第6話 集落、目撃者、証言
「そろそろです。まずは『獣』に接触した方々を訪ねられるのですか」
「ええ、よろしく。ただし、その前に偲の居場所を確保してちょうだい」
サギリの集落では、できる限り偲のことは伏せておきたい。駆除屋である私に所縁のある者だと知れれば、煙たがられかねない。
私に何かあれば、偲がサギリで暮らすようになることもありえる以上、それは避けたかった。
「あの、伶。もしかして、留守番ですか」
「あの、偲。もしかして、着いてくるの」
「真似をして誤魔化さないでください」
こうなった偲を説得するのは難しい。私が偲と過ごした時間はそこまで長くはないが、既に痛いほど理解させられている。下手に理詰めで説得しようとすれば、墓穴を掘るハメになる。感情に訴えるのも無理だ。
「……1人で歩き回ると危ないから、私から離れないって約束して。あとこれを着て」
「ええ、もちろんです!」
仕方がないので、灰色の迷彩柄をした外套を偲に着せて、顔と体形が分からないようにしてやる。着せ終わったところで、圭が口を開いた。
「では、偲ちゃんは、伶さんが面倒をみられるということで。到着です」
圭がそう言った直後に、四輪は速度を緩め、その動きを止めた。目前には、とても旧暦のころの機能を残しているようには見えない廃墟があった。圭は四輪を物陰に停めて、私たちを廃墟の方へと案内していった。
「こちらです」
「相変わらず分かりづらいわね」
「流浪の悪党に押し入られてはかなわないので」
角度によっては瓦礫の山にしか見えない通路をいくつか越えると、ある角を曲がったところで光がぶつけられてきた。サギリの集落は透明なパネルが天井一面を覆った地下から続く吹き抜けに沿って形作られている。地下十階まで続く円筒型の吹き抜けに面した空間に人々は暮らしていた。
「すごいですね!伶のビルよりも明るいです!」
「そりゃあそうでしょう。私のところの天井はこんなに透けてないし。あとはほら、あそこ」
身を乗り出して階下を眺める偲の手をつかんで引き戻しながら、私は階下でキラキラと輝くものを指さした。
「綺麗な鏡ですね。とても素敵です!」
「お褒め頂き幸いです」
はしゃぐ偲に、圭はずいぶんと明るい声をかけた。別にこの廃墟を圭が建てたわけでもあるまい。圭にはこれから働いてもらうので、口には出さなかったが。
圭に連れられて、私たちは下の階へ、下の階へと進んでいく。前回訪れたときのサギリは、活気があるとは言わないまでも、それなりの人の気配が感じられる場所だった。しかし、今日は静まり返っており、こつんこつんと反響した誰かの足音がときたま聞こえてくる程度でしかなかった。
「思っていたよりも、静かな場所なんですね」
「今残っているのは、老人と年端もゆかぬ子供くらいですから」
予想通りだった。圭の言葉からは、さっき偲がサギリを褒めた直後ほどの感情の起伏は感じられなかった。
サギリは下れば下るほど暗くなっていく。鏡によって光は最下階まで届いているとはいえ、それは吹き抜けの範囲内に限られている。最下層にもなれば、吹き抜けから少し離れたところには暗闇が待ち構えていた。
「圭、『獣』に遭った人はどんな人なの?」
「皐月さんという男性ですね。年齢は五十歳ほどで、少し頑固なところもありますが元気な方ですよ。ご家族を失くしていらっしゃるので、そこには触れないようにしてください。地下七階にいらっしゃるはずです」
「別に、過去のことなんか興味ないわよ。今それなりの年齢になってる人の昔話なんて、たいていロクなものじゃないんだから」
今どき、四十を超えている者は、ほぼ確実に大戦を、つまりは旧暦の終わりを目前で経験してきた人間だ。だから彼らの多くは、程度に差こそあれ、何かしら、どうしようもない喪失を背負っている。
だから、私や偲のように、旧暦以前をほとんど知らない者や、そもそも大戦の後に生まれた者と、そうした年長者たちの間には、どうしてもズレが産まれてしまう。存外、私が集落の人々に受け入れられないのも、そうした理由のせいかもしれない。
……彼らの眼に私や偲は、どう映っているのだろうか。幸せなのか、不幸なのか、どちらでもない半端者か。
「伶、何を考え込んでいるんですか?」
険しい顔をしてしまっていたのか、偲が私の方を心配そうに見やってき
た。偲と暮らすようになってから、考え込むクセがついている気がする。仕事のときくらいは切り換えないと。
「何でもないわ。ええ、何でもない」
会ったこともない人間が私のことをどう捉えるかなんて考えても仕方がない。そもそも、年齢以前の問題として、私は駆除屋だ。相手はこちらを嫌悪しているという前提で動くべきだろう。
六階と七階をつなぐ階段を降りてすぐ、皐月らしき男性が目に入った。彼は、吹き抜けから少し離れたところにある、雑多な品々の並んだ区画で横になっていた。
「こんにちは、皐月さん。駆除屋を連れてきました。『獣』の件で話を聞かせてほしいそうです」
男はのっそりと起き上りだす。眠っていたわけではないのか、動きはゆっくりではあったが淀みなかった。男は、立ち上がりはせずに、こちらに顔を向けてきた。まず、圭に目をやってから、続いて私を見る。そして、偲に目をうつしてから再び私の方を見た。
「思っていた以上に、若いな。駆除屋」
「身体が資本だからね」
「礼儀がなってない」
「あいにく、きちんと教えてもらったことがないのよ。敬意は持っているつもりなのだけれど」
「その子供は、お前の子か。駆除屋に子供がいたとは聞かないが」
「……助手みたいなものよ」
私がとっさに発した回答に、びくりと身体を震わせてから、偲がうずうずしだす。『獣』のところに行くとき、偲がついてくる口実を与えてしまった。
「あなたが遭った『獣』について、この駆除屋にお聞かせください」
「使えばいいってものでもねえぞ。……やつに遭ったのは、夕暮れ時に動物園の中を通りぬけようとしたときでな。ちょうど、動物園の中を流れる川の近くだった。川沿いに歩いているときに、『獣』が出た。大きな体の上に、大きい頭が乗っかっててよ。それで、その頭からこれまたひどく長くて太い縄みたいなものが伸びていた」
川で出遭ったということ以外は圭から報告されていた情報通りだ。せめて、『獣』に混じっている動物の特性が分かればいいのだが、頭部に触手が生えているとなると虫の類だろうか。
「なるほど、そいつに羽みたいなものはついてた?」
「……頭がずいぶんと大きかったと言ったな。その一部がひらひらとしていたような気はする。川の周辺はちょっとした林のようになっていてな。暗くてよくは見えなかった」
飛べるかどうかはともかく、羽はあるようだ。
「ええ、それで、『獣』を見つけた後はどうしたの」
「逃げたさ。見つかったら仕舞いだからな。だがな、いつ気付かれたのかは知らねえが、あっちとこっちの距離があっという間に縮まっててよ。やつはこっちとさほど離れてもいないところにまで近づいてやがった。こっちは全速力で走ってるのにだぜ。やつは変な歩き方でこっちの全速力よりも速く追いかけてきてよ。最終的に、一緒にいたやつが追いつかれたおかげで、俺は助かったのさ。もうその時は日が暮れかけていたのと、振り向かずに走ってたので、最期の様子がちゃんと見えなかったのが救いっちゃあ救いだな」
うずうずしていた偲は、気がつけば微動だせず話を聞いている。気持ちのいい話ではないのは確かだろう。
「変な歩き方っていうのは?」
「早歩き、みたいな感じだった。すたすたとしてよ」
「二足歩行だったのよね」
「そこは間違いねえよ。ありゃあ人型だ。園内にはところどころにまだ生きている灯りがあったからな。それくらいは確認できた」
おそらくは虫が混じった『獣』。知覚能力も速力も悪くないらしい。その上、もし甲虫の類が混じっていれば、鎧のごとき甲殻をまとっている可能性が高い。
急ぐ必要があるかもしれない。それほどの『獣』なら、若者がいないせいで機能不全に陥っているサギリが限界を迎えるのを待つまでもなく、この集落を滅ぼしかねない。
「ありがとう。あとはこちらでやっておく」
「あの!その、もう1人って今は動物園で……」
偲が声を上げる。
――その人物がまだ動物園にいるのは確かだろう。おそらくは、『獣』の体内に、だが。
その回答を口に出せる人間がいなかったのは、良かったことなのか、悪かったことなのか。私には判断がつかなかった。