敵わない人
今回は本家の話です!
「興暿。」
内庭で兵たちに囲われた興暿に翠華は声をかけた。
その声にうんざり顔の興暿は振り返り「何ですか」と返事した。
「新しい簪が欲しいの。市街まで伴をしなさい。」
相変わらずの高飛車な態度に興暿は溜め息を吐いた。
「翠姉上、私は今、兵たちと剣の鍛練をしているのです。伴など他の侍女にさせればいいでしょ。」
「なっ!私に逆らうの!!!お前なんてどれだけ努力したって、大して強くなるわけないわ!!」
断られた事に腹がたった翠華は団扇で興暿を指し、声を荒げた。
そんな姉を澄ました顔で見ながら、興暿は冷静に答えた。
「それは、翠姉上には関係の無いことです。それに、簪は一昨日も高価な物を買われたではありませんか。」
「今日、新作の簪が出るそうだから一昨日は仕方なく欲しくもない簪を買ったのよ。今日はその新作を買いに行くわ。」
何を偉そうに言ってるんだこの女。
一昨日欲しいものが無かったのなら、何も買わないで帰ってこい。
アホすぎて話にならない。家の金を何だと思っているんだ。
「無駄な浪費は感心しませんね。もっと玉姉上のように見習いたくなる人になってくださいよ。姉上。」
玉蘭の名前が出た事に翠華の怒りは頂点まで登り、持っていた団扇を興暿に向かって投げつけた。
「あんな害虫の名前を出さないで!!耳に入れるのも穢らわしい!!あんなモノを見習っているなんて、紹家の今後が心配になるわ!!」
「痛いな。人に物を投げてはいけないということも分からないんですか。」
「何よその口のきき方!!私がどれだけ世話してあげたと思っているのよ!!恩を仇で返すとはこの事だわ!!」
「世話された記憶が無いので返したい恩もありません。」
興暿の周りにいた兵たちは、まだ十一の興暿に論破される翠華を苦笑いしながら見ていた。
「もう、いいわよ!!本当に使えない弟ね!!」
「使えなくていいですよ。もうどっか行ってくれませんか?邪魔なんで。」
翠華は鼻息荒く、回廊をドスドスと音をたてながら去っていった。
俺を連れて歩きたい理由はよく分かっている。
後宮に召されなかったことから翠姉上の人気はガタ落ちだ。
おまけに次期紹家当主である俺がよく懐いていたのが妹の玉蘭だった噂が広がり、紹家長女の面目丸つぶれなのだ。
そんな噂を払拭したいのだろう。
なんて考えの浅はかな姉だろうか……。
本当にアレと血が繋がってるなんて……。
空を見上げて流れる雲を仰ぐ。
玉姉上はどうしているだろうか……。
一年前この邸から最愛の姉である紹玉蘭がいなくなった日の事はよく覚えている。
あの時より少しは成長出来ただろうか。
姉上の言いつけ通り俺は泣かないようになった。
紹家の跡取りなんだから、そう簡単には弱味を見せられない。
「彗翔、手合わせしよう。」
水筒の水を飲む彗翔に戦いを申し込むと嫌そうな顔をしながら俺を見た。
「興暿さま~、そりゃあ俺は興暿さまよりは強いですけど、兵の中じゃ激弱ですよ。」
「いいからしよう!!」
「それなら黒烏としたらどうですか?あいつ紹家の兵の中じゃ一番強いし。」
「ダメだ!!黒烏は!!」
「何で…。」
黒烏はダメなのだ。
俺はあいつには勝てないと分かっているから。
あいつには以前一度戦いを挑んだことがあった。
「本気でやれ」という俺の言葉に頷くと、手加減の手の字も無いほどにボコボコにしてきたのだ。あいつは。
その後二日はまともに動けなかった。
部屋での療養中、俺の部屋に見舞いに来た黒烏は本当に憎たらしかった。
『大丈夫ですか?』
『痛いよ。お前のせいで。』
『すみません。手加減をするなと言われたので。』
そもそも黒烏は紹家では有名な兵だった。
黒く艶めいた肩まで伸びた髪に、北方の異人の血が入っているのか翡翠のように輝く瞳と象牙のように白い肌。
並外れの整った顔と華奢なのにしっかりした筋肉のある身体は侍女たちや、そっちの趣味があるおじさんたちに大人気なのは言うまでもない。
侍女からの贈り物は日常茶飯事だし、頬を火照らせ、息の荒いおじさんに肩を抱かれるのなんて毎日見る。
それでも自分の身を守れているのは、その強さのお陰なのだろう。
黒烏は誰が見ても強かった。
そんなあいつに俺が挑んだ理由は簡単だった。
玉姉上と恋仲だと知ったからだ。
敬愛する姉の愛した人物がどれ程のものか、見定めてやりたかった。
そしてコテンパンにされた。
悔しくて、寝台に寝っ転がりながら睨みつけてやった。
『嫌な奴だなお前。俺はお前が嫌いだ。』
『別に構いませんよ。俺も興暿さまはあまり好きではありませんから。』
『なんだと!!俺の玉姉上とお前が恋仲だったなんて絶対に嘘だ!!お前じゃ不釣り合い過ぎるからな!!』
俺の言葉に鋭く細められた翡翠の眼光は射抜くように真っ直ぐ見ていた。
『そんなことは自分が一番よく分かっています。』
冷淡に答えられた事に少し狼狽えると、俺を馬鹿にしたように奴は鼻で笑った。
『興暿さま、男娼って知っていますか?』
唐突の質問に興暿は固まったが、すぐに縦に首をふった。
『俺は男娼上がりなんですよ。』
笑いながらそう言う黒烏を一瞬怖く、酷い話だが汚ないものに感じた。
その感情はきっと表情に出ていたのだろう。
『俺が興暿さまとより少し幼い頃、家には食べるものも金も無くて、家族は明日をも知らぬ命でした。』
『………。』
『そんなときでした。
男娼をしているという青年に出会ったんです。
その人に色々な事を教えて貰いました。客の取り方から、喜ばせ方、果ては人の殺し方も。』
何事も無いようにつらつらと言葉を並べる黒烏を興暿は異形の物を見るように見ていた。
恐ろしかった。
自分の知らない世界の出来事はあまりにも想像を絶するものだったから。
『幸い、異人だった母に似たから見目は良い方だったみたいで、沢山客がつきました。』
『…………。』
『初めて人を殺したのは九つの時でした。地方管領の重役と取引して、彼と敵対関係にあった家の当主を殺したんです。』
『…………。』
『俺の常連客だったから楽でした。でもそのとき思いました。ああ、俺はどこまでも落ちていけるんだと。』
『…どういうこと…』
『境が無いんです。やってはいけないことと、いいことの境が…あの頃にはもう無かった…。』
『…………。』
『そんな俺に転機が来たのは十二の時、視察に来た旦那さまの弟であられる紹清翔さまのお相手をしたときに、本家で志願兵の募集があると聞きました。』
『…………叔父さま…。』
確かに叔父には少年愛の傾向があることは薄々気づいていた。
うちに来てもよく手を握られたり、頬や肩を撫でられたりする。
『実力さえあれば入れると言われ、俺はそれにかけることにしました。駄目ならこのままここで性病にでもなって死んでしまえばいいとなげやりだったので…。』
『お前…自分の命なのに…そんな言い方…。』
『あの地獄のような日々の中なら死ぬことの方が救いに感じました。今でも死ぬことは恐くありません。』
『…………。』
『命懸けでやった試験に合格して、晴れて紹家に仕える事が出来たんです。』
『それで、姉上に恋慕したわけか。身の程知らずが。だがその気持ちはよく分かる。姉上は見目も心も美しい方だからな。』
興暿の相変わらずの姉上大好き発言に黒烏は苦笑いした。
黒烏の生い立ちはあまりにも壮絶で、正直耳を塞ぎたくなる内容だった。
俺の言葉に何かを懐かしむように微笑んだ黒烏。
『姫さまは俺には眩しくて…純粋で…暖かかった。』
『…………。』
『俺を見返りを求めない、偏見の目で見ないで純粋に想ってくれる彼女だったからこんなにも愛しているんです。』
正直、俺以上に姉上を愛している人はいないと思っていたけれど、もしかしたら……。
『俺に地獄を見せたこんな世界だけど、彼女がいてくれるだけで本当に幸せなんです。』
俺はそのときはっきりと思った。
この人には勝てない。
経験とかそういうのがそもそも違うし、見てきたものの重さも違う。
その環境が故に心の癒しが必要だったんだ。
そして姉上という心安らげる場所を見つけた。
『黒烏、姉上はお前の何がそんなに好きだったんだ。』
『さぁ、それは俺にも分からない事です。』
二人の間にどんな事があったのか分からないが、姉上の良さを黒烏はよく分かっている。
この日を境に俺は黒烏に一目置くようになった。
「おい彗翔!!剣を取れ!!やるぞ!!」
「え~…勘弁してくださいよ~…。」
暑い内庭ではその後も木刀のぶつかり合う音が響いていた。




