130・裏路地の探索者
入り組んだ狭い路地に、人の気配はまばらだった。陽の光が届かない街並みは薄暗く沈み、くすんで見える。
喧騒と熱気、体臭と香水、そしてアルコールの匂いで湿った空気。色と欲と金にまみれた夜のドレスを脱ぎ去った歓楽街が、今は束の間の惰眠を貪っていた。
「ん〜……っと……この辺のはずなんだけど……」
お目当ての宿屋を探しながら、オレとソラは歩いていた。道端では、酒瓶を抱えて眠る酔っ払いが豪快にいびきをかいている。
「確か、赤煉瓦の建物でしたよね?」
「うん。目立つからすぐ分かるっていってたんだけど……」
ティラに書いてもらった地図を再度確認した。
しかし、周辺にそれらしき建物は見当たらない。
「思った以上に入り組んでますね。まるで、迷路みたいです」
「何もこんなごちゃごちゃした裏街で宿を取ることもないのになぁ……」
酒場や娼館、安宿、食堂が無理やり押しこんだかのように密集し、道幅の狭さと相まって見晴らしを悪くしている。
それらのほとんどが小さい店で、目印にならない所がまた、複雑さに拍車をかけていた。
小さなため息が漏れた。
「まぁ、ロメウらしいっていえばらしいけどね」
協力の申し入れを受けてくれたヴェルベッタは、情報の共有も約束してくれた。教団に関する資料をティラが文書にまとめてくれるという。
改めて礼をいうと、意外な申し出があった。
「実はこのあと、領主様の所に行く予定なのよ。時間があればいらっしゃいな」
「え? いいんですか?」
「ええ。紹介もしておきたいし、今後の打ち合わせをするから、ルキトは参加しておいた方がいいと思うの」
「分かりました。ご一緒させていただきます」
「といっても夜なんで、鐘が五つ鳴る頃に戻って来てちょうだい。ティラと三人で行きましょう」
「なんじゃ。わらわ達は行けぬのか?」
意外だった。
それをいったのがマリリアでもグラスでもなかったからだ。
「流石にそんな大人数で押しかける訳にはいかないわ。ビョーウちゃん達はお留守番ね」
「……ふん。仕方ないのぅ」
普段のビョーウなら、こんな事はいわないだろう。
地位や肩書きに興味がなく、権威や権力にも関心がない。ゆえに、たとえ国王直々に招待されたとしても、気が向かなければ応じない。そういうヤツだからだ。
しかし、今回に関してはそうでもないようだった。
理由は明白。
ステータスを覗き見る例の能力ーー少なからず、あの領主に興味が湧いているんだろう。
「わたしも行きたいんだけど、こればっかりはねぇ……」
一方こちらは、なんにでも首を突っこまなきゃ気がすまない性分が丸出しになっていた。
無念さを隠すそぶりも見せずにマリリアがそういった。
「どのみち、お前は仕事があるだろ」
「夜なら勤務時間は終わってますう〜。その後はプライベートなんですけどお〜」
ツッコミに、余裕たっぷりの表情を返してくる。
今日は本当にこのまま仕事をせずに終わる気でいるようだった。
「とかなんとかいって、また居残りさせられちゃうんじゃないの?」
「失礼ね。人を宿題忘れた小学生みたいにいわないでよ」
「そういえば、マリリアさん」
思い出したようにティラがいった。
指で押し上げた眼鏡が、キラリと光を反射する。
「今期の依頼統括レポートの作成は終わっていますか?」
「……え?」
「確か、提出日は明日までだったはずですが……」
マリリアの顔から血の気が引いた。
答えなど、聞くまでもなかった。
「あ“あ“ぁ“ぁぁ〜〜っ!! 忘れてたああぁぁぁ〜〜っっ!!!」
「お前……ギャグでやってるだろ……」
「ヤバいヤバいヤバいっ! なんにもやってないわっ!!」
跳ねるようにマリリアが立ち上がった。
某黒ひげゲームの人形のような勢いだった。
「ジェイミー樣達がデスクワークを忙しそうにしてらしたのは、提出日前日だったからなのですね」
「それに比べて……清々しいくらいダメですね……」
「あやつを良く見ておけ、ソラ。反面教師としては満点じゃ」
妙な納得をするソラも辛辣すぎるビョーウの皮肉も、気にしている余裕などないんだろう。
青ざめた顔で、ダメ神様が頭を抱えている。
「今回も遅れたらジェイミーに殺されちゃうっ!!」
「そういえば前期も提出日が過ぎてたわね」
「はい。ジェイミーさんこっぴどく叱られたはずです」
「殺されるは大げさだけど、マリリアちゃん。今回も間に合わなかったら……」
のんびりした口調で、ヴェルベッタがいった。
「減給よ♥」
「なっっ……!!」
その単語に尻を叩かれたかのように、マリリアが部屋を飛び出していった。
「なんでこうなるのよおおおぉぉぉ〜〜っっ!!!」
絶望の叫びが遠ざかっていく。
身体を張った渾身のフラグ回収は、一周回って関心する程の鮮やかさだった。
お騒がせ娘がオチを付けてくれた所で、一旦、解散となった。
夜までの予定を聞かれてティニーシアの件を話すと、ティラから提案があった。
ロメウの手を借りてはどうかというのだ。
聞けば、情報屋に顔がきき、裏社会にもコネがあるという。
渡りに船だった。
その場で宿の地図を書いてもらい、礼をいって退室した。
一階に降り、マリリアに声をかけようと……したのだが、やめておいた。
うおおぉぉ〜〜っ!! なんて叫びながらデスクワークをする人間がリアルにいるとは思わなかった。
怖かった。
情報収集は二手に分かれて当たる事にした。
光の魔法でティニーシアの似顔絵を獣皮紙に焼きつけたグラスが、それを持ってビョーウと組んだ。
姫君には、揉め事を起こさないよう釘を刺した。
「問題など起こすか。マリリアと一緒にするでない」
何を当たり前の事を、とでもいわんばかりの顔で返された。
つい先日、安請け合いした直後にロッグスをちびらせた事など、すっかり忘れているようだった。
絶対に目を離さないよう、重ね重ねグラスにはお願いしておいた。
そしてオレはソラと一緒に、まずはロメウを訪ねる事にしたのだ。
「こんなに複雑な所でも迷わないなんて、ロメウさんって方、この街にお詳しいんですね」
キョロキョロと周囲を見回しながらソラがいった。
確かに、一見さんお断り、とでもいいたげな入り組み方をした一角だった。
「うん。諸国をふらふらしてるみたいなんだけど、元々はカロンにいたんじゃないかな。ヴェルベッタさんやティラさんとも親しいし」
露出度高めのお姉さん二人組が、すれ違いざまに流し目を向けてきた。反応に困るオレをからかうような笑い声が背後から聞こえてくる。
ゴミを出しに来たバーテンダーとおぼしき男が、野良猫を足で追い払っている。
眠たげな顔をしていた若い男がソラを見て目を見開いている。
どこからか、女のヒステリックな喚き声が聞こえてくる。
日本にいた時はとんと縁のなかった光景ーーしかし、盛り場のオンとオフの温度差は、どの世界でも変わりはないのだろう。
祭りの後のような寂しさと気だるさ、そして、偽りの華やかさやきらびやかさが剥げ落ちた虚構の裏のリアルが、今、ここにはあるのだ。
そんな事を感じながらさらに探し回っていると、やがて煤けた赤煉瓦の建物が目に止まった。
ソラが声を上げた。
「あ! あれじゃないですかルキトさん!」
「……うん、あれだ。やっと見つかったか……」
地図と見比べ、確認する。
位置的にも間違いはなさそうだった。
「行ってみよう」
「はい!」
薄汚れた木製の扉を開けて中に入ると、正面に受付カウンターがあった。
しかし、誰もいない。
ぶら下げてある呼び出し用の木板を備え付けの木槌で叩く。すると、仕切りのカーテンを開けて奥の部屋から主人が出てきた。
「泊まりかい」
挨拶もなく、いきなり尋ねてくる。
小さく手を振って要件を伝えた。
「あ、いえ。ここにロメウって人が宿泊してると思うんですけど、部屋を教えてもらえませんか?」
「ロメウ?」
「はい。日に焼けた三十代前半くらいの、左目を閉じた男なんですが……」
「ああ」
伝わったのか、主人が数度、小さく頷いた。
「あの遊び人か。二階の一番奥だよ。用があるならご自由に。ついでに、夜はもう少し静かにしろって伝えといてくれよ」
「夜中に騒いでるんですか?」
「大概にしてもらわないと、ベッドが壊れちまう」
「あ、あぁ……なるほど。伝えておきますよ」
「たのんだよ。まったく、毎晩毎晩とっかえひっかえ……」
ぶつぶついいながら、主人がカーテンの向こうに消えた。
ソラが、首をかしげながら見つめてきた。
「毎晩、宴会でもなさっているんでしょうか?」
「あ〜……うん、まぁ……盛りあがっちゃってるのかもね……」
「?」
主に下半身が盛りあがっているのであろう、夜ごと繰り返される大人の宴会ーー詳細など、純真を絵に描いたようなダークエルフの少女にいえる訳もなかった。
「と、取り敢えず、行こうか。ロメウのヤツ、起きてりゃいいけど」
「はい!」
そんな世界とは無縁のソラが、元気よく頷いた。




