13・祝杯はメインの後で
魔族と人間と女神。
生まれも育ちも常識も倫理観も価値観も全く異なる種族のリアクションが見事に被った。
こんな事、なかなかあるもんじゃない。
「意味の分かんねぇコトいってんじゃねぇぞクソガキ! 恐怖で頭がイカれちまったのか!?」
「心配してくれてありがとう。しかし、わたしは正気だよ」
「はあぁ~? だったら絶望でヤケにでもなったか?」
にたにたと笑いながら煽られたノエルだったが、意に介した様子はなかった。
「説明するより、見せた方が早いかな?」
バツンッ!!
「…………え?」
破裂音に、下卑た笑いが凝固した。ヒルケルススは、恐る恐る視線を下に向けた。
バツンッ! バツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツンッバツン……ッ!!
それが合図であったかのように、再生したはずの尻尾が次々と破裂し、ぼとぼとと湖に落ちていく。
ヒルケルススの顔色が変わった。
「ギイィアアアアアア~ッ!! なな、なんだこれはアアアァァァッ!!?」
何をされたかなど、分かるはずもない。
そりゃそうだ。
端から見てたオレにすら、ノエルが何かしたようには見えなかったんだから。
「尻尾がぁ! アアぁアタシの尻尾があぁっ! なな、なんでなんでなんでぇ!?」
「水だよ」
「み、水うぅっ!?」
「触れたものを操る力を持っていてね。君が体内に取りこんだ水を使って、内部から破壊したんだよ」
「触っただけで支配下に置けるだとお!?」
「そう。この能力は便利でね。身の回りにあるものは全て武器にできるんだ。間接的に触っただけでも、ね」
そうか。
だからさっき、口につけた杯を湖に投げこんだのか。
「まあ、水の動きを止めるくらいなら普通にできるんだけど、大喰女中達を生み出すのはさすがに無理だからさ」
おあずけを食ったままの口達がゲタゲタと笑った。
召喚魔法なのか創造魔法なのかいまいち分からないけど、なんか、妙になついているみたいだ。
「さて。ここまで説明すればもう分かるよね。 降参するか、死ぬか。選んでくれるかい?」
後は魔力を込めるだけで、いつでも五体を破壊できる――血の昇った頭でも理解できる、親切な脅し文句だった。
「テ……メエえええ……フザケたマネしやがってええ……!!」
こうなってはもう、後の祭りだ。
できる事はただひとつ。二択のどちらかを選ぶしかない。
誰もがそう思ったこの状況でしかし、ヒルケルススが選んだのはどちらでもなかった。
「クク……ク……フヒヒヒヒ……!」
「どちらにするか、決まったかい?」
「ああ、決まったよ! 地獄でリターンマッチとシャレこもうじゃないかっ!!」
ヒルケルススの表情は狂気に歪んでいた。
ザインのストレートな破壊衝動とは別の、ただただ他者の命を踏みにじりたいだけの病的な笑みだった。
イカれた化け物の殺気は、触れもせず湖水を焼いた。もうもうと立ち上る水蒸気の中、ヒルケルススの身体が次第に膨れていった。
もはや湯気と化した水分を体内に取りこみ、尚かつ魔力を集める――これの意味する所など、誰が考えても分かる。
『まずいな……ノエル!』
「うん。どうやら、わたしとイヴを道連れにしようとしているみたいだね」
『落ち着いてる場合か! 早くトドメを刺せ!』
「もう遅いよ。今爆破したら、蓄えた魔力に引火して大爆発が起きる。下手したらこの地がなくなってしまうかもしれないね」
いや、うん。
冷静で的確な分析だとは思うけど、なんで他人事みたいなんだよ、お前は。
「女神の住まう地を人質に取るとは、考えたね」
「ギョカカカカッ! ビビり倒してるクセに余裕のフリしてんじゃねえぞクソムシがあっ! 絶望の楽園に連れてってやるからよおおおっ!!」
すでにヒルケルススの身体は、数倍のサイズにまで膨張している。
中に詰まっているのは、起爆性の高い魔力だろう。いくらノエルの防御魔法でも、あの至近距離では防ぎきれる保証はない。
というか、オレ達だってヤバいかもしれない。
助かる事より、己の欲望を満たす事を躊躇いもなく選択する歪な精神構造――悪魔とはこういう物だと改めて思い出させてくれる壊れっぷりだった。
「せっかくのお誘いだけど、お断りするよ」
「テメエの意思なんざ関係ねえんだよバァカっ! さあぁ! そろそろ終わりだ! せいぜい、祈りでも……」
ドッ……ザザザザザアアアァァァー……ン……!!
「!?」
ヒルケルススの叫びが、ふたつに割れる湖の音に遮られた。
莫大な量の水が左右に別れた勢いそのままに吹き上がり、見る間に禍々しい姿となって現れた。
「な、なな……な……!?」
それは、水の口だった。
ただし、先ほどまでとはサイズがまるで違う。
巨大化したヒルケルススをひと飲みにできそうな、湖そのものが化けたかのような大顎だった。
「なんだコレはあああァァァーっ!?」
いつでも左右から噛み砕ける位置で、無数の牙はぴたりと動きを止めた。
「ひっ……!」
開いた口からはしゅうしゅうと呼吸音が漏れ、ぬめつく舌がご馳走を求めて蠢いている。
「バ、バカげてる……こんな……アタシでも制御しきれない量の水を操れる人間なんて……い、いていいわけないだろうがあぁ……」
「いちゃいけないのは君の方だよ。少しは周りの迷惑を考えなくちゃ」
はからずも、ヒルケルススは自ら認めていた。
格が違う。
力こそ全ての魔族にとって、それは決定的な敗北といえるだろう。
「上には上がいるもんだよ。覚えておくといい」
完全に戦意を喪失したヒルケルススに向けて、ノエルが右手を突き出した。
開いた掌が意味する物は何か。
考えるまでもなかった。
「な……なん……なんなんだ、テメエは……なんなんだよ! 人間のクセに! ア、アタシが殺られるわけないのにっ! クソ……クソがっ……クソがあぁ……!」
この時、ヒルケルススの顔を覆っていたもの。
それは――。
魔の眷属として生を受け、己が力で四天王に名を連ねるまでになったエリートが、初めて知った挫折と敗北の感情――悪あがきで自爆する事すら失念させる程の『絶望』だった。
かざした手を、ノエルは閉じた。
終わらせる者の名を口にしながら。
「悪食姫」
「クソッタレがああああああァァァァァァーーッ!!」
バクンッ!!
絶叫を残して、ヒルケルススが牙の向こうに消えた。
すぐにくぐもった爆発音が聞こえたが、閉じた口は微動だにせず、ご馳走を噛み砕き始めた。
「まだ秘蔵の果実酒を飲みきっていないんでね。すまないが楽園とやらに付き合う訳にはいかないんだよ」
どこから出したのか、新たな杯を掲げながらそういうと、ノエルは優雅な仕草で口をつけた。




