115・逆御名(さかみな)の聖女
遠く、小さく、頼りになげに立っている。それだけだった。
しかし、ザロメが放つ存在感は大きく重く、なぜか耳に届いてくる薄暗い嘆きが、それをさらに助長していた。
「ウッ……ソおぉ〜……まだ動いてるんですけどぉ……」
「わたしの斬撃をまともに受けたはずなのに……」
「くっ……物理防御か」
「トドメはきちんと刺さぬかルキト。首を落とせばすんでおったものを」
「でもさ、頭から地面に落ちて、あんなに血が出てたんだよ? 死んでもおかしくないっていうか……」
「いや、ビョーウのいうとおりだ。オレが甘かった」
奴隷城の時もそうだった。
そして今度は、同じ甘さでマリリアを危険にさらした。
殺さずに、倒す。
そんなぬるい考えが通用する相手じゃない事を、自覚していなかった。
ーーお前には覚悟が足りねぇんだよ、ルキト
ーー……覚悟?
その時、ふと頭に浮かんできた。
かつて修行中、拳帝と交わした会話が。
ーーで、できてるよ! 殺される覚悟くらい!
ーーそんなもん、武術家なら持っててあたりまえだ。そっちじゃねぇよ
ーーそっちじゃないって……どういう意味?
ーー殺す覚悟だよ。『殺す気で殺す』な
ーーバ、バカにするなよ! それくらい、オレだって……!
ーーいいや。お前は持ってねぇ。見てりゃ分かる。本気でこいって何度いっても、攻撃に殺気がこもってたためしがねぇ
ーーそ、そんな事……
ーーいいか、ルキト。『優しい』と『甘い』は別だ。強者であるなら優しさは持て。だが、甘さは捨てろ。それはただの弱点だ。味方や守るべき者を危険にさらすだけの、な
ーー……
ーー『殺した』と『殺しちまった』じゃ、意味合いが違う。殺意の濃度がまるで違うんだ。故意であるか、ないか。小さいようだが天地の差だ。非情になりきる強さがなきゃ、真の強者にはなれねぇ。相手の命に対して責任を持て。奪った命を背負う覚悟を持て。それができねぇなら、闘うのなんざやめちまえ
「……ほんと……そのとおりだよな……」
「ルキト様……?」
グラスが顔を覗きこんできた。心配そうな表情だった。
そうだ。
守りたい者を、守るべき物を、守る。心に決めた。誓った。
そのために必要なら、いくらでも非情になろう。
改めて原点に立ち帰り、オレは小さく頷いた。
「なんでもない。心配いらないよ」
安堵するグラスから目を移すと、ザロメがゆっくりと近づいてきていた。
しかし、誰もなんのリアクションも起こしてはいない。
理由は、すぐに分かった。
「ぃいっぱい……ああぁ……いらっしゃいませぇ……お薬は足りるのかしら? つぶつぶがたくさんあって……いいのねぇ……ふふ……お父様……うふふふ……今夜はお肉の硬くなって……たくさんたくさん召し上がれ……お花に挟まなきゃ……ああぁ……ぁ…… 待ちきれないの? ふふ……聖女様ったら……ぴちゃぴちゃ……お母様には……ぴちゃぴちゃねぇ……かわいいねぇ……内緒にいったら……ああぁぁぁ……やっぱり秘密よ? ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「な、なんだ……背すじがぞわぞわするぞ……」
「これだけ離れてるのに、なぜ声が聞こえてくるのでしょう? まるで、強制的に耳へ流しこまれているように……」
「何かの能力かしら?」
やはり、誰もが困惑している。
一見するとただ喋っているだけのようで、その実、謎の特殊効果を持っているから、ことさらたちが悪い。
「気をつけてください。どうやら奴の声は幻覚に似た作用があるみたいです。聞いていると、頭にモヤがかかったみたいになります」
「なるほどのう。それで最初、動きに精細を欠いておったのかルキト」
「あぁ。スゲェ闘りにくかった」
「それとあいつ、白光天神教の刺客よ。ゴディ様っていってたわ」
ロメウが苦虫を噛み潰したような顔をした。
胡散臭い宗教団体が絡んでくると、途端に話が面倒くさくなる。それは、ナーロッパでも同じなんだろう。
「教祖のゴディ・ガレンタインか……」
「という事は、この騒動の黒幕は教団なのですね?」
「そもそも、目的はなんなのじゃ」
「分からない。ただ、こいつを狙ってるのだけは確かだ」
「やっぱり、マリリアちゃんなのね……」
ヴェルベッタの言葉を受け、ロメウが怪訝な表情を浮かべた。
「お前、今度は何やったんだ?」
「何もしてないわよ!」
「じゃあなんで狙われるんだよ。理由があるはずだろ」
「それが分からないから困ってんの! いってる事が意味不明すぎて会話から情報が取れないんだから!」
これには誰もが納得した。
その意味不明な呟きが、今もなお続いていたからだ。
「ぃいいじわる……しないでよぉ……ね?……おひさまをたまごに割れちゃった……あぁ……割れちゃったぁ……駄目……ごめんなさいっていって……お兄様が悪くないから……ああぁぁぁ……ごめんなさい……ドレスを選び直さなきゃ……お父様……今夜はどの肉酒を召し上がるの? 雫が濡れてしまいますもの……さ……お首を垂らして……もう畳みましょうねぇ……」
「……闘う気があるのかないのか、どっちなんだよ……」
「撤退しないって事は、あるんでしょうね。どのみち、蜘蛛もなんとかしないといけないし」
「やっぱりそうなるわな。で、どうする?」
「まずは彼女からでしょうね。今のところ蜘蛛に動きはないけど、いつまた暴れだすか分からないわ。全員で見張っててもらいましょう」
「分かった。おいっ! みんなっ!!」
背後に振り向き、ロメウが声をかける。
ザロメの異質な存在感にあてられ不安気にざわついていた冒険者達が、一斉に口を閉じた。
「あいつは俺達にまかせてくれ!」
「お、おい……だいぶヤバそうなヤツだけど、大丈夫なのかよ」
「あんな気持ち悪ぃ独り言、聞いた事ねぇぞ……」
「ヴェルベッタとルキト、ビョーウもいるんだ、問題ない。その間、蜘蛛の見張りを頼む。もし動き出すような事があったら、さっき話した作戦を決行するんだ」
「目的地まで追い込むってやつか」
「あんな化け物相手にできますかね、そんな事……」
「まぁ、倒すのは無理でも、追い払うくらいならできるんじゃないかい?」
「できますかねじゃないよ。やるのさ!」
「こっちからは絶対に手を出すなよ。それじゃ、動いてくれっ!!」
おおぉうっっ!!!
冒険者達が移動を始めた。
ついて行ったロメウが指示すると大きく広がり、距離を取った位置で蜘蛛を囲っていく。
「あっちはオーケーだ」
布陣を済ませ、ロメウが戻ってきた。
その間も、ザロメに大きな動きはなかった。変わらず呟きながら、のろのろとこちらに歩いてくる。
あまりの遅さに、そのまま倒れるかとも思った。しかしよくよく見てみると、吐血が止まっている。
「ルキト……あやつ……」
「うん。回復してるみたいだ。だから、すぐに襲って来ないのか……」
ならば時間を与えないよう、間髪入れずに畳みかけるーーしかし、それができない不気味さがザロメにはあった。
「え? 魔法を使ったようには見えなかったわよ?」
「自己回復能力があるのかもしれませんね」
「そ、それひょっとして、蜘蛛と同じ……?」
「さすがにあそこまで馬鹿げた真似はできねぇだろ。人間ならよ」
「……あの顔を見ても、同じ事いえる?」
「? 顔がどうし……えっ!!? 」
「っ!!??」
「な、なにあれ……どうなってるの……?」
身体が揺らめくたび、長髪も揺れる。その隙間から、黒い眼窩と頬の目が覗く。
初見のロメウとグラス、ヴェルベッタが揃って驚愕した。
当然の反応だった。
「……なるほど。確かに怪しいもんだ」
「でしょ? 動きの速さも半端じゃないんだから、あのザロメって奴」
「……ザロメ?」
それまで無言だったティラが、ぼそっといった。
聞きつけたマリリアが目を向けた。
「どうかした? ティラ」
「…………」
「なによ。どうしたの?」
「……数年前に起きたラゴン大聖教会の事件、覚えていませんか?」
マリリアが腕を組み、宙に視線を向けた。やがて、思い出すようにいった。
「確か……枢機卿とその家族が殺されたっていう……」
「そうです。あの事件で一家四人を惨殺したとされている末娘の名が……ザロメ・ピュアズリーです」
「!!?」
「命名神ラファイアの加護を授かったといわれるラゴンの聖女……しかし、人々の眠った能力に名を付け開花させるはずの力は、その逆……奪う能力だったのです。その者の、魂ごと……」
「思い出した! “逆御名のザロメ”ねっ!!」
「はい」
「そうか……彼女があの……聞いた名前だと思った……」
「ザロメ・ピュアズリーっていやぁ、お尋ね者だよな? 確か、Sランクの……」
「懸賞金リスト入りしている、賞金首です」
「Sか……やっぱり、生死不問なんだ……」
「教団に潜り込んでいたのね。どうりで、賞金稼ぎに見つからなかったわけだわ」
四人の会話から、ザロメの素性が見えてきた。
と、同時に、引っかかるモノがあった。
今や、“揺篭の聖女”を祭り上げている教団に所属している、”ラゴンの聖女“。いわく付きとはいえ、こちらは間違いなく本物だ。
なぜ、教祖は彼女を迎え入れたのだろうか。
どちらの聖女が、先に入ったのだろうか。
「…………」
一つの組織に、二つの象徴はいらない。より神秘的で、より信者を惹きつける象徴が手に入れば、それまでもてはやしていた方は用済みになる。
嫌な気分になった。
今ここにいるザロメを見れば、教団内での扱いが分かる。
そしてそれは、仮にも“聖女”と呼ばれる人物に相応しい扱いじゃ、決してない。
最悪の気分だった。
「……オレが、ケリをつけます」
宣言し、前に出た。
確信がある訳じゃない、ただの憶測ーーしかし、黒い気分に告げられている気がした。
何も分からずいいように利用されているだけの、悲しい人形。
深い業と醜い思惑にがんじがらめにされている、哀れなマリオネット。
見ていられなかった。
半端で終わらせるべきではない闘いーーザロメとは、きっちり決着をつけなくてはいけない。
「お待ちなさい、ルキト」
そう決意したオレの肩に、手が置かれた。振り向くと、引き止めたヴェルベッタと目があった。
「交代よ。後はわたしに任せて」
「いや、オレがやります。あいつは……」
「あなたの考えてる事は分かるわ。おそらく、わたしと同じでしょうから」
「えっ!?」
以外な言葉だったが、嘘ではないだろうと思えた。
いや、むしろヴェルベッタなら、考えが至らないはずはなかった。
「だったら尚の事、やらせてください!」
「分かるから、闘わせるわけにはいかないのよ」
「なんでですか?」
「あなたはね、ルキト。優しすぎるの。情を捨てなきゃって頭では分かってても、捨てきれない。非情に徹する事ができないのよ。ましてや、相手の境遇に同情してしまっている今の状態じゃなおさら、ね」
「……」
「でもね、敵はそんな事とは関係なく襲ってくるわ。優しさは美徳であると同時に足枷でもある。あれはハンデを負って勝てる相手じゃない。甘い考えでいたら……殺されるわよ」
「ヴェルベッタさん……」
心を見透かされているのが分かった。そして、いっている事が間違っていないのも分かった。
奇しくも、拳帝と同じ指摘をされたのだ。反論の余地などあろうはずもない。
「下がってなさいな」
前に出たヴェルベッタの背中は広く、大きかった。
憧れ、追いつづけた拳帝の背中を思い出した。
「お見せするわ。わたしと飛黄星の本気を、ね」
黄金の刀身が、陽光を反射してキラリと輝いた。
それはまるで、主に応えた飛黄星の意思ででもあるかのようだった。




