重なる心
「黒烏!!」
「!!??ひ、姫さま…驚かさないで下さい…」
内庭での一件以来、姫さまはよく俺のところにくるようになった。
今日も一人洗濯をしていると、後ろから抱きつかれ心臓が止まるかと思った。
「何を言うの!背後をとられるなんて黒烏の鍛練が足りないのよ!」
た、確かに……。
自分より年下の女の子に背後を取られるなんて男として一兵士として恥ずべきだ…。
「洗濯?お前そんなに着ているの?」
手洗の中にある大量の服を見ながら玉蘭は不思議そうに言った。
「いや、その………」
明後日の方を見ている黒烏にギラリとした視線を向けた。
「まさか他の人の分もやっているの!?え、何?黒烏、お前虐められているの?もしそうならわたくしが皆に言ってあげるわ!」
「ち、違います!!俺がやるって言ったんです!」
事実、上司に命令されたから仕方なくというのもあるが、黒烏の師の教えである得を積むというのもあるので別に構わないと黒烏は思っていた。
だが、そんな黒烏の考えがお見通しかのように玉蘭はまったくと言いたげな表情をしていた。
「お前、何でもやってあげるのね」
「まあ、選り好みしては得は積めないでしょうからね」
澄ました顔をしながら黒烏がそう言うと、玉蘭はそうと軽く返事をし、隣にしゃがみこむと大量にある服のひとつを手に取った。
「ひ、姫さま!何をしているんですか!」
「お前を手伝うのよ。わたしくしも得を積みたい気分になったの」
姫さまはよく俺が言った“得を積む“ということを理由に助けてくださる。
こんなにも優しい貴族がいるなんて思ったこともなかった。
正直、貴族というものは大嫌いだった。
明日を生きれるかも分からないような俺たちのことはお構い無しに好き放題食べたり遊んだり…。
果ては、奴婢を殺す遊戯をして楽しんだりする貴族もいた。
それでも、貴族に仕えるしか俺たちのように人権というものが無い奴等には生きる術がない。
文字を書けなければ、礼儀作法も知らない。
のしあがることは不可能に近いのだ。
この邸で働くことになってから玉蘭さまを見ることはよくあったが、いつもつまらなそうな顔をしていた。
侍女たちも礼儀が無いからだの器量が無いからだの理由をつけて彼女の世話を実質的やっているのは念珠という女性だけであると聞いた。
ちらりと横を盗み見ると、可愛らしく頬を赤く染めて必死に洗濯物を擦る少女がいる。
「もう、すっかり夏になってしまったわね」
「そうですね。組手中とか倒れそうですからね暑さで」
「それは危ないわ!しっかり水を飲むのよ?」
「はい。心配頂き感謝いたします」
全ての洗濯物が終わると、休憩と言い二人は池に脚を入れ、涼を取ることにした。
「冷たくて気持ちいいわ」
「そうですね。姫さまバシャバシャしないでください。水が飛んできます」
「黒烏が暑そうだから飛ばしてあげているのよ」
「大丈夫です。池に脚入れてるんで」
ムッと頬を膨らませた玉蘭が黒烏を睨むとそれに苦笑いしながら黒烏は玉蘭の頭を撫でた。
一瞬のことで目を真ん丸にした玉蘭とは対照的に、黒烏は不敬を働いたと池から脚を出し、その場で土下座した。
「も、もも申し訳ありません!!く、癖で………」
何度も地面に頭を叩きつけながら謝る黒烏に、玉蘭はまったく気にしていないのか大丈夫だよと笑った。
「癖ってどういこと?」
「黄仙の実家に兄妹がいるんです…その…姫さまは丁度弟と同い歳なので…なんとなく手が動いてしまったというか…」
黄仙とは凱華の北に位置する農作物もほとんど育たない痩せた土地で、住んでいるのも下層階級の者がほとんどだ。
「そういえば黒烏、お前はいくつなの?」
「14です」
「へー!もっと上かと思ったわ。私と五つしか違わないなんて…」
「背は高い方ですからね俺」
「いいなぁ~!わたくしも黒烏を抜かすぐらい高くなるかしら」
「女性は低い方が可愛らしいですよ」
「でも、あまりにも小さかったら子供扱いされるだけよ!それは嫌。」
姫さまはいつも自分の見た目を気にしていらっしゃる。
何をそんなに気にしているのか、俺からすれば市街に住む同じぐらいの女児より十分に綺麗だ。
そんな事を考えながらじっと彼女の顔を見つめていると、視線に気づいた姫さまは顔を真っ赤にした。
「姫さま、顔が赤いですしそろそろ戻りますか?」
もうすっかり夏だから、熱中症には気を付けなければと思い、声をかけたが返答がない。
「姫さま?大丈夫ですか?」
顔を覗き込むとパッと逸らされてしまい、大丈夫なのか確認出来なかった。
代わりに返って来たのは予想外の質問で…
「……黒烏は…やっぱり美人が好みなの…?」
「え、何ですか急に…」
話の流れ的によく分からない方に姫さまの思考は行ったらしい。
「姉上たちのような女性が好き?」
俺に好みを聞いてどうするのだろうか。
姫さまは以前、『姉上たちをギャフンと言わせたかったから後宮に入りたかったの』と悔しそうに言っていたが、俺の好みの女性ではなく、皇太子殿下の好みでなければ、姉姫さまたちはギャフンと言わないだろうに。
「そ、そうですね…美麗な女性は確かに良いと思いますが…俺は姉姫さまたちよりも…」
チラッと視線を移し、玉蘭の横顔を盗み見る。
まだ九つと幼いのに真珠のように白く滑らかな肌、大きな瞳を隠す長い睫毛、梅の花のように鮮やかな唇、艶やかな黝色の豊かな髪。
頬に集まる熱を冷ますように適当に手で扇いでいると…
「…やっぱり…黒烏も…姉上たちの方がいいのね…」
「へっ!?違いますよ!!俺は……その…姫さまが一番綺麗だと思います…」
俺の言葉にキッと睨み付けてきた姫さまは声を荒げた。
「嘘偽りの無い答えが欲しいの!」
「嘘なんかついてません!!俺は姫さまが…玉蘭さまが一番美しいと思うし、一番好きです!!」
黒烏が同じように声を荒げると、玉蘭は目を真ん丸にし、池から脚を出すとそれを抱え込んだ。
な、泣いてしまったのか?
ワタワタしながどうしようかと考えていると、
「嬉しい…」
「…姫さま?」
「嬉しいわ黒烏…わたくしあなたの一番なのね」
膝からちらりとあげた顔は歳に合わない色気が含まれていた。
ニコリと笑う玉蘭に黒烏は速まる動悸に堪えるように胸を押さえた。
馬鹿…勘違いするな…。
彼女は“俺の“一番で喜んでるんじゃない。
何でもいいから一番が欲しかっただけだ。
しばらく二人無言で池を眺めた。
何も無くても二人でいることが心地良い。
玉蘭と黒烏、二人の心は既に重なり始めていた。