェルベッタさん、ティラさん」
「お疲れさま。マリリアちゃんもね」
「お疲れさまでした。お休みなさい」
「う〜ん……ま、いっか。お疲れさまでした!」
旺盛な好奇心も、それ以上に旺盛な食欲には勝てなかったようだ。
二人に見送られ、お食事モードのマリリアと連れ立ってギルドを後にした。
「はぁ〜……そんな話になったんだぁ……」
白髭亭へ向かう道すがら、会合の内容をかいつまんで話した。
聴き終えたマリリアが、感心したように腕を組んだ。
「あのヒューバーさんがお手上げだっていうんだから、ザーブラのクズっぷりも凄いわ。それにしても、マスターも思い切った提案をしたもんねぇ。あんた、責任重大じゃない」
「あぁ。でも、いずれ王都には行こうと思ってたから、ちょうどいいっちゃちょうどいい」
「何よ、教団本部に乗りこむつもりだったの?」
「まさか。そこまで無謀じゃないって。ただ、王都にいた方がロメウとも会いやすいから、都合がいいんだよ」
「ロメウと会う? 王都で?」
「あ、そうか。いってなかったな」
ティニーシア探しから始まったスラム訪問の経緯を話した。
ソラの事情は知っていたマリリアだったが、ロメウの顔の広さは知らなかったようだ。
「そんな所にまでツテがあるなんて、ただの女好きじゃなかったのね……ちょっと見直しちゃった」
「ビョーウも同じような事いってたよ」
苦笑が出た。
やはりロメウといって最初に来るのは、女好きの遊び人というイメージなんだろう。
「口調からして、ロメウも教団に侵入するつもりでいたのね」
「遅かれ早かれってのはまぁ、そういう意味だろうな」
「となると、いよいよ正面衝突か」
「秘密裏に動く期間はもう過ぎた。お互いに宣戦布告は済ませた訳だからな。ここからは戦争だ。あんな危ない奴ら、野放しにはしておけない」
「ホント、そうよね。まさか、知らずに持ってきちゃっただけの水晶にあんな秘密があったなんて……がっつり触っちゃってたんだけど、わたし……」
「そこに関しては、知らない方が良かったとオレも思ったよ……」
「ヤバすぎでしょ、あの連中。正気とは思えないわ」
ブルッと身体を震わせ、嫌悪感の滲んだ口調でマリリアがいった。
その時だった。
「……こっちから行こうぜ、マリリア」
「え?」
ここまで歩いていたのは、比較的人通りの多い路だった。夜も更けた時間だったが、繁華街特有の賑わいがあったのだ。
しかし、一歩角を折れれば、人気がなく薄暗い路地に入る。
突然のコース変更に、マリリアが怪訝な顔をした。
「なんで? 真っ直ぐ行った方が早いよ?」
「予約もなしで団体客に来られたんじゃ、いくら親父さんでも手が回らないだろ?」
「団体客って……何いってんの?」
「いいからいいから。寄り道だよ」
「あっ……! 待ってよ!」
路地に入ったオレを、早足でマリリアが追ってきた。
少し歩くと、ちょうど建物一軒分の空き地があった。
好都合だった。
「なんなのよ。こっちに何かあるわけ?」
「ちょっとしたイベントだ。あんまり楽しくはないだろうけど」
「イベント?」
軽口を叩きながら足を止めた。すると、闇の中から滲み出すように人影が現れた。
気配の消し方からいって、暗殺者だ。大方、教団の差し金だろう。
はからずも、グラスの心配が的中したようだった。
「……え?」
知らぬ間に囲まれ、マリリアが目を丸くした。
黒ずくめの全身に黒いマントを付け、フードとマスクで顔を隠した刺客が、六人。両手に、短剣を携えて立っている。
「こ、これって、まさか……」
「見ての通り、刺客の皆さんだ。愛想はないけどね」
「…………」
愛想どころか、反応そのものすらない。
代わってあったのは、姿を見せると同時に漏れ出した殺気だった。
「な……なんなのよ、あんた達!!」
暗殺稼業を生業としている連中だ。問いかけてみた所で、返事などある訳がない。
……と、思っていた。
しかし、意外にも反応が返ってきた。
「なぁ〜んかぁ〜……弱そうねぇ〜……」
「!?」
背後からの声に振り向くと、いつの間にか人数が増えていた。
七人目の刺客はしかし、他の連中とは明らかに違った。
声をかけられるまで気配を感じなかったのだ。
警戒するオレ達の方に、そいつがゆっくりと近づいてきた。
黒いローブとフードに隠され身体も顔も見えなかったが、声を聞く限り女のようだった。
「なんだ? お前達は」
「きぃ〜まってるじゃなぁ〜い。こ・ろ・し・や・よ♥」
「そんなの見れば分かる。どこの誰かって訊いてるんだ」
大袈裟に肩をすくめ、首を振りながら女はいった。
「いやぁねぇ〜……ご丁寧に自己紹介するマヌケな暗殺者がいると思ってるわけぇ〜?」
「ご丁寧に話しかけてくるくらいだ、訊けば答える程度にはマヌケなんじゃないかと思ってね」
「……っぷ! くっくくくくく……!」
皮肉を込めた返しに、女が吹き出した。肩が小さく震えている。
かと思うと、すぐに両手を叩きながら大笑いを始めた。
「きゃっはははははははあぁ〜〜っ!! きぃみぃ〜! 面白いねぇ〜! 面白い面白い面白い! おぉもぉしぃろおおぉ〜〜いぃ〜〜っっ!!」
イラついた様子も怒っている様子もない。本心から面白がっている笑い方と声ーーしかし、過剰にはしゃぐ子供のようなハイテンションは、どこか歪で異常に見えた。
顔を寄せ、マリリアが囁いてきた。
「こいつらって……教団の刺客よね?」
「あぁ。だろうな」
「なんかあれ……危なくない? 普通じゃないっていうか、まともじゃないっていうか……大口開けて笑う暗殺者なんて、いる?」
「オレも初めて見たよ。関わっちゃいけない人種だろうな」
気が済んだのか、女が笑いを収めた。
そして、左右に首を傾げながら勿体つけるようにこういった。
「んんん〜……じゃあ特別にぃ〜名前だけ教えてあげよっかなぁ〜〜……知りたい? 」
場にそぐわないテンションと、纏わりつくようなウザ絡み。
正直相手にしたくなかったが、付き合わない訳にはいかなそうだった。
「あぁ。ぜひ知りたいね」
頷いていうと、女はマリリアにも問いかけた。
「そっちの彼女も?」
「……ええ」
「あぁ〜れえぇ〜? ノリ悪いなぁ〜。ホントは知りたくなぁ〜い! って感じぃ〜?」
「そんな事ないわ。教えてよ」
警戒心が半分、うんざりが半分。
手に取るように心情が分かる、ぶっきらぼうな返事だった。
「んふっふふふ……そこまでいうなら仕方ない……教えてしんぜよう。我が名は! ビスキュ! ビスキュ・キュリエール!!」
大げさに両腕を広げた、芝居がかった仕草だった。
ただでさえウザい名乗りの後、さらにウザい事をビスキュはいい出した。
「キュキュ♥って呼んでいいからね♥」
こんなシチュエーションじゃなければ、ただのイタい奴だった。
だが、あいつは暗殺者集団のリーダーで、これから見ず知らずのオレ達を殺そうとしているのだ。
であるにも関わらず、ふざけた口調と態度には緊張感がなく、罪悪感も感じられない。
だらだらと無駄に時間をかけたこのやり取りからは、遊び半分で暗殺をやっているのであろう事がうかがえる。
あの調子で、笑いながら命を奪うビスキュの姿が容易に想像できた。
「おんやぁ〜? おふたりさん、テンション低くなぁ〜い?」
「自分から名乗る暗殺者なんて見た事なくてね。そんなにペラペラ喋ったら、教祖様に叱られちゃうんじゃないか?」
「だぁ〜いじょ〜ぶよぉ〜。キュキュがキミ達を殺しに来てる事ぉ〜ゴディ様は知らないものぉ〜♥」
カマをかけたつもりだったが、無意味だった。
始めから隠すつもりもなかったんだろう。
暗殺者が、己の素性と所属組織をあっさり吐いたという事はすなわち、自信があるのだ。
確実に始末できる、自信が。
「だからぁ〜ナ・イ・ショ・にしといてね♥」
人差し指を口に当て、悪戯っ子のようにビスキュはいった。
完全に、言動が矛盾している。
「って事は、生きたまま帰してもらえるのか」
「え? なんで?」
「内緒にしろってそういう事だろ? 死んだらチクれないんだからな」
「……」
ややあって、ようやく気づいたような反応が返ってきた。
「あぁ〜っ!! そうだったぁっ! きゃははははっ! そうそうそうそう! 殺すんだった! 殺す殺す! キュキュ、キミたちを殺しに来たんだった! きゃはははははははっ……!! ふざけんなっっ!!!」
ゴギャアァッッ!!
「!!?」
「!!?」
ドンッッ……!!
大口を開けて笑っていたビスキュが、突然、拳を振るった。顔面に裏拳の直撃を受けた部下が、吹き飛んで壁に叩きつけられた。
ズ……ズズズズズ……
そのままゆっくり尻もちをつく。顔のあらゆる穴から、大量の血がボトボト流れ落ちていた。
「ヘラヘラ笑ってんじゃねぇぞクソどもがっ! 生かして帰すワケねぇだろうが!! 殺すっていってんだからさっさと八つ裂きになりゃあいいんだよ! おいテメェ! なんで座ってんだ!? 休んでいいなんて誰がいっ……え!?」
ブチギレた狂怒の目が捉えた物ーーぐんにゃり曲がった首が、垂れ下がってゆらゆらと揺れていた。
「なぁにぃ〜その首ぃ〜!! なぁんでブラブラしてるワケぇ!? きゃははははははははっっ!! うぅけぇるううぅぅ〜〜っ!!」
豹変したかと思うと、今度は事切れた部下を指差し、再びビスキュが笑い出した。
こいつ、ヤバい。
感情の揺れ幅がデタラメすぎて、次の行動が読めない。こういうタイプは、何をしてくるか分からない怖さがあるのだ。
「ル……ルキト……」
「あぁ、分かってる。オレから離れるなよ」
臨戦態勢を取ると、笑いを収めもせずにビスキュが顔を向けてきた。
それでもチラチラと死体に目を向けながら、ぞんざいな口調でいった。
「ぷぷぷっ……や、殺っちゃって、いいわよ、あんたたち……ふ、二人とも、始末、し、しちゃって……ぷぷぷぷぷっ……!」
残った五人の部下が、一斉に武器を構えた。
闇と殺意と奇妙な死体、そして、漏れ聞こえてくる凶人の笑いーーカロン最後の夜が、深く狂っていくようだった。




