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被告人、前へ  作者: 速水詩穂
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償い(わん)

 



 蛍光の光を受けて、ぼんやりと輪郭を飛ばした白い猫。優しい桃色の鼻先。光の加減によって見えたり見えなかったりする、手ぐすのようなひげ。アイラインなしでくっきりと主張する目元の奥に、揺らがない瞳孔が見据えた。

 ブルーアイズ、ホワイトキャット。

 首の後ろに常に力が入っているのだろう。伸びた背筋は柔らかなS字を描いて足首に収束する。

 〈ここを、出ちゃ、いけない〉

 伸びた背筋は、そうして無理な姿勢を留める。基本、四足歩行。誰だい? 自然に逆らった愚か者は。罪深い。よく見ろ。震えているではないか。

「にゃあ」

 器用に皿洗いを終えた猫は、前足を下ろすと高々と尾を掲げて走り寄る。乾ききっていない前足の毛先が、しっとりと横になっている。

 つま先しか地に着けない気位の高さ。

 走り寄った先で、分厚い手のひらに狭い額を寄せる。

 気持ち良さそうに目を細めた彼女は、そうしてあごを上げて甘えて見せると、視線の先をこっちに流した。

 〈ネ、アタシハ、ココヲ、出チャイケナイ〉

 ギリ、と奥歯が鳴った。彼女を縛るものは何だ。

 部屋を出た主を確認すると、立ち上がり、その元に駆け寄る。

 〈逃げよう〉

 恐れ多くて触れられない。そのすぐ傍にひざまづくとささやいた。もどかしくて、じりじりと前足を伸ばす。

 その、鋭い、眼差し。

「にゃあ」

 前足を引く。


「にゃあ。にゃあ。にゃあ。にゃあ」

 何かが起こっている。

「にゃあ。にゃあ。にゃあ。にゃあ」


 真っ白な毛皮の奥で、彼女の身に何かが起こっている。全身から放たれた威厳は、なのにどこまでも悲しい慟哭のように響いた。

 拒絶。拒絶。懇願。拒絶。

 そっと、それでも再度伸ばしかけた指先に、彼女は目を光らせると、今度こそ容赦なく噛み付いた。にじむ、鮮明な赤。再三の警告を無視しようとした罰。

「にゃあ」

 その口元に赤がしみこむ。彼女は

 そうしてそれを前足を使って器用にぬぐうと、まるで何事もなかったかのように背を向けた。爪先立ちの歩行は足音を残さない。

 伸びた背筋と、まっすぐな尻尾。

 視線を落とす。ぐったりと力なくぶら下がっている、中指の爪。はたして四足歩行でも無理はかかっているものなのだろうか。その身体は小刻みに震えていた。


 離れない、のは、あの口元ににじんだ赤。まるで一枚の絵画のようにその奥に見据えた目。一定の潤いを保ち続けて揺らがなかった瞳が、あの時だけ大きくぶれた。

 その、悲しくも、愛しい、一瞬。

 〈にゃあ〉

 彼女を覆うそれならば、恐れの種類も違っていたのかもしれない。そうして

 赦されるのであれば、懐に抱き込んでしまえたのだろう。


 にわかに騒がしくなってきた。

 駆け出す。

 今はダメだ。

 でもこの身体に自由がきく限り、何度でも来よう。

 そう、何度でも。

 彼女を助け出すんだ。




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