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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

笑ってると思う。少なくとも信じてる

作者: 尾川亜由美

残酷描写はありませんが、気分を害する描写はあるので閲覧注意。


異例の成り上がりと周囲から揶揄される兄である俺と、3歳年下の男娼であるコーディーが

こうして顔を見合わせたのは、実に1年ぶりのことだ。

女遊びも世渡りもうまいと思っていた弟は今、病院のベッドでボンヤリ、いつも俺を眺めている。



笑ってると思う。少なくとも信じてる



「あーあ。あーあ。」

点滴がぽたぽたと零れる音と共に、コーディーは子供みたいにそう言っては左右へ首を捻る。

その声は、聴いただけならばいつもの軽薄で明朗な弟の声であったが

腰から下、寝転がせた長い脚は、もう二度と動かないし

それなのに痛覚はキチンとあるらしく、ベッドを傾けないとナースコールを押しまくるので

俺が調節してやらねばならなかった。


「どうかしたか。」

何とか仕事を早く切り上げ、昼飯も食わずに見舞いに来て、どれぐらいこうやって座ってたか。

いつものように声を掛けると、奴は「つまらねえ」とぼやきはじめた。


「つまらねえなら、何か雑誌を買ってくるよ。」

「いらねえよ。もう気に入ったスーツは着れねえだろうし

ネエちゃんどもの裸を見たって神経がなきゃイケやしねえんだ。」

「スーツを着れないぐらい足腰を酷く折ったのは、お前がホテルから飛び降りた所為だし

腰が粉砕して神経が通らないのも、仕方のない話なんだ。生きてるだけマシだよ。」

「俺は生きる為に柵を越えてみるかと思ったんじゃない。」


もとは端正な顔立ちだったというのに、かなり痩せこけて

どす黒い顔つきでコーディーは力なく笑った。それでも、ニヤリとした嫌味っぽさはまだあったが。

まあ、生きようと思って女と寝た直後に飛び降りる男もそう居ないだろうが

兄としては生きていただけ運が良かったと思うのだが、コイツの中ではそうじゃないらしい。


口数は減らないこの男も、飯は喉を通らないし、歩く練習はするつもりはないと堂々言い放つし

生きることにたいして、それほどもう執着はないのかもしれない。


艶があったはずの短い黒髪を、がしがしと自ら撫でまわし

コーディーは俺を…いや、俺の向こう、病室の窓を眺めた。

「あの世ってのは、ホントにあるもんかな?そこに死んだ人たちは行くのか?」

「分からない。俺は死んだことはないから。」

一言断り、ジャケットから煙草を取り出して一本吸っていると

弟の切れ長な黒の瞳が、かすかに潤む。

女を誘惑する時の芝居ではない。悲しみに浸る時のそれでもない。


ただ、夕暮れ色の空を美しそうに見つめている。


「俺も、行ってみたいなあ。親父とおふくろが行った場所に。

3人でこの夕焼けを見たら、きっと綺麗だ…。」


ぐしゃりと潰した煙草のパッケージが床に落ちるのを見ながら、コーディーの言葉を俺はただ聞いていた。


ちょうど一ヶ月前に、両親が他界した。

対向車の飲酒運転で真正面から車同士で突っ込んで、親父とおふくろも、相手の運転手も即死したそうだ。

俺が上司からその話を述べられた頃に、昔の学生仲間からいちはやく情報を手に入れた弟は

発作的にか仕事場のホテルから身を投げ出し、こうして不自由な生活となった。

世間で言えば所謂やんちゃなガキであるコーディーだが、家族だとか絆だとかは大切にしていたと思う。

毎年金が掛かるだろうに、親父とおふくろと俺の誕生日プレゼントを買い

実家のリフォームに金をつぎ込み、ふしぎと反抗もしなかったから。


でも。それでも。


「お前はまだ生きている。だから、そっちに行けないんだよ。」

「分かっちゃいない。俺は生きてるんじゃない。おっかなびっくり、”こっちにいる”だけだ。

これを12時までに飲みなさいって魔女が毒薬を寄越したら、迷わず飲むさ。」


なるほどね。体と魂は別物だってか。

俺もつられるように、夕焼け空を少し眺めたあと、面会用の椅子から立ち上がる。

もしも、顔では笑っていても中ではこっちが狂いそうな悲鳴をコーディーがあげ続けるなら

兄として、どうしてやるのが一番だろうか。

もう俺もコーディーもいい大人だし、道を決めたいのならば止めはしない。


「もう帰るのか、女か」と茶化してくるコーディーに、俺は窓枠の方へ顎先を向けた。

「もう一回、ぶっとんじまったらどうだ?その体で這い上がって、窓に何とかへばりつけるなら、今度こそはいけるかもしれないぜ。だめだったら、もう一回やってみればいいさ。死ぬまでやればいい。」

皮肉にしかとれないかもしれない。いや、実際そう聞こえただろう。

でも、俺が可愛い弟に言ってやれる真心こもった言葉は

両親の死に誰より苦しまされるコイツへの救済方法は、それしかもう思いつかない。


コーディーは、ベッドを少し、もう少しと起こし、痛むだろう体を何とか横へと向け始める。

黙々と、淡々と。俺は手を貸すことなく、ただそれを見つめる。

ベッドから起きようとして、逆に転がり落ちる無様な姿をこの目で確認しても

助けてやることはしなかった。いや、助けてはいけないのだ。


延々じべたをのたうち回り、コーディーはようやっと窓枠に骨ばった両手をあてると

ぐっと体を持ち上げるようにし、苦鳴を漏らした。

元々開いていた窓から、涼しい風か流れてくると、奴は振り向いてニヤッと笑う。

「親父たちみたいに、ぐしゃっと行くさ。今度はね。」

ずるり、と落ちていく長身痩躯の体は、俺に惑いも悲しみも生まなかった。

ただ、今まで生きてきたなかで何より強く望む願いは聞き遂げた。それだけだ。


遠くで聞こえる看護婦の悲鳴が、何だか小さなころに遊びまわった家族達の声に聞こえた気がして

俺は夕焼け空を眺め、なつかしさに小さく微笑んだ。


幾つか書いてボツった堅物兄貴と、軟派弟の話がようやく書けたのでひとまずよかったです。

ここまで読んで頂いた方はありがとうございます。

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