134・褐色の華
短剣の切っ先が、ブレずにこちらを向いていた。
同じ殺気でも、獣人のそれと人間のそれは似て非なる。普段は人に近しい種族である獣人が野生をむき出した姿ーー放つプレッシャーは、飢えた獣と相対しているのとなんら変わりない。
「ギャンブルに負けて悪あがきか。ダサすぎてそれこそナメられそうだけどな」
「うるっせぇ! 堅気は大人しくカモられてりゃいいんだよ!!」
「あぁ、なるほど。最初からそのつもりだったのか」
「ついでだ! テメェも身ぐるみ剥いでやらぁっ!!」
「冗談はやめてくれ。ついでで裸の付き合いなんかさせられたんじゃ、たまったもんじゃない」
軽口を返すと、アニキが身体を沈めた。
来る。
迎え撃つ体勢を取った。右手の短剣を中心に、全身の動きを捉えるべく視野を広げる。突きに来るのか斬りに来るのか、あるいは裏をかいて来るのか。
オレが『視る』事に集中した、その時ーー
「いい加減にしな!!」
良く通る声が室内に響いた。アニキの動きがピタリと止まる。
「ここで短剣振り回すとはどういう了見だい!」
隣室に姿を消したメリッサが、いつの間にか戻って来ていた。仁王立ちする雄々しい姿に、遠慮や躊躇は一切ない。
「賭場のルールを知らないってんじゃないだろうね!?」
「あ”ぁっ!? テメェこそ、俺らのルールを知らねぇってんじゃねぇだろうな!!」
「どこの誰だろうと刃傷沙汰はご法度だ! この店にいる限り従ってもらうよ!! 」
「知るかバカヤロウ! 口出しすんなババア!!」
「……ほぉ〜う……」
メリッサの目つきが変わった。そのままゆっくりと歩み寄ったカウンターの裏。引っ張り出したソレを手に、再びアニキに向き直った。
「口が駄目なら、こいつを出すとしようかい……」
「!!?」
静かにいいながら手でポンポンと弄んでいた物ーー巨大な手斧の刃が、ギラリと光を反射した。
「な……んだ……そりゃ……!!」
「用心棒だよ。身の程知らずなバカの頭を叩き割って、血の気を抜いてくれるのさ」
棒と呼べるほど柄の長さがない手斧だったが、刃の幅と厚みは戦斧くらいのサイズがある。
血どころの騒ぎじゃない。あんなモノ食らったら、一撃で命まで抜かれるだろう。
「だ、誰に喧嘩売ってんのか分かってんのか! 俺が一声かけりゃ、いくらでも……」
「知らないねぇ、そんな事。『ゾンビの美徳』さ。ペラペラしゃべらないのが死体のいい所だろ?」
死人に口なし、という訳か。
めくれた唇から見える牙が、メリッサの本気度を如実に表していた。
「ぐっ……! ひ、人の商売に横槍入れていいのかよ!?」
「賭場はギャンブルをやる場所だ。他の事は他所でやるんだね」
「賭場ってのは俺らが堅気をカモるためにあるんだよ!」
「勘違いしてるぜ、アニキ」
冷水を浴びせるような声がした。
アニキとメリッサの目がオレの背後、ロメウに向いた。
「堅気がカモられるんじゃねぇ。マヌケがカモられるんだ。世の中ってのはそういう風にできてるのさ」
「あぁっ!? 俺がマヌケだってのか!?」
「そのチンケな短剣で手斧と闘り合おうってんだろ? マヌケ以外の何者でもねぇよ」
肩を竦めるロメウの姿が目に浮かんだ。メリッサが迫力のある表情を浮かべ、アニキがわなわなと身体を震わせている。
「テ、テメェら……!」
「選びな。金と首、どっちを置いてくのかをね」
手斧をぶらりと下げ、メリッサがゆっくりと近づいてくる。気圧されたアニキがじりじりと後退する。
「ま、首を落とせば必然的に有り金全部置いてく事になるんだけどねぇ。割増になるが、掃除代込みって事なら高くはないだろ?」
笑みを浮かべるメリッサだったが、目は笑っていなかった。
対応の如何によっては、本当に首が飛ぶ。
さしものアニキも、折れざるを得ないだろう。
「クッソババァがああぁ……!!」
テーブル上の賭け金を一瞥した目が、再びメリッサに向けられる。さらにオレ達を順番に睨めつけてアニキが言葉を絞り出した。
「調子こいた事、後悔させてやる……テメェらもだ……そのツラ……忘れねぇからなぁっ!!」
ガンッ!!
「っ!!??」
テーブルの脚が蹴り上げられ、積まれた金貨と銀貨がジャラジャラと崩れた。
飛び上がったポルロの尻がドスンと椅子に落ちた時にはもう、アニキは大股で出口に向かっていた。その後を、慌てて子分達が追う。
扉を蹴り開けてハイエナどもが消えてからも、呆然としたままポルロは動けないでいた。
「……なんか……」
開け放たれたままの扉を見ながら、小さく息をついてロメウがいった。
「いらなかった? 俺達」
「最初からメリッサさんに任せた方が早かったかな」
「す、凄いですね……あんな怖そうな獣人を、脅かすだけで追い払うなんて……!」
おっかなびっくり感心するソラだったが、当の本人は平然とした顔をしている。
「三下くらいにビビってたんじゃ、ここらで商売なんかできやしないのさ」
「格が違ったな。それにしても……」
手斧を見、メリッサの顔を見たロメウがニヤリと笑った。
「噂以上の豪傑だ。賭場の主人にしとくには惜しい貫禄だぜ」
鼻を鳴らしただけでメリッサは何もいわなかった。
空いたテーブルに手斧を置き、じろりとオレに目を向けてくる。
まじまじと見ていたかと思うと、ふいに口を開いた。
「ヴェルベッタに膝をつかせたって話……」
「え?」
「あれは、本当かい?」
「え、ええ、まぁ……」
「じゃあ、星獲戦で飛び級したルーキーってのは……」
「オレです」
「……坊や。名はなんてんだい」
「ルキトです」
「……く……くくく……」
メリッサが小さく笑い出した。これまでのしかめっ面とは一変した、嬉しそうな顔だった。
「あいつがルーキー相手に苦戦するとはねぇ……そうかいそうかい……」
「?」
呟きには、感心したような響きがあった。
ヴェルベッタの実力を体験しているからこそ、善戦した事に感心しているーーそんな風に聞こえた。
「ひょっとしてメリッサさん、ヴェルベッタさんと知り……」
「あぁ〜〜っ!! 」
発しかけた質問が、唐突に遮られた。
皆の目が、一斉に声のした方を向く。
「キミかぁ! 凄い大穴を出した人って!!」
つい今まで尻尾を巻いて怯えていたとは思えない、活き活きした顔のポルロだった。
「あ〜あ! ボクも賭りたかったなぁ! そうすりゃ、大勝ちできたのにぃっ!!」
「お前なぁ……」
ロメウが、心底呆れた顔をしている。
理由は明白だった。
本来、星獲戦は賭けのためにやるものじゃないというのが一つ。
倍率の偏りを見れば、オレに賭けてボロ儲けなんて安易な発想にはならないだろうというのが一つ。
そして、最も大きなポイントはーー
「たった今ギャンブルで痛い目に遭いかけて、よくそんな事がいえるな……」
これに尽きる。
ギャンブル狂いも、ここまでくれば一種の才能なんだろう。
「まぁ、無事だったんだから問題なしさ! ありがとうね、ロメウさん、メリッサさん、それに、ルキトさん!」
まるで他人事のような危機感のなさだった。
ロメウはああいったものの、この人の情報をアテにして本当に大丈夫なんだろうか?
「ったく……勝っても結局は修羅場になるくせに、なんだかんだでいつも生き延びるんだからな……」
「ツイてるんだか、ツイてないんだか、分からない人だな……」
「ツイてるんだろうさ」
オレ達のやり取りを聞いていたメリッサが、ポルロを横目で見ながらいった。
「トラブルの神様にね、取り憑かれてるんだよ」
メリッサから使用許可を得、ようやく席について紹介と挨拶を済ませた。
本題に入ると、大勝ちしてほくほく顔のポルロが機嫌よく応じてくれた。
「それで、聞きたい事って? 助けてもらったお礼にサービスしとくよ」
「人探しだ。これを見てくれ」
ティニーシアの似顔絵を見せ、ソラが経緯を話した。
真剣な顔で聞くポルロは、雰囲気が変わっていた。
スイッチが入ったプロの目ーーさっきと同じ人物には到底見えなかった。
「どうだ? 目撃情報はないか?」
説明を終え、ロメウが発した問いにポルロが首を振った。
「帰るのが面倒で最近はスラムに泊まってるんだけど、ダークエルフの噂はないね。見た記憶もない」
「お前のねぐらって歓楽街の端だっけ。あっちでも同じか?」
「うん。希少な種族だから、目撃されれば噂が流れると思うんだけど。ないって事は余程うまく隠れているか、誰かに匿われているんだろうね」
ソラに目を向け、ロレンツォと同じような事をポルロはいった。
「確かに、すれ違う人達がソラを珍しそうに見てたけど……こんな大きな街でもいないものなんですか、ダークエルフって……」
「全くいないって事はないと思うよ。ただ、群れるのを嫌い、隠密行動を好む種族だから見つけにくいんだよ。トレードマークの耳を隠してたりしたら、なおさらね」
「じゃあ、堂々と歩いてるソラの方が珍しいのか……」
「たちの悪い奴隷商人や人さらいどもがいるからな。特にダークエルフは好色な貴族や金持ち連中の間では黒い宝石なんて呼ばれて、高値で取引されている。本来なら顔や耳、肌をさらさない方がいいんだ」
「それは、わたしも思ったんですが……隠さずにいれば、姉の目につきやすくなるんじゃないかと思って……それで……」
「確かに目立つには違いないが、ちと無謀にすぎたな。ルキト達に会わなきゃ、今頃どうなってたか……」
「はい……ルキトさん達にはご迷惑をおかけしてしまって……」
しょんぼりと下を向き、消えそうな声でソラがいった。
「本当に……ごめんなさい……」
「い、いやいや! 誤解しないでくれ! 責めてるわけじゃないんだ!」
慌てたロメウが、身を乗り出してフォローを入れる。
その様子が娘を気遣う父親のようで、なんだか妙に微笑ましかった。
「オレ達の事は気にしなくていいよ、ソラ。お姉さんが心配だったんだから、仕方ないって」
「そ、そうそう。これからは分からない事があったらなんでも訊いてくれよ。な?」
「は……はい。ありがとうございます!」
下に向いていた耳をピンと立て、笑顔を浮かべてソラがいった。ロメウがホッと胸を撫でおろす。
「……待てよ? ダークエルフ……褐色の肌……剣士……美しい……凄腕の……」
「ん?」
脱線した話を尻目に、ポルロがブツブツと独り言をいっている。
様子に気づいたロメウが顔を覗きこんだ。
しかし、気づいた様子もなく、顎を指で撫でて耳をピクピク動かしながら、尚も何かを考えていた。
「どうしたんだ、ポルロ」
「……いや、ソラちゃんのお姉さんかどうかは分からないんだけど……」
「何か思い出したんですか?」
「ある筋からの依頼で、情報を集めてる組織があってね。最近になってそこで頭角を表してきた人物がいるらしいんだけど、それが、褐色の肌をした剣士なんだって」
「そ、その方は、ダークエルフなんですか?」
「常に兜をかぶってるから種族は分からないらしい。ただ、女性である事は間違いないみたい。剣さばきは相当だって噂だよ」
「お前は見た事があるのか?」
「いや、ない。何度か侵入してるんだけど、最高幹部の護衛をしてるもんで、下っ端じゃ見れない地位にいるんだよ」
「褐色の肌をした、凄腕の女剣士、か……」
「しかも、最近になって頭角をってんなら……新参だよな?」
「組織に入っているのなら、外に出なくても平気ですよね……」
「うん。細かい用事は下の人達がやるだろうからね。あえて人目につくような事をする必要はないかな」
個人ではなく組織に匿われているなら、探し出すのは至難の業だ。
それが意図的であるのかは分からないが、結果的に姿を隠す最大の要因になっている事は間違いない。
しかし考えてみれば、ティニーシアの目的は姿をくらます事ではない。
「仮に褐色の剣士が本人だったとして、その組織に身を寄せている理由って、やっぱり……」
「はい。会いたい人というのが所属しているんだと思います」
「まぁ、そういうこったろうな。で?」
身体ごと向き直り、ロメウがポルロに問いかけた。
「その組織の名前は?」
「白光天神教。聖女アリマ様の身辺警護部隊、『十聖華』にいるんだってさ」




