116・栄光の薔薇(ラ・ローゼス)
純白のマントをなびかせ、ヴェルベッタが歩を進める。
一見するとゆったりした、余裕すら伺わせる歩き方だった。しかし、背中には緊張感が漲っている。
合わせるように、ザロメが近づいてくる。ゆっくり、ゆっくりと。恐らくは奴も、見た目ほど余裕はないだろう。
距離が詰まっていく。空気が張り詰めていく。互いの制空圏が触れるーーその直前、飛黄星が大きく振りかぶられた。
「シュッ!!」
ブォボッッ……!!
不意をついた先制攻撃ーー黄金の残像から三日月型の斬撃が飛ぶ。ザロメが身体を捻った。躱しながら一歩踏みこむ。制空圏が重なる。長剣が襲いかかってくる。
ガッッ……イイイィィィーーッンン!!
左からの斬撃ーー受けた飛黄星から火花が散る。刃を合わせたまま、ヴェルベッタが気合いをこめた。
「……むんっ!!」
「!?」
両手持ちで押し返す。僅かにバランスを崩したザロメが一瞬たじろいだ。歪んだ顔面に向かって繰り出す。右手一本に持ち変えての突き。ヘッドスリップーーザロメの頭が左にスライドする。パラパラと灰色の髪が散る。長剣が下から跳ね上がってきた。
ボゥッッ……!!
ガシッ……!
「!?」
その手首を、ヴェルベッタの左手が抑えた。伸ばした飛黄星を横に薙ぐ。ザロメが頭を沈める。白いローブが揺れる。
咄嗟に、オレは叫んだ。
「左手だっ!!」
「!!!?」
ビュボッ!!
前傾姿勢からの貫手ーー上半身で作った死角から、四指の刃が牙を剥いた。
ヴェルベッタが左腕に力をこめた。掴んだ手を思い切り引く。
「ふんっ!!」
ブオォッッ……!!
「っ!!??」
横に投げ飛ばされたザロメが宙を舞った。十分にあった滞空時間を利用して身を翻す。
しかし、足から着地しても勢いは殺しきれなかった。身体が後方にずれていく。低い態勢で片膝をつく。頭を上げたと同時だった。
ゴッ……!!
「っっ!!!?」
オオオォォォーー……ッンン!!!
再び、ザロメが弾き飛ばされた。背中から落ちて勢いよく地面を転がっていく。
襲いかかったのは、ヴェルベッタが飛ばした斬撃だった。
しかしーー
「なんだ? 今の音は……?」
斬った音じゃない。鈍器で殴ったような音だった。
「吹き飛び方といい、明らかに従来の斬撃とは質が違うのう」
「マスターは保持者なのよ」
顔を正面に向けたまま、マリリアがいった。
「保持者というと……生まれながらの特殊能力持ちなのですか?」
「そう。斬撃波だけじゃなくて、衝撃波も剣から撃てるの。能力名は”愛の斬衝“っていうらしいわ」
「ほぅ……」
「それ、騙されています。正式名称は”破刃“です」
「え“っ!?」
ティラの冷静なツッコミに、マリリアが目を丸くした。
「で、でも、前にマスターが……」
「嘘に決まってんだろ。んなふざけた技があるか」
ため息交じりにロメウがいった。
まぁ、ヴェルベッタならそんな名前もつけかねないってのが、マリリアがあっさり信じた要因でもあったんだろう。
「つ、つまりあれか、状況や敵の特性で使い分けられるってわけですね?」
「はい。外からダメージを与えたい時は斬撃波を使いますが、内部に与えたい時は衝撃波を使うのです。振動が伝わるので、鎧があってもダメージを通せる、と」
「なるほど。だから、この場面で使ったのですね……」
小さく頷きながら、納得したようにグラスがいった。
「どういう事じゃ?」
「自己回復能力は、精神状態によって効果にブレがあるのです。例えば脳に損傷を負って意思が朦朧としている状態だと、正常に働かなくなります」
「ふむ……まずは回復の供給源を断とうという訳か」
流石といおうか。
戦闘時におけるヴェルベッタの動きには無駄というものがない。合理的で理知的な戦略は、組み立てから実行に至るまで全てが一流だ。
そう考えてみると……
「初手からの強引な斬撃と、力でねじ伏せる剣術……か。なるほどねぇ……」
ニヤリと笑ったロメウが、顎を撫でながらいった。
どうやら、オレと同じ事に気づいたらしかった。
「流石は”栄光の薔薇“の血筋だ。センスが半端じゃねぇ」
「ラ・ローゼス?」
何気なく出た言葉だった。いった本人は気にも止めていないだろう。
しかし、ヴェルベッタの出自に関わるようなワードが気になった。
「血筋って、どういう……」
「危ないっ!!」
「!!??」
質問がマリリアの叫びに掻き消された。
咄嗟に目を向けると、純白のマントが長剣に斬り裂かれていた。
あの距離を一瞬でゼロにする突進からの突きーーザロメが本来のスピードを取り戻している。
先程の衝撃波で受けたダメージを感じさせない鋭さだった。
「くっ……!!」
「ふうぅっ!!」
左に身体を捻ったヴェルベッタの右、背後の死角から貫手が襲ってきた。肘で軌道をそらす。動きの延長で飛黄星を左から横に薙ぐ。ザロメの身体が大きく沈む。半ばしゃがんだ体勢からの突き。ヴェルベッタがのけぞる。顎先を掠めた長剣が宙で止まる。続けざま、刃が真上から降ってくる。兜割り。
飛黄星でガードするーー間に合わない。
躱すーーあの体勢では無理だ。
入る。
誰もがそう思った。
「マスターっ!!!」
「はぁっ!!」
バキイィィ……ッン!!
「!!??」
マリリアとヴェルベッタの声、そして金属音が重なった。オレとの闘いでも使ったあの衝撃波。ザロメの右腕が大きく跳ね上がっている。驚愕が生み出した一瞬の隙ーー横一文字に金の軌道が走った。
ザンッ……!!
しかし、斬れたのはローブだけだった。驚異的な反射でザロメが後ろに跳んでいる。その動きに合わせてヴェルベッタが踏み込んだ。
「はああぁぁぁーーっっ!!!」
ギャギンッ! ギギギギンンッ!! ギギギギギギギギイイィィッッ……ンンンッ……!!!
縦横無尽。そして、強力な連撃だった。重く鋭く、飛黄星が撃ちつけられる。
並の使い手なら耐えきれない程の圧力ーーだが、その斬撃全てをザロメは受け止めていた。
「……くっ……!!」
やがて、ヴェルベッタの表情から余裕がなくなっていった。長剣とはいえ、片手持ちの方が小回りは効く。閉じられた堅固な城門さながらのガードに成す術を失ってしまっているのだ。
対してザロメの顔には、うっすらと笑みが浮かんでいるようにさえ見えた。
力の均衡はすぐに傾き始めた。
それは、攻める側と守る側が逆転していく様子から見て取る事ができた。
ギッ……ギギギギッンンッ……!! ギャリイィッン! ギャギギギガガガガガッッ……!!!
「ぐっ……うぅ……うっ……!!!」
ガギンッッ!! ガガガギギキンッッ!! ガガガガガガガガガガッッッ……!!!!
ザロメの長剣が発するのは、斬る音ではなく打ちのめす音だった。
とはいえ、刃の欠けた剣でもあの力があれば必殺の一撃を放てる。まともに受け続けていてはいずれ力負けするだろう。
「いけませんっ! あのままではヴェルベッタ様がっ……!!」
「た、助けに行かないと……!」
ギャリイイイィィィ……ッッンン!!
「!!??」
マリリアが走り出そうとした、その時だった。
撃ち下ろしの一撃をまともに受けたヴェルベッタが片膝をついた。振り上げた長剣が陽光と殺気を反射する。
ザロメが笑った。
今度は、明確に浮かべた笑みだった。
「ふっ……うぅっ……!!」
ボッッ……!!
「マッ……!!」
ブゥオオオォォッッ……!!
「マスタアアアァァァーーっっ!!」
悲痛な叫びと刃の凶声が同時に響いて空気を震わせた。
絶体絶命ーーしかし、この時笑みを浮かべていたのはザロメだけではなかった。
ギッ……キュッ……!!
「っ!???」
……ッッンンン……ンン……!!!
ザロメが自ら刃を逸らしたーー傍目にはそうとすら見えただろう。それほど、ヴェルベッタの受けは流麗だった。
「ようやく開いた」
とどめの一撃が敵を捉えていない理由を、ザロメ自身が理解できていないようだった。浮かべたままで固まっている笑顔がそれを物語っている。
「はあぁっっ!!!」
ザシュッッ……ンンッ……!!!
「っっ!!!」
散った紅が、すぐさま黄金の残像を塗り潰した。
長剣の刃を受け流した飛黄星が、左下からの逆袈裟でザロメを斬り捨てた。
天を突く刃が勝利の輝きを放つ。鮮血を吹き出しながら、純白のローブがゆっくりと後ろに倒れていく。
何故だろう、赤と白のコントラストが、妙に物悲しく映った。
「…………へ?」
「な……何が……起きて……」
目にした光景に、マリリアとグラスが啞然としている。
しかしロメウと、同じくヴェルベッタの戦略に気づいていたであろうビョーウ、ティラは、この結果を冷静に受け止めていた。
「見事じゃな」
「はい。初見ではまず見抜けないでしょう」
「虚実の使い方が本当に上手いんだよなぁ……」
「ち、ちょっと、どうなって……なんでマスターが勝ってんの?」
疑問符を顔に貼り付けてマリリアがいった。目をやり、ロメウが答えた。
「餌を撒いて食らいつかせたんだ。そこを刈り取ったってわけさ」
「餌? どういう事?」
「ヴェルベッタは柔剣の使い手だ。相手の攻撃を流して隙を作るってのが本来の闘い方なんだよ」
「確かに、ルキト様と闘った時はそうでしたね」
「だろ? だが、今回はそれをやらなかった。剛剣の使い手だと思わせたわけだ。いきなり斬撃を飛ばした事といい、強引に斬りつけた事といい、入念に演じたんだよ。フェイクだって気づかれないようにな。結果、ザロメはまんまと引っかかった。力でねじ伏せれば勝てる。そう決めつけたんだ」
「あぁ! だからわざと膝をついて力負けしたって思わせたんだ!」
「打つ手がないと見せかけて大振りを誘い、攻撃を流して隙を……」
「その通り。おそらく奴は、何が起きたのかも分からないまま斬られた事だろうよ」
相手のタイプを分析し、出来る事と出来ない事を見極める。その上で有効な戦略を練り上げる。
闘いにおける基本となるこの思考を、ヴェルベッタは操った。あえて己が身を危険に晒す入念さで、ザロメの見極めを誤らせたのだ。
剛の闘いに十分慣らしておいてからの柔剣ーーティラのいう通り、初見で対応するのは至難の業といっていい。
「さっすがマスター! これであいつもおしまいねっ!!」
満面の笑みでそういうと、マリリアが駆け出した。一直線にヴェルベッタの元へ向かう。
しかし、様子がおかしい事にオレは気づいた。
ヴェルベッタが臨戦態勢を解いていないのだ。
「待て! まだ近づくな!!」
「え?」
マリリアがこちらを振り向く。
釣られてヴェルベッタも振り向いた。
僅かにできた空白ーー誰もが目を離した、ほんの一瞬だった。
「……へ?」
ザロメが立っていた。
マリリアの眼前に。
「マッ……!!」
ザシュッ!!
「っっ!??」
パッ、と。
赤い霧が舞った。
それが血だと気づいたのは、マリリアの身体が後ろに倒れてからだった。




