113・ヒロインたるもの
襲ってきた敵を倒した。激闘の末に、だ。
ならば、少しくらいご褒美があってもいい。
例えば、こんな。
『ヒロインと熱い抱擁を交わしつつ喜びを分かち合う』
うん。
間違っちゃいないよな。
クソラノベなら必ずといっていい位にはある接待イベントだ。
そして、今がまさにその時のはず。
なんだけど……
「っっっはあぁっはははははああぁぁぁーーっ!! その調子じゃ! だいぶ良くなってきたではないかっ!!」
ギキキキキキキキキキイィィィーー……ッッン!!!
「きいぃあ“ァいイぃア“アあ“ぁァあ“ア“ァぁぁ〜〜っっ!!!」
ビュガガガガガガガガガアアァァァーーッッ……!!!
「くははははっ!! 抗え抗え! さもなくばまた斬り飛ばすぞっ!! 醜い身体をなぁっ!!!」
一応はヒロインの一人であるはずの姫君が夢中になっているのは、接待ならぬ殺生イベントだった。色気の代わりに血の気を満載した顔で、喜々として斬り合いを楽しんでいる。
空いた口を塞ぐ気にもなれないでいると、信じられない物を見たような口調でマリリアがいった。
「なんか……原型なくなってるんですけど……」
「うん……鼠の時よりエゲツないわ……」
決して大袈裟じゃない。蜘蛛の姿を見れば、誰でもひと目で分かっただろう。
縦に分割された身体は、失敗したプラモデルのようにズレたまま結合していた。切断面の所々からはぶよついた肉塊が盛り上がり、垂れ下がっている血管? 神経? が時折ぷるぷる震えている。
残っていた六本の脚は全て姿を変えていた。よりにもよって人間の腕に、だ。
ひび割れのような紫色の血管に覆われた白い細腕は、長さはバラバラ、太さもバラバラ、指の数もバラバラ。関節の数など、多い物は三つもあった。
当然、身体を水平に保っていられるはずもない。右に大きく傾いた姿は、上半身だけで這いずるゾンビにしか見えなかった。
そして、それを助長しているのがーー
「ばアぁでィイいぃぃマ“ぁざま“あぁぁ〜〜!! ガえジィいいぃィ〜〜イイぃ〜〜!! でエぇ〜〜っっ!!!」
失くなった顔の左半分、そこに新しく生えた小さい顔だった。
申し訳程度に貼りついた黒髪を血にべっとり濡らしたそいつは、両目が腫れた瞼で塞がれている。
鋭利な刃で左目ごと抉り取られた元の顔はどす黒く変色し、力なくゆらゆらと揺れていた。新しい頭に寄生され、命を吸い取られてしまったように見えた。
明後日の方を向きながら絶え間なく喚き続け、時折ヒステリックに奇声を上げる寄生頭ーーお互いに引くつもりがまるでないゾンビと戦闘狂の闘いは、終わる場面が想像できなかった。
「放っておいたら、いつまでもやってるわよね……」
「だろうな……」
「で……どうするの?」
「……はぁ〜……」
どうするもこうするもなかった。あのままじゃ本当に、明日になっても闘り合っているだろう。
「仕方ない。止めてくる」
「……ねぇ……今さらなんだけどさ……」
「うん?」
そういうと、ようやくマリリアが背中から降りた。そして、闘いに目を向けたままで続けた。
「ビョーウ……飛んでない?」
「!?」
「あれ……浮いてるよね?」
本当に今さらだった。
これまでは、次々と起こるショッキングな出来事のせいで麻痺した感覚が都合好く隠してくれていた。
まぁ、人が飛んでるってだけで十分に衝撃的ではあるんだろうけど、ここまでの展開に比べれば些細な事だ。
しかし、冷静になってみれば、スルーできるような話じゃない。当然、あってしかるべきツッコミだった。
「あ〜……あのさ……」
「ん?」
事ここに至っては、もはや隠しだてしても仕方ない。
諦めて、マリリアに声をかけた。
「ちょっとオレ、行ってくるけど……頼みがあるんだ」
「頼み? なに?」
「ビョーウの飛行と、ついでに……これから見る事は忘れてくれ」
「……は? なにいってんの?」
「忘れるんだ。いいな?」
「いや、良くないわよ。ちゃんと説明しな……」
「いってきます!!」
ボッッ!!
「きゃっ!」
最後まで聞かずに跳んだ。そのまま、飛翔を発動する。
もとより、あんなのでマリリアが納得するはずなどなかった。忘れろといわれてハイそうですかと忘れる人間なんて、いるわけがない。
ならば、説明は後でゆっくりするとして、今はまず、目の前の問題を解決した方がいい。
「ホント、忙しいクエストだな……」
怪物同士の斬り合いは、未だ勢いが衰えてはいなかった。
不死身の蜘蛛はまだしも、生身であるはずのビョーウにも疲労の色は見えない。
本当にあいつの身体は、どういう作りになってるんだろうか。
「ビョーウ! やめるんだ!!」
ギリギリまで近づき、大声で呼びかけた。
反応がない。
というか、聞こえていないようだった。
仕方ない。
作り出した火球を放った。
ドオォーーッン!!
「!!?」
焼かれた蜘蛛が怯み、ビョーウが顔を向けてくる。
再び、声を張った。
「ストップだ! 引け、ビョーウ!!」
「なんじゃ、ルキト。邪魔立てするでない」
「いいから来いって! いったん戻れ!!」
「断る。お主こそ、引っ込んでおれ」
まぁ、半ば予想はしてたんだけど、まるで聞く耳を持っちゃいない。
ふいと背けた顔を熱に悶える蜘蛛に向けたビョーウが、白刃を大きく広げる。
オレの存在は、完全に意識の外へ追い出してしまっているようだった。
「どうして揃いも揃って手がかかるんだ、ウチの連中は……」
いって駄目なら、もうこれしかない。
全力で飛んだ。
攻撃を始める直前、一瞬だけ生じる隙をついてビョーウを抱き上げた。
そのまま、蜘蛛と引き離す。
「!!? 何をするのじゃ!?」
「実力行使」
「やめろ! 離さんかっ!!」
「んな事したらまたおっ始めるだろが。キリがないからもうおしまい」
「ふざけるなっ! まだ決着がついておらぬっ!!」
「とっくについてるって……。見ろよあれ。グチャグチャじゃんか」
「生きておるなら終わりではない!」
「だから、殺せないからやめとけっていってんだよ……」
「殺せないじゃと? 貴様……誰に向かって……」
「ビョーウ」
顔を近づけ、目を覗きこんだ。
蒼い瞳が僅かに揺れた。
「前にも話したよな? オレが終わりっていったら、終わりだ」
「……っ……」
「分かったな?」
「…………」
「そ、そんな顔するなって。もう十分闘っただろ?」
「……ふん。あんなものを闘いと呼ぶとはのう。ヤキが回ったものじゃな、ルキト」
悪態をつかながら、ビョーウが首に腕を絡ませてきた。ぴったり寄せた身体からは、甘い香りとかすかな汗の匂いがした。
「お、おい、そんなにくっつくなよ」
「いやじゃ」
「いやじゃないって! 離れ……」
「い・や・じゃ!!」
断固拒否の口調で、ますます腕には力が込められた。
どこにあれ程の戦闘力があるのかーー不思議に思うほど、細く柔らい身体だった。衣服を通して体温を、耳元には息づかいを感じた。
気づくと、髪が元に戻っていた。陽の光を反射して輝く銀髪が、さらさらと柔らかく風に揺れている。
「しょうがないヤツだな……」
小さく息をついた途端、不思議な感情に気がついた。
普段の高飛車な態度から一変して、幼子のように駄々をこねるビョーウが可愛いと思ったのだ。
戦闘時には頼れる相方であり、時にはダメ出しをしてくる師のようでもあるこいつに対して、今までにはなかった感情だった。
昔、ふとした時に顔を覗かせた姉さんの幼い一面が、妹のように感じられた懐かしい感覚ーー
「……まさか、な……」
まぁ、いい。
とりあえず大人しくなってくれるなら、好きにさせておこう。
「さて、と……」
ここで再び、ザロメの出現で中断していた難題に直面した。
飼い主が退場したとはいえ、根本的な問題は少しも解決していないのだ。
「後はあいつなんだけど……どうしたもんかな……」
意識せず呟いた独り言に、抱きついたままでビョーウが応えた。
「あの奇妙な女子のように武術で倒すわけにはいくまいて。すり潰すか、溶かし尽くすか、燃やし尽くすか。いずれかじゃろうな」
「えっ!?」
「なんじゃ。大声を出しおって」
「武術って、お前……見てたの?」
「無論じゃ。少々もたついておったが、技のキレは悪くなかったぞ」
「マ……マジっすか……」
斬撃と剣風が吹き荒れる修羅場にあって、オレの闘いをビョーウは見ていたという。夜覗帳で決めたといってるって事は、嘘じゃない。
あの状況で、一体どうやればそんな真似ができるんだ?
「お前……どっかに別の目を隠してるんじゃないだろうな……」
啞然としながら冗談といいきれない冗談を口にした時、視界の隅で何かが動くのが見えた。
咄嗟に目を向けた先にあったもの。
それはーー
「!!!?」
のろのろと起き上がる、ザロメだった。
「マズいっ!!」
オレが動き出した時にはもう、ザロメは駆けていた。
ダメージを抱えた身体に先程のようなスピードはない。しかし、本来なら起き上がる事すらできないはずなのだ。走っている事自体、常軌を逸している。
「逃げろぉっ!!」
全力で飛びながら呼びかけた。反応したマリリアがザロメに気づく。その時にはもう、長剣が振り上げられていた。
「……きっ……!!!」
「マリリアあぁーーっっ!!」
伸ばした手の遥か先ーー空を裂く凶刃の唸りが聞こえた気がした。




