一兵との出会い
皇太子殿下が紹家を訪ねて五日が経った。
あの日、未来の後宮に入るのは長姉の翠華に決まったそうだ。
父上は翠華に湯水のごとくお金を注ぎ込み、姉を着飾った。
他の二人の姉も長姉を羨望の眼差しで見つつ、彼女のお零れとして与えられる簪などの装飾品でとても綺麗になった。
別に羨ましいとかじゃない…。
ただ悔しかった。
見返してやりたいという気持ちが強すぎて、皇太子に本音を吐いた時点で後宮入りは終了してたけど…
それに、身内だから醜女だのなんだの言われるのだと思ったけど、他人の目から見ても私は醜女なのだと痛感した。
皇太子だったらお世辞を言う必要も無いものね…
回廊に出ると外は大雨だ。
こんなに雨が降るなんて気分が落ちるわ~と侍女たちの言葉を聞きながら玉蘭は目的地もなく邸をうろうろしていた。
「ははっ!黒烏殿には感謝だな!」
大声で笑う男二人組が前から歩いてきた。
二人とも装いからして紹家に仕える下っ端兵だろうと思われる。
「黒烏殿は本当に使える!」
「酒蔵の酒を飲んでいないと我らの嘘を信じて自ら罪を被るとは、本当に愚かでありがたいお方だ!」
「さっきも見たか?内庭でこんな雨の中跪いていたぞ!笑いを堪えるのが大変だったわ!」
「ははは!本当に馬鹿だな黒烏殿は!」
二人は前から歩いてくる私を見て焦って道の端に寄り、礼をした。
「玉蘭さまだの」
「相変わらずお姉様方に及ばぬ顔だ。それについこの間、皇太子殿下が翠華さまを後宮に召されると決めたそうだ」
「ありゃ。そりゃー可哀想にな。まあ当たり前だな玉蘭さまでは後宮じゃ徒花になってしまうだろうからな」
私に聞こえないと思っているのかぶつぶつすれ違った後に後ろかは聞こえてくる。
別にいいわ。
もう、慣れたわよ…。
どうしてこんなに邸をぶらぶらしたいのかと疑問に思ったけど、何となく分かってきた。
私、一人になれる場所を探しているんだ…。
自分の悪口も何も聞こえないような場所を探してる。
ザァーと煩く地面を叩きつける雨の音を聞きながら回廊を進むと内庭の見えるところまで来た。
そこには強く雨に打たれながら跪く青年がいた。
さっきの二人が話していたのはこの者の事か。
可哀想なほどびしょびしょに濡れる彼の顔からは赤い鮮血が流れていた。
酷く殴られたようで顔中が無惨に腫れ上がっている。
じっと彼を見つめていると私に気づいたのか彼はヘラッと私に笑ってきた。
「お前、そこで何している」
「酒蔵の酒を飲んでしまったので罰をうけているんです」
尚も笑みを絶やさない青年に何故だろうか、怒りを覚えた。
先程の二人の会話からしてこの者は奴等の戯言を信じて代わりに罰を受けているのだろう事は分かっている。
暫く私が黙って眺めていても、彼はそこでずっと跪いていた。
その間も流血は止まらないし、身体が冷えきってしまったのか少し震えている。
「お前、どうして他人の罪を被れるの。先程回廊でお前の仲間とすれ違ったがお前の事を愚か者だと笑っていたぞ」
「………。」
「わたくしも他人の事まで構うお前を愚か者だと思う」
「………。」
「何で他人のためにそんなことできる。わたくしには絶対に出来ない。馬鹿馬鹿しいと思わないの。自らが庇ってやった奴等が自らを罵っているのに」
「………私には母がいないのです。私が六つのとき流行り病でこの世を去りました。その母の教えなのです。他人を疑うのではなく信じられる人になれと」
「そんな教えを守っていたらお前は損ばかりするぞ。それどころか死んでしまうかもしれない」
「はい、私もそう思います」
「ならどうしてそこに平伏している」
「得を積んでいるんです」
「得?」
「はい。得というのは積み重なるものだと私の師が教えてくれました。なので他人に良くして来世を神様に幸せにしてもらおうと思っているんですよ」
阿呆なのかこの男。
「そんなこと信じているの」
「信じていますよ。何か信じるものがないと私は今を生きれませんから」
「どういうこと?」
「大切なものを失ったとき気づくものというのがあるということです」
よくわからなかった。
でもそのとき初めて私には大切なものなど無いのだという事を気付かされた。
そのあとも彼が動く気配が無いので私も回廊に座り込み雨に打たれる彼をずっと見ていた。
「姫さま、お身体を冷やすのは良くないですよ。お部屋にお戻りになった方がよろしいのでは?」
「お前は自分の部屋に戻らないの?」
「私は旦那さまより七日七晩このままでいろと言われているので」
今にも倒れそうな人間にそんなことできるわけ無いだろう。
本当に馬鹿で愚かな男だ。
私は立ち上がり来た道を戻って行った。
自室に戻ると寝台を綺麗に整え、氷水の入った桶と清潔な布を用意した。
「あとは何か暖かい羽織れるもの…」
周りを探していると、母上の形見の深紅の豪華な衣があった。
大きいものだから、もう少し身体が大きくなってからと思いとっておいたものだ。
「これなら着れるわよね」
用意が終わると私はまた回廊を走り抜けて彼のもとに向かった。
戻って来ると彼は跪いてはいるけれど、息も荒く、態勢を保っているのがやっとという感じだった。
あれだけ傷だらけで血も出てて、こんな土砂降りの中にいたら熱を出すのは当たり前だわ。
意を結し、雨の中踏み出し彼に外套をかけた。私のものだからかなり小さいけれど。
「姫さま…?」
「わたくしの部屋においで。」
「いえ、私は罰を受けている最中の身でして…」
「いいから。文句をいうな」
冷えきった手を握り、躊躇する彼を無理やり引っ張って、途中見つからないように隠れながら自室まで戻った。
「姫さま…こんなことしては…」
「服を脱いでこれを羽織って」
なかなか脱ごうとしない彼のみすぼらしい兵服を無理やり剥ぎ、形見の深紅の衣を着せた。
「わたくしの寝台を温めてあるから髪を拭いたら入って、寝て」
「あの、姫さま…」
「うるさい!口答えするな!」
私が怒鳴ると、びっくりしたのかさっさと布団に入った。
「酷い折檻ね…。父上がしたの…?」
血が滲む彼の顔を清潔な布で拭きとり、下手だけど手当てを施し、氷水に浸した布を額に置いた。
「旦那さまは正しい事をしただけです」
「それでもこんなに殴るなんて…」
本当はとても綺麗な青年なのだろうと思いながら傷のついた頬を撫でる。
深くはないから傷は残りはしないだろうけど…。
「…姫さま」
「なに」
「…ありがとうございます。私なんかのためにこんなにして頂いて…」
彼は今にも泣きそうなほど顔を歪ませていた。
おそらくこの人は奴婢出身の一兵なのだろう。
奴婢は奴隷のようなもので低賃金で働かされ、過酷な労働を課せられる。人として扱ってもらえないのがほとんどだ。
「お前のためでは無いわ。来世のわたくしのためよ」
私の返答に微かに笑ったように見えた。
お礼なんて初めて言われた。
なんだか気恥ずかしいわ。
「そういえばお前名前は?」
額の布が暖まってしまったので、再び濡らしながら聞いてみた。
「俺は…黒烏と…いいます…」
微睡みの中やっとといった感じで話す黒烏。
一人称が私から俺になっているところが証拠だ。
熱が出ているんだからゆっくりさせてあげよう。