107・最初に見たい顔じゃない
森に入り、道なき道を急いだ。草をかき分けながら、洞穴に向かって歩く。
「大丈夫か? マリリア」
「う、うん。この速さなら平気」
「ヤバそうだったらいうんだぞ」
「分かった」
平地と違い、山道は体力の消耗が激しくなる。ましてや、雑草に足元を取られ、倒木を乗り越えながら進むとあっては尚更だ。
ーー回復薬?
ーーそ。あげるから飲んどきなさいよ
ーー体力ならまだ大丈夫だぞ?
ーー体力オバケ相手に体力の心配なんかしないって。これは魔力の回復薬よ。結構、消費したでしょ?
ーーオレよりお前の方がヤバいだろ
ーーわたしのもあるから平気。体力は魔力で補填できるから、そっちも心配いらないわ
ーーへぇ。そんな事できるのか
ーー司教の力をナメるんじゃないわよ
ーー分かった。じゃ、お言葉に甘えて借りておく。後で返すから
ーー別にいいわよ。借りならわたしの方が多いんだから
ーーははっ、そうか。なら、遠慮なくいただくよ
言葉の通り、マリリアは消耗した体力を魔力で補っているようだった。
しかし、そもそも基礎体力からしてレベルが違うのだ。仮に全快した所で、オレ達が本気を出してしまってはついて来れないだろう。
後方を気にかけながら歩いていると、声をひそめてビョーウが話しかけてきた。
「ルキト」
「なに?」
「なぜ空から行かぬのじゃ?」
「そりゃお前、マリリアがいるからだよ。飛べる事がバレたらあいつの事だ、ソッコーでいいふらすだろ」
「飛行の能力など、隠すまでもなかろうに」
「それはあくまでオレ達の基準だ。普通の人間からしたらエラい事なんだよ、飛べるってのは」
「面倒くさいのぅ……」
「なんだよ、それを考えたから歩いて来てくれたんじゃないの?」
「グラスにいわれたからじゃ。人目につく所では飛ばぬ方がよいとな」
背後を見ると、グラスが軽く頷いた。
なんだかんだで、この二人は上手くやっているようだった。意見を聞き入れているという事は、ビョーウがグラスを認めているという事だ。当初あったギクシャクした感じも、だいぶなくなっている気がする。
種の最上位にある白鬣と神の眷属たる女神の組み合わせは、思いのほか相性がいいのかもしれない。
「ね、ねぇ……グラス……」
「はい?」
「あとどのくらいで森を抜けるの?」
しかし、空から行けないというのはマリリアにとってみればいい事がない。あの状態での山歩きは、相当キツいだろう。
「間もなくだと思います。先程の草原は、さほど深い場所ではありませんでしたので」
「ふぅ……なら、もうひと踏ん張りか……」
いいながら、上がり気味の息をつく。額の汗を拭って、今度はオレがグラスに問いかけた。
「森の先はどうなってるの?」
「緩い坂になっています。そのまま下れば洞穴に続く道に出ます」
そういえば来る時、岩肌の露出した一帯が上空から見えた。確か、山道の中間くらいの位置だったはずだ。
「やっぱり、思った程は離れてなかったんだな」
「そりゃそうよ。帰る事も考えなきゃいけないんだから」
「ウソつけ。なんも考えてなかったくせに」
「はあぁっ!?」
思わず入れたツッコミに、マリリアが反応しない訳がなかった。
というか、疲労困憊なんだから流しときゃいいものを、なんでこういう事になると元気になるんだろう、こいつは。
「チョー考えてましたけどっ!?」
「はいはい」
「ちょっ……! 信じてないわけ!?」
「もちろんしんじているよ。ははは」
「ぜんっぜん感情こもってないじゃない!」
「きのせいきのせい。まりりあさんはいろいろかんがえていてすごいなぁ」
「あんた、ちょっとこっち来なさいよ!」
「ま、まぁまぁ、マリリア。ルキト様も、あまりからか……」
「戯れはそこまでじゃ」
グラスの言葉を、ビョーウの硬い声音が遮った。弛緩していた空気が緊張を帯びる。
「どうした?」
「地面が振動しておる」
足を止めてしゃがんだ。露出した土に手をつくと確かに、微かな振動が伝わってきた。
「……本当だ。地震……じゃないよな」
「何かが向かってきておるようじゃのう」
そういっている間にも、振動は少しづつ大きくなっているようだった。
立ち上がり、生い茂る草木の先に目をやった。
「みんなはここで待ってて。様子を見てくる」
「油断するでないぞ」
ビョーウに頷き、駆け出した。身を低くして木の枝を避けながら走る。
少しすると、動いていても分かるほど伝わってきていた振動が収まった。訝しく思いながらも先を急いだ。
やがて、眼前に立ちはだかる木々の隙間から差し込む陽光が見えてきた。
森を抜けた。
明るさで眩んだ目にかざした手が影を生み出し、視覚を取り戻してくれた。
同時に、ふっと周辺が暗くなった。何が起きたのか分からず、顔を上げた。
最初に見えたのは、複眼が並んだ半獣半人の、醜い顔。
次に目に入ったのは、そそり立つ樹木と見まごうばかりに巨大な二本の黒い塊ーー
「……え?」
振り上げられた、ゴライアス・デスマスクの前脚だった。
「ギイイィィィィィーーッ!!!」
「!!??」
ズドドオオォーー……ッンン!!
バキバキバキバキバキッ……!!!
「うっ……おっ……!!」
降ってわいた天災のような不意打ちを、咄嗟に横っ跳びで躱した。
叩きつけられた力まかせの一撃が森の木々を押しつぶし、地面に巨大な穴を穿つ。一斉に飛び立った鳥達の鳴き声が、騒がしく辺りに響き渡る。
「な、なんでこんな所に……?」
先程の振動は、どうやらこいつが走って来たせいで起きていたようだ。
最悪のお出迎えだった。
まさかボスキャラがあっちから来るなんて、思ってもいなかった。
「ギィイイィィィーーッ!!!」
ブオオォォォーー……ッッン!!!
混乱が収まる間もなく、ゴライアス・デスマスクが右脚を真横に薙いだ。体毛に覆われた柱が、風を巻いて襲いかかって来たような錯覚を覚えた。
「くっ……!!」
後方に飛び退き、さらに距離を取った。
風圧だけで馬車の一台や二台くらいは吹き飛ばしそうな攻撃に、砂利と砂埃が巻き上げられる。
それが風にさらわれ視界が晴れると、こちらを凝視している大蜘蛛と目があった。
ガチガチ……ガチガチガチガチガチッ……!!
六つの黒い複眼から感情は読み取れなかった。
しかし、鋏角を鳴らして威嚇する姿を見れば考えている事などすぐに分かる。
「ギ……キッ……! ギチギチギチギチッ……!!」
オレを、殺るつもりだ。
洞穴の入り口に貼りついていたこいつがなんでここにいるのかは分からない。
しかし、わざわざ追いかけて来たのだ。あそこを守るよりもオレ達を標的にする方が重要って事なんだろう。
「上等だよ、クソッたれ」
挑まれたなら、闘るしかない。どのみち、逃げた所で見逃してくれそうにはないからだ。
直剣を抜いた。殺気を感じ取ったのか、ゴライアス・デスマスクが鋏角を大きく広げ、こちらに身体を向けてきた。
束の間の睨み合い。直後、お互いに動きかけた、その時ーー
「ルキト様っ!!」
「何事じゃ、今のは!?」
「え“っっ!!???」
ふいに、グラス達が森を抜けて姿を表した。
しかし、突如視界を塞いだ巨体に足を止め、先程のオレと同じリアクションをしている。
「なん……な……の……これ……???」
「なぜ、このような場所に……?」
「わらわ達を追ってきおったのか……小癪な真似を……」
唖然と見上げる三人に、ゴライアス・デスマスクが気づいた。
こちらを向いていた殺意が、新たな獲物に向けられる。
「ギャシャアアアァァァァァーーッ!!!」
「マズいっ!!」
再び、巨大な前脚が高く振り上げられた。力を溜めたビョーウが迎撃態勢を取り、グラスが杖を構え、マリリアが身を竦ませる。
同時にオレも、前傾姿勢になった。地を蹴って跳ぼうとした、その時ーー
ドドドドドオオォォォーーッッン……!!!
「!!!??」
ゴライアス・デスマスクの背中が爆ぜた。
驚きに、大蜘蛛が動きを止める。
ハッとして、叫んだ。
「今だ! 逃げろ!!」
その時にはもう、マリリアを抱えたビョーウがその場を離れていた。一瞬遅れて、グラスが後に続く。
何が起きたのか分かっていないんだろう。こちらに向かってくる最中、一人マリリアだけが唖然としていた。
「っしゃ!! ナイスだ、ビョーウ!!」
「この程度、造作もないわ」
マリリアを降ろしたビョーウが、髪をかき上げながらいった。人ひとり抱えて走ってきたにも関わらず、息ひとつ乱してはいなかった。
「何もいってないのに、よくこいつを助けてくれたな」
「お主の考えそうな事など、いわずとも分かる」
オレ達の会話を聞き、マリリアが我に帰った。大きく息を吐いて、しみじみした口調でいった。
「た……助かったぁ〜……」
「怪我はないか?」
「うん、大丈夫。ありがとうね、ビョーウ……」
「気にせずとも良い」
鷹揚に応じたビョーウが、切れ長の目を背後に向けた。その先、ゴライアス・デスマスクの動きに注意を払いながらグラスが走ってくる。
「グラス! 大丈夫かっ!?」
「はい! ルキト様こそ、お怪我はありませんか?」
「平気だよ」
「そうですか……良かった……」
グラスがほっと胸を撫で下ろす。
それを見て、ゴライアス・デスマスクを指さしながらマリリアが声を上げた。
「ち、ちょっと! 落ち着いてる場合じゃないでしょ! どうすんのあれ!?」
「どうするも何も、闘るしかないだろが」
「よ……四人だけで!?」
「なんだよ神様。ビビッてんの?」
「ビ、ビビってなんかないし! ただ、流石のわたしでもちょっとキツいっていうか……」
「心配するでない」
マリリアの勢いが尻つぼみになった所で、ビョーウが声をかけた。
オレ達の視線を誘導している目には、落ち着きはらった光が宿っている。
ドドッ……ドドッ……
「どうやら、四人で闘う必要はなさそうじゃ」
ドドッ……ドドッ……!!
ドドッ……ドドッ……!!!
見ると、視界の先に土煙が立っていた。地面を力強く蹴る複数の音が、徐々に近づいてくる。
「あっ!!?」
「あれは……!」
「追ってきたようじゃのう」
ドドドッ……ドドドッ……!!
ドドドドドドドドドッッッ……!!!
「ルキトおおぉぉぉ〜〜っ!!」
「ヴェルベッタさん!?」
騎乗した冒険者達を率いてやって来たのは、純白のマントをなびかせるヴェルベッタだった。




