102・三つ数えろ
暗水衆がそれぞれの位置についた。
一人が正面に、残り四人が二人づつ左右に分かれて展開している。
「いくつ用意してるんだ?」
見上げていたロメウが何気なくそういった。顔を正面に向けたまま、ティラが答えた。
「三つです。巨大とはいえ所詮は昆虫ですので、そのくらいが妥当ではないかと」
「あぁ、十分だな。マリリア」
「なに?」
「準備しといた方がいいぞ。こいつの速さについて行けるようにな」
「おっと、そうね」
指摘されたマリリアが何かを呟くと、身体が淡い光を帯び始めた。身体強化の魔法で速度を上げたらしかった。
ゆったりした足取りで、ティラが前に出た。
「気をつけろよ」
肩越しに振り向いたマリリアが親指を立てて見せ、後に続く。
それが合図だったかのように、五人の影が動いた。
文字通り、影が舞っていた。
攻撃をしている訳じゃない。ただ周囲の岩場を跳ね回り、ちょっかいを出しているだけのようだ。
「あんな所で、よく動けるな……」
「潜入・侵入専門の特殊部隊だからな。暗水衆にしてみりゃ、平地と変わらねぇよ」
「そういえば、さっきいってた三つってなんの事?」
「あの蜘蛛が同時に処理できるであろう情報の限度数さ」
「情報の、限度数?」
「あぁ。生物である以上、一度に考えられる物事の数には限りがある。ヤツは今、入口を守ろうって考えてる訳だ。だったら、それを忘れさせてやりゃあ、あそこからどくだろ?」
「そんな事、どうやって?」
「すぐに処理しなきゃならない別の情報を同時に与えてやればいいのさ。対処しようとパニクれば、入口どころじゃなくなる」
「あぁ、それが三つ必要って意味か。なるほどね」
「アイツらのやり方を良く見ておけよ。応用すれば、訓練された騎士団の統率すらガタガタにできる技術だ」
ロメウの口調からは、暗水衆を熟知しているのが伺えた。五公星お抱えの隠密部隊に精通している冒険者――先ほどからの会話といい、ティラ達との関係が気になった。
「なぁロメウ。あんた、やけに詳しいみたいだけど、どうし……」
「そろそろ、次の手を打つぜ」
問いかけに、ロメウの声が重なった。
目を向けると、左右にいる四人のうち二人がゴライアス・デスマスクの背後に回っていた。両手には、これまで使っていた武器ではない何かを持っている。
スキル、遠見で視覚をズームした。それは、ソフトボールくらいの球だった。
「なんかの……アイテム? 水晶か?」
「いや、ありゃあ魔法球だ。ああ見えて、バケツ一杯分くらいの水分を詰めておけるマジック・アイテムさ。中身は樹脂を加工した粘着液だな」
「粘着液? そんなモノ、何に使うんだ?」
「普段は敵の足止めに使うんだが……さて、どうするつもりかねぇ」
その間にも、前面と左右の三人は絶えず手を出し続けていた。注意を引きつけている隙に、魔法球を携えた二人が巨体の下に潜りこんだ。
直後――
パンッ!!
パパンッッ!!!!
「!?」
「ギシャアアアァァァーーッ!!」
複数の破裂音が響いた。
鳴き声を上げたゴライアス・デスマスクだったが、ダメージがなかったのかそのまま攻撃を続けている。
しかしすぐ、長い脚をバタつかせてもがき始めた。
「ギ……ギ……!! ギギュッ!! ギジャア……アアァッ!!」
ズ……ズズ……ズ……ズズズズズ……
ズシャンンンッッッ!!!
やがて、目に見えて動きが緩慢になったかと思うと、そのまま力なく岩山の斜面をずり落ちてきた。
「どうしたんだ!?」
「苦しんでるみたい……何をしたのかしら?」
オレ達の疑問を受けて、思案顔のグラスが意外な理由を口にした。
「息ができないのではないでしょうか?」
「息が、できない?」
「そうか。粘着液で呼吸を塞いだのか」
何が起きたのかロメウにも分かったらしい。腕を組んだまま、相づちをうっている。
「え? 顔に何かしたようには見えなかったんだけど……」
「蜘蛛の呼吸器は腹部にあるのです。ゴライアス・デスマスクの場合、前方に『書肺気門』と呼ばれる穴が二つ、後方に『気管気門』と呼ばれる穴が一つの、計三つです」
「二種類あるって事? なんでまた」
「多数の肺葉(肺を形成する膜)が本のページのように重なっている書肺気門は呼吸器官としては原始的なのです。ですので、活発に活動を行うときなどは、効率よく酸素を取り込める気管気門を併用して呼吸をする仕組みになっています」
「はぁ~……なるほどねぇ……」
「おいおい、すげぇ詳しいじゃねぇか。なんでそんな専門用語まで知ってんだ?」
グラスの知識に、ロメウが目を丸くした。
確かに、こうもスラスラと解説されたら、驚くのも無理はない。
「彼女、生態系の研究をしてたんですって」
「なるほど、専門家みたいなものか。べっぴんで博識たぁ、天に二物を与えられたって訳だ」
「いやまぁ、どちらかといえば与える側なんだけどね……」
「ん? なんかいったか?」
「いや、なんでもないよ」
「?」
「ギギュ……ジャ……! ギシャ……アアァッ……!!」
ロメウの怪訝そうな顔から目を移すと、二つ目のアクシデントに苦しんでいたゴライアス・デスマスクが奇妙な行動をし始めていた。腹部を左右に揺さぶっているのだ。
どうやら、地面に擦って粘着液を剥がそうとしているようだった。
その隙を、三人の影が逃すはずはなかった。距離を取って取り出した短い杖、その先端で青い宝玉が輝き出す。
ゴッ……!!
ビュオオオオォォォォーーッ……!!!
途端に、猛烈な冷気が吹き荒れた。包み込まれたゴライアス・デスマスクの周囲で、冷却された空気が結晶化してキラキラと輝いている。
「あれは……『氷雪の杖』ね。流石はエリート部隊、いいもの持ってるわねぇ」
「しかし、あの程度では完全に凍えさせられはせぬじゃろう」
「いや、十分だ。蜘蛛は変温動物だからな。周囲の温度が一定まで下がると動きが鈍くなる。そこにつけこむ隙が生まれるって訳だ」
「なれば最初からああすれば良かったではないか。呼吸を塞ぐ必要などあったか?」
「いきなりやったんじゃ暴れるだろ。入口が崩れちまったら元も子もなくなるんで、まずは運動機能を低下させつつ地面に引きずり下ろしたのさ。要は、段階を踏んだってこった」
「ふむ。なるほどのぅ」
「敵の襲撃、呼吸困難、体温の急低下。あれだけやりゃ十分だ。今、ヤツの頭は、トラブルの対処でいっぱいいっぱいだろうよ」
ロメウがいったと同時だった。
前方で控えていたティラとマリリアが揃って走り出した。ゴライアス・デスマスクの脇を抜け、巣穴に入っていく。
「よし! 上手くいった!」
「あとは、今のうちに救出するだけですね!」
「中で通路が崩れてなきゃいいんだがな……」
「ティラの事ですもの、その辺は想定してると思うわよ」
「わらわを待たせておるのじゃ。失敗は許さぬ」
ロメウの言葉どおり、今のヤツは入口を守るどころじゃないだろう。動きそのものが完全に止まってしまっている。
それを見届け、暗水衆が攻撃を中止した。いったん引いて距離を取り、遠巻きに様子を伺っている。
このまま大人しくしていてくれれば、最初の作戦は成功する。
しかし――
「ギギ……ギュ……ギ……ギイィ……」
そう思っていた矢先、異変が起きた。ゴライアス・デスマスクの身体が、ブルブルと震え始めたのだ。
「どうしたんだ、アイツ?」
「全身が痙攣してるわね……」
「ギギギッ……イィィ……イ……イイィィ……!!」
「なんかヤバいぞ!! 全員引けっ! ヤツからもっと距離を取るんだっ!!!」
近衛隊と背後の冒険者達に向かってロメウが叫ぶ。オレ達が後退り、異変を察知した近衛隊員達が後退しようとした、その時。
「ゴッッ……バアアアァァァァーーッ!!!」
「!!?」
バシャシャシャシャアアアアァァァァーーーッッ!!!
ゴライアス・デスマスクの口から、大量の液体が溢れだした。
黄白色に濁ったそれは、瞬く間に乾いた地面を覆っていった。
「毒液か!?」
「チッ!! なんて量だ!」
「みんな下がって! もっと下がりなさいっ!!」
幸いにも液体を浴びた者はいなかった。しかし毒だったとしたなら、匂いをかいだだけで身体に悪影響を及ぼす恐れがある。
さらに距離を開けるよう指示したヴェルベッタの声に、誰もが即座に従った。
「ゴブッ!! ……ブッ!! ゴボボボオォゴゴゴッ……!!!」
尚も吐き出される液体が、辺り一面をみるみる覆っていく。充満した匂いが、纏わりつくように鼻を刺激した。
「なんじゃこの生臭い匂いは……!!」
「毒……って訳じゃなさそうね。胃液かしら?」
「ヤロウ、ゲロ吐きやがったのか」
「あれは、ひょっとして……」
「分かるのか、グラス」
「低温に対する防衛行動ではないでしょうか」
「防衛? 液体を吐き出すのが?」
「どういうこった?」
グラスの説明は、こうだった。
完全な純水は、ゆっくり冷やすと摂氏零度以下でも凍結しない(この現象を過冷却と呼ぶ)。氷の核となる微粒子、氷晶核がないからだ。
それは、不純物が含まれない蜘蛛の体液も同様で、通常、零度以下になっても凍る事はない。
しかし、摂食して食物由来の粒子を取り込むとそれが氷晶核となり、組織の凍結が始まってしまう。
そこで、気温が下がり始める季節になると蜘蛛は絶食状態になる。そうして体液の成分を調節し、体組織の過冷却点(組織が凍り始める温度)を下げ、低温でも凍らないようにするらしい。
さらに……
「強い耐寒性を持つゴライアス・デスマスクは、排出機能が発達しています。ああして氷晶核となる物質を出し、凍結を防いでいるのです」
嘔吐する事で、無理やり環境の変化に対応できるという。
原始的だか手っ取り早いこの方法は、生物が持つ野生、そのたくましさを体現しているかのようだった。
「つまり、体液ごと不純物を吐き出してるってのか……」
「そんな能力があったとはな。勉強になったぜ」
「全ての蜘蛛にできるわけではありませんが、寿命の長い種は越冬する必要があるため、このような能力を身につけたと考えられています。ですので、あの行動自体はさほど珍しいものではありません。それより……」
「気になることでも?」
「反応が早すぎます」
眉根にわずかな皺をよせ、困惑した表情でグラスはいった。
「いくらゴライアス・デスマスクが上位種とはいえ、こうも即座に対応できる程の防衛機能はないはずなのですが……」
「驚異的な環境適応か……それも、やっぱり……」
「はい。超速再生能力と関係があ……」
「ギャジャアアアアァァァァーーーッ!!!!」
「!!!?」
空気を震わす咆哮のような鳴き声に、会話が遮られた。
驚いて前方に目を戻すと、嘔吐し終えたゴライアス・デスマスクが顔を激しく左右に振さぶっていた。
「ジャシャアアァーーッ! ギャシャアアアァァァーーッ!!!」
「なんだぁ? いきなり元気になりやがった!」
「戻したらスッキリしちゃったのかしら?」
「お主と一緒にするでない、バカ者」
「低体温状態から立ち直ったんだ! 襲ってくるぞ!!」
「ちょっと予定外だけど仕方ないわね。来るわよ、みんな! 準備して!!」
おおおぉぉーーッッ!!!
ヴェルベッタの呼び掛けに、背後の冒険者達が応えた。
ある者は馬から降り、ある者は馬上で、戦闘態勢をとり始める。前に出た前衛職とサポート役の魔法職の割合はちょうど半々くらいだった。
「っしゃあ! やるぞっ!!」
「くそったれの化け物が! ぶっ倒してやらぁ!」
「特別報償金いただくわよっ!!」
「素材も山分けだ! ぬかるんじゃねぇぞオメェらっ!!」
「一ヶ所に固まるなよ! バラけて攻撃するんだ!」
「地面がぬかるんでいます! 足元に気をつけてください!」
「おぉよ! バックアップ頼むぜ、魔法部隊!!」
流石はゴライアス・デスマスクが相手と分かっていながら集まった連中だ。その様子に臆するそぶりは一切ない。そればかりか、気の早い数人が先制攻撃に打って出ようとすらしていた。
しかし――
「皆さん、お待ちくださいっ!!」
その動きをグラスが制止した。
普段の雰囲気とは違う様子から、緊急を要する何かがある事に誰もが気づいたようだった。
「どうした、グラス?」
「様子が変です。何か不自然で……歪な違和感を感じます」
「違和感? それは、どうい……」
「ギギギギギイイィィッ!! ギュイイィィィィーーッ!!!」
ボッ……ゴッッッ……!!
ボゴゴココココココココ……ッッ!!
「!!?」
それはまさしく、不自然で歪な光景だった。
力むような鳴き声を上げるゴライアス・デスマスクの腹部が、ボコボコと動き出したのだ。
まるで意志があるかのように、巨大な腹の中を何かが動き回っているように見える。
「なんだあれ!!?」
「うげっ!! 気持ちワリぃ!!」
「お腹が、まるで生き物みたいに……」
「……鼠の時と似ておるのぅ。筋肉が増殖しているのか?」
「いえ、違います! あれは……!!」
グラスのいわんとした事はすぐに分かった。
ゴライアス・デスマスクの腹部、その下に次々と出てきた塊――いや、物体がなんなのか、遠目に見ても理解できたからだ。
やがておぞましく蠢き出した、それは――
「出産しているのです!!」
無数の、子蜘蛛だった。




