母と娘
「俺の家は本当に貧しくて、母は亡くなっていて父は母が亡くなった事に堪えてしまって床に伏してしまったんです」
黒烏はポツリポツリと自分の事を話し始めた。
初めての体験を終えたばかりの玉蘭の身体を心配して、膝に寝かせた状態で彼女の髪をゆっくりと鋤いていた。
玉蘭は気持ち良さそうに目を閉じながら、黒烏の話に耳を傾けた。
「俺は長男だったから…弟や妹たちを守らなきゃいけなかったんです。でも地元にはろくな仕事は無くて都で働くにも幼すぎました」
「だから」と言った黒烏の手が密かに震えているのに気づいた玉蘭はその手を優しく包んだ。
「だから……身体を売ったんです…俺にはこの身体以外なかったから…」
震える黒烏の声に当時がどれだけ過酷だったのか痛いほど伝わって来た。
貧しい農村では見目の善い少年少女が身体を有力者に売るのはよくある話だ。
だがその行為がどんな理由があろうと世間から嫌悪されるものであるのも確かだった。
先程彼と身体を重ねて彼が初めてではないことは既に分かっていた。
「すみません……する前に話すべきでしたよね」
「何故……?」
「だって……汚いですから……」
自虐的な笑いをする黒烏のおでこに向かって、玉蘭はパチンと指を弾いた。
「イッ!!」
「あなたの何処が汚いのよ。わたくしには綺麗で逞しい男にしか見えないわ。そ、それに!!あなたがその…そういうことの技術があったからそんなに痛くなかったわよ!!」
玉蘭は黒烏を励まそうと言ったはいいものの、耳まで真っ赤になってしまった。
その姿にどうしようもなく愛しさが溢れた。
本当の俺を知って許嫁だった麗眉は酷く嫌悪した。別に彼女に恋情のようなものを抱いたことは無かったため、何と思われようと別に良かった。
ただあの汚いものを見るかのような目はどうやっても忘れることが出来なかった。
分かっていた。
それが当たり前の反応で、誰にも俺の必死さなんて分からないだろう事も。
なのに……それなのに……あなたは…………。
「姫さま……」
「ん……?」
どうしてあなたのような人がいてくれるのだろう……。
俺を愛していると言ってくれるのだろう……。
嵐は夜の闇と共に去り、乾いた着物を着て二人は小屋を出た。
邸に着くと、念珠が大泣きしながら抱きついてきて驚いた。
「姫さま~!!!私の寿命を縮めて楽しいんですか!?」
「ご、ごめんなさい念珠…念珠には長生きして欲しいわ」
「なら勝手にいなくならないで下さい!」
「ごめんって…」
苦笑いしながら念珠を抱き締めると数歩先に澪鮮さまが立っているのに気づいた。
「澪鮮さま……」
「玉蘭……全てを聞いたのね…」
「はい。澪鮮さま…わたくしは黒烏を愛しています。彼も愛していると言ってくれました」
澪鮮は揺るがない玉蘭の声と瞳に奥歯を噛みしめ、バシンッと彼女の頬を叩いた。
「わらわはあなたの為に言っているのよ!!あんな汚らわしい男と結婚すれば破滅しか無いわ!!今よりもっと蔑まれ、惨めな思いをするだけなのよ!!」
叩かれ赤くなる頬も気にせず玉蘭はただじっと澪鮮を見つめ続けた。
「そんな所へ行って誰があなたを守ってくれるというの!!わらわ以外の誰があなたを守ってあげれるというの!!」
「ねぇ!!」と玉蘭に掴みかかる澪鮮を必死に念珠は押さえた。
「ごめん…なさい…ごめんなさい澪鮮さま……」
玉蘭の瞳からは止めどなく涙が溢れていた。
「な……に…………」
唖然とする澪鮮に玉蘭は言葉を続けた。
「わたくしが子供だったから澪鮮さまをずっと縛りつけてしまったんですよね」
「…………。」
「でも…わたくしはもうあの頃とは違うんです」
「嫌……」
「わたくしはもう守ってもらうだけの子供では無いんです。自分で路を選ぶことがもう出来…
「嫌ぁぁ!!!!!」
玉蘭の言葉を遮るように澪鮮が叫んだ。
「何を言っているの!!あなたはまだ子供よ。何も選べない、わらわがいなければ立ち上がる力も持たないわらわの子供よ!!」
「澪鮮さま!!わたくしを…今のわたくしを見てください!!」
玉蘭の言葉に顔をあげた澪鮮は酷く怯えきった顔をしていた。
それはそうだ。
今まですがってきたものを、すがってきたものに壊されようとしているのだから。
「嫌よ…わらわにはあなたを幸せにする責任があるのに……」
「わたくしはあなたが注いでくれた愛情と時間の分だけ幸せを貰いました」
「嘘よ!!あなたにはわらわがどれだけあなたを愛していたかなんてこれっぽっちも伝わっていなかったわ!!」
「伝わっていましたよ。この邸であなただけがわたくしの家族でいてくれました」
「嘘ばっかり言わないで!!なら………ならどうして………わらわを母上と呼んでくれないの…」
玉蘭の着物を掴む澪鮮の手から力が抜けていった。
玉蘭は初めて聞いた澪鮮の本音に目を見開いた。
「回廊であなたを拾った時からわらわがずっとあなたを育てたのに……どうして…?産むという行為がそんなに大事なの?」
「………………。」
「あの女は玉蘭のおしめを換えたことすらないのに母上と呼ばれるの?親としての愛情を持ったことも無いあの女が!?玉蘭を愛してなどいないあの女が!?」
「………………。」
「なら……わらわは……どうすれば玉蘭の母親になれるの………」
胸が苦しくて息が上手く出来ない。
澪鮮の一言一言が胸に刺さる。
妾の子である自分はこの人の本当の子供にはなれない。
そう一線を引いて玉蘭は敢えて澪鮮を"澪鮮さま"と呼んでいた。
それが彼女をこんなにも苦しめていたなんて想像もしなかった。
でも澪鮮はいつだって玉蘭を娘だと言ってくれていた。
そこに隠された澪鮮の意図を玉蘭は汲み取ることが出来なかった。
でもずっと呼びたかった……幼い頃からずっと…
「母上……」
ポツリと吐かれたその言葉に澪鮮は大きく目を見開き、静かに涙を流した。
「わたくしの母上はあなたです」
真っ直ぐに笑顔を向ける玉蘭に澪鮮は声が出なかった。
目の前にいるこの女性は本当に玉蘭なの……?
私の知っている玉蘭はもうどこにもいなかった。
いつの間にこんなに大きくなったのだろうか。
「もう……わらわが守らなくてもいいの……?」
「はい。これからはわたくしが母上を守ります」
玉蘭はしっかりと澪鮮を抱き締めた。その身体は玉蘭の想像よりも細く弱々しかった。
私はこんなにも力なく小さな背中に守ってもらっていたのか。
静かに瞼を閉じて今までの感謝を込めて、思いを告げた。
「ありがとうございました母上……」




