竜の噂
颯が駆けつけ、すぐにベヒモスを片付けたときには、もう手遅れだった。辺り一帯を見まわしたが、血の痕跡の他には何も残っていなかった。
「あ~あ。助けれなかったや。見返りゼロじゃん」
クズっぷりが伺える台詞を吐き出した颯は、大の字になって地面に寝転がる。
モンスターからもドロップアイテムが手に入らなかった。悲しすぎる。それにしても最後の人、生きてたら俺が正義のヒーローみたいな感じに……なってたなんて甘いもんじゃないか。
「まあ…ベヒモスを一発で倒せたしなあ…この魔法剣が作れただけでもよしとしよう」
通常であれば、ベヒモスは数回斬りつけて止めを刺さなければ倒せない。しかも少し妙な雰囲気のベヒモスだ。それをあっさりと火炎剣で一刀両断したのだ。全く恐ろしい代物である。
用が済んだので、颯はアルギエルに帰ることに決めた。
しばらく歩き、東の森を出たあたりで、ふと後ろを振り返った。
「巨大な竜とやらは、本当にただの噂だったのかな」
そうつぶやいたと同時に、ビュウ、と強い風が颯の頬を掠めた。
「…………さむっ。竜か? …なんてね」
◇ ◇ ◇
颯は町に帰ってから少し休憩した後、またクエストに出掛けるために、あのNPCに声をかけた。
今回も変わらず、寂しく俺を待っ…一人で立ち尽くしていた。
「さて、次は何しようか」
『たった今、とあるプレイヤーから一つの救援要請が届きました。一人でベヒモス三頭から逃げ回っているようです』
「本当か!? ならそれにします! 場所はどこですか?」
『西の森だそうです。くれぐれもお気を付けてくださいね』
颯はクエストを受注すると、全力で走りだした。
『西の森』。先程俺がいた東の森の、この町『アルギエル』を挟んで反対側に位置する森だ。北西に聳え立つクソでかい山に近い場所でもあるから、気温は東の森に比べて少しだけ低く、一日の最高気温は約二十度だ。
この世界…MDFでは、転移というものは魔法でしかできないとされている。しかも、それには高度な魔法の技術が必要らしい。なんにせよ、人間の颯には転移魔法を使うことはできないに等しい。そのため、颯のようなプレイヤーは走るか歩くか浮くかで移動する他ないのだ。
俺ソロだからなぁ…一生できねえだろうな。とにかくさっさとそのプレイヤー助けて見返りを求めよう。
再びクズのようなことを考えていた颯の体は、既に町を出ていた。
◇ ◇ ◇
「はぁっ!!」
颯は音を頼りに西の森を散策していると、獣人族とみられる一人の女性プレイヤーが、三匹のベヒモスと奮闘している姿を見つけた。
さっきベヒモス一匹にやられた女性プレイヤーよりずいぶんと腕を磨いているらしい。ベヒモスの攻撃を読んでは回避し、うまく距離をとっては魔法で攻撃を加えている。これなら耐久戦で勝てるとは思うが、なぜ救援要請など出したのだろうか。
颯はまだ手を出さずに観察していると、その理由と思われるものに気付いた。
それは、ベヒモスの様子がおかしく、先程倒したベヒモスのと同じような雰囲気であることだ。
ベヒモスの弱点属性である火属性の魔法を、そのプレイヤーがいくら放っても、ベヒモスたちはひるむこともなく、そのプレイヤーに牙を向けている。
「なぜだ…? ベヒモスの弱点属性は火のはず……っと、そろそろ見てないで行くか――って、ありゃ?」
颯は、ベヒモス三匹に囲まれ、ピンチになっているその女性プレイヤーを見て、助けに行こうとしたが、頭上を二つの陰が通り過ぎていった。それらは二人のプレイヤーだった。そして、女性プレイヤーを守る形でベヒモスに立ちはだかる。
「俺と同じ依頼を受けてきたプレイヤーか?」
でもそれはありえない。他のプレイヤーが受けているクエストは、それが終わらない限り受けることができないためだ。他のクエストをしている最中に、たまたま襲われているところを見つけただけだろう。
颯は再び木に身を隠すと、様子を伺った。
突如姿を現した二人のプレイヤーは、ベヒモスを瞬く間に三匹とも倒してしまった。
「つ、強い……しょうがないな、帰るか」
あの妙なベヒモス三匹を数秒で片付けてしまうなんて…やり込みすぎじゃね? …俺もそうなのかもしれないけど。
颯がその場を立ち去ろうとしたとき、二人のプレイヤーは剣先を女性プレイヤーに向けていた。彼女は尻もちをついて怯えている。
「まさか…」
二人のプレイヤーは剣を構え、高く振り上げた。そのプレイヤーを斬るつもりだ。
颯はそれを見た瞬間、陰属性魔法である移動速度強化を発動させ、左腰の剣を抜き放ち、彼らとの距離を一気に詰めた。
「させるかぁぁぁー!!」
一人のプレイヤーの背後にサッと隠れると、右手に持った剣で一閃した。
「なっ!?」
颯の剣が、そのプレイヤーの腹を貫いた。鮮血が飛び散る。
「だ、誰だ!?」
もう一人のプレイヤーは大きく後退し、その位置から距離をとった。が――
「残念、後ろだよーん」
颯の台詞と同時に、またもや背中から火炎剣をまともに食らったプレイヤーは、自らを焼かれながらその場に倒れ、血痕を残して消えた。
「ふぅ…プレイヤーキラーは好きじゃないんだけどなあ…」
颯は一息つき、最初に刺したプレイヤーの方を見た。なんと即死していなかったらしく、腹に刺さったままの颯の剣を引き抜き、女性プレイヤーに斬りかかっていた。
「いい加減…諦めろやぁ!!」
颯は疾風の如く駆け抜け、そのプレイヤーが振り下ろそうとしている剣を火炎剣で弾き飛ばす。
そのプレイヤーは狼狽え、地面に煙玉を投げつけた。煙玉はもくもくと煙を出し、煙が薄れてきたころには、そのプレイヤーの姿はどこにも見当たらなかった。
「たまにアニメとかで見る逃げ方だな。こうして食らってみると、結構うざいな…っと、それより」
颯は後ろに振り向き、地面に尻もちをついている女性プレイヤーを見た。
どうやら獣人族のようで、燃えて萌えるような紅の髪と瞳を持っている。で、背の高さは俺より少し低いくらいだ。女性の獣人族だから、普通の人間に猫耳と尻尾がついてる感じだ。アバターとしてはめちゃくちゃ可愛いが、どうせ現実では男性なんだろーな……
「大丈夫か?」
颯が声をかけると、そのプレイヤーはバッと立ち上がり、少し恥ずかしそうに目を逸らす。
「へ、平気よ。ありがとう」
「本当に大丈夫か? ベヒモス三匹と、謎のプレイヤー二人に襲われたのに?」
「そ、そんな前から見てたの?」
「ああ、クエスト受けようとしたら救援要請が来てな。それで急いで来た」
「そうだったのね…感謝するわ。…そうね、一応名乗っておくわ」
お、いいねこの展開。まるで、アニメでヒロインを救った主人公、みたいでさ。…しゃべり方があれなだけで中身男性の可能性高いから、そんなことにはならないだろうけど。
「わたしのプレイヤーネームは、スピカよ」
「お、俺は…その、言いにくいんだけど」
「わたしが名乗ったんだから、あなたも名乗りなさいよ。常識でしょ?」
「くそっ……お、俺の名前は…もずくだ」
ちょ、そんな哀れな下等生物を見てるような目で俺を見ないで…。
「あなた、ネーミングセンス死んでるわね」
「しょ、しょうがないだろ! ソロプレイヤーなんだから名乗らないし、どうでもいいもん! それに、名前を決めるときに最初に頭に浮かんできたものがもずくだったんだよ!」
「あら、奇遇ね。わたしもソロプレイヤーなのよ」
しれっと話題変えんなし。
「なるほど…だからベヒモス三匹と…あ、そういえば」
颯はあの妙なベヒモスを思い出した。なにか知っているかもしれないと思ったからだ。
「なによ?」
「あのベヒモスなんか様子がおかしくなかったか?」
「あ、そうだったわね。魔法も効かないし」
「何か知らないか?」
「さあ? …ところで、わたしは町に帰るけど、あなたはどうするの?」
「帰るよ。だって、スピカを助けるために来たからな」
今の台詞めっちゃかっこよかったよね? ここはデレる他ないでしょ。
スピカは颯の予想に反し、はぁ、とため息を一つついた。
「あくまで救援要請よ。きゅ・う・え・ん」
うぜー。やっぱ中身男だろ。あー、うぜー。
「見栄張ってないで素直になれよ」
「見栄なんて張ってないわよ」
ほら、これだよ。これでデレてくれたら最高なのに。
◇ ◇ ◇
結局、スピカとはあの後すぐに分かれたから、アニメの主人公みたいになることができなか…それどうでもいいわ。
町に戻ると、プレイヤーの数がさらに増えていた。
今回の救援要請ではお金以外に何も得られなかったため、そのままクエストに出発することにした…のだが、颯がいつも話しかけているNPCと話す一人のプレイヤーが目に入った。内心とても驚いたが、いつかは通う人も出てくるだろうと思ってもいたため、すぐに平常心を取り戻した。
赤い髪のプレイヤーだ。これはもしやと近づく。
「スピカか?」
「ん? あ、あなた…また会ったわね」
案の定、スピカだった。
「お前もクエスト行くのか?」
「ええ、そうよ。それと、『お前』じゃなくて『スピカ』と呼んでちょうだい」
「お、おう。分かった」
『どのクエストをされますか?』
「俺は東の森の探索に行きたいんですが…」
「わたしもよ」
『お二人で行かれますか?』
NPCの問いかけられ、スピカを見た。彼女も颯を見ていた。
「わたしはいいわよ。そっちの方が効率がいいし」
「ああ、俺もだ」
『承知しました。東の森は未確認の巨大な竜がいると噂されています。お気を付けください』
◇ ◇ ◇
颯とスピカは無言のまま東の森へたどり着いた。と、そこで颯が口を開いた。
「スピカも巨大なドラゴンとやらを狙っているのか?」
スピカは足を止めると、にやりと笑う。
「ええ。その様子なら、あなたも狙っているのね?」
「ああ。戦ってみたいんだ。噂じゃないといいんだけどな」
「そのために探索しに来たのよ。張り切っていきましょ」
だからさっき効率がいいと言ったのか。
「そうだな」
などと、二人は軽く言葉を交わした後、東の森の一本道を走り始めた。
◇ ◇ ◇
やがて、颯が今回最初に来たイースト・レイクへとたどり着いた。
「あら? あの木…一体どのようにして斬られたの…?」
「さ、さあ…わからんな…」
犯人はもちろん颯だ。だが、火炎剣をあまり知られたくないため、彼はそのことを隠す。
「まさか、あの変なベヒモス? それともその巨大な竜かしら…?」
「ま、まあ、落ち着けって。雑談しながら竜の痕跡とか探してみようぜ」
「…わかったわ。行くわよ」
スピカはそう告げると、湖の周りにできた凸凹の土の道に沿って歩き始めた。颯もそれに続く。
「なあ、質問してもいいか?」
「ええ、問題ないわよ」
スピカは周囲を見渡しながら答えた。同時に警戒も怠らない。
「スピカは、いつからこのゲームを始めたんだ?」
「…そうね…二週間前ってとこかしら」
「意外と最近なんだな。このゲームが発売されてもう三か月経ったのに」
「あんな事件があったから…不安だったのよ…」
スピカの声が少し震えたように聞こえた。
「ああ、被験者が戻って来なくなったやつか」
「あんな…酷いことを……なんで……くそっ…」
気が付けば、スピカは俯いて唇を噛みしめていた。
その事件となにか関係があったのだろうか。颯は少し戸惑ったが、そのまま黙ることにした。
「…ごめんなさいね。忘れてちょうだい」
「…こっちこそごめん。なにか思い出させちゃって」
「だから…なんでもないから…」
「ああ……それより、確認したいんだが、スピカの得意な属性ってなんだ?」
颯が話を切り替えると、スピカはパッと顔を上げた。なんだかうれしそうな表情を浮かべている。
「得意な属性? 聞いて驚きなさい。わたしは全属性得意よ」
「は? マジで? すげーじゃん!」
思わずスピカの両肩を掴んでしまった。ちょっと興奮しちゃった。
「ちょ、離してよ。うるさいわね」
「あ、すまん。全属性得意なんて、聞いたこと無かったから」
急いで手を離す。
獣人族は大半が全属性を使えるが、そのなかでも特に優れている属性が必ず一つか二つある。その中でもスピカは全属性得意という。一種の逸材なのだろうか。
俺は水属性以外の四属性使うことができるが、それといって優れているわけではない。人間族だから当たり前なのだが。
「練習してたら、知らないうちに強くなってたのよ」
「その台詞で納得できるやつはいないと思うんだが。…それにしてもほんとすごいよな」
「そうでしょ?」
「違う違う、この世界のことだよ。これ夢なんだぜ? 俺らは明晰夢によって今こうして喋っているし、共時性とやらのおかげで、こうしてスピカと出会えたんだぞ」
「確かにそうね。夢だから、自分の体や周りの建物が現実みたいよね。夢がゲームのように楽しめるなんて、日本も進んでるわね」
「ああ、全くその通り――って、おい」
複数の気配を察知した。前方でカサカサと音がしたからだ(Gではない)。スピカを見ると、彼女もこちらを見ていた。
「あなたもわかったようね」
「この気配は…オオトカゲか?」
オオトカゲとは、文字通りトカゲの外観をしているが、サイズは一匹約一メートルと大きいモンスターだ。ただし、小型モンスターに分類されており、群れで生息している。主に水属性の下位魔法にあたる水冷玉を使用して攻撃をする。オオトカゲが魔法を使って攻撃してくるときは、喉の奥で魔法陣を出現させ、吐くようにして魔法を放ってくるため、魔法が放たれるまでわからないがために困るプレイヤーも少なくない。
「おそらく。この様子だと前方に十匹ほどいるようね。こちらに向かって走ってきてるのがわかるわ」
「うわぁ…めんどくせっ――うおっ!?」
オオトカゲ……ではなく、今度はズシンと大きな地鳴りがした。
「なによ、これ…」
その地鳴りは止まることなく、徐々に音が大きくなる。なにかが前方から近づいてきているようだ。
「でっかいのが来るぞ…」
藪からオオトカゲの群れが出てきたが、怯えている様子で、颯たちの後ろにさっさと逃げてしまった。
前方の木々がバキバキと音を立ててなぎ倒され、そいつは姿を現した。
「おい…おいおいおいおい…! マジかよマジかよマジかよ」
「うそ……まさか、本当に…」
「噂は本当だったらしいな」
「ええ。…まあ、わたしたちはこいつが目的だったんだから、好都合よね」
颯とスピカの前方に姿を現した竜は、その紅眼で二人を見下す。すぐに眼を鋭く尖らせると、東の森全域に響き渡る雄叫びをあげた。