なろうの作品に「自己投影の要素がある」と考えると、今の現代社会は人と人との尊敬しあう気持ちが足りてないのでは、ということを提起するエッセイ
初投稿で拙いところがあるかもしれませんが、暖かい目で見ていただければと思います。
先に断っておきますがなろうテンプレ作品を批判するわけでも肯定するわけでもありません。
ご了承ください。
なろうの人気の作品。そして、それを作る要素の一つとしてなろうテンプレ。様々な種類がありますね。筆者もそこそこ覚えてはいますが、列挙してくださった方がいらっしゃるので、こちらを参照してください。
出典:https://ncode.syosetu.com/n2678el/1/
さて、なろうの作品の大きな特徴があります。ご都合主義?ハーレム?あるいは逆ハーレム?確かにその点も共通点として挙げられますが、それが今もランキング上位に載ることが多いこと考えると需要はあると考えられます。
あまり焦らしても仕方がないので、先に結論を挙げますね。
なろうの人気作品は、人と人の正の感情を向け合うタイプの小説、言い換えるならば人と人がお互いに尊重し合う、または必要とされることが多い、というように思えます。これらのことを、「正なる交流」とでも言いましょうか。
実際に、筆者が執筆した時のランキングを抜粋しましょう。
累計ランキングBEST5
転生したらスライムだった件
作者:伏瀬 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
無職転生 - 異世界行ったら本気だす -
作者:理不尽な孫の手 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
ありふれた職業で世界最強
作者:厨二好き/白米良 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
とんでもスキルで異世界放浪メシ
作者:江口 連 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
陰の実力者になりたくて!【web版】
作者:逢沢大介 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
出典:2020年1月23日 小説を読もうHP https://yomou.syosetu.com/rank/top/
名だたる作品が並んでおりますが、これらの作品はすべて以上の特徴に当てはまりますね。
え?そんな名作ばっかり上げるのは卑怯だって?
分かりました。では、月間ランキングも載せましょう。年間でなくてなぜ月間というと何となくです。特に深い理由はありません。何なら、皆さんの時のランキングでも見てくだされば、と思います。
月間ランキングBEST5
ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~
作者:ハム男 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
現実世界に現れたガチャに給料全部つぎ込んだら引くほど無双に
作者:ARATA / ジャンル:ローファンタジー〔ファンタジー〕
落ちこぼれ国を出る〜実は世界で4人目の付与術師だった件について〜
作者:御影 雫 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
貧乏国家の黒字改革〜金儲けのためなら手段を選ばない俺が、なぜか絶賛されている件について〜
作者:空野進 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
不遇職【鑑定士】が実は最強だった〜奈落で鍛えた鑑定スキルが、チート化して全てを見切る神眼になった件
作者:茨木野 / ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕
出典:2020年1月23日 小説を読もうHP https://yomou.syosetu.com/rank/top/
何を当たり前のことを……と思うかもしれませんが、実はこの傾向は珍しいと考えられます。というのも、例えば皆様が小学校入学以降読んできた国語の小説において、どの小説も人と人の愛は重要だ、とかあるいは人から必要とされる話、という話ばかり教科書でお読みになられたでしょうか?
少なくとも、筆者はそのような傾向はありませんでした。
むしろ、失恋系主人公や悪党系主人公の話もいくらか読まされてきました。もちろん、なろうテンプレのように救いがある展開ではなく、主人公の視点のみで進むタイプです。
そう思うと、以上の傾向は面白いと思えませんか?所謂なろうテンプレから外れた作品も、人気の作品は人との「正なる交流」はおおよそ存在します。
人との一切の交流が存在しない小説、あるいは人から悪意しか向けられない主人公の小説もいくらか読んだことあります。作品名は挙げませんが、その作品がうろ覚えではありますがランキングに載ったこともあるらしいです。
しかし、今のランキング作品では「正なる交流」がある作品が多いのでは……というように思えます。(今の作品すべて読んだわけではないので憶測にはなりますが)
もし、これらの話が嘘である、と思える方はぜひともランキング作品を一度ご閲覧してください。私もすべてを確認したことはありませんが、おおよそ以上の傾向に従うということがお分かりいただけるかと。
ではなぜ、ここまで人に尊重されるような作品が多いのでしょうか。言い方を変えるならば、なぜ人に大切にされる作品がなろうの中にこれだけ多くなったのでしょうか?
これの答えは、一言で言えば人に愛されることによって自分の存在を確認したいから、と私は考えています。
その理由について検討するために、少し筆者と一緒に歴史の勉強をしましょう。
時代は遡り、20世紀。この時代になると、モノを大量生産することができるようになりました。そして、マスメディアも発達することで、世界の情報をどこでも知ることができました。
一方で、我々はマスメディアから情報が与えられるため、その主体性が弱まってしまい結果的に人間の画一化が進んでしまいました。
これに関しては、今の時代の方が分かりやすいかと思います。例えばたまにtwitterをしている人でフォロワーからのRTの情報を無条件に信じてしまう方はいらっしゃらないでしょうか?
あるいは、2ch(今は5chでしょうか)の情報を無条件で信じてしまう方を見たことはありませんか?
そういうことこそ、言い方が悪いですが主体性が弱まっているといえるのです。
それと同様に、20世紀の情報伝達についても考えていただければわかりやすいと思います。
(決して特定のマスメディアを批判しているわけではありませんのでご了承ください。)
さて、そういった受動的に情報を受け取ってしまうがために画一化してしまったわけですが、そこで自己を回復しようという思想が生まれました。
それらを一言で雑にまとめてしまうと、自分が何者であるかを自ら決める、という思想が出てきました。
しかし、それをどう決めればよいのか、という話になります。
自己の定め方も自由です。何かで大成するのもよし。誰かに信奉されるもよし。誰かに求められるのもよし。
しかし、其れこそが最も難しい所になります。自由ということは、すなわちすべて自分の頭で考えなければなりません。例えば、皆さんがある目標のためにどんなものを使ってもよい、とされたとき戸惑う方が多いと思います。その戸惑いこそが、自由の問題です。
そして、我々が自由にふるまう権利を持つことはすなわち自由に対する責任もある。まさに自由という責任を背負っており、それが定められないと自己が分からなくなってしまう、というものです。
以上が、歴史の勉強でした。この後も続きがありますがそれはさておきましょう。
以上の歴史を踏まえて、聞きたいことがあります。
皆様の中でで自己が何かという答えを見つけた方はどれだけいらっしゃるでしょうか?
恐らく多くはないと思います。しかし、このままでは自己が薄まってしまいます。では、それを防ぐために何をしたでしょうか?その答えの一つとして、別世界の中に自らを投影する、は考えられませんか?
例えば、何かの創作物を読んでその中で好きな作品があった場合、自らをその世界に投影することはありませんか?それこそ、まさに心地よいでしょう。
なぜならば、その世界では自己がはっきりしているから。自分が何者であるかというのが自覚できるから。
そういった延長上で、なろうが発展して今のテンプレが生まれた……と推測を立てています。
つまり、なろうテンプレは歴史的に「正なる交流」、すなわち人から必要とされるということの描写が多く含まれているからこそ人気が出た、と考えています。
筆者は特になろう歴史研究家というわけでもないため、上記の事実が絶対的に正しいかは保証できませんがなろうの側面を垣間見せることができたかと思います。
もう一度、結論を述べるとなろうにおける、「正なる交流」が多い理由というのはそういった小説を書くことで、人気が出るからで、その理由がそういったシーンが求められているから、と考えています。
では、なろうの作品において新しい段階に進むにはどうしたらよいでしょうか?
筆者の理論に従うならば、現実において人から必要とされる、すなわち自己を決めることができれば新しい次元に向かうでしょう。
今回はなろうについて議論しましたが、なろうに関わらず現実世界は人との関係が希薄になりがちです。お互いに利用し利用される。そのような関係になってはいませんか?
もし、心当たりがある方はいつもお世話になっている方に言葉をかけてほしいと思います。
「いつもありがとう」や「これからもよろしく」など。その時に名前を呼べば尚良しです。
それだけ相手に自分が必要とされているのだ、と認識されますから。
相手の方から勝手に動いてくれるのはなろうかよほどコミュニケーションに長けている方か、のどちらかです。それを期待してはいけません。ぜひとも自分から動きましょう。
いずれ、相手も自分のことを必要としてくれるはずです。
人間、お互いの心境を理解するために何かしらのコミュニケーションが必要です。ぜひとも、以心伝心なんて恥ずかしがらずコミュニケーションをとりましょう。
それこそ、なろう主人公に近づく一歩かもしれませんよ。
我々がそれらの問題を解決した時、なろうテンプレから卒業する……のではないでしょうか。
筆者は倫理は一般教養レベルで学んだだけなので、間違いがある場合は感想欄にて連絡ください。
これを読んで頂いて、多少でも奮起してくださったら幸いです。