第13話 獣
おそらくは『獣』が残したであろう獣道を辿ろうにも、灯りのあるところから離れてしまったために、すぐに行き詰った。
「何があるか分からないから乗ってて。あと、ライトお願い」
「はい」
偲は短く返事をして、私が差し出した背中に負ぶさってくる。
「おわっ!?」
偲を背負って、獣道に踏み込んですぐ、ひどくよろめいてしまった。
「ふふ、伶が私みたいなことになってるのは新鮮ですね」
「さすがにここではじゃれ合わないわよ」
どうやら、深くて円い窪みが道に空いている。これを踏んでしまったらしい。
「足跡、かしら」
先ほどのものより、この足跡はだいぶ深い。
「ずいぶん太いですね、やっぱり虫じゃないっぽいですけど」
偲はするっと私の背中から降りて、足跡の検分をはじめている。
「ええ。こんな風にはっきりと蹄があるんじゃあね。ただ、ずいぶん深いし、もしかしたらかなりの体重なのかもね」
「でも、これくらい深い足跡を残すくらいの重さだと、二本足では身体を動かしたり支えたりするのに問題がありませんか?」
「そこは考えても仕方ないわ。目撃者――皐月が歩いてるのに全速力に追いついてきたとか言ってたの覚えてる?」
「はい。てっきり歩幅がものすごく大きいと思っていたんですけど、この歩幅じゃあ、ちょっと考え難いですね」
偲の言うとおりだ。目の前の足跡と足跡の間は私の身長ほどもない。人間よりは大きいが、とてもじゃないが歩幅は、歩行と走行の差を埋めるだけの要因にはなりそうにないだろう。
「『獣』ってのはね、あなたたちファンブルと同じように多少の常識は無視できるのよ。この場合、モノの動き方のルール――えっとブツリホウソクで合ってる?――とかを無視してるのね」
「私は空を飛ぶとかはできないですから。一緒にしないでください。……『獣』の発生にファンブルが関わってるっていうのが妥当な見方なんでしょうけど」
「『獣』の起源、ね。興味はあるけど、それが分かったって何か変わるとも限らないし」
ファンブルの異能に由来する兵器は大戦期に乱造されていたらしい。もしかしたら、『獣』もそういうモノの1つなのかもしれない。
だけれど、偲が不味い方向に興味を抱きそうだったので、わざと意気を削ぐことを言っておく。『獣』はまだなんとかしてきたが、ファンブルに近づくなんて御免こうむる。
私の仕事は、あくまで『獣』を相手取ることなのだ。
「まあ、確かに今はこっちの方が優先ですね。」
偲は、再び私の背中によじ登ってから、そう言うと真剣に足跡についてぶつぶつと考察をはじめてしまった。
穴の深さからみて体重はどれくらいだとか、木々の間隙を通れることから身体の幅はどれくらいだとか、役に立ちそうなことを考えているようなので結果が出たら聞かせてもらおう。
道を辿れば辿るほど、せせらぎの音が近づいてくる。その一方で、生き物の気配が今まで以上に希薄になっていく。まるで、無機質な屋内にいるようだ。
ピリピリと張りつめた空気にも、ここまで来れば、はっきりと気付くことができる。
この先に、『獣』がいる。
駆除の仕事の度に抱いてきたいつもの嫌悪感を殺して足を進めていく。何度となく駆除してきた怪物どもの同類が、私たちを待ち構えているはずだ。
森は唐突に終わり、私たちは開けた川辺に出た。灯りが要らないくらい、星と月が気持ち悪いほどに明るく周囲を照らしていた。
そして、眼前に、そのヒトガタは佇んでいた。ちょうど、森と川の中間あたりだ。
――たしかに、皐月の報告は間違ってはいなかった。
頭には触覚のようなものが生えているし、羽のようなものがついている。問題は。触覚が鼻で、羽が耳だというところだ。あの動物なら、遠くのものを知覚することもできるだろう。
虫だなんて勘違いもいいところ。
偲じゃなくても、少しでも動物のことを調べたことがあれば誰でも知っている動物の、紛い物がそこにいた。
「ゾウか」
「アフリカゾウっぽいですね……。伶、前に狼男みたいって言ってましたけど、嘘もいいところじゃないですか」
「全くの間違いってほどでもないでしょ。動物と人間を足して割ったってところは間違ってない」
軽口を言い合える相手がいるのはこういうときにはありがたい。偲がいなければ、逃げ出していたっておかしくはなかった。それほどまでに、目の前の『獣』の存在感は圧倒的だ。
まず目に入るのは、気持ち悪いくらい大きなゾウの頭。
次に、人であれば手がついているべき腕の先には、牙を模したような、というか牙そのものが生えているというのが、注意を引く。
それら、歪な頭と危険な腕は、まるまるとしているくせに妙に筋肉の盛り上がっている身体――印象としてはぶよぶよした岩石といったところか――に引っ付いている。
脚は丸太のように太く、ほぼゾウの脚そのものだった。
足元から頭頂まではおよそ私が二人分といったところか。
「アレ、生きているんですか」
「残念ながら、生きてるわよ」
「気づかれてますよね」
「寝てるって線もあるけれど」
まだ、『獣』は川の方を見ていて、こちらに背中を向けている。直立不動である以上、眠っているとは考えにくい。
彼我の距離は二十歩足らず。走りこんで先制するのは無理だろう。
「ゾウって、急所とか弱点とかあったっけ」
「体重の重さ、とかでしょうか。足跡の深さを考えると、ほとんど、実際のゾウの体重と変わらない重さがあるとみていいと思います。二足歩行しているのが不思議でなりませんけれど」
偲の声は震えている。
サギリで皐月の目撃譚を聞いていた時と同じ調子だ。とにかく、『獣』に混じっているのが、虫じゃないと分かっただけでも十分すぎる収穫だ。ここはいったん退くべきだろう。
偲にそのことを伝えようと口を開こうとすると、
「伶、もっと近づいてみませんか」
背中から聞こえる偲の声は相変わらず震えていた。
そして、ここにきて。
ようやく私は、その震えが喜色に満ちたものであることに気づいた。
「偲、こういうときって、好奇心は猫をも殺すっていうんだっけ」
「知りません」
絶対に嘘だ。
「偲、退くわよ」
「……駄目ですか」
偲はとても残念そうな声で、それ以上は何も言わなかった。さすがに、ここで我儘を通そうとするほどではないらしい。
私が一歩下がったところで、『獣』が鼻を高々と上げながら、ゆっくりとこちらへ向けて振り向く。顔に続いて、その場でステップを踏むように身体の向きを変えつつある。
「降りて」
私は、偲を背中から降ろしながら、鞄の中の果実を掴んで取り出した。少し力を混めると、果実の表面が、ぐしゃりと潰れて、中から果汁がにじみ出てくる。
この果実を『獣』に直接叩きつけられればいいのだが、その前に、刺し貫かれるなり、蹴り飛ばされるなり、殴り飛ばされるなりして死ぬのは目に見えている。
だから、私は。
大きく振りかぶって、『獣』の頭めがけて赤々とした猛毒を投げつけた。しかし、『獣』が、人の背丈はありそうな長い触手、もとい鼻で、私の投げつけた果実を叩き割る。
「ゾウなのに視えてるんですか!?」
偲が驚きの声をあげる。そういえば、ゾウの視力は大してよくないのだっけ。音を使っているのか、臭いを使っているのか、もしかすると、第六感のようなものがあるのかもしれない。あるいは、それらの併用か。
いずれにせよ、飛来物を弾き飛ばせるような精度と速度で鼻を動かせるということは確認できた。真正面から挑んでいけば、牙で貫かれるでもなく、脚で蹴り飛ばされるのでもなく、鼻で殴り飛ばされるというわけだ。それぞれの手段で薙ぎ払える範囲を考えれば、妥当といえば妥当だが、しっかりと確認できたのは大きい。
「偲、いまのうちに」
「えっ?」
私は、『獣』の方を向いたまま、果実を握った右手の手袋を『獣』の方へ放り投げた。そして、偲を抱き上げて背負う。
そして、ちょうど偲が身体のちょうどいい位置をみつけたのと同時に、今まで音を発さなかった『獣』が、悲鳴を上げた。
「誰よ、パオーンだなんて、気の抜けた表現を伝えたのは……!」
凄まじい音圧と金属と金属が擦れるような不快な音は、この距離では聞くに耐えないものだった。もう少し近ければ、耳が使い物にならなくなっていたかもしれない。
偲は険しい顔をして耳を思いっきり押さえていた。
とにかく、先ほどの一手が功を奏したようだ。
「重要な器官だとは思ってたけど、大当たりね」
あの『獣』は毒汁たっぷりの果実に鼻を使って対応した。対応してしまった。人間でいえば指先に火をつけられたようなもの、といったところだろう。
悲鳴を上げ続けながら、『獣』は、早足で川の方へ向かっていく。鼻を洗い流そうとしているのだろう。
見た目だけ見れば、人間の早足と同じ挙動なのだが、速度は野生動物の疾走のそれだ。
「ゾウは体重のせいですべての脚を地面から離すことができない……。早足で動いているだけなのにどうしてあの速度が出せるのか気になりますけど、それはともかく。皐月さんが追われたときの違和感はこのせいですね」
「さっきも言ったけど『獣』は多少のルールを無視できるのよ。どんな歩き方をしようと、混じりこんでいるゾウが早足で人間の全速力くらいの速さをだせるなら、それと同じ速さで『獣』も動く。そこに道理なんてないわ」
私は偲を背負ったまま、獣道を走り出す。果実の毒がどれほど効くのかは分からない以上、悠長に観察をしているわけにはいかない。
「偲、どれくらいの距離までなら追ってくると思う?」
「園内全部アウトです!伶がさっき投げた果物の臭いを追えばいいだけなので!」
「くっそ!一番近い出口は?」
思わず汚い言葉を吐いてしまう。
「南の方へ向かって橋を使うのが最短です、最初の橋上の交差点に出ます!」
目的地がはっきりしたところで、ちょうど獣道を抜けた。道と、道沿いの灯りがある分、ここからは移動しやすくなるはずだ。
「灯り!」
「はい!」
灯りと案内を偲が担当させて、私は走るのに専念する。身体はかなり鍛えている方だとは思うが、少女1人を背負って全力疾走というのはなかなかに堪える。
その時、川の方から咆哮が響いてきた。先ほどよりも音量は小さいものの、パオーンだなんて気の抜けた擬音は、相変わらず欠片も似合わないような咆哮だった。
「怒り心頭って感じね」
「逃げ切れるでしょうか」
「速度はあっちの方があるから、直線の競争なら絶対に勝てないでしょうよ」
怒号に止められた脚を再び動かしだす。休んでる場合ではない。
「伶、いよいよとなったら……」
「逃げ切りようがなくなったら、戦う。でも、たぶん大丈夫そうよ」
偲が何かしょうもないことを言おうとしたのを遮って、私は先を示した。
橋の上へと向かう上り坂だ。その坂は、今まで見てきた中でも、とくに廃墟じみた様相を呈していた。
「園の外まで追ってこないとも限らないけどね……」
「これだけ金属やコンクリート破片が転がってるなら、たぶんついてくることはないと思います。もし足がダメになると体重を支えられなくなって――二足歩行の時点で支えられるはずはないのですけれど――自重で内臓が潰れて死にますから」
「脚を壊せれば致命傷になるかもっていうのは、分かりやすくていいわね」
そう簡単には、倒れてくれないだろうが、駆除の方針がたったのは偵察の結果としては上々だ。
しばらく橋を走っていくと、後ろの方から再び怒号が聞こえてきた。
「方向からして、橋の上り坂あたりで止まってるみたいですね。予想通りです」
「覚えられたかな?」
「ゾウを狩る部族と狩らない部族を嗅ぎ分けられるとかいう言説もあったそうですからね。『獣』の知能がどれくらい高いのかは分からないですけれど」
「混じってる動物が賢ければそれだけ賢くなるっていうのが駆除屋としての見解よ。だとすると、まあ、覚えられててもおかしくないか」
念のため偲を背負ったまま、急いで園の入り口に向かう。
最後以外は危なげなかったとはいえ、さすがに強行軍だった。はやくサギリに帰って、休息をとりたい。
偲は、いつの間にか背中で寝息をたてていた。『獣』から離れたところで、糸が切れたらしい。園を出たら歩いてもらおうかと思っていたが、起こすのは少し気が咎める。疲れてはいるが、偲を背負ったままサギリまで歩くくらいの余裕はある。
いつのまにやら、東の空が白み始めていた。




