第9話 橋、中央館、髪留め
「重くないですか?」
「大丈夫よ」
「臭くないですか?」
「それも大丈夫。気になるほどじゃない」
「それ臭うってことですよね……?もしかして、そういう嗜好が?」
「落とすわよ」
園内の探索に偲を連れていくにあたって、重大な問題がすぐに生じた。
偲は、放っておいたら何もないところでつまずく程度の身体能力しかないくせに、歩き回りたがるのだ。しかも、この少女、園に来るまでの間でだいぶ体力を使っているようで、動きのあちらこちらが普段にもまして淀みまくっていた。
結局、私は少女を背負うことになった。いざというときに即座に連れて逃げられるという利点もあるけれど、もしこのまま園の探索を続けるのであれば、さすがにどこかで休息を挟まなければならないだろう。
「それにしても、思ったより生きている灯りが多いですね」
「ええ。電気が生きているのは珍しいわね。サギリもアラガもあるから、ここに集落ができることはないだろうけれど、もしどっちもなければ、ここが集落になっていたのかもね」
中央の建物を目指す道は、赤茶色の橋だった。十歩ごとに一本くらいの感覚で橋灯が立ち並んでいて、そのうち半分くらいがクリーム色の光を放っている。橋の下には、無秩序な生態系ができあがっている様子がうっすらとではあるがうかがえる。
「偲、この橋の下って、どうなってるの?」
「ええっと……。展示がいくつも並んでいたみたいですね。橋の上から覗けるようになっていたみたいです」
偲は目をつぶってそう言った後に、閉じた目を開いて、ただ今は鬱蒼とした茂みが広がってるんでしょうけれど、と締めくくった。
「でしょうね、虫も多いし。……ねえ偲、目を閉じるのって必要なの?」
「いえ、別に必要と言うわけではないです。なんというか集中したいだけで」
「儀式みたいなもの?」
「ええ、そんなところです」
言葉を交わしながら、私と偲は橋の上を進んでいく。偲は私が背負っているので、正しくは私ひとりが進んでいる。
「橋から落としてケリがつけばいいけれど」
「ううん、10メートルで足ります?」
「飛ぶようなやつとか、特別固いやつじゃなければ、これくらいの高さでも、多分、ね。でも橋の上だと隠れようもないしちょっと難しいか……」
「『獣』って飛べるんですか?人型なのに?」
「滅多にいないけどね。ファンブルと一緒で、常識とか信じてたら相手できないのよ」
私の独り言を偲がひろって情報をくれるので思っていた以上に助かる。とはいえ、
「やっぱり、落とすのは草木が多すぎて無理ね」
ライトで橋の下を照らしてみると、すぐ下には黒々とした緑が迫っていた。とてもではないが、ここから落としたくらいで『獣』を仕留めることはできないだろう。もしかすると、人間でも生き残れるかもしれない。
「伶、下から霧が!雲が!」
「虫でしょ」
電灯を落し、橋の中央へと足を戻す。
「橋の灯りだけで十分歩けるわね」
「あ、もう少し背負ってもらえると助かります。正直、足が棒のようです」
呆れかえる私の上で、バチッと弾けるような音がした。橋の下から昇ってきた白い塊の一部が焼けて、また落ちていった。
橋が終ったところは、ちょうど建物の入り口になっていた。
「ここが中央区画、あるいは中央館です。三階建てで、展示エリアが一階と三階。それとは別にお店とかが並んでいるのが入ってすぐの二階ですね」
「開きっ放しか」
入り口は見上げるくらい大きな両開きの扉だったようだが、片側が壊れてしまっている。
「開きっぱなしというか、壊されてませんか?」
「見た感じ、『獣』の仕業じゃあないと思うけどね。大戦中か、大戦直後くらい」
扉のガラスの破片も、枠の破片も見当たらない。動物園ならば、「食糧」は充分にいたはずだ。それをねらう暴徒に襲撃されたといったところか。正直なところをいうと、園で飼育されていた動物の、残党なり子孫なりを心配しなくていいので、ありがたくはある。
「転ぶと危ないから、ここからは降りて。……さて、何か見つかるといいけれど」
偲を背中から降ろしながら、私が独り言つと、偲が手を握りながら私に話しかけてきた。
「というか、伶は何を見に来たんですか?」
「武器。装備は多いに越したことはないからね」
「いつもの地下街から拾ってきてないんですか?」
「前にアラガの駆除屋と一緒に大物とやりあったことがあったんだけれど、目ぼしいのはぜんぶその時に持ち出しちゃった。日用の刃物とかはまだまだあるけれど、武器になるようなのは残ってない」
話をしながら、私は電灯を点けて、建物の中を照らす。入り口は無残だったが、建物の中の方は、それほどひどくはない。焦げ跡が残っていたり、人形だったらしいものの残骸が撒き散らされたりしているが、まあ問題ないだろう。
「ひどいものですね」
「……そうね」
倒壊の可能性もないし、骨が散らばってないし、かなりマシな状況だとはさすがに言えなかった。
「何か、探すものはあります?」
「長い物、尖った物、鋭い物、できれば熱を出せる物も」
「分かりました」
建物ごと焼くのは、私が『獣』を駆除するとき、使えるなら必ず使う手だ。今回の『獣』は、屋外、それも川辺に生息しているらしいから、使えるかどうかは怪しいだろうけれど。それでも、使える物はあればあるほどいい。
人も動物もいなくなった廃墟はコツンコツンと私の足音を反響させている。屋内にも幾分か電灯が生きている個所があって、仄暗くはあるが、何も見えないほどではない。偲はキョロキョロと周りを見渡しているのか、髪の毛が私の視界の端で揺れている。
「偲、そこの店、寄るわよ」
私はくすんだボロ布をまとった木人形が何体か転がっている店の前で足を止めた。
「……?そこのお店は、土産物屋ですよ。それも服飾系の」
「見ればわかるわ。髪留めを探しましょう。さっきから私の目に入りそうなのよ」
「あ、ごめんなさい……」
「謝る必要ないわ。……何だったら後で切ろうか?」
「伶は短い方と長い方、どっちがいいですか?」
「偲の好きな方でいいよ」
自分で切ろうかと尋ねた手前、長い方がいいとは言えなかった。偲のように長い髪は、今の時代においては、邪魔にしかならない。他人に自分を展示する余裕なんて、私たちにはないのだ。
でも、邪魔にしかならないものをあってしかるべきものようにまとう少女が、私は嫌いではなかった。折衷案として、とりあえずは、髪留めを探すことにしよう。
目当ての店は、店前の人形たちの様子に反して、ずいぶんと綺麗な状態だった。物陰に隠された照明から光が漏れていて、部屋を他の場所よりも明るくしてくれている。
「間接照明だけ生きているなんて、なんだか不思議ですね」
偲の評を聞きつつ、手近な棚の上にあったタオルを手に取ってみると、中身は意匠を保っていることが見て取れた。旧暦の包装技術には舌を巻くばかりだ。
「偲、良さそうなのはあった?」
「ううん、動きやすいものをと思ってヘアゴムを探しているんですけど、置いてないですね。あ、このバレッタなんかどうでしょう?」
偲は、包装をはがして、梟のあしらわれた金色を見せてきた。
「……ごめん、バレッタってその髪留めであってる?」
「ええと、見てもらうのがいいですかめ」
そういって偲は、手に持っている推定髪留めで自分の髪をまとめようとする。
まとめようとしている。
まとめられないでいる。
「大丈夫?」
「やり方は知っているんです。出来ないだけです」
「ううん、そんな複雑な作りじゃなくない?」
そういって私は、偲が持て余している髪留めを請けとって眺めてみる。見たところ、そう複雑な構造ではない。パチリと開けることを確認してから、偲の髪の毛をまとめて手にとり、再度パチリ。
「そんな難しくないわね」
「お洒落な留め方を見てほしかったんです。こんな風にただ留めるよりは」
「じゃあ、それを教えてよ」
「あ、いえ。伶が留めてくれたので、このままがいいです」
「じゃあ、そのままで。似合ってるわよ」
ころころと表情を変える偲と話しながら、いくつか細長い針を拾っておく。偲が髪留めを取り上げた場所の隣にあったので、多分これも髪留めの一種なのだろう。急所を突かない限り、致命傷は与えられないだろうが、持っていて損はない。悪くない収穫だ。
「伶、ひどい顔してますよ」
「うん、仕事中だからね」
軽口を叩きあってこそいるが、万が一、店の外に『獣』があらわれることだってありうるのだ。そこはお互いに分かっている、と思う。