133・獣の掃者
石畳の剥げた路。生え放題の雑草。壁に穴の開いたボロ家。木枠だけの廃墟。バラック小屋。良く見れば中に人がいる、裂け目だらけの布テント。
さっきまでの狭苦しい路地よりは幅のある路だった。
しかし、積み上げられた瓦礫に邪魔され、散乱するゴミを避けなくてはならない分、こちらの方が歩きにくい。
「すごい所だな、こりゃ……」
ホコリっぽい空気と鼻につく異臭、どこかから漂ってくる焦げ臭い匂いが荒廃的な空気に絡みつく、掃き溜めのような街ーースラム。
ゴミを漁る薄汚れた猫と目があった。
「商業都市カロンの、いわば暗部だ。ま、スラムなんて、どこも似たようなもんだけどな」
老人がぴくりともせず路上に転がっている。赤ん坊を抱いた女性が虚ろな目で座りこんでいる。ゴロツキがチラチラとこちらを盗み見ている。子供達が建物の陰から様子を伺っている。
意志のない目。小狡そうな目。物欲しそうな目。
映しているのは、希望ではない。明日でもない。
緩やかな死。死から遠ざかる術。あるいは、生き長らえる術。
希望ではない何かに縋る瞳はくすみ、色褪せ、暗く沈んでいた。
「こ、こんな所に、店なんてあるんですか?」
声には不安が滲んでいた。
先頭にロメウ、殿にはオレがつき、ソラを守るように前後から挟んで歩く。
示し合わせた訳ではない。自然とそうなっていた、いや、そうせざるを得ない雰囲気がこの場所にはあったのだ。
しかし、それでも安心できない心理が、落ち着きなくキョロキョロする挙動から見て取れた。
「もちろん。こんなんでも一応は『街』だからな。宿もあれば飯屋や酒場、ギャンブルができる場所だってちゃんとあるんだぜ」
「スラムの飯か……食べたくないな……」
「いや、それが意外と食えるんだ。酒なんか混ぜ物だらけだけどな。まぁ、材料がなんなのか、どこから調達してきたのかを考えない前提ならば、だがよ」
「お、お腹が痛くなりそうですね……」
代わり映えのしない風景が続いた。
さほど入り組んではいないものの、こうまで景色に変化がないと、これはこれで迷いそうだ。
しかし、行き交う住人にはある変化があった。
「獣人が増えてきたな」
街を奥に進むにつれて、目に見えて人の数が減ってきているのだ。
「もともとスラムはヤツらのテリトリーだ。人族が住んでるのは、入口付近のごく狭い場所だけなんだよ」
獣人といっても、ぱっと見オレ達と大きくは変わらない。特徴的な耳と尾があるというだけだ。
通り過ぎ、すれ違い、あるいは好奇の目を向けてくる彼らは、耳の形、頭髪の色と模様で肉食か草食かをうかがい知る事ができた。
「……あれ?」
と、様々な毛色の獣人達を眺めている内に、気づいた事があった。
「どうかなさったんですか?」
肩越しに、ソラが顔を向けてくる。
小さく手を振って答えた。
「いや、なんでもないよ」
「?」
そういいながらも内心、ある事実に驚いていた。
獣人達の耳が、頭ではなく人と同じ位置にあったからだ。
ここじゃあ、あれがデフォなのか……。
常々、思っていた。
ラノベに代表されるジャパニーズファンタジーに出てくる、耳が頭にある獣人の側頭部ーーすなわち、オレ達人間の耳がある部分は一体、どうなっているんだろう。
まさか、人と同じ耳があるとは思えない。やはり何もなく、つるんとしているんだろうか。それはそれで、マネキンみたいな不気味さがある。
これまで、確認したくともできなかった。なぜなら彼らのその部位は、必ず髪で隠れているからだ。
坊主頭、モヒカン、あるいはスキンヘッドの獣人だっていていいはずだ。
しかし、見た事がない。
なぜか。
……大人の事情?
やはり『この世界』はガバ……奥が深い。
「なんだか、ここの皆さんの方が活き活きした目をしていますね」
埒もあかない考えが強制終了した。
オレが耳に注目している間に、ソラは別の所を見ていたらしい。
確かに貧しい身なりではあったが、生きる意思がうかがえる目ばかりだった。
「獣人族は人族より文明のレベルが低い。オレらからすれば最底辺の生活でも、本人達にとっちゃ気にするほどじゃないのさ」
「そもそも持っていないから、ここでの生活も故郷での生活も大差ないって訳だ」
「そういうこった」
やがて、先頭を歩いていたロメウの足が止まった。
眼前には、壁の大半を蔦で覆われた建物があった。
「到着だ」
「あれ? なんか、思ってたより……」
「ちゃんとした建物ですね。壁も屋根も壊れていませんし」
「主人のメリッサってのがやり手でな。ここらじゃ有名な賭場なんだ。この時間ならポルロのヤツも……」
頑丈そうな建物を眺めながら、ニヤリと笑ってロメウはいった。
「尻尾の毛まで毟られ終わってんだろ。話をするには丁度いいぜ」
あくまで、負ける事が前提ーーそういう意味でも、ポルロを信頼しているようだった。
「イカサマしやがったなテメェっ!!」
扉を開いて出迎えてくれたのは、笑顔でも挨拶でもない、殺気立った声だった。
ソラがびくっと身体を震わせ、反射的にオレは身構えた。
「あん? 騒がしいな」
しかし、ロメウはいたって冷静だった。躊躇する事もなく、ズカズカと中に入っていく。
石造りの店内には、四脚の椅子に囲まれたテーブルが五セット、間隔を開けて配置されている。
そのうちの一つ、最奥の席に二人が座っていた。片方の背後には三人の男が立ち、小太りの男を剣呑な目で睨めつけている。
「イ、イカサマなんかしてないよ!」
「ウソつくんじゃねえ! ノーチェンジでこんな手が出る訳ねぇだろ!!」
「そんな事いわれても……」
「あ〜らら……」
イチャモンをつけられて萎縮しているのがポルロだろう。
オーバーオールの上にチェック柄のシャツを羽織った姿は、喋るクマさんといった印象だ。
「今日はもう店じまいだよ」
呆気にとられて見ていると、低い女性の声がした。
バーカウンターに両手をつき、冷めた目を向けてくる赤毛の獣人。
上背のあるがっしりした身体に、白いワイシャツとボディラインにフィットした黒のロングスカートを身に着けている。シンプルな服装が、ガタイの良さをより強調して見せていた。
女性らしいのはスカートと、後ろで束ねた赤髪だけーーさしずめこちらは、大型の肉食獣といった雰囲気だった。
「よ、メリッサ。残業お疲れさん」
ロメウが応じると、メリッサが僅かに目を広げた。不機嫌そうな声が返ってくる。
「あんたか。用事なら後にしな。これからゴミ出しをしなきゃならないんだ」
「用があるのはアイツにだよ」
泣きそうな顔をしているポルロを、ロメウが顎で示す。メリッサがふんと鼻を鳴らした。
「そうかい。なら丁度いい。これ以上残業するのは御免だからね」
「あぁ。ゴミ掃除は任せて、金勘定でもしててくれよ」
「相変わらず口が減らない男だねぇ……」
「さて、許可も出た所で……」
ロメウが顔を向けてきた。特に動揺している風でもなく、緊張している訳でもない。
ありふれたトラブルーーこれが、スラムでの日常なんだろう。
「ちゃっちゃと片付けるか」
「あいつらをつまみ出せばいいのか?」
「まぁそうなんだが、荒っぽいのはやめとこうぜ。ここは一つ、穏便に話し合うとしようや」
「了解。任せるよ」
オレ達が近づいても、誰一人として気づかなかった。
噛みつきそうな勢いで捲し立てる男と子分達に気圧され、ポルロが小さくなっている。
ロメウが声をかけた。
「その辺にしとけ」
「あぁっ!?」
「ロ、ロメウさん!」
ポルロが涙目を向けてきた。同時に、男が血走った目を向けてくる。灰色の髪と頬のこけた痩せ型の体型は、ハイエナを彷彿とさせた。
「んだテメェ! 口出しすんじゃねぇ!!」
「ギャンブルの負けをキレてうやむやにするってのはルール違反だ。大人しく払うもん払えよ」
「イカサマ野郎に払う金なんぞあるかっ! ナメた真似しやがって!!」
「サマ、やったのか?」
ロメウが顔を向けて問うと、ポルロがブンブンと首を振った。
「し、してない! してないよ! 本当に、普通にやって勝ったんだ!!」
「だとさ」
「平でこんな勝ち方ができるか! カードチェンジなしで出る手じゃねぇだろ!!」
「で、でも、出ちゃったんだから、仕方な……」
「うるせえ! ブッ殺すぞこの野郎!!」
「おい。やめとけってんだよ」
身を乗り出す男を、ロメウが制した。取り巻きの三人が色めき立つ。
四人揃って似たような見た目から、おそらくは同族なんだろう。
「おい! さっきからなんなんだテメェは! あぁん!?」
「関係ねぇヤツは引っこんでな! 痛い目に会いたくなきゃなぁ!」
「困った事にならないなら黙って見てたい所なんだがな。あんたら、そんな気ねぇんだろ?」
「当たり前だ! タダで帰すか!」
「そもそも、サマをやった証拠はあるのか?」
「アニキがいってんだ! やったに決まってんだろ!!」
「んなムチャクチャな……」
「無茶もクソもあるか! ふざけた真似しやがった落とし前はきっちり取らせてもらうぜ!!」
「そいつが困るってんだよ。ポルロに用があって来たんだ。五体満足でいてくれなきゃ、無駄足になっちまう」
「知ったこっちゃねぇんだよ! さっさと失せろっ!!」
「まいったね、こりゃ……」
ボリボリと頭をかいて、ロメウが下を向いた。
頭に血が昇っているハイエナ達に、話し合いましょうは通用しそうになかった。
「代わろうか」
このままじゃ埒があかない。肩に手を置いていうと、ロメウが顔を上げた。
「結局、こうなるのかよ……」
「全種族に通用するシンプルな方法で説得してみるよ」
「ま、仕方ないか」
前に出ると、五人の目がオレに向く。
ハイエナのアニキが、鼻の頭に皺を寄せていった。
「チッ! 今度はガキかよ、邪魔くせぇ」
「そういうなよ。時間は取らせないからさ」
「面倒だ。オイっ! こいつらをつまみ出せ!!」
「うっす!!!」
「いいね。分かりやすい」
スイッチの入った獣が三匹、臨戦態勢を取った。
背後からの足音で、ロメウとソラが離れるのを確認する。
一方のポルロはというと、椅子から動けずただオロオロしていた。
「あ、あの……あ……」
「大丈夫だから。座っててください」
「う……うん……」
一声かけ、目を正面に向けたままゆっくりと広いスペースに移動した。警戒しながら近づいてくる子分達だったが、武器を出す様子はなかった。
「へぇ。素手喧嘩か。なかなか、太いじゃんか」
「余裕カマしてんじゃねぇぞらぁっ!!」
叫びながら、先頭の一人が大きく踏みこんできた。脇腹を狙った右回し蹴り。
予備動作もたっぷり、隙もたっぷり。
初手でこれは、流石にナメすぎだ。
ゴガッ!!
「!!?」
鈍い音が響いた。
蹴り足を肘と膝で上下から挟んで壊す交差法ーー蹴り足挟み殺し。
同時にではなく、肘か膝、どちらかを先に当てるのが上手く捕るコツだ。
「……っっぐああぁぁぁーーっ!!」
挟んでいた右足を離すと、子分Aが床に倒れこんだ。折らないよう加減はしたものの、しばらくは歩けないだろう。
「おらああぁっ!!」
間髪入れず子分Bが拳を振ってきた。ヘッドスリップで躱す。伸びた右腕の下。死角からのカウンターーーショートアッパー。
カコンッ……!
「……っ……」
正解に顎を打ち抜くと、子分Bの両膝から力が抜けた。すとんと、身体が真下に落ちる。
「!??」
呆気にとられた子分Cが目を白黒させている。距離を詰めて右腕を突き出した。人差し指で右目を、薬指で左目をそれぞれ狙う。
目突きは、中指を使わない方がやりやすい。長過ぎて人差し指が刺しにくくなるからだ。
ボッ……!!
指先が眼球に吸いこまれていく。届くまで、あと数ミリーー肩を入れきらず、貫手を寸止めした。
「……っと。危ない危ない」
「っ!!!?」
「勢い余って抉っちゃうとこだったよ」
眼の前で指をうにうにと動かして見せた。子分Cの額から、汗がどっと吹き出した。
「……ひっ……!!」
一歩下がり、腰を抜かしてその場にへたりこむ。
まずは、三人。説得は上手くいったようだった。
「テテ、テメェっ!!」
血相を変えたアニキが椅子を蹴って立ち上がった。焦りと怒りで顔が引きつっている。
ロメウの声が聞こえた。
「流石はヴェルベッタに膝をつかせたマーシャルアーツだ。切れ味がいいねぇ」
「ふ……ふざけやがってえぇ……!!」
震える唇から言葉を吐き出すと同時に、手がゆっくりと腰に伸びていく。
下げていた鞘から、短剣が抜かれた。
「上等だ……斬り刻んでやるよ……」
「もうやめろって。そいつを抜いたら、喧嘩じゃ済まなくなるぞ」
「ここでケツ捲ったんじゃ、こちとら商売上がったりなんでな……」
目が据わっていた。
腹を括り、返って冷静になったんだろう。ここから先は危険な領域ーー命の奪い合いになる。
「……やれやれ……」
アニキの口からは、獣特有の唸り声が漏れていた。
あれを調教……いや、説得するのは、少々骨が折れそうだった。




