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第32話 洗濯日和

 灯台ビルに帰ってきた私たちが最初にしたのは、生活の時間を元に戻すことだった。

 朝に起きて、夜に寝る。今まではそれを徹底するだけだったのだが、今回は生活の時間を戻すためにと、偲がずいぶん色々な提案をしてきた。

 サギリにいたときのように風呂に入るようにしたり、洗濯をしたりするようになったのだ。

 その日も、すっかり日常になった屋上での洗濯に、私と偲は精を出していた。

 もっとも、偲の方は、最低限の仕事しかしないのだが。

 偲に力仕事を任せれば、下手をすると濡れた衣類が廃墟の床に撒き散らされる羽目になりかねないのだ。

 というか、一度撒き散らされた。


「洗濯日和ですねえ。……サギリでは地下に洗濯物を干してたんでしょうけれど、こういうのが感じられないのはもったいないです」


 服をロープに干していく私に、籠から服を取り出しては渡していた偲が、唐突にサギリのことを口にした。


「結局、落ち着いてサギリでのことを思い返すと、ずいぶんひどいことをしましたね」

「まあね。おまえたち全員、気に入らないって言ったようなものだし」

「あれ、ひどいですよ。サギリの人たちが何も考えてないって言ってるようなものじゃないですか」

「そんなの、私の知ったことじゃないわよ」


 私がそう口にすると、ふふっと、声を漏らして偲が笑った。


「何よ」

「伶、いい人だなあって」

「そんなことないわ。私は、圭とか瑛梨香とかのやり口も、それをそのまま受け入れるサギリの住民も、どっちも気に入らなかったから自分の言いたいことを言っただけ」

「でも、本当にやるかどうか迷ってたじゃないですか」

「優柔不断なだけよ」

「――そういうことにしておいてあげます」


 私たちに礼を言ってきたきょうだいの姿が頭に浮んだので、消し去っておいた。


「なんにせよ、サギリからの仕事はもう来ないわよねえ。これからどうしたものか」


 別にサギリ以外の集落から仕事が来ることもないわけではないが、サギリが一番仕事を持ってくる回数が多かったのは事実だ。


「それなんですけれど、暇になるなら、一度アラガに行ってみたいです。私以外のファンブルや伶以外の駆除屋さんに会ってみたいですから」

「……結構なロクデナシよ、あいつ」

「その言い方って……、え、同一人物なんですか!アラガの駆除屋さんもファンブルなんですか!」


 ああ、好奇心に火をつけてしまった。

 これは間違いなく、アラガに連れて行かされる流れだ。

 本当に仕方がない。そういうところも含めて、そういうところがあるから、私はこの少女が好きなのだろう。


「そうね、アラガはサギリよりも他の集落とのやりとりが多いところだから、私たちが仕事を探してることを広めてもらえるし。つぎに地下街にいくときに必要なものを見繕ったら出発ね」

「はい!楽しみです!」


 偲が元気よく返事をする。ふと、出逢ったばかりのころ、偲から感じていた虚弱さがだいぶ薄れているように感じた。


「偲、なんだか、動けるようになった?」

「はい、慣れましたから。どこに何があって、どういう経路をたどればいいのかが分かってきました」


 ……機械的すぎる。つまり、灯台ビルから出れば、元通りというわけか。この少女の運動観は矯正せねばなるまい。


「前言撤回よ。一度、身体の動かし方を根本から教え直します。そういう身体の動かし方のクセがなくなるまで、アラガには行かない」

「いままでずうっと、そういう風にしてきたんですよ。いざって時は、ほら、伶に頼ります」

「早くアラガに行きたいからってそうはいかないわ」

「身体の動かし方なんて知ってますよ。出来ないだけです」

「はいはい。じゃ、今日からね」


 とりあえず、偲の新しい服を探しに行くというのがいいかもしれない。


「あ、サギリといえば」

「どうかした?」

「動物園でのお礼がまだでした。おんぶしてもらったり、ひざまくらしてもらったりしましたから。伶が嫌でなければで、いいんですけれど」


 そう言ってから、偲は比較的綺麗な一角に座り込んで膝を叩く。

 先ほど提案した訓練のことから、私の意識を逸らせようとしている気がしないでもない。

 ――まあ、魅力的な提案であることは事実だった。


「――じゃ使わせてもらうわよ」


 差し出された膝の上に頭をのせる。


「なんというか、柔らかすぎない?」

「思ってた以上に恥ずかしいですね!あと、くすぐったいです!」


 私が、後頭部をおくのにちょうどいいところを探しだすと、偲が大げさに反応した。上を見上げると赤らんだ頬が目に入ってくる。口元が緩みきっているので、嫌がっているわけではないようだ。

 そうやって、柔らかい枕に頭を預けて眠りかけていたとき、唐突に肌を風がなぜる。

 くすぐったくて目を開くと。

 屋上の端に、人影が立っていた。


「やあ、伶ちゃん、偲ちゃん。……お邪魔だったかな?」


 しわがれ声を聞いてようやく、人影の正体に思い至る。

 そこにいたのは、瑛梨香さんだった。


「ひどいじゃないか、あんな混乱の種を撒き散らしてから、結果も見ずに逃げ出すなんて」

「私たちに何の用よ」

「つれないなあ。……事後報告だよ。結局、新しく見つかった地下街はサギリとアラガで兼用することになった。やってくれたね。おかげで、私たちの集落が独占できたはずの資源の半分が失われてしまったよ」

「戦争になるより、よほどマシでしょう」


 偲が、口を開く。どことなく、嬉しそうな声だ。


「集落のほとんどの人たちがそれとまったく同じことを言っていたよ」


 偲に応対する瑛梨香さんの声にも、どこか喜色がにじんでいた。


「……で、本当の用事は?」


 この人が、そんなことを伝えるためだけに、サギリから灯台ビルまでやってきて、その上ビルの壁面を上るようなことをするはずがない。


「そんな疑うなよ。別に、私としては、今回の結果に関しては、これはこれでいいと思っているから、べつに恨みなんてないんだよ?圭は本気で悔しがっていたけれど」

「三度は言わないわよ」

「はあ……。ま、いいや。駆除の依頼が本当の用事だよ。実は新しく見つかった地下街に『獣』が現れた」

「アラガの駆除屋に頼めばいいじゃない。あんなことをした後だから、サギリの住民は、今まで以上に私のことを嫌がるでしょうし」

「ところが、住民たちの中には伶ちゃんに依頼を出すことを強く提案するやつらがいてね。君は相変わらず、それどころか今まで以上に嫌われてはいるけれど、反対意見は出なかった」

「……複雑ね」


 面倒くさすぎる。


「素直に喜べばいいと思いますよ、伶」


 偲が頭上から話しかけてくる。


「で、請けるだろ?」


 瑛梨香さんが、また見透かしたようなことを言う。


「急ぎ?」

「いや、今回は時間をかけてでも、入念に準備をしてほしい。何と言っても、地下街にいる『獣』は大型の類人猿が混じった個体らしくてね」

「……アラガの駆除屋と一緒に仕事しなくちゃいけないくらいの強敵じゃない」


 そんな『獣』、もうファンブルと大して変わらない。


「まあ、そう言わずに。君が望むにせよ望まないにせよ、どうせアラガの駆除屋と一緒に仕事をすることになると思うよ。地下街は誰かのせいでアラガとサギリの共有地になってしまったからね」

「……類人猿混じりの『獣』に、アラガの駆除屋さんですか。瑛梨香さん、もう少し詳しくお願いします」

「瑛梨香でいいって。それで、今回の『獣』は驚くべきことにだね……」


 私をよそに、瑛梨香さんと偲が打ち合わせをはじめる。 

 ……これはもう絶対に止められないな。仕方がない、訓練はまた今度にして、次の仕事の準備をどうするかを考えよう。

 また、風が顔をなぜる。

 空を見ると、ずいぶん雲が少ないことに気づいた。


 ――洗濯日和とは、こういう日をいうのか。

 先ほど偲が発した言葉を、ようやく私は知ることができた。

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