海の藻屑
ズシンズシンと音を立て、木々をなぎ倒しながら現れた巨大な影は、颯とスピカを睨みつける。
「ガアアァァァッッッ!!」
竜。モンスターの頂点に君臨するそいつは、東の森全域に響き渡るほどの大きな雄叫びを上げた。
全長は約十五メートル、高さは約十メートルという、MDFでは最大クラスの大きさだった。緑色の鱗に覆われた巨体。長い首で頭を支え、額には鋭利な二本の剛角。口には獲物を食い千切るためにあるような無数の牙。後ろ脚の三十センチは余裕で超えてそうな長さの爪は、先端から鋭く尖っている。後ろ脚で自身の体を支えており、翼と同化している前脚は無数の棘が並び、三本の指から生えた長い鉤爪は、一瞬で人を葬ることは容易いだろう。空を舞うための翼を広げた姿は、この世界の王者と言っても過言ではない。
かっこいいとは裏腹に、牙は歯磨きとかしてねえからクッソ汚えし臭そうとか、爪垢結構溜まってるし、やっば…臭そう、などと正直に思いながら、颯は左腰に刺さっている普通の剣を引き抜いた。
「援護頼む…っておい! なんで先に…」
颯がスピカに声をかけたときには、彼女は右手を竜に向けて魔法陣を出して複数の火炎玉を放っていた。火炎玉は火属性の下位魔法だ。半径約十センチで球の形をしており、着弾した相手が小さければ、炎で包んで焼き尽くす。ベヒモスで例えるならば十回ほど放てば瀕死までもっていけるだろう。
竜がいる場所を見れば、火炎玉が竜に着弾するたびに土煙が舞い、炎が周りの木々や雑草に燃え移っている。
「なによ? まさか、援護だけでわたしが納得すると思ってるの? わたしはあなたと同じでソロプレイヤーなのよ? 攻めて当然よ。なんか文句ある?」
俺の顔を見ながら反論してもなお、火炎玉を打ち続ける彼女には正直イラっとする。顔も怖いっす。
「確かにおま…スピカの言い分は正しい! …ああ! 正しい! くそ! 俺には言い返す力がねえ!」
「ふん、そのまま地面と向き合ってなさい」
いやだからどうして俺を見ながらそんな余裕で火炎玉何発もぶち込めんの? しかもうざいことに全弾直撃してるし。くそぉ。
「力だ! 力が欲しい! 力が必要なんだ…!」
「欲しがる力を間違ってるわよ」
「…なあ、思ったんだけどさ」
「何よ」
さっきから火炎玉…いや、なんかグレードアップしてでっかくなってる!? …あ、それで大火炎玉? を食らい続けている竜の方を見ると…こちらに攻撃してくる様子は確認できないぞ。
「あの竜、なんで動かねえんだ? というかそろそろやめろよ。辺りが炎に包まれて竜が見えなくなっちまったろうが」
気が付くと竜の周りは炎で覆われており、砂煙のせいで竜が全く見えない。
スピカは魔法を放つのを止め、腰に手を当てた。
「もう死んだんじゃない?」
「いや、それは流石にないだろ。あんぐらいのやつならその魔法じゃ倒せないだろ」
「は? 何よ! わたしの実力を疑ってるの!?」
「ベヒモス三匹とプレイヤーキラー二人に手も足も出なかったところ見ちゃったし、お前の魔法を見たのが今ので初めてだったからな!」
「一応言っておくけど、あのベヒモスはちょっと違った個体だったじゃない! それに、プレイヤーキラーなんて聞いたことなかったわ」
「そのベヒモスを一瞬で倒したプレイヤーキラー二人のうち一人を倒した俺に言う言葉か?」
どうだ? これで言い返すまい。
「一人逃したくせに何自慢気にしてるの? もう一人やっつけてたなら、認めざるを得ないけれど」
その勝ち誇った顔で見られるのマジ腹立つんだけどぉ…!
「ち、力が欲しい…」
「あなた、口喧嘩とっても弱いわね」
この女、嫌なところで頭が回りやがる……俺の苦手なタイプだ。もう絶対に一緒にクエストなんて行かないぞ。
「で、肝心な竜の方は…ってあれ? 消えた? …もずくのせいで逃げちゃったじゃない!」
「俺のせいかよ! 認めるけど! あとその名前で呼ぶな!」
颯はその現実を認めるしかなかった。なんて悲しい。
二人は竜が消えた場所まで足を運んだ。と、スピカが何かを見つけたようだ。
「…ねえ、あれ…あの可愛い動物」
スピカが指差した先は、竜がいたときの、竜の真下辺りだった。そこには愛らしい目で颯とスピカを見つめる竜の子供にしては小さすぎるが竜の外見をした小型モンスターがいた。
「ん? お、ホントだ。ぬいぐるみみたいな」
「そうそう、ぬいぐるみみたいで可愛い…じゃなくて! なんであんなところに竜の子供っぽいのがいるわけ!?」
自分から便乗しといて逆ギレとか、理不尽すぎんだろ。ふざけんな。
「俺に聞かれてもわかんねえよ。竜だって見たの初めてだし」
「このっ…役立たず」
最初会ったときにツンデレを期待した俺がまずかった……こいつツンツンしてるだけのくそ野郎じゃねえか。俺をゴミ扱いしやがって…あ、ゴミより役立たずの方が上じゃ…そこが問題じゃなくて、助けてあげたんだからデレっとしてくれても…いやもう! とにかく痛いんだよ! 心が傷つく!
「あんたさっきから何してんのよ…」
お分かり頂けただろうか……今、こいつは俺の呼び方を『あなた』から『あんた』に格下げしやがったぞ! 別に求めてないけどな! …本当に求めてないからな! 本当だぞ?
未だに頭を抱えながら体をくねくねしてキモさ全開にして悩んでいる颯の姿を見たスピカは、蔑んだ目をして彼から身を引いた。
「ねえ…大丈夫? わたしが治癒魔法をかけてあげようか?」
これだよ、これ! よかった……本当は優しいとこあるんじゃん!
「いや、平気だ。俺の体調気遣ってくれてありがとな」
颯はスピカに向けてビシッと親指を立てた。が、彼女はそこにいなかった。
「…はぁ? 誰があんたみたいなやつの体調を気遣うのよ。メリットの欠片も思い浮かばないわ。…ほら、大丈夫?」
スピカはそのぬいぐるみみたいな竜の子供みたいなよくわからないヤツをなでなでしながら俺をディスった。やっぱり俺は主人公にはなれないらしい。
冷静に考えれば、もし俺の勘違いが本当だったとしても、スピカの台詞から察するに怪我もしていない俺はただの馬鹿だと言われてるようなもんだった。
「そこは、『そ、そんな…別にあんたのことなんか…』って言うのがいいんだぞ! 覚えとけ!」
「はあ? なによそれ気持ち悪いわね。それにそんな台詞覚えたところで使う必要なんて無いわよ!」
その罵詈雑言にはマジで傷つくからほんとやめて欲しい!
「お前はどんだけ俺の台詞をつっこみまくれば気が済むんだ!」
「よ~し、ほら、痛くない? きゃっ…も~可愛いわねぇ~」
おっと、いつの間にか俺の左手が火炎剣を抜き放ってたぞ?
◇ ◇ ◇
「なあ、そいつどうするんだ?」
「そいつじゃないわよ! この子は……まだ名前決めてなかったわ。屈辱ね」
「一体に何に対する屈辱だよ!? まあ分かってるけど認めたくねえよ! …それとも『屈辱』って名前か? ははっ…そりゃ面白い」
「マ〇アナ海溝に海の藻屑となって沈め。そして〇ね。…もずくだけに。ふふふ、あはは」
颯は少々からかい気味にスピカに言うが、相手にしてもらえなかった。というよりちょっと怒らせてしまったようだ。そのカウンターを受けた当の本人は、火炎剣を再び抜き放った左手を必死に抑えていた。
「そうね…海の藻屑は…Mokuzu of the seaだから、頭文字を取って…『モッツ』でどうかしら!?」
さきほどのやりとりが無かったかのように思わせる笑顔はすごいと思う。名前の由来が俺をディスってるのは許せないけど。
「モッツ? あのチーズの略みたいな名前だな」
俺を見るスピカの目は鋭く、あの竜ですら怯えそうなほどの恐怖を感じた。これ以上煽ったら殺されるに違いない。
「黙れクズ。そこの湖にバラバラになって沈んで二度と目の前に現れないで」
痛い口悪いそして酷い! ちょっと煽っただけでこれだよ? しかもクズって……俺はどんだけ格が下がったんだよ。
「ま、まあ…いいんじゃないか? つかそのモッツとやらは持って帰んのか?」
もっつて帰んのか? とかいうくだらないボケをかましてやりたかったけど抑えた。はぁ…もっつたいね……
「ええ、わたしのペットにするわ」
さっき二度と目の前に現れないでって言ってた割には普通にこっちを見てるんだが。矛盾してんぞ、おい。
「残念だけど、モンスターは町に入れないぞ。もし入ったとしてもそのモンスターは消滅するからな」
町に入って来られたら困るからな。そういう設定になってんだよ。
「そ、そうなの…? 知らなかったわ。でも、それならどうすれば…」
「諦めて置いていくか、このまま一生モンスターの領域で過ごすか。どうする?」
「どちらも嫌な選択だから、違う方法にするわ」
「…どんな方法だ?」
颯が尋ねると、スピカはモッツを抱えたまま歩き始めた。
「この子、もしかしたらモンスターじゃないかも。だから帰るわよ」
あ~、そういうことね。モッツ消滅させたいんだね。モッツが可哀想だな~。
「俺はもうちょっとだけ調べたいんだが」
颯の台詞を耳にしたスピカは後ろを振り向き、颯を睨んだ。
「どうしてよ…! 二人で一緒に帰らないとクエストクリアにならないじゃない!」
「考えてみろよ。まずあのバカでかい竜はどこいった? 飛んで行ったのか? 音も無しに姿を消すなんておかしいと思わないか? それにあの巨体ならすぐに見つけられるはずだ。そしてもう一つ。モッツは、なぜあの竜が消えた後、真下にいた?」
「そ、それは……きゃっ?」
と、突然、モッツがスピカから離れ、地面に着地し、湖に向かって駆け出した。
「モッツ?」
モッツはスピカの呼びかけを無視して、湖に入るギリギリのところで跳躍し、その瞬間に、自らの体を変化させた。
「ガアアアァァァ!!」
大地を揺るがす咆哮。先程の雄叫びよりも大きい。
「え…? そんな…うそでしょ?」
「やっぱりな…怪しいと思ってたぞ!」
モッツの体は、先ほど消えた竜となっていた。翼を使って湖上に浮かび、宙から二人を見据える。
「俺慈悲とかないから…やるよ」
「仕方ないけど…やるしかないわね」
あれ? 意外とすんなり受け止めやがったな。ま、いっか。
「スピカ…俺とあいつの中央辺りに、物理攻撃強化と魔法攻撃強化の魔法陣を出せるか?」
スピカはためらうことなく頷くと、颯が指定した辺りに向けて手をかざした。それを見た颯は、右腰の火炎剣の柄を握りしめた。
できれば一撃、もしくは二撃で仕留めたい。そのためにこの攻撃にできるだけ多くの力を注ぐ。
「ふぅ………」
颯は目を閉じ、集中を極限まで高める。
そして、竜と颯はお互いを睨み合う。竜はガバッと口を開き、半径五十センチにも及ぶ大きい魔法陣を口の前に出現させた。火属性の上級魔法のマグマブレスを発動させるようだ。
「行くぞ…!」
颯は、陰属性の魔法である跳躍力強化の魔法陣を足元に発動。颯と竜の間に出現した二つの魔法陣めがけて地面を蹴った。これは自殺行為でもある。今、マグマブレスが放たれれば、颯は一瞬にしてゲームオーバーだ。
だが、颯の体は、瞬く間に魔法陣の目の前まで跳んだ。
そして、依然として腰に刺さったままの火炎剣の柄を握る左手にさらに力を入れる。
最後に、魔法陣が右腰に触れた瞬間に、腰から火炎剣を勢いよく抜き放った。
「竜を切り裂け! 煉獄衝波斬!!」
颯の叫びと共に、二つの魔法陣の中央で抜き放たれた火炎剣からは、強化されたために高熱と光を極大に放つ特大の衝撃波が生まれた。竜に向かって突き進む。
ふっ…中二病全開…いや今はそれどころじゃないか。
「ガアアアァァァッ!!」
竜は渾身のマグマブレスを発動する。が、颯の放った衝撃波がブレスを割り、かき消されてしまった。そのまま、衝撃波が竜に直撃した。鱗を貫通し、竜の顔と胸を焼き斬った。傷口から鮮血が迸る。
「ゴガアァッ!!」
今の一撃は相当なものだった。竜の体力は計り知れないが、それでも一撃で倒せるはずの威力だった。その一撃を正面から真面に食らったはずなのに、竜は翼を動かして宙に浮いていた。ただし、右眼を失い、片方の剛角は根元からへし折れ、顔と胸には大きな傷が刻まれ、そこから赤い血の雫がぽたぽたと湖上に滴り落ちている。故に、大ダメージを与えたことに間違いはなさそうだ。
気付けば、竜の頭上に一つの影が見えた。颯が竜の真上まで跳んでいたのだ。
颯は火炎剣を両手に持ち替えると、それを空高く掲げた。
「爆ぜろリア充…炎天爆裂斬!」
颯がその剣を振り下ろすと、彼の周囲は爆炎に包まれた。