109・不死の供物
ビョーウの言葉に、歴戦の猛者達が凍りついた。
凄んだ訳でも、殺気を向けた訳でもない。それでも静かな声からは、聞く者に死を予感させる刃の響きが感じられた。
「駄目だ、攻撃するな! ラットレースの事を忘れたのか!?」
無駄だとは思った。だからといって放っておくわけにもいかず、制止した。
しかし、返ってきた声で、やはり無駄だと分かっただけだった。
「例の再生能力か?」
「そうだ。変態されると厄介な事になる!」
「面白くなる、の間違いじゃろう?」
「バカいうな! いいから、攻撃は中止だ!」
「くく……もう遅いわ。見るがよい」
小さく笑うビョーウの言葉を肯定するかのような変化がゴライアス・デスマスクに起きていた。斬り落とされた脚と頭、その切断面がうねうねと動き出していたのだ。
やがて、身体が痙攣し始めたかと思うと、そのままゆっくり立ち上がった。
頭のない大蜘蛛がノロノロ動く様は、徘徊するゾンビを連想させた。
「!!??」
「う、動いてるぞっ!?」
「まさか……生きてるの!?」
「そんな馬鹿なっ! 頭がねぇんだぞっ!!」
冒険者達が混乱するのも無理はなかった。あらかじめ予測できていたオレでさえ怖気を振るう光景なのだ。
しかし、本当のホラーはここからだった。
うじゅ……じゅ……
うじゅじゅ……じゅずずずっ……
「!!!??」
ずっっ……
ずずずずずずずずず……っっ……!!
なくなった前脚二本、そこから伸びてきたのは、赤くぬめつく肉だった。
通常の蜘蛛が持つ筋繊維とは明らかに違う。うねうねと動く肉の脚は他より倍以上も長く、まるで別の生き物だった。
そして、次に再生しだしたのはーー
ぶじゅ……
ぶじゅぶじゅじゅじゅじゅじゅ……
頭だった。
冒険者達の顔から、一斉に血の気が引く。
「な、なんなんだ、アレは……」
じゅる……
じゅるるるる……
「あ、頭が、生えて……」
じゅるるるるるるるるる……
「馬鹿な……ゴライアス・デスマスクの不死者なんて……反則だろ……」
見る者の思考を停止させ、常識を崩壊させる。今、目の前で起きているのは、まさにそんな光景だった。
経験した事のない脅威に、冒険者達は畏怖する事しかできずにいる。そこへ、さらなる追い討ちが待っていた。
うじゅじゅ……
うじゅじゅじゅじゅじゅじゅ……
無数の肉蛆が蠢いているかのようなおぞましい再生工程を得、現れたのが……
じゅるうぅ……っんんん……!!!
「!!???」
女性の顔だったのだ。
「うっ……げ……!!」
「お、女の……顔……?」
「あ“……あ“ぁ〜……ア……あア“あアァぁぁぁ〜〜……!!」
瞼の垂れ下がった両目からは血の涙を、鼻、口からは鮮血を流し、血管の浮いた顔は赤ん坊のように赤かった。
禿げた頭の所々から垂れ下がった長い黒髪が、血に濡れて顔に貼りついている。
「おいおいウソだろ……どうなってんだ……」
「あれが、ルキトのいってた再生……なの……?」
「さ、再生どころか……違うモンスターになってるじゃない……」
「ルキト様……様子が変ではないですか……?」
「うん。いきなり変態し始めるなんて鼠の時にはなかった。なんで、あいつだけ……?」
「負荷の限界値を超えたからじゃろう」
混乱するオレ達とは対照的に、冷静な声音だった。
意味が理解できずにいると、背中越しにビョーウはいった。
「鼠を斬って分かった。どうやら奴らの再生能力には上限があり、それを超えると肉体そのものを作り変えて対応するようじゃ。試しに頭を切り刻んでみたのじゃが、どうやら当たりだったようだのぅ……」
「当たりって、お前……それを分かってて、わざと……」
「急所であるがゆえに致命傷と判断したのじゃろうな。案の定、第二形態になったという訳よ。くくく……」
ただ斬っていたわけじゃなかった。血煙が舞う惨状の中、こいつは相手を観察し、分析していたのだ。
血に酔った狂乱と相反するかのような冷静さ。やはり、ビョーウの戦闘センスは超一流だ。
「寝た子を起こすような真似しやがって……どうするつもりだよ、あれ……」
しかし、あくまでもそれは、『闘う』という一点に限っての話でしかない。
仲間として見た場合、総合的にはマイナス評価ーーぶっ壊れているのは戦闘力だけじゃない。
性格、性質、そして、本性。
大事な部分が、軒並み絶望的に
壊れているのだ。
「再生ができぬようになるまで斬り刻む。それだけよ」
妖しい笑みから滲み出すのは、残忍な歓喜と残酷な愉悦。
声を聞いただけで、内に渦巻く感情を容易に読み取る事ができた。
ゴライアス・デスマスクにビョーウが相対する様は、知能のない怪物と美しい獣が睨み合う様相を呈していた。
しかし、女面蜘蛛が次に起こした行動によって、その構図は一変した。
「……ど……コに……あ“〜……ア……でゅ……」
「……なんじゃと?」
「ドこ……コ“……こコ……あデゅ……う“……ウぅ……ぅ〜……」
ぷくぷくと血の泡を作りながら、肉の裂け目のような口から言葉を発したのだ。
見た目だけじゃない。知能そのものが、人に近づいている。
「し……喋った……?」
「は、はい。拙いですが、確かに今のは言葉です」
「頭が変わって、話ができるようになったっていうの?」
「キッショおぉぉ……!! どう見てもゾンビじゃない、あれ……」
「くくく……面白い奴よのぅ……」
「勘弁してくれ……どこに面白い要素があるってんだよ……」
頭が動くたび、濁った血が周囲を穢す。撒き散らされるどもった言葉が、神経を不快に逆撫でする。
精神攻撃にも似た化物蜘蛛の独り言ーーそれは徐々に大きさを増し、やがて絶叫へと変わっていった。
「あリ〜ぃ……マざ……マ“……ぁ〜……あディ……ま“〜……さ……マ……っっあ“ァあぁぁっっ!!!」
「!!!? なんだ、様子が……!!」
「あハぁあ”アばぁア”ア”ああ”ぁぁァァぁぁァ〜〜〜ッっ!!!!」
ぼりゅりゅりゅりゅりゅりゅっ……!!!
「っ!!!??」
叫びながら激しく頭を振ったゴライアス・デスマスクが閉じた瞼を開いた。そこから、新たな肉の触手が長く伸び、力なく垂れ下がった。
「い"ぃ"っ!?? またなんか生えてきたぁっ!!」
のたうっていた紅色の塊が、蛇の頭のように持ち上がる。
やがて表面がぴくぴくと動き、裂け目ができた。
そこから出てきたのは、無数の目だった。
「目玉!? 蜘蛛の複眼じゃないぞっ!!」
「しかもご丁寧に、数が増えてやがる……」
「動く触手に沢山の目……あれじゃ、死角はなさそうね……」
おぉ……
おおおぉぉ〜〜……んんん……
鳴いているのか、呻いているのか。
判別できない声を発しながら、目玉のついた触手をうねうねと人面の蜘蛛は動かしている。
一方こちらに、動ける者はいなかった。
あまりの変態ぶりに、攻撃はおろか、迂闊に近づく事さえできないーー普通なら、そう考えるからだ。
そう。普通ならば。
しかし……
「準備はできたか? なら……」
キュン……ッッ!!!
「死ね」
ザカカカカカカカカカッッ……!!!!!
「……ぎっ……!!!?」
人の、いや、他生物の常識などとは無縁の白鬣姫に、そんな考えはなかった。
圧倒されていた訳でも、怖気づいていた訳でもない。
敵の強化が終わるのを待っていた。
それだけの事だったのだ。
「ヒぎィい”い”イィぃぃィィィ〜〜っ……!!」
バシャアアアアァァァァァーー……ッッ!!!
無惨に切り刻まれた肉の脚から血が吹き出した。しかし、見る間に傷口が塞がっていく。
さらには、鋭く尖った骨が棘のように生え、脚を覆っていった。
攻撃された部分の防御力を強化し、なおかつ攻撃力も上げる凶悪な変態ーー生きた二本の鞭が、風を巻きながらビョーウに襲いかかった。
「ヒィい”いぃ〜〜……っ!!!」
ビュボッ……ッッ!!
ボボボボボボボボボボボボッ……!!!!
「ふん」
ギャキキキキキキキキキイイィィィーー……ッッンンン……!!!
血しぶきごとうねり狂う、肉鞭の赤。
舞い踊るように迎撃する、刃の白。
暴風と化した双方の凶刃が斬り合い、削り合う。
ギャガガガガガガガガガガッッッ……!!!!
「ふははははっ……!! そうだ! よいではないかっ!!」
ガガガガガガガガガアァァァァァーーー……ッッッ!!!
「い”ィびアあ”ァぁァァぁ〜〜っっ!!」
ガガガギギギギギイイィィーー……ッッンンン……!!!
「もっとじゃ! もっと抗うががよいっ!! あ〜っはっはっはっはっはあああぁぁーーっっ!!!」
見えない刀身と見えない鞭の間、火花は刹那に瞬き、消えていく。
それはまるで、鮮やかな空の青に染みこむ真紅と純白の意思ーー血生臭くも無垢な、原初の殺意ででもあるかのようだった。
ギギンッギンッギギギンギギギギギ……ッッンンンッ……!!!
「す……げぇ……」
「め、目で追えない……なんなの、あれ……」
「闘ってるん……だよな……?」
「あっ、危ねぇっ!! 剣風がっ……!!」
「巻き沿いになるぞっ!! 下がれ下がれっ!!」
不死身の怪物と瞬光の獣ーー理外の一騎打ちは、強固な結界を張り巡らせているかのごとく他者の介在を許さなかった。
あれに手出しするなど、ミキサーに突っ込むようなものだ。近づいた先に待つものが死意外にない事は、子供でも理解できるだろう。
ギャキャキャキャキャーー……ッッンンッ!!!
永劫に続くかと思われた斬り合いはしかし、唐突に終わりを迎えた。やはり上手だったのはビョーウーー乱れうねる肉鞭、その鋭利な攻撃すべてを打ち落としてしまったのだ。
しかし、一度点いた加虐の火がこの程度で消えるはずもない。
攻守交代。
ビョーウが、攻めに転じた。
「どうしたっ! この程度では足りぬぞ! わらわを失望させるでないっ!!」
シュキキキキキイィィィィーー……ッンンン……!!
「い”ぃいアぁッ!! イぃい”ぃぃぃ〜〜っ!!!」
「あははははっ!! もっとじゃ! もっともっともっと! もっとじゃ!!」
ギキキキキキキキキキキッッ……!!!
「ギャい”ぃィィっ! いびィィい”ぃぃィ〜〜っっ!!」
「千切れるまで脚を振らんか虫ケラがぁっ!! あぁ〜〜っはははははあぁぁ〜〜っ!!!」
「いイ”ぃィィあぁァァァーーっッ!!!」
ギャギガガガガガガガガガッ……ッッッ……!!!!
防戦一方のゴライアス・デスマスクに成す術はなかった。はた目にも、すでに勝負がついている事は明白だ。
その気になればいつでも、いくらでも斬り刻めるーーしかし、当の本人にそんな気は一切なかった。
高速で繰り出される斬撃の隙間、覗いていたのはまぎれもない。
妖しく微笑む、白い悪魔の顔だった。
「くくっ……目玉の数が足りておらぬのか? ならば……」
ザザッ……ンン!!
「……ア”っ……!!??」
「手を貸してやろう」
一瞬の隙をついた白刃が斬り飛ばしたのは、目玉の触手だった。
血を吹き出した蜘蛛の人面が大きくのけぞり、悲痛に空気を震わせた。
「あ”ア”ァあ”アア”あ”ぁァァぁぁ〜〜っっ!!!」
「そぉら、早う増やすがよい」
哀れな供物の命を、骨の髄までしゃぶり尽くす気でいるんだろう。
未だ満たされない貪欲な闘争本能の命じるまま、さらなる変態をビョーウは強要しだした。
ラットレースと闘わせたのが裏目に出た。完全に、玩具のいじり方を学んでしまっている。
「クッソ!! あいつ、どこまでやるつもりだっ!?」
「こ、このままでは、際限なく変態を繰り返してしまいます。なんとか、ビョーウを止めなければ……」
「と、止めるって、どうやって!? あんなの、近づけるわけ……」
ビシャシャ……ッッン……!!
「うわっ!!!??」
「きゃあぁっ!!」
鮮血の狂乱に成す術のないオレ達の目の前に、突然、それは落ちてきた。
ぬめぬめと動く赤黒い肉塊は、表面が無数の目玉で覆われている。
「こ……これは……」
「ヤツから生えてた触手か……」
「ま、まだ動いてるわ……生きてるのかしら……?」
勢い余ってこちらまで飛んできたんだろう。切断面から流れ出た血が地面を濡らし、見る間に血溜まりを作っていく。
それでも動き続けている触手は、同時に目玉をギョロギョロと動かしていた。
オレ達が唖然としていると、そのうちの一つが何かを見つけたように動きを止めた。
と、次の瞬間。
全ての目玉が、一斉に同じ方向に向いた。
「なんだ? 目玉の動きが止まったぞ……?」
「な、何を見ているのでしょう……?」
巨大な目玉達が、瞳を逸らす事なく向けている先。
そこにいたのはーー
「……え?」
青ざめた顔で立ち竦む、マリリアだった。




