夫
自室に帰ってくると、遊瑧さまは私の手を離してくれた。
離した後も私をただ見つめてくる彼に居たたまれない気持ちだけが増えていく。
「あ、その……あ!そういえばどうして後宮に?」
そういえば、流れで茶などをしていたがどうして彼はこの中途半端な時間にお出でになられたのだろうか。
「少し調べている事があってな。」
「調べていること?」
「ああ。まあ、お前が気にするな事はない。」
遊瑧さまは近くに置いてあった椅子に座り、はぁと溜め息を吐いた。
酷く疲れているように見える。
最近あまり寝れていないのか、目の下に隈もある。
皇務が忙しくて、食も細くなっているのかまた痩せたようにもみえた。
「あの、何かわたくしに手伝えることはございませんか?」
どういう意図があったのかは分からないけれど、今、私は彼の妻なのだから、夫を支えなければ。
「何だ急に……。」
「あ、その……遊瑧さま、あまり休息をとれていないのだろうと思いまして……。」
「……皇帝なんだ…、休息を取っている暇なんてない。」
それは、そうなのかもしれないけれど……。
ピリピリと伝わってくる彼の疲労が痛々しく見えて仕方ないのだ。
「心配なんです……遊瑧さまが…。」
玉蘭がそう言うと、遊瑧は顔を上げ彼女を見つめた。
「心配……?」
「烏滸がましいのは重々承知しておりますが、それでも……。」
本当に心配しているように見つめる玉蘭に遊瑧は微笑んだ。
いつも、一番に俺の変化に気づくのは彼女だ。
前も灑崋が突然料理を作ってきたかと思えば、彼女が気づいたのだと言っていたし。
胸が熱くなるのを感じた。
椅子に座ったまま、側に立つ玉蘭を引き寄せた遊瑧はそのまま彼女を抱き締めた。
「なら、側にいろ。」
腰に回る腕に力を入れ、そう呟いた。
「遊瑧さま……?」
腹のあたりに顔を埋める遊瑧に困惑しつつも、何処か寂しそうに見えたその姿を拒むことなど出来なく、彼の頭を包むように彼女も抱き締め返した。
遊瑧も玉蘭の方から抱き締め返してくるとは思っておらず、一瞬目を見開いたが、すぐにその目を閉じ彼女の温もりに身を預けた。
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「主上。」
王宮の回廊を歩いていると、陽青蘭が俺を呼び止めた。
俺はこの男が正直苦手であった。
呪術や占いを信じていない俺にとって、奴の言うことは信じられないのだ。
仕事は良くできるから、そこだけ目をつぶれば申し分ない男だ。
「なんだ。」
「先日、指示を頂いた件についての報告を。」
「ああ。」
「こっちに来い」と言い、空き部屋に入ると青蘭は袖から布切れを取り出した。
青蘭には拐功のことを調べてもらっていた。
灑崋から報告を受けていたため、疑いたくなど無かったが、一応隠密をつけさせていたのだ。
「私の部下から送られてきたものでございます。」
何故紙で報告しないのかと疑問に思ったが、書かれている内容を見て、察しがついた。
布には血文字が綴られており、支離滅裂した事が書かれていた。
「その者はどうなった。」
「拐功殿には三人の隠密をつけておりました。そのうちの一人がこれを綴り、姿を眩まし、残った二人のうち一人は死体で見つかりました。」
「それで、最後まで正気を保ち、残った者から送られてきたということか。」
「左様でございます。その者の話によると、拐功殿は何者かと話しており、その者に密偵が襲われたそうです。」
疑いたくなど無かったが、これで拐功は限りなく黒に近づいた。
幼い頃から遣えていた者であっただけに、堪えるものはあった。
溜め息を吐いたら遊瑧は顔を手で覆った。
次から次へと嫌なことばかりが続く……。
「分かった。拐功につけていた隠密には休息を取らせ、新たに密偵をつけておけ。」
「御意に。」
人は信じてはならないもの。
ここに来てそれを再確認させられるとはな……。
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その夜―――――――……
いつものように玉蘭は部屋を訪れていた遊瑧に二胡を弾いていた。
演奏も終わり、いつもならその後何かしらを話し、自室に帰るという流れなのだが、遊瑧はいつまでも月を見上げていた。
そんな様子の彼に玉蘭は、口を開いた。
「遊瑧さまは夜空がお好きなのですか?」
その言葉でやっと黒曜石のように美しい瞳が玉蘭を捉えた。
微笑んだ愛らしい顔が月明かりに照らされて遊瑧を見ていた。
「どうだろうな……。今まで、そういう風に考えたことはなかったな。ただ、あの月は余に似ていると思っていた……。」
「月……?」
そう言い、玉蘭は月を見上げた。
「皇帝とは、どうしようもなく孤独なものだな。」
切な気な瞳には磨り減った彼の心の奥深くが映っていた。
誰も信じられないとは、こんなにも孤独なものなのか……。
そんな遊瑧に玉蘭は寄り添い言った。
「ここでなら弱音を吐いてもよいのですよ。わたくしはあなたの妻なのだから。」
「俺はこの國の王なんだ……。弱っているところなんて見られたりしたら、付け入る隙に繋がる。」
「皇帝である前に、夫だとわたくしは考えます。」
当然!と言いたげな顔でそう言った玉蘭に遊瑧は目を細めた。
「あなたも、わたくしの夫であると自覚を持って下さい。」
「…………。」
「妻は夫の悩みを聞いたり、癒しを与える存在でなくてはなりません。だから、皇帝だ何だと線引きをわたくしにしないでください。」
「…………。」
「わたくしといるときは、皇帝なんて言葉を出さないで、一人の曹遊瑧としてわたくしと向き合って下さい。」
心を大きく揺さぶったその言葉は遊瑧の中の何かを壊したようだった。
俺を真っ直ぐに見つめる彼女が愛しくて仕方がなかった。
玉蘭の後頭に添えられた遊瑧の手は自身の方へと寄せられ、気づいたときには二人の間にあった距離は無くなっていた。
唇から感じる玉蘭の熱をただ愛しそうに何度も遊瑧は繰り返し求めた。




