縲と黒
時間軸は少し戻ります。
後宮で澪鮮の訪問事件があった数日前、紹本家には李芳悠が来ていた。
「よく来たな。李氏よ。」
「紹太清殿、本日はお招き頂き感謝いたす。」
どっぷりと太った男は脂ののった手を太清に差し出し、握手を求めた。
太清はその手に何の躊躇もなく触れて、握手を交わした。
「して、そちらの者はどなたでありますかな。」
太清が視線を向けた先には頭巾を深く被る、顔の見えない者が立っていた。
「おお、これは失礼した。縲、こちらに来て挨拶なさい。」
芳悠が呼ぶと、隣に立った怪しげな者は頭巾を取った。
「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。縲でございます。」
妖艶なその美女に太清は頬を染め、喉を鳴らした。
「これはこれは、何ともお美しい方であるか。芳悠殿の奥方ですかな?」
その言葉に縲は微笑んで返した。
「残念ですが、わたくしは女人ではありませんので、旦那さまの奥方にはなれないのですよ。」
そう告げられ太清は大いに驚き、目が飛び出るかと思った。
「はははっ、まぁよく間違われるのですよ。縲は。」
「それは失礼した。縲殿。」
「いえ。」
「まあ、このような見た目だから、客は女だけではないのですよ。」
芳悠が面白げに言ったのは暗に「縲は男娼である」ということを太清は察した。
「それだけお美しければ、さぞ客がついたでしょうな。」
「まあ、ある程度は。」
玄関で話しをしていると、侍女が宴の準備が出来たと呼びに来た。
その侍女も縲を見るなり頬を染め、うっとりと見惚れていた。
「いやはや、失礼した。こちらへどうぞ。酒の肴に黄仙での商売の話を聞きたい。」
「ええ。それは勿論。」
太清と芳悠が笑いながら中に入っていくなか、縲は今だ自分を見つめ続ける侍女を誘惑するように近づいた。
「失礼、綺麗なお嬢さん。聞きたいことがあるのだが、よろしいかな?」
「は、はいぃぃ~……」
縲の笑みに今にも溶けてしまいそうなほど、逆上せ上がった侍女はその場に腰を抜かしてしまい座り込んだ。
それを縲は支えるようにし、彼女の髪をそっと掬うと口づけを落とした。
「この邸に異人の血の混ざった兵士がいると聞いたのですが、そこまで案内していただけないでしょうか。」
「へ……え、あ、はい。こちらになります~。」
まるで操られたかのように侍女は縲を邸の奥へ奥へと連れて行った。
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「そちらは異常ないか。」
「特に変わった事はないですね~。」
裏門の警護をしている黒烏は部下の締まりのない声に溜め息を吐いた。
空を見上げると黒い雲が立ち込めており、灯りは自分の持つタイマツと部下のタイマツだけで、あとは闇に包まれていた。
今、邸にあの男が来ている……。
考えただけで、吐き気を催すが姿を見ない場所にいるだけかなりましだと思った。
「黒烏殿~、聞きたい事があったんですけど聞いてもいいっすか~?」
「駄目だ。警護に集中しろ。」
「一の姫さまの巨乳侍女さんといい感じって聞いたんですけど、マジですか!?」
鼻息荒く詰め寄ってきたコイツを一発殴るのは確定として、どっからそんな噂が立ったんだ……?
「ひゃーーー!羨ましいな~!あの乳、絶対手に収まりきりませんよね!!あー!一度でいいからあの乳に弄ばれたい!!」
「どこでそんなこと聞いたのか知らんが、俺はその女のことは全く知らない。」
「え?そうなんですか?巨乳侍女さん本人が言ってたっぽいんですけど……。」
「だから知らないと言っているだろ。それに俺は………………。」
もう、一生を誓った方がいる……。
思い出さない日などない。
愛しい彼女の姿が脳裏を掠める度に、何度も胸を締め付けられる。
逢いたくて逢いたくて仕方ない……。
この一年と少しでどんな風に変わったのだろうか……。
皇帝に進御したのか……してないのか……。
最初の頃は嫉妬で頭が可笑しくなりそうな日々を送っていたが、そんなこと考えればキリがないと分かり、今ではある程度は腹の中で納める事が出来るようになった。
それでも辛くなるときは剣を振り、疲労で考える力が無くなるまで訓練をした。
「俺は……なんですか?」
ニタニタと笑いながら聞いてきた部下の頭を一発殴り、定位置に戻った。
「ぃったぁぁぁー!!酷いじゃないですか!黒烏殿!!」
「うるさい。黙って仕事しろ。」
ちぇっと言った部下は、ぶつぶつ文句を言いながらも門の周辺を見にいった。
ゆらゆらと揺れるタイマツの火を見ながら、彼女に立てた誓いを思い出していた。
『俺には何も無いけれど生涯であなただけを愛します。』
その誓いの重さはちゃんと分かっていた。
どんな男であっても彼女を幸せにしてくれるのなら、俺は……。
そう思っても、自分の手で幸せにしたいという欲は消えることはなかった。
`他の男の腕の中で幸せになんてならないで欲しい……。´
心の奥に隠した本音はそれだった。
こんな醜い自分は彼女に相応しく無いと分かっていても、愛することを止めることは出来なかった。
邪念を消すように、頭を横に振った時だった。
ザッと音がし、誰かがこちらに近づいてくる気配がした。
腰の剣を抜き、音のする方へ構えると、そこには妖艶に嗤う化け物が立っていた。
「お、まえ……!!」
「やぁ、黒。大きくなったね……。」
俺を地獄に落とした男……縲が そこに立っていた。




