表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

118/183

117・揺篭(ゆりかご)の滴(したた)り

 血濡れのローブが、返り血でさらに紅く染まった。

 信じられなかった。

 あのダメージで、出血量で、なぜあんな動きができるのか。

 あの執念はどこから湧いてくるのか。

 血が沸騰した。熱を帯びた身体は意識せずとも駆け出していた。

 同時にヴェルベッタも走って来た。ザロメが再び貫手を引き、覆いかぶさるようにマリリアを攻撃しようとしている。


「くっ……そぅっっ!!」


「はあぁっ!!」


 ボボッ……!!


 ビュボッ……!!!


「!!?」


 ドガガアアァァーー……ッッン!!!


 オレの火球とヴェルベッタの斬撃がすんでの所で躱された。

 それでも今のザロメには、二つの力がぶつかり合った衝撃だけでもきついんだろう。後ろに跳んだ直後、踏ん張りがきかない足腰はふらつき、その場に両膝をついてしまった。


「マリリア!!」


「マリリアちゃん!!」


 駆け寄って抱き起こすと、マリリアが目を開いた。左肩から出血しているが、致命傷ではなさそうだった。


「へ……平気よ……ちょっと掠っただけだから……」


「マリリア! 大丈夫ですかっ!?」


 グラスが膝をつき、患部に手を添える。

 癒やしの魔力が緑光(りょっこう)を放ち始めた。


「すぐに治癒します。少し我慢してくださいね」


「うん……ありがと……」


「チッ……なんて奴だ。痛みやダメージがねぇのかよ」


「とどめを刺さないかぎり、動き続けそうですね」


「なかなかにしぶといようじゃな……どれ、わらわが引導を渡してやろう」


 ロメウ、ティラ、ビョーウが、マリリアを守るようにザロメとの間に立ち塞がる。

 ダメージは甚大、数の上でも圧倒的に不利。

 しかし、窮地に追い込まれたはずの当人に自覚はないようだった。

 いや。


「お〜……つき……さ〜まが……み〜ている……よる……に〜……ち〜いさな……お〜はなは……ひ〜とり……ぼっち〜……」


 それすらも理解できないくらいに壊れてしまっている、といった方が正しいのかもしれない。


「な〜みだを……ぽ〜ろぽ〜ろ〜……な〜がし……ながら〜……ひ〜っそり……さ〜みしく……か〜れま〜……した〜……」


「歌……じゃと……?」


「小さいお花……北の国に伝わる古い童謡ですね」


故郷(ラゴン)の唄、って訳か……」


 膝をついたザロメが、(ちゅう)に顔を向けたまま歌い、呟いている。

 徐々に広がっていく血溜まりの中、まるで、夢の世界を彷徨う少女のように。


「大丈夫……? お母様……あああぁぁ……おっしゃらないで……おひさまが……夜にしか入れちゃ駄目って……ふふ……お兄様……隠れんぼは……お庭でしちゃ駄目でしょう? ……汗がお拭いになって……薔薇の棘がたくさんあるから……ほら……綺麗な目しか傷だらけ……ふふふ……さ……(いばら)を束ねたら……ザロメの手で……お父様……あぁ……大きい……白い薔薇がたぁくさん……蕾がお好きなんですって……すぐに……赤くなるのよ? ……いじわるなの……あぁ……ぁぁ……固い……おひさまが……ふふ……いじめないで……いじめ……ないでよぅ……」


 のろのろと、顔がこちらを向いた。黒い眼窩と頬に貼りつく目玉が見ていたのは、眼前の三人でもなければ、オレ達でもない。

 マリリアだった。


「あぁはああぁぁ……お返し……しなきゃ……聖女様が……お濡れになった……あぁ……返して……ね? 地下のお部屋に……しっとり座って……滴るぬいぐるみ……ぅぅふふふ……お兄様はお二人とも……返してくださいまし……お目々が取れかけて……こんなに大きくなった……すぐに……うふふふ……縮んでしまいました……ぺちゃ……ぺちゃって……聖女様ったら……赤ちゃんのお乳が食べれば……たくさん……たぁくさん……さ……あと一つ? ……帰りますよぉ……あぁあぁぁ……くださいな……雫を……赤ちゃんが絞るの……明け方には……アリマ様の聖液が……硬くなってるから……ほら……宝石みたい……ああぁ……あ……ぁ……キラキラしてる……ふ……ふふふ……」


 枯れ枝のような手を、ザロメが伸ばしてくる。

 何かを掴もうとしているような、物を乞うているような、そんな仕草だった。


「ア……アリマ様の、せいえき……聖液? 宝石……?」


 治療が済むと、回復したマリリアが呟いた。

 そして、はっと気づいたような顔で、ふらふらと立ち上がった。


「いけませんマリリア! まだ動いては……」


「大丈夫よ、グラス。分かったの。なんでわたしが狙われてたのか……」


「分かった? 本当か?」


「うん」


 ザロメから目を逸らさず、いや、ザロメの目を見据えながら、マリリアがいった。


「聖女アリマの聖液を固めた宝石……あいつの目的は……」


 いいながら、袋状にして下げていた布を左肩から外した。

 一部が引き裂かれ自身の血で汚れた布を開き、取り出した中身を手に取る。


「この、水晶よ」


「ふっ……!! ふふふううぅぅ……ぅ……うううぅぅぅ〜〜っっ!!!」


 ボッッッ……!!


「!!??」


 ザロメが不気味に笑い出した。予備動作もなく獣のように跳び、長剣(ロングソード)を振りかぶって襲いかかってくる。

 しかしーー


 ザシュッ……ンンッ!!


「……っぅ………!!」


「そうはさせぬ」


 ビョーウが空中で迎撃した。手刀が右肩から上腕までをざっくりと斬り裂いている。

 バランスを崩してザロメが地に落ちた。なんとか膝から着地し頭を上げる。

 泣き出しそうな顔だった。


「……どうやら、正解みたいだな。アリマっていうのか、例の揺篭(ゆりかご)


「そう。教団の象徴、“揺篭(ゆりかご)のアリマ”よ」


「察するに、聖女の魔力が込められた水晶、って事かしらね」


「もしくは、魔力そのものを精製して固めた物かもしれない。いずれにせよ、ザロメの目的はこれを奪い返す事だったのよ」


 空間転移の後、マリリアの足元に転がっていたボロボロの水晶ーー頭に一つの可能性が浮かんできた。


「ひょっとしてそれ……鼠の巣の奥にあったマジック・アイテムか……?」


「巣の奥? ……ああ、穴蔵に染みついてたっていう、魔力の元?」


「うん。なんでかは分からないけど、お前が持ってきちゃったんじゃないのか?」


「!!? そうか、だから蜘蛛は洞窟を襲ったのね。これを取られないように……」


 落石に埋もれ、存在そのものが不明だったマジック・アイテムは、やはりあったのだ。しかも、飛びきりのいわく付きで。

 そう考えると、ラットレースが変異した理由も見えてくる。水晶の魔力が関係していると考えれば、辻褄が合うからだ。


「いぃいじわる……するの……? あぁぁぁぁ……おひさまが……いじわる……したのぉ……お父様みたいに……お母様が……ザロメに飲めないなら……お薬から……ぎゅっとしてください……ほら……果実酒がもうこぼれて……こんなに細い首から……チーズに焼きましょう……ああぁぁぁ……とろとろ……溶けて濁ります……にがい……柔らかいでしょ? ……にがいよぅ……ふふぅぅふふふ……いじわる……ふふふ……いわないでください……」


「戯れ言はそこまでじゃ」


 仄暗く漂う声を遮り、ビョーウが一歩踏み出した。

 殺気と冷たい瞳が獲物に向けられる。


「首を出せ。仕舞いにしてやろう」


 ザロメが、投げ捨てられたような勢いで後方に跳び退いた。大きく距離を開け、警戒心も露わにビョーウを見ている。

 同時に、しゃがんだままで左手をゴソゴソ動かし始めたかと思うと、ゆらりと立ち上がった。

 ローブから取り出した左手には、青い水晶が握られていた。


「よぉく……練らないと……練って……練って……ふふ……お母様……大きな乳房を……一つにしましょうねぇ……お兄様と……うふふ……お兄様の……一つづつ……ザロメのはないから……ねぇ……練りましょう……練り……ましょう……練りましょう……練って……練ってぇ……ねってえぇ……ねえぇってええぇぇぇ……!!……ぅふふふふふ……うふふふふふ……うぅうふふふふふふふふふううぅぅぅ〜〜……っっ!!!」


 カッッ!!!


「っっ!!!? ばアぁ”ァ”ああ“ァあア“ァ“ぁあ“あ“ァァぁァぁ〜〜っっ!!!」


「!!??」


「なんだ!!?」


「み、見て!! あれっ……!!!」


「アぁあ“ァァ〜でイ“ィ“ぃ〜まァ〜〜!! ざアァあ“ア“ぁぁァぁぁァァ〜〜ッっ!!!!」


 ドドドオオォォォーー……ッッンンン!!!


 ザロメの水晶が光を発したと同時だった。

 それまで大人しくしていた蜘蛛が突然暴れ始めたのだ。

 奇声を発しながら狂ったように頭を振り、出来損ないの腕で地面をドカドカと叩いている。デタラメに振り回される棘鞭が周囲の岩を砕き、大地のそこかしこに穴を開けていた。


「うっ……わっっ……!!!」


「うああああぁぁぁぁぁーーっっ!!」


 ドドドドドドドドドドドドッッ……!!!!


 不意を突かれた冒険者達がパニックに陥っている。何人かが鞭を食らい、ビー玉のように弾き飛ばされた。


「な、なんなの、いきなりっ!!?」


「マズいぞっ!! 巻き添えを食らってるっ!!」


「みんなぁーーっ!! 逃げてええぇぇぇーーっ!!!」


「くっ……グラスっ!!」


「はいっ!」


「一緒に来てくれ! 怪我人の治癒を頼む!!」


「分かりました!!」


 いいながら走り出そうとした時だった。

 背後から、ビョーウに声をかけられた。


「待てルキト! わらわがゆく! お主は残れ!!」


「バカヤロウっ! こんな時に何いってんだ!!」


「勘違いするでない。元凶を叩けというておるのじゃ。あの水晶で操っておるのじゃろう?」


「そ、それはそうだけど、あっちを放おっておくわけには……!!」


「虫ケラはわらわとグラスが抑える。お主は水晶(あれ)をなんとかせい」


「ティラ! お前も行ってやってくれ!!」


「了解しました」


「わ、わたしも行くっ!!」


「まだ動いては駄目ですマリリア!」


「そうよ。傷は塞がっているけど酷い顔色だわ。大人しくしてなさい」


「で、でも……」


「お前を追って奴があっちに行くと厄介だ。囮みたいで悪いが残ってくれ。ヴェルベッタ」


「えぇ。わたしがしっかり守るから大丈夫。ここは我慢しなさいな、マリリアちゃん」


「……分かった」


「ルキトさん」


「は、はい」


「あちらはわたし達がお引き受けします。調査隊を街に送り届け次第、部下達も戻りますので」


「…………」


「あの方と、決着をつけてください」


 尚も逡巡するオレに、グラスが声をかけてきた。

 深く、澄んだ瞳がまっすぐにこちらを見ている。


「ルキト様が、思うままに」


「グラス……」


 真摯な想いが伝わってきた。

 心情を汲み、かけてくれた言葉ーー優しく、しかし強く背中を押す、そんな言葉と瞳だった。


「……分かったよ。あっちは任せた」


「はい!」


「ビョーウ! 頼んだぞ!!」


 不敵に笑い、ビョーウが走り出した。

 オレに頷き、グラスが続く。

 その後を、ティラが追う。


「まずは奴の注意を引きつけましょう、ビョーウさん」


「うむ。怪我人は任せたぞグラス」


「はいっ! 治癒後、すぐに結界を張ります! それまで時間を稼いでくださいっ!!」


 走り去る三人の向こう、暴れ狂う蜘蛛が地形を変えていた。

 肩に手を置かれ、振り向いた。

 親指で背後を指しながらロメウがいった。


「どのみち、あの調子で暴れられたんじゃ手が出せねぇ。まずは奴をなんとかしねぇとな」


 魔力の輝きに照らされ、ザロメが立っている。

 青く染まった顔の中、両頬の眼球がぐるぐると動いていた。それはまるで、自らが生み出した破壊と混乱を、身体で体現してでもいるかのようだった。


「分かった。ザロメを倒すぞ!」


「あぁ。共闘といこうや」


 ニヤリ、と。

 手に力をこめ、ロメウが笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ