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第8話 動物園、全知無能、泣き落とし

 もうすっかり日が暮れて、遠くの空にわずかに赤色がみえるかみえないかくらいになって、私は『獣』の住処に到着した。さて、ここからどう動くかが問題だが、ひとまずは、園の全体が記されている看板か何かを探すことにしよう。そして、そのあとは、皐月が『獣』に出遭ったという川沿いが最後になるようにして、園内を観て回るというのが、偵察としては妥当なところか。

 幸いなことに、入り口の門をくぐってすぐに、大きな看板に地図らしきものが描かれているのを見つけることができた。

辺りを警戒しながら看板をみてみると、だいぶ読み取りづらくなってはいるものの、園の全体像が大体だけれどつかむことができた。

どうやら園内は、展示されていた動物の生息地域ごとに区切られているらしい。さすがにそれぞれの区画が何かまでは読み取れなかったものの、大きく分けて区画は3つあるようだ。

 まず、今いるのは北側の門。そして、南にも門があるらしい。それら南北の門を含んでいるのが園の中央区画になる。さらに、中央区画を挟んで、東と西に別の区画がそれぞれ1つずつ。皐月が『獣』に出遭ったと言っていた川は、東の区画の最東端を南から北へ貫くように流れていた。


 ――よし、だいたいの目算はついた。


 けれども、考え込んでいたからか、後ろから近づくものに、私は気付けなかった。コツンという足音が聞こえると同時に、音源から距離をおくように飛ぶ。そして、起き上りながら腰のナイフを……。


「典型的なエリア分けですね。園のゲートにあった定礎の年代が、東西の二分法が久々に再流行した時期でしたし、おそらくはそれを受けているんでしょうけれど」


 そこにいたのは、ぼろぼろの布を頭巾付の外套のようにして身にまとった偲だった。


「私を置いていくなんてひどいじゃないですか、伶」


 偲は、不機嫌そうに話しかけてくる。


「……よし、帰るわよ、急ぐべき仕事だとは思うけれど、さすがに1日、2日の遅れは許容範囲だし」


 かつてないほどの速さで返事をしてから、私は偲の手を握って引っ張る。


「伶」


 偲の抵抗は、鈴のような声で私の名前を呼ぶという、ただそれだけの形でなされた。


「偲、お願い。今日は直接『獣』とやりあう気はないけれど、もし戦いを避けられなくなったら、あなたを庇いきれるかどうか分からない」


 私が頼み込むと、偲は目をつぶった。いままで、こういうときはすぐに言葉を返してきたので、不意を突かれてしまう。

 少し間をおいて、偲が再び口を開いた。


「――国立狭霧動物公園。開演は39年前。展示動物は107種626点。魚類の展示はなく、陸棲の動物のみを展示。東洋の動物、西洋の動物、屋内展示の3つの展示エリアを有する。動物1匹当たりの従業員数が開演時の国内で首位。周辺の教育・研究機関と提携し、多くの計画を推進していた。動物と交流できる企画を多数設けている。立体映像や拡張現実、仮想現実を利用した展示が数多く導入されており、世界各国の動物園のモデルケースとなった」

 彼女の口から出たのは、まるで意味の分からない呪文のような言葉だった。いや、意味は半分以上分かるのだが、偲がそんなことを知っている理由が分からない。

 偲が口にしたのは、地上で覚えているものが誰もいなくたっておかしくないような知識だ。この少女は、なぜそんなものを知っている。


「……偲?」

「年間来場者数も収益も必要でしたらお伝えします。伶、私を存分に使ってください」


 整った顔立ちに似合わない、したり顔で偲はそう語った。

 私が呆けていると、偲は続けて話し出した。


「結論から言いましょう。旧暦のことなら、生まれたときから私は何でも知っているんです。例外もありますけれどね」


 知るはずのない知識を知っている。それも、学ぶことなく、生まれたときから。俄かには信じがたいが、私はそういう出鱈目を許された人間を知っている。


「……ファンブル」

「はい。大戦中に活躍した人間兵器たちとは方向性こそ違いますけれど、同類です」


 最初に現れたのは、身体能力が桁外れな者たちだった。たとえば、コンクリートを殴り割れるような者や数百メートルを数秒で走りきる者。

 続いて現れたのは、人類にできてはならないことができてしまう者たちだった。たとえば、電気を食す者、宙を歩く者、果ては大地を揺らす者。

 ――たとえば、生まれたときから途方もない量の知識を有する者。


 偲の知識量は膨大だとは思っていたが、偲が「そう」であるのならば腑に落ちる。偲は、旧暦の文字通りすべてを知っているのだろう。


「『獣』は大戦後に現れた存在ですからら、私はそこについて知識を有していません。……ですが、混じっている動植物についてなら」


 なるほど、『獣』に混じっているになっている生き物について分かれば、それがきっと私の助けになると、そう言いたいわけか。


「ダメよ。あなたを危険にさらすわけにはいかない」


 だが、偲が本当にそういう異能を有しているなら、それは私やサギリだけでなく、ありとあらゆる人間にとってかけがえのない資源となる。だから、危険に曝すわけにはいかない。

 そのことを伝えようと、口を開く。多少きつい言葉になろうと偲には自分がどれだけかけがえのない存在であるのかを理解してもらわないといけない。


「私が嫌だから。偲が危ない目に遭うかもしれないなんて、嫌だもの」


 けれど、口から出たのは、発しようとした言葉とは、まるで違う言葉だった。


「『獣』に殺された人も、『獣』に返り討ちにされた人も。何人も知っている。偲がそうなるのは嫌なの。っていうかあなた、何でも知っているっていっても全知全能には程遠いじゃない。全知無能というか。ここに来るまで、あなた、何回転んだ?」

「……十回以上、転びましたけど」

「その程度しか動けないのに、人間より素早くて力がある怪物の前に身をさらすことなんてさせられないから。あと、『獣』のことを知りたいならあとで話してあげるから、好奇心のために自分を危険にさらすのはやめなさい」


 少し、言いすぎてしまっただろうか。偲は俯いて黙りこくっている。


「……ったんです」


 しばらくして、偲は小さな声で返事をした。


「伶の役に立ちたかったんです。『獣』のことを知りたかったのはそうですけれど、伶ならちゃんと私を使ってくれるって、そう思ったんです」


 倒れそうになった。

 私の役に立ちたかった。この少女は、そう言ったのか。


「……偲はもう十分役に立ってくれてるわよ」

「私、伶に世話されてるだけじゃないですか」

「偲を待たせてるから、生きて帰りたいと。そう思えるもの」

「……だから、なんでそういうこと真顔で言うんですか。人類のために私を危険に曝すわけにはいかないとか、言われると思っててちゃんと反論考えてきた私が馬鹿みたいじゃないですか。ずるいですよ」


 ずるいのはどっちだ。こんな幼い子供に、「役に立ちたかった」なんて、言われたら、揺らぐに決まっているだろう。


「そうね、私は大人だからずるいの。さ、帰りましょう」


 そう言って、偲の頬に手をそえて、さっきからずっと俯いていた顔を上げさせる。それが、失敗だった。


 偲の潤んだ眼が、私の目を直視する。

 返事をしようとしても口が開かない。

 目を逸らせない。

 肺が動いているか分からない。

 心臓が動いているか分からない。


 ――まずい。とてもまずい。

 たった一言でいい。たった一音でいい。

 偲が話し出すよりも早く話し出してしまえば、どうにでもなる。

 私が先に話し出せば、サギリに偲と一緒に帰って、日を改めて独りで偵察に来ることができる。


 けれど、偲の眼は、私が口を開くことを許さなかった。


「伶、だめですか」


 そして偲は、私の目から視線を逸らさず、寂しそうな笑みを浮かべながら私よりも先に言葉を発した。


 結論を言おう。

 十歳以上年下の少女に、泣き落とされた。

 今まで、一度も見たことのなかった偲の泣き顔に絆された。


「……そういう頼み方、もう二度としないって約束して」

「泣き落としですか?」

「……分かってやってたのか」


 ふざけるな。

 それにしたって、足手まといにしかならないくせに、役に立ちたいと泣きだすなんて、ひどい我儘じゃないか。そして、そこまで分かっているくせに泣き落とされるな、私。


「じゃあまずは、中央に行くわよ」


 そう言って、手を差し出す。


「次はまた別の方法で我儘を言いますね」


 差し出した手が握られる。


「冗談言わない。知っていることを一通り話して頂戴。ついてくるならしっかり仕事はしてもらうんだから」


 手玉にとられてるといってもいい状況をどこか喜んでいるのだから、我がことながら本当にどうしようもなかった。

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