再開の灯火
騒騒しいアラームが雅の脳内に鳴り響いた。
アラーム? ということは……朝か。とりあえずうるさいこいつをどうにかしないと。
「ふぁ……っと」
体を起こして自分がどこにいるのかを確認し、スマホから流れるアラームを止める。スマホ画面を見ずに、デジタル式の目覚まし時計を見ると、七月六日の七時となっていた。
なんかめっちゃ長い夢を見てた気がする……。
起きて間もないため、頭の整理が追い付かない。雅はボサボサの頭を掻きむしると、自身の身体をベッドから離脱させた。そして、色が落ちたように活気のない瞳を天井に向けながら、呟いた。
「今日も学校か……」
◇ ◇ ◇
支度をしたあと、少し間を置いて家を出た。朝礼が始まる直前に教室に入るという予定でだ。
新品のようにきれいな制服を身に纏い、徒歩で学校に赴いた。いつもと変わらず人通りが寂しい道を、雅は一人で進み、無事に学校へと辿り着いた。
廊下はしんと静まり返っており、他の組の教室を除くと既に朝礼が始まっていた。どうやら遅れてきてしまったようだ。急ぎ足で自分の組――二年B組に足を踏み入れた。
初めて見る生徒ばかりなのに、雅は何の違和感も感じずにのそのそと自身の席に腰を下ろす。と、雅を見たひとりの生徒がぽつりと呟いた。
「嘘……」
僅かに震えた声だった。その意味は、複数の意味が感じられた。それは、しんと静まり返った教室には空しく響くだけだった。でも、その声はどこか聴いたことのあるような声で。
そして、その声を聴いた生徒たちが一斉に雅の存在に気付く。その瞬間、各々が一斉に口を開いた。
「本当にあの圷さんなの…!?」
「本物か!?」
「嘘でしょ……登校してくるなんて…」
「夢みたい…!」
閑散としていた教室が、瞬く間に喧騒へと変貌した。担任と思しき先生も、口を少し開けて雅を眺めているだけだった。
当然、
「え? え? 何? 俺がどうかしたのか?」
雅は突然の事態に困惑する。いつも通り学校に来たはず。この席は自分の席だという確認ももちろんしてある。それのどこがおかしいのだろうか。
あのってなんだ? ……本物? そりゃ偽物なんているわけねえだろ。それになんだって? 登校してくるなんてだと? 入学したときからずっと登校してるじゃん……
「…て、あれ?」
雅は、何かを感じ取ったのか、その表情を曇らせた。
なんだ? なにかがおかしい。そういえば……
妙な違和感を感じ、辺りを見回す。
みんな、知らない。初めて見る顔だ。なぜか、それを認識していなかった。
すると、一人の生徒が立ち上がった。
「あんた……まさか…」
女子の声だ。教室に入ってから誰かが呟いた一言は、彼女の声だったらしい。
「もずくなの?」
瞬間、頭の中で何かが光った。
クラスの何人かが、彼女の発言を聞いて苦笑や引き攣った笑みを浮かべていた。
もずく? なんだそれ、俺のことか? もずく? もずく……?
「覚えてないの? ねえ」
どうやらやっぱり俺にかけた言葉のようで、その女子生徒を見やる。
茶髪のロングヘアー。一見眼つきが悪そうで実はそうでもないところが逆に愛らしい。なんというか、美少女という言葉が相応しい顔立ちで、なんとなく、棘っぽい感じがする。
再び、雅の頭の中で何かが光った。
「君、は……星宮、穂咲?」
なぜか、知らないはずの少女の名前を憶えていた。
「なによ。ちゃんと覚えてるじゃない」
…あれ、なんで、わかったんだ?
「じゃあ聞くけど、ええと、亜木菟颯だっけ? なんであんたがここにいるのよ? そこは圷雅さんの席でしょ?」
は? 何を言っているんだこいつは……一体何を言ってるんだ……一体何を……俺は一体……何を…?
そしてまた、雅の頭の中をの閃光が駆け巡った。
亜木菟颯……圷雅……
「何を言ってるんだ君は。俺は圷雅だぞ? 誰なんだ? その颯とかいうやつは……」
「こっちの台詞よ! あんたあの時自分で名乗ったじゃない! 亜木菟颯って!」
「だいたい君は一体誰……」
もずく。星宮穂咲。亜木菟颯。圷雅。
三つの光が積み重なり、やがていくつかの答えを導き出した。
――ダイグト。MDF。スピカ。
「――あ」
記憶の蓋が開き、頭の奥に眠っていたものが次々と溢れ出してくる。
俺は、圷雅。またの名を、亜木菟颯。とはいうものの、亜木菟颯はあくまでも仮の名前だ。戸籍上、学校は本名の圷雅で通しているが、それ以外はほとんどに亜木菟颯という名前で出している。理由としては、自分のことをあまり世間にさらしたくないからだ。俺は亜木菟颯として、一人のプレイヤーとして、MDFをやりたいためだ。そういうわけで、圷雅という名前は普段使わない。
ちなみに、ダイグトの運営やらめんどくさそうなやつは、全部『TGID』という会社に任せてある。
まとめると、俺がダイグト製作者の圷雅、本人ってわけだ。だが、MDFの制作は少しだけしか携わっていない。だから、「ずるい」などと叩かれる筋合いはない。
「どうしたのよ亜木菟颯」
雅がいろいろ思い出している姿を不思議に思ったのか、星宮が少しキツめの口調で尋ねる。
「いや…思い出したぞ、スピカ。確かに、俺はあの時そう名乗ったな」
「ここでは本名で呼びなさいよ、亜木菟さん」
「学校でもその喋り方かよ。友達いんのか?」
少し煽って見るものの、まるでケルベロスの牙のように鋭い視線でキッと睨まれたので、少し怯んでしまった。
「……いや、それでさ、本当に俺は圷雅なんだ。その名前は仮の名前だ。証拠ならあるぞ。なあ先生?」
と、未だ目を点にしてそのやりとりを眺めていた担任の先生がふと我に返る。
「え……あ、ああ。圷君は確かに亜木菟颯という仮名を使っているぞ」
「ほらな。それに、少し似てるだろ? ええと、『あくつ』と『あずく』とか。あと雅と颯は『や』が共通すっぞ。それにだな、星宮も知ってるだろ? 圷雅は高校二年生、俺等と同じだ。どうだ?」
星宮は顎に手を添え、しばし考える仕草をとると、頷いた。
「確かに……ま、今はそういうことにしておくわ」
納得したのかしていないのかはよくわからないが、なんとかいい方に持ってこれたらしい。
で、これからどうすべきか。
雅が家に帰るかここで過ごすか考えようとしたところで、今まで黙っていた生徒たちがまた喋り出した。
「てことは、本当に圷さんなのか」
「なんか実感湧かないな~」
「俺はもっと大人っぽい人かと思ってたよ」
なんだ俺は大人っぽくないんだな…まあ不愛想? だし人付き合い悪いと思うし、まず外見から結構アレだから……って、自虐も程々にしておこう。
「さあ、朝礼を再開するぞ」
担任の先生が、ざわついていた教室を一言で治めた。さすが。
そして、雅は朝礼が終わったら家に帰ることにした。
◇ ◇ ◇
場面は雅の家かと思えばこれまた学校。朝礼の後。
さきほどの大戦闘のことも思い出し、雅はそれについて星宮と話そうと試みる。
さて、あいつはどこに……
教室を見渡すが、星宮の気配はしない。別に、背が低くて他の人に隠れて見えないだとか、彼女が透明化の魔法を現実でも使えるとかそういうものじゃなくて、本当にいないのだ。
それに、圷雅本人がいるのに誰一人として話して来たりしないのは、おそらくだがダイグトに興味を持っていないからだろう。先ほど「あの圷さん」とか言っていた生徒なんて、忘れたように女子たちで会話をしている。それぞれのグループの横を通るたびに聞き耳を立ててみるが、どこもダイグト関係の話はしていないようだ。製作者本人としては、少し悲しくはあったが。
どこだよ……
内心愚痴を溢しつつ、廊下に出てみる。
「――っぶね」
出た瞬間にすぐそこを歩いていた生徒にぶつかりそうになったが、ぎりぎり避けれたみたいだ。
「あ、ごめんなさい…」
と、突然銀鈴の声が耳から入って雅の脳に直撃した。透き通るような、言葉では言い表せないほど美しく優しい声だった。
どうやらぶつかりそうになった生徒が謝ってくれたようだ。その生徒は女子で、黒い髪を垂らしてぺこりと頭を下げている。
「謝らないでください、俺が勢いよく飛び出したのが悪いので」
「そうですか、では」
意外とあっさり話を済ませた女子生徒は、スタスタと廊下を歩いてどっかに行ってしまった。
「そうだ、スピカを探してたん――いでっ!?」
急に腰に衝撃が走ったため、思わず声を漏らしてしまった。顔だけ後ろに向けると、茶色い髪をふわっと揺らして鋭利な眼つきでこちらを見ている星宮さんが立っていた。右足からトン、と音がしたから、おそらく右足で膝蹴りをしたのだろう。
その怖い眼のせいで、容姿端麗な姿がもったいなく見える。
「…呼んだ?」
「…………おう」
身体を彼女に向き直して、痛めた腰を優しく撫でながら答えた。
いや、タイミング良すぎ、そして膝キックで挨拶とか……もうこいつにつっこむのだるいわ。
「何よ煩わしい」
「その口調と眼、やめろよ。せっかく美人なのに台無しだぞ」
「なっ……!!」
星宮は赤面し、身体をプルプルと震わせて必死に何かを堪えている。
何とか堪えきったようで、一息ついて冷静を取り戻した。
「……なんなの? 口説いてるわけ?」
どうやら星宮はこっちの世界でも冷静に対処できるらしい――いや、こっちの世界でソロプレイヤーだからこそ、その冷静さを培ってきたのだろう。
「半分本気で半分冗談だ。もちろん、本気のほうは前文だ」
雅は少し皮肉げに、ニヤッと笑みを浮かべながら答える。
が、彼女は冷静を保ったまま、その挑発に乗らなかった。
「……そう。なら、早く話を済ませましょ。わたしを探していたんでしょ?」
「……ああ、そうだな。その話っていうのは――」
◇ ◇ ◇
「――というわけで、朝起きたら記憶が吹っ飛んでたってわけだ」
星宮に、MDFで起きたことを全て話した。
どうやら、彼女も記憶が飛んでいて、PKらとの遭遇後のことは何も覚えていないらしい。だから、あのとき俺が戦っていたスピカは、ダイグトかMDFのエラーによるものだと、俺は推測した。もちろん、フィルのことも知らなかった。
「仮にその話が本当なら、他にも被害者がいるはずよ」
「なんだ? 俺のことが信じらんねえのか? 俺だってお前のことを信じ切ったわけじゃないからな」
「それはしょうがないわよ。わたしがやったわけじゃないんだし」
「……そうだな。PKにナイフ投げられてからいきなり襲ってきたからなぁ……そのナイフに仕掛けがあることは、可能性としは否定できないな」
腕を組みながら互いに言葉を交わす男女二人。とても高校生が話すような内容ではないのだが。
その話の内容を聞いて、嫌悪感を覚えそうな笑みを口元に浮かべた者がいたことは、この場にいた二人が知る由も無かった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、チャイム鳴りそうだし俺は帰るよ。学校だるいし」
「率直な感想ね。……今日ももちろんやるわよね?」
その星宮の問いかけの意味は、聞かなくてもわかる。だから、時間さえ伝えるだけで充分だ。
「ああ、いつもと同じく十一時頃かな」
「わかったわ、それじゃあ――」
「ねえ、君たち、MDFやってる?」
唐突に、この場にいた二人以外の声が廊下に響いた。
その声がした方を向くと、一人の男子生徒が仲間になりたそうにこちらを見……普通に雅と星宮の二人を見ていた。名札から同級生だと判断できる。爽やかな感じが印象的な、イケメンって感じの男子だ。
「……まあ、やってるよ」
雅はMDFのプレイヤーがいたことに驚きながら答えた。
「やっぱり? まあ製作者がやってるのは無理もないか。…っと、俺も一緒にやりたいんだが、いいか?」
その質問に、雅と星宮はお互いの顔を見合った。
「なあ、あいつ俺等を馬鹿にしてないか? あんなイケメンみたいなやつ、どうしろってんだ」
「知らないわよそんなこと。わたしはどうでもいいけどどうするのよ?」
その男子生徒に聞こえないように小声で相談を始めた二人。
「ちょ、二人とも……」
「ああ、すまん。いいぜ。三人……いや、もしかしたら四人になるかもだけど、よろしくな」
「ちなみに時間は夜の十一時頃よ。場所は……『アルギエル』の広場から西に行くとある、誰も寄り付かないクエストカウンターに集合よ」
「ああ、ありがとう! よろしく。じゃあ、そろそろチャイムなるから、じゃあね」
そう言うと、彼は隣の教室にすっ飛んでいった。
「俺も帰るわ、じゃあな」
「ええ、また夜に」
カバンを背負ったまま、雅は足を動かし始める。
まだしなくちゃいけないことがいっぱいある。フィルのこともだ。彼女のあの剣、そしてとっさに頭のなかに浮かんできたあの龍……破霜龍ガルルギオラ? が一体なんなのか、聞かなくちゃならない。もちろんPKにも注意を払いながらだけど。
これから忙しくなりそうだ。できるだけPKとの衝突はしたくないが……対峙したらその時は今度こそ捕まえてやる。
「あ、そういやさっきのやつの名前聞いてなかったな。……あっちで聞いとくか」
背後から忍び寄る脅威を知らないまま、雅の決意は燃え盛っていった。
毎度読んで下さってありがとうございます。