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143・ある冒険者の手記

 灯りに照らされたランツ伯の顔には、色濃く陰影が浮かび上がっていた。

 瞳の色に変化はなく、しかし映っている心情は、これまでとは違う色合いを称えているように見えた。


「世界を……開く?」


『救う』でも『滅ぼす』でも、あるいは『支配する』でもない。

 禅問答のような言葉に、頭が混乱した。


「そうです」


 繰り返しただけの問に、短い返事が返ってくる。


「開くとは一体、どういう意味なのでしょうか?」


「……実をいいますと、この表現が正しいのかどうか、わたしにも分かりません。ただ、興味を持つきっかけとなった書物にそのような記述があった、というだけなのです」


「その書物とは、魔導書のような物ですか?」


「いいえ、違います」


 目を閉じて首を振ったランツ伯が、両手を広げて部屋を見回した。


「ご覧の通り、わたしは読書が好きでしてな。幼少の頃からあらゆる本を読んできました。精査真眼(こののうりょく)が良書探しに役立ってくれたおかげで、気づけばこの有り様です」


 つられて壁面を埋める本棚を見上げた。

 改めて見ると、デスクが置いてある書庫、といった方がしっくり来る部屋だった。


「始めの内は純粋に娯楽としての作品を集めていただけだったのですが、ある時、取引をした古物商が奇妙な本を見せてくれましてな」


 手を後ろに組み、ランツ伯がゆっくりと歩き出した。

 そのまま部屋の中をぶらぶらしながら、話を続ける。


「それは、名も知らぬ冒険者が旅をしながら書いたらしい手記でした。いわゆる冒険譚だったのですが、奇妙な光を放っていたのですよ。まるで、筆者の心情がそのまま輝きとなっているような、赤紫色の強い陰の光を」


「…………」


「興味を引かれ、購入しました。最初の内はなんの変哲もない冒険の記録でした。しかし後半、ある依頼の最中に起きた凄惨な事件が、彼の冒険者人生を大きく変えてしまったのです」


 クエストにアクシデントはつき物だ。ある程度の経験がある冒険者なら、想定外のトラブルが起きる事を念頭に置いて動く。

 そして大抵の問題は、落ち着いて対処すれば解決する事が多い。臨機応変なトラブルシューティングが出来て初めて、一人前といえるのが冒険者の世界だ。

 しかし……


「それは……トラウマを植えつけられるような問題が起きた、という事でしょうか」


 中にはあるのだ。

 身体ではなく、心を壊されてしまうような恐怖を体験する事が。

 そして、一度心を挫かれた冒険者が再起する例は、極めて稀だった。


「お察しの通りです。『理解できない恐怖は、この世のものとは思えなかった』と。手記には、そう綴られていましたよ」


 一体、何が起きたんだろうか。

 気がつけば、ランツ伯の語りにオレは引きこまれていた。


「クエスト自体は山賊の討伐でした。根城だった洞窟に三十人程いたらしいのですが、所詮はただの寄せ集めです。冒険者パーティー数組が合同で乗りこんだ結果、さほどの苦も無く制圧できました。洞窟を先に進むと、最奥にいた頭領は、下着一枚を身に着けただけの姿で長椅子に寝そべっていたそうですよ」


「その状況で、武装もせずに寝そべっていた……?」


「はい。薄闇に浮かぶ姿はまるで、寝起きのままリラックスしているかのようだったそうです。諦めているのだろうと投降を勧めると、返事ではなく何かが投げ返されて来ました。足元に転がったそれをよくよく見ると……」


 一度口を閉じたランツ伯が、一呼吸置いてからいった。


「人の、首でした」


「!?」


「ほぼ同時に、背後から悲鳴が聞こえてきました。振り返ると、首を失った仲間の一人が血を吹き出して倒れ、返り血を浴びた別の仲間が狂乱していたのです」


 話を聞く限り、すぐ隣りにいてすら気づかない方法で首を落としたという事だ。

 剣技や体術ではない。

 魔法か妖術、あるいはそれに近しい、何らかの攻撃手段を頭領は持っていた事になる。


「恐怖は瞬く間に伝染し、冒険者達を大混乱に陥れました。その様子を、頭領は頬杖をついて眺めていたそうです。やがて、うっすらと笑みを浮かべた口が動き、声が聞こえてきました。それは、詠唱のような独り言のような、奇妙な言葉の羅列でした」


 冒険者ならば、日常的に魔法を体験している。例え自身が使えずとも、仲間や敵が使う場面には必ず遭遇するからだ。

 そして、何度か経験すればそれが詠唱であるのかないのかも分かるはずなのだが、判別できなかったというのは妙な話だった。


「聞いた瞬間、彼の全身に悪寒が走りました。低く静かなその声が、とてつもなく不吉でおぞましく響いてきたからです。動く事すらできない戦慄の中、唯一理解できたのは最後の一文だけでした。その時、聞こえてきたのが……」


 歩みを止め、顔と瞳を向けてきたランツ伯が、ゆっくりと、そしてはっきりとこういった。


「『世界よ、開け』という文言だったのです」


 ジジジ……と、ランプに灯された火が小さな音を上げた。

 揺らめくはずのない灯りが身をくねり、ゆらりと部屋を揺らしたような錯覚に襲われた。


「そ、その後、どうなって……」


「次の瞬間、目の前には赤い荒野が広がっていた、と」


「こ、荒野が……広がっていた?」


「はい。大地も土も砂も岩も、空すらが濡れた血のような色をした、果てのない荒野の中に、彼らはいたそうです。何が起きたのか分かる者はおらず、その場にいた全員がただあ然として、パニックすら起きなかったそうですよ」


 それだけ聞けば、結界魔法か転移魔法の類だと思っただろう。

 しかし、唱えていたのが魔法の詠唱に聞こえなかったとするならば話は違ってくる。

 何かしらの特殊能力なのか、あるいは既存の魔法とは別の(ことわり)にある魔術体系かもしれなかった。


「まぁ、今までいた洞窟が、瞬き一つする間に異形の風景に変わっていたのですからな。理解しろという方が無理な話です」


「そこは、頭領が開いた世界だった、と……?」


「恐らくは、そういう意味なのでしょう」


「赤い荒野には、他に何もなかったのですか?」


「遥か彼方に、黒い霧が真っ直ぐに立ち昇っているのが見えたらしいです。まるで、巨大な黒い樹が大地から無数に生えているようだったと。そして霧の先には黒い塊が、空に開いた穴のようについていたと記述にはありました」


「黒い樹と穴、か……その世界の能力に関係する何かだったんですね」


「いいえ、それが……」


 再び首を振って、ランツ伯はいった。


「不明なのです。なぜなら、すぐに彼が意識を失ってしまったからです」


「気絶した? 攻撃を受けて、という事ですか?」


「恐らくはそうだったのだろうと書かれていました。恐らく、といっているのは、彼自身どのような攻撃だったのか分からなかったからのようです。その時の様子は……あぁ、実際の手記を読んだ方が分かりやすいですかね」


 思いついたようにいい、本棚に歩み寄る。

 ランツ伯が取り出したのは、端に空けた穴を紐でくくっただけの紙の束だった。


「ええと……この部分です。『風の鳴る音がしたかと思うと、突然、目の前にいた仲間たちがバラバラに切り刻まれた。人の身体が前触れもなく八つ裂きになったのだ。恐怖のあまり動けなかった。悲鳴すら上げられなかった。気が狂うほどに恐ろしかった。直後、何かに身体を切り裂かれた。攻撃を受けた。恐らくは、そうだったのだろう。最後に見たのは、風に舞う血飛沫と、大地に吸われる鮮血。それが己の血だと認識すると同時に、わたしは意識を失った』」


 読み上げる静かな声に、書斎が聞き耳を立てているかのようだった。

 居並ぶ知の結晶たる書物たちは、血の香るこの記述をどんな気分で聞いているのだろうか。


「『次に目覚めたのは、ベッドの上だった。左の手脚と引き換えに、わたしは命を失わずに済んだ。わたしだけが、だ。他は全員、死んだ。二十人近くいたメンバーは細切れにされ、判別できない死体も多数あったと聞いた』」


 フル装備の冒険者達を、本人確認もできないほど無惨に、しかも瞬時に惨殺したというのだ。

 明らかに、異常な能力だった。


「『状況を説明しても、信じる者は誰もいなかった。当然だ。目にしたわたし自身が、あの場で起きた事を信じられないでいたのだから。しかし、わたしが犯人と疑われる事はなかった。人の手でできる殺し方ではない。そんな理由からだった。それほどに、凄惨な有り様だったのだろう。やがて、身体の傷は癒えた。だが、冒険者に戻ろうとは思わなかった。いや、戻れなかった。あれは一体、なんだったのか。あそこは、どこだったのか。慟哭のような風の音が、今も耳にこびりついて離れない。理解できない恐怖は、この世のものとは思えなかった。あるいはわたしは、もう死んでいるのかもしれない。あの地で奪われたのは、手脚だけではなかった。日に日に、精神が蝕まれていく。今は、風の音を聞くだけで気が狂いそうになる。この恐怖に、いずれわたしは飲まれてしまうだろう。そして自我を失ってしまうだろう。遠くないいつか、わたしは、わたしではない何かに成り果てる』」


 そこまで読み、ランツ伯は口を閉じた。

 そして手記を机に置き、いった。


「ここで、彼の記録は終わっています」


 一人の冒険者が遭遇し、恐怖し、そして己を(うしな)った理外の『世界』ーー果たしてその頭領とは、何者だったのか。

 いや、そもそも。


 人で、あったのか。


「……これを読み、興味が湧きましてな。『世界を開く』という現象と、それを成せる術者についての書物を収集し始めたのです。結果、いくつか分かった事がありました」


 指を一本立て、ランツ伯はいった。


「一つ。関連する書物が極めて少ない事。これは、()の術から生還した者がごく稀にしかいないのが大きな理由です。二つ。術者が数人いる、あるいはいたらしい事は確実なのですが、それぞれが違った表現をしていたようなのです」


「違う表現、とおっしゃいますと……?」


「この手記に出てきた頭領は『開く』といっていたのですが、ある者は『世界が落ちる』といい、また別のある者は『世界が生まれる』といったそうなのですよ。妙な話ではありませんか?」


「落ちる……に、生まれる……か。確かに、妙ですね。魔法なら、詠唱は同じはずです。違うというのはあり得ません」


「そうですよね。しかも、これらの世界に、同じ物は二つとないようなのです」


「つまり、術者の数だけ違った世界がある、という事ですか?」


「その通りです。ただ、詳細について判明しているのは手記にあった頭領の例のみです。他のものは、噂や伝聞でしかありませんでした」


 サンプルが少なすぎる事から、まさに謎としかいえない術だった。

 魔法でないとするなら、どういった理屈で発動するんだろうか。

 考えこむオレに、ランツ伯がいった。


「そこでわたしは、仮説を立てました。この術は、保持者(ホルダー)と同じ類の特殊な能力なのではないか。才能を持って生まれた者が条件を満たす事で開花するのではないか。それならば個性が出ても不思議ではありませんからな。ゆえに、見たことのない色と輝きを放つ貴方にわたしはいったのです。世界を開く才を持った人間なのかもしれない、と!」


 熱のこもった口調だった。

 身を乗り出すその様を見て、悟った。

 任務うんぬんは関係ない。ランツ伯は純粋に、オレが持っているかもしれない謎の能力に関心があったんだろう。

 しかし、唐突にそういわれた所で、返せる言葉などなかった。これはあくまで仮説に基づいた憶測でしかなく、何より、そんな力があるかなどオレ自身にも分からないからだ。


「あ、いや、失礼しました。少々、熱くなりすぎましたな」


 困惑する顔を見て、冷静さを取り戻したんだろう。頭をひと撫でしながら、ランツ伯が詫びてきた。

 しかし、尚もリアクションに窮していると、続けてこういった。


「正直に申し上げますと、ルキトさん。わたしは貴方に興味があるのですよ。あるいは保持者(ホルダー)を超越した存在が、すぐそばにいるのかもしれない。お恥ずかしながら、そう思ったら居ても立っても居られなくなりましてな。今回の件がなくとも、いずれお話をしたいと思っていました」


「それは大変光栄です。しかし、わたしが術者かどうかは分かりませんし、今後、能力が発動する保証もありません。ご期待に添えるかどうかは……」


「あ、いえいえ。何もそれだけでお付き合いをしたいという訳ではありませんので、そこは誤解なさらないでください。今回お願いした任務と、今後のご活躍にも期待をしています。要は、これからもよろしくお願いします、という事ですよ」


 にっこり笑っていいながら、ランツ伯が右手を差し出してきた。

 一流の商人であり、優秀な統治者でもあり、しかしその本質は、好奇心旺盛な少年そのものだった。

 この人となら、信頼し合い、協力し合って行けるだろう。


「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします!」


「あぁ、そうそう。わたしの力については、くれぐれもご内密に願います。無断で能力を覗かれて、良い気がする人はおりますまいからな」


「承知いたしました」


 交わした握手は温かく、そして、固かった。

 こうして、情報と頼もしい味方を得、そしていくつかの謎を残して、会合は幕を閉じたのだった。

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