128・格言は耳に痛し
マリリアと分かれて宿に帰ると、ソラが待っていてくれた。
夕食がまだだった彼女の食事をテイクアウトし、部屋に戻る。
改めてビョーウに紹介すると、目を見開いて呟いた。
「綺麗……」
容姿端麗なダークエルフから見ても、やはりこの美貌は際立っているらしい。
しかし、当のビョーウはというと、ソラがここにいる理由と目的、オレ達と出会った経緯にもさして興味を示さなかった。
相変わらず、ブレない奴だった。
「信じられません……死なない蜘蛛なんて、いるんですね」
食後、グラスに入れてもらったグリーンティーを飲みながらクエストの話をした。
ソラは、目を輝かせて聞き入っていた。好奇心が旺盛なんだろう、外の世界で起きる事に興味津々な様子だった。
「といっても、魔改造された個体だからね。薬なのか魔法なのか、あるいは呪術の類いなのか……」
「生き物から死を奪うなんて……そんなの、生に対する冒涜です」
「オレもそう思うよ。あの教団はヤバい。早く手を打たないと、取り返しのつかない事になる」
ティーカップを膝に乗せ、ベッドに腰掛けたグラスがいった。
「できれば、ヴェルベッタ様に教団の事をお訊きしたいですね。暗水衆が内偵をなさっておいででしょうし」
「うん。話してみようと思ってる。協力させてくれってね」
「回りくどいのう。正面から乗りこんで、さっさと潰してしまえばよいではないか」
もう一台のベッドにはビョーウが座っていた。優雅に足を組み、木製の大ジョッキに波々と果実酒を注いでいる。片手で持ち上げている小樽は、ピッチャーの倍ほどもあった。
「そんな真似してみろ。大騒ぎになる」
「大臣の事もありますし、あまり強引な方法は取れませんよね……」
「まったく……面倒じゃのぅ……」
ため息をつき、ビョーウがジョッキを煽った。
「まずは敵を知る事だ。大臣うんぬんもそうだけど、危険な組織だからな。情報がなきゃ話にならない」
「そうですね。明日にでも冒険者ギルドに伺ってみましょう」
「ヴェルベッタさんの身体も心配だしね。それに、ソラ」
「はい?」
「お姉さんの件はどうだった?」
小さく首を振り、沈んだ顔でソラがいった。
「手がかりはありませんでした」
「なら、そっちも含めて明日は情報収集をしよう」
「はい。よろしくお願いします」
「それじゃ、ちょっと早いけどそろそろ寝ようか」
言葉にした途端、眠気がどっと襲ってきた。オレのあくびを見たグラスが笑顔を浮かべた。
「そうですね。ゆっくり休みましょう」
「ふむ。では、今日の所はこのくらいにしておくか」
そういって、ビョーウが一息でジョッキを空けた。結局、テイクアウトしてきた分は全て飲み干してしまったようだ。
「じゃ、また明日ね。おやすみ」
「はい。おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
あいさつしながら腰を上げ、ドアに向かう。
同時に立ち上がったビョーウが、小樽とジョッキをテーブルに置いた。
そして。
「……ん?」
当たり前のように、オレについてきた。
「なんじゃ。どうかしたか?」
「いや、なんじゃ、じゃなくて。どうしてついてくるの?」
「寝るために決まっておろう。さ、部屋に行くぞ」
しれっといったビョーウが、組んできた腕をぐいぐいと引っ張り出す。
反射的に抗って、オレはいった。
「行くぞじゃない! お前の部屋はここだろ!」
「三人では寝られぬじゃろうが」
「そ、それは……そうだけど……」
「ゆえにわらわがお主の部屋で寝るというておるのじゃ。何か問題があるか?」
「おおありですっ!」
オレが答える前に、グラスが割って入ってきた。
ビョーウの眉がぴくりと動く。
「しつこいぞグラス。いい加減にせい」
「ビ、ビョーウこそ、いい加減にしてください!」
ロッグスの件でうやむやになっていた問題が、ここに来てまたもや勃発した。
さらに悪いのは、マリリアもロメウもいないって所だ。
つまり、止められる人間がいない。
そうこうしている間にも、二人はヒートアップしていく。いよいよもって本格的にマズい状況になりかけたその時だった。
予想だにしなかった救いの手が差し伸べられてきたのだ。
「お二人とも、やめてください!!」
ソラだった。
必死の剣幕に、ビョーウとグラスのいい合いが止まった。
「トロルは奪いエルフは与える、という言葉があります! 力ずくで奪い取ったのでは、暴食のモンスターと同じです!」
「ト……トロ……!?」
悪食で知られる下級のモンスターを引き合いに出されて、二人が絶句した。
お互いを見つめたまま、二の句を継げずにいる。
「ベッドがないならわたしは床で寝ますから、喧嘩はしないでください」
ソラにこうまでいわれては、流石に引き下がらないわけにはいかない。
ビョーウが顔をしかめ、グラスはしょんぼりと肩を落とした。
「小娘が……いいよるではないか」
「ご、ごめんなさい、ソラ。わたくし、どうかしていました」
「いいえ。わたしこそ、あの、少しいいすぎました。すみません」
ぺこりと頭を下げたソラだったが、堂々とした物言いには風格のようなものが漂っていた。
と、いうか、この中で一番大人なのは、この娘なんじゃないだろうか?
「と、とりあえず……」
トラブルを収めてもらった安堵と、それをやったのが年端もいかない少女だったという情けなさが入り混じった、複雑な気分だった。
ともあれ、ソラを床で寝させるわけにはいかない。
「空きの部屋があるか確認してくるよ」
「い、いえ、わざわざお部屋を取っていただかなくても、わたしは本当にどこでも眠れますので……」
「そうはいかないよ。ちょっと待ってて」
「あの、でしたら……」
小さく手を上げて、おずおずとグラスがいった。
「わたくしと寝る、というのはいかがでしょうか」
「二人で一緒に? それじゃ、狭くない?」
「ここのベッドは大きめですので、大丈夫だと思います。ソラが、嫌でなければですが……」
「イヤなんかじゃありません! グラスさんが良ければ、ぜひ!」
この提案に、ソラが笑顔で即答した。
本当に、いい娘だよなぁ……。
「分かった。二人がいいならそうしよう」
最終手段として、ソラがオレの部屋で寝る、という方法もあった。
しかし、話がまたややこしくなりそうだったのでいわないでおいたのだ。
グラスの提案は、正直助かった。
「それじゃあ、本当に休むとしようか。ビョーウ、大人しく寝るんだぞ?」
「ふん。興を削がれたわ」
腕を組んでそっぽを向く姿を見て、苦笑が出た。この様子なら、まぁ、大丈夫だろう。
改めて挨拶を交わして、オレは部屋を後にした。
射しこむ朝日で目が覚めた。起き上がって窓の外を見ると、快晴の空が広がっていた。
眠い目をこすりながらベッドから降り、窓を開ける。爽やかな空気と通りの喧騒が部屋に流れこんできた。
あくびをしながら道行く人々を眺めていると、ノックの音がした。鍵を外してドアを開けた。
「おはようございます、ルキトさん!」
立っていたのはソラだった。明るい笑顔が、朝日の中で輝いて見えた。
「おはよう、ソラ。早いね」
「わたしもさっき起きた所です」
「二人はまだ寝てるの?」
「いえ、お目覚めです。食堂にいらっしゃいます」
「分かった。すぐに行くよ」
「はい!」
ソラは朝から元気だった。耳をピンと立て、返事をして扉を閉めた。
さて着替えようとして大きく伸びをすると、肩から背中がバキバキと鳴った。何度か頭を左右に倒す。同じように首からゴリゴリと音がした。
「昨日は、ちょっと飛ばしすぎたかな……」
ハードな一日は、あれやこれやのアクシデントも含めて、盛りだくさんの内容だった。
しかし、本番はこれからだ。
ソラの姉、ティニーシアの行方と、教団の問題。
さらには、その背後にいるであろう巨凶の存在。
寝ぼけてる場合じゃない。
「っしゃ! 気合い入れてくか!」
両頬を叩いて、己に喝を入れた。
食堂に降りていくと、十席程度のテーブルが半分埋まっていた。
オレに気づいたグラスが、奥まった席から手を振る。
挨拶を交わして椅子に腰を下ろすと、ウェイトレスがやって来た。
「おはようございます。何にします?」
「みんなは頼んだの?」
「はい。わたくし達は、モーニングのセットを」
「じゃ、オレも同じのでいいや」
「分かりました」
オーダーを済ませると、小さな欠伸が出た。
すかさず、ビョーウにツッコまれた。
「締まらぬ顔じゃのう。起きておるか?」
「起きてるって。寝起きなんてこんなもんだろ」
「それでも武道家か。いかなる時でも気を緩めるでない」
「へいへい」
肩をすくめたオレに、グラスが微笑を浮かべていった。
「よくお休みになれましたか?」
「うん、がっつり寝た。そっちは大丈夫だった?」
「はい! ぐっすり眠れました!」
ソラの様子を見る限り、問題はなかったようだ。
さしものビョーウも大人しく寝たようだし、これで全員、回復しただろう。
「おまたせしましたぁ〜」
四人分のオーダーを乗せたワゴンを押して、ウェイトレスがやって来た。
食事をしながら、今日の予定について話した。
「まずはギルドに顔を出そうか。その後で情報を集めよう」
「教団のですか? それとも、ソラのお姉さん?」
「教団に関しては、ヴェルベッタさんに聞いた方がいいと思う。下手に探りを入れてるのがバレると、教団がちょっかいかけてきそうだし」
「では、今日はティニーシアさんの捜索ですね」
「具体的にはどうするのじゃ?」
と、ここでビョーウが会話に入ってきた。
意外だった。
てっきり、この話題に関心がないと思っていたからだ。
「ギルドにいる冒険者達に聞き込みをしてから、手分けして探そうと思ってたんだけど……お前、協力してくれるの?」
「ふむ。見物がてら、街をぶらつくのも悪くないの。手を貸してやらぬ事もない」
「本当ですかビョーウさん! ありがとうございます!」
「お主のためなどではないわ。単なる余興じゃ」
つまなそうにビョーウが横を向く。
分かりやすいツンデレから察するに、どうやらソラに一定の好意を抱いているようだった。
あるいは昨夜の一喝で、一目置くようになったか。
マリリアやヴェルベッタに対してもそうだが、意外と面倒見のいい部分がこの姫君にはある。
「よし。じゃ、飯が済んだら行こうか」
「はいっ!!」
ソラの耳が、元気よく上を向いた。




